2009年1月7日水曜日

ぱっとしない


今日、民事裁判実務の答案が返却されました。また、後期単位認定に含まれるリーガルライティングの課題も返却されてきました。


いずれも予想以下の評価。とりわけリーガルライティングのほうは年末の数日間悩みに悩んで作り上げた物だったので、評価がBだったのには怒り心頭でした。先生の講評は終始たった一つの法律論だけに集中しており、出題の形式が第1審判決で敗訴した原告が控訴したがっているがどのような意見書を書くべきか、だったのと合致していないように思われました。

つまり、先生の興味の対象は民法上の法律構成だけといってもよいものでした。だったら初めからそう指示してよ、と言いたくなりました。

 他方、民事裁判実務の方、相変わらず裁判官教官は採点が厳しいです。一言一句おろそかにするべからず、という姿勢で辛く辛く採点されていました。

点数も60点満点中自分の思っていた点より4点下がってました。

まあ、50点以上は取れていたのですが、第1回のテストが悲惨なものだったので合計するとまだ危険ラインを突破しておりません。

 とまあ、わたしも一応ローの学生ですのでそりゃあテスト結果には一喜一憂してしまいます。

 結果に対して不満が溜まっていたため、授業ではこっちから質問したり当てられた質問に対して要求を超えて目一杯言いたいことを言わせてもらいました。日頃は目立たなくしているのですが、今日ばっかしは何か言わないと気が済まない思いでした。

 少しだけすっきりしました。
写真は筑豊地方にある田川市、香春岳(かわらだけ)。右側の山だったところです。セメント製造のため石灰岩の香春岳はすっかり削り取られてしまいました。ここがあの青春の門の舞台です。今は寂れきってなんにもない町に。
ちなみに麻生セメント、三井セメント、小野田セメントが三大メーカーです。

2009年1月6日火曜日

諫早湾干拓訴訟


今日から授業が再開されました。呆けてしまっててゼミの時間を間違えたりしてしまいました。

夕方からの民事弁護論の授業は、諫早湾干拓差し止め訴訟の弁護団で活躍している弁護士が講演しに来ました。

有明海が死に近づいていること、その原因が諫早湾の潮受け堤防のせいであることがよく分かりました。

かつて有明海は単位面積当たりの漁獲量が世界一だったのだそうです。ところが諫早湾干拓のせいで潮流のスピードが遅くなってしまい、海底に溜まった泥が巻き上がらなくなってしまって海水中の栄養分がその泥にくっつかなくなってしまい、栄養分の少ない海になってしまったのだそうです。それと、酸素が足りなくなり、海底まで酸素が行き渡らず、海底に住む貝類が窒息死しているのだそうです。

 ラムサール会議という、世界的な湿地を保護する会議では、広島長崎と聞けば誰でもすぐ原爆を想像できるのと同じく、いさはやと聞いただけで直ちに環境破壊の典型とイメージできるのだそうです。

例えば、どこそこの湾はイサハヤになった、という使い方をするそうです。

 講演は分かりやすかったのですが、疑問も浮かびました。長崎県と諫早市だけは未だに干拓を正当化し続けていますが、それも県民や市民が支持しているからではないでしょうか。つまり県民、市民の意識は諫早湾干拓は間違っていないと今も思っていると言うことだと思われます。そこんとこをより深く話して欲しかったと思います。

また、農地はもはや不必要なのになんで干拓したのか、目的がころっと変わって高潮防止に変わってしまったをオカシイと思わないのか、農水省の役人は本当にあの干拓が正義の行為だと思っているのか、、、、

 ただ、講演を聴いて疑問が解けたこともありました。それは江戸時代、佐賀では広大な面積を干拓してきたのに有明海の環境は悪化しなかった、それなのに諫早湾を干拓したら何故有明海が死に瀕するようになったのか、同じ干拓をしているのだから同じ結果になるのが当然ではないか、何故諫早湾干拓だけが悪者なのか、江戸時代の佐賀平野の干拓はなぜ悪くないのか、でした。

 弁護士によると、佐賀の場合、阿蘇山の大噴火によって火山灰が大量に降り注いだ有明海では海底にその火山灰がたまりに溜まっているそうで、それが潮流に乗って佐賀の海岸に押し寄せて来てどんどん海岸に泥のようになった火山灰が溜まっていくのだそうです。そして人間がその海岸に溜まった泥を踏み固めて土地に改良していって今の佐賀平野が出来上がったのだそうです。つまり自然が勝手に干拓をしたので環境破壊ではなく環境利用だったということです。

このことを知っただけでも今日講演を聴いた価値がありました。

ちなみに、弁護士達は15人くらいで弁護団を結成してて、みんな手弁当、持ち出しなんだと。

それから、去年韓国で環境に取り組んだ団体に与える賞のグランプリを取ったそうです。その副賞の2万ドルが活動資金とできてとても有り難かったとも。

偉いなあ。

2009年1月5日月曜日

あ~あ、もう授業再開か


あっという間に正月が終わり、やろうとしていたことが何一つ出来ていないことに愕然となり、悄然としております。
今日もローに行こうと思っていたのですが、昨日の寒さに怯み、なんとか足下を暖めるものを持参せねば、と女房に相談すると、数年前はまやん氏からもらった登山用の本格シュラフに下半身をすっぽり包めば、と言われ、それは無理だ、だってシュラフって大きいもん、と言い返しました。
 でも、とりあえずそのシュラフを出してきて実験してみよう、ということになり、やってみたところ、結構いけそうなことが判明。
ただ、長いこと押し入れの中に直しておいたので(九州では収納することも、直すと言います)日に干そうということになり、結果的にロー行きはうやむやになってしまいました。
 で、自宅で行政法の教科書を読み込むことにしたのですが、やはり行政法はとても分かり難い科目です。全然先に進まないのです。
 からまった糸みたいです。いらいらが募ります。
 ああ、また明日から机寝になりそうです。しかも2月の上旬まで続きそうです。
 元日だったか、NHKの朝7時過ぎの番組で、日本巡礼の旅、というのがあり、緒方拳さんが亡くなる半年前、自分のルーツを知りたくて体の痛みと闘いながら方々旅をしてたそうです。そして、大分県の奥にある緒方町というところにある緒方神社という古い小さな神社の境内に座り込んで、『ここがおれのルーツかあ』とつぶやいたのだそうです。なんでも、境内に入ったとき、風が緒方さんに吹いてきて、まるで自分を歓迎してくれているような気がしたのだそうです。
 緒方町には何度も行ったことがあるので、緒方さんがあの場所をご自分のルーツと感じられたのをなんだか嬉しく思いました。合掌。

2009年1月3日土曜日

ローは寒かった











さすがに正月三日のロー内,人影はまばらで、室温は24度、足下に冷気が押し寄せてきてつらかったです。ダウンのコートを足に巻いて凌ぎましたが、今度は上半身が寒くなってきました。





途中、睡魔が襲ってきたときには体をダンゴムシみたいに縮めて眠りこけました。




民法の問題、なかなかのくせ者でまとめにくいです。預金担保貸し付けと準占有者への弁済という、古くて新しい問題です。




知らないうちに新判例がぞくぞく出ていてそれらを理解するのに時間が掛かります。




帰りに筥崎宮を通って帰りました。女房の実家に行く途中なんです。夕方6時半過ぎでしたがまだ大勢の参拝客がいました。拝殿の門前には50メートルほどの行列が続いていました。




寒空の上には半月がくっきり浮かんでいました。空気がとても澄んでいるのがよく分かりました。








午前中、パソコン専門店にて4ギガのUSBフラッシュメモリを2本買いました。1本がなんと980円。めっちゃ安です。




とても便利な道具ですよねえ、これって。かつてのフロッピーがおもちゃに見えます。




奈良の友人から久しぶりに電話が掛かってきました。まだ独身です。性格は折り紙付きなのに。女性に見る目がないのか、そいつが超奥手なのか。わたしのまわりにはそんなのが大勢います。




だれかいい人がいないものか、と勝手に心配しています。





2009年1月2日金曜日

平成21年1月2日(金)






















あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。






宇佐から田川を通り、八木山バイパス経由で帰ってきました。田川には雪が積もっていました。






かなり寒い正月でした。元旦の朝はちらほら雪が舞っていました。






大晦日からビール日本酒ワインと飲み続け、食べ続けて苦しくなりました。






 姪から言われました、わたしがあんまりしゃべらなかったと。なるほど。1月は辛い月になりそうなので憂鬱になっていたのかも。






行政法、要件事実、民法の答案作成、そして2月の後期試験。厳しいです。






そんなことが頭から離れなかったのでしょう。おかげで初夢も試験を受けてた夢でした、わたしはどっかの寄宿舎に入ろうとしていました。その寄宿舎というか寮は7人部屋で、ベッドは3段ベッド、机は鶏小屋みたいに狭く、形ばかりの仕切りで隣の生徒と仕切られていました。






試験は何度もあって、今思うとその教室はかつてわたしが働いていた塾のある一部屋のようでした。試験の中身は民事裁判実務の要件事実の問題のようでした。






今年1年を暗示するかのような初夢でした。






2008年12月30日火曜日

皆様の来年がうっしっしな年となりますように。


来年は1秒多い年です。うるう秒だそうです。


今年は塾を首になった年以来の忙しい年になり、あっという間に1年が経ちました。


来年も多分同じでしょう。ただ、来年の後半からは受験シーズンに突入してもっと忙しくなるかもしれません。


今年、もっとやっとけばよかったのに、と後悔しているのは、運動です。机にへばりついてばかりで体を動かさなかったので、頭の働きも鈍くなってきたような気がします。


忙しくとも運動を、せめて散歩はしようと思います。


それから、ワンノートというファイル管理ソフトが本当に使い勝手が良いので作ったファイルをびしっと管理しようと思います。理解とは整理が出来たことである、と誰かが言ってましたが完全に正しいと思いました。




明日朝7時に家を出て大分の実家に向かいます。雪が降るとの予想で、八木山峠は雪が積もっているかも。


実家は宇佐神宮の近所です。初詣にいくかもしれません。




尻切れトンボですが、また来年もよろしくお願いします。
そうそう、なんでも鑑定団を見てて大いにためになったことがありました。わたしは焼き物も好きなんですが、信楽焼があんなに素晴らしいものとは思っても見ませんでした。もう、出っ腹のタヌキしかイメージ出来なかったのです。ところが秀吉が朝鮮出兵から拉致してきた朝鮮陶工たちよりもむかし、14世紀からすでに信楽では焼き物が盛んだったそうです。その素朴で頑丈で火と灰と土の中にわざと入れておいた小石が高温によって破裂するときに出来る紋様とが複雑に絡まり合ってまことにシブイ風合いを出しているのです。いやもう、マイッタ。焼き物好きが最後にたどり着くのが信楽だ、と『いい仕事してるねー』のおじさんが言ってました。仰る通りかも。
そう言う目で我が九州の焼き物を改めて見直してみると、どっか渡来風に見えてきました。不思議なものですね。物の見方が突然かわるなんて。




2008年12月29日月曜日

もうひと言











自転車の右側通行、何とかなりませんか。わたしは普段スクーターに乗っていますが、道路の左端を走っているとき自転車と正面衝突しそうになったことが何度もあります。自転車も道交法上の『車輌』なんですから、立派な違反行為ですぞ。





 一方クルマの方も、マナーの悪い奴らが大勢います。きのうも、わたしの前を走っていたクルマの窓から燃えている吸いさしのたばこがポイッと放り出されるのを目撃。福岡のドライバーのマナーは劣悪です。そうそう、信号が赤に変わり、その後右折→の青信号が出ます。すると、ある馬鹿者は平気で堂々と左折していきます。こっちは女性ドライバーが多いです。また別の馬鹿者はこの右折信号→が終わって完全に赤になっても強引に右折していきます。これは若い男が多いです。





ほんまにもう、いーかげんにせーよ!と叫びたくなります。警察がサボっているのも原因の一つです。そういえばこの前わたしを職務質問して免許証をメモった大阪府警の警官、案の定あの後うんともすんとも言ってきません。ただの脅しなんですよね。ふざけんじゃね~。





ふむ、なんで関西弁と関東弁を使い分けているんだろう。私人に対する言葉と国家に対する言葉を無意識のうちに使い分けているのでしょうか。








それからそれから、西鉄バス!!排気ガスが真っ黒で後ろを走ってたら前が見えんぞ!毎日何千台ものバスがこうやって街の空気を汚してるのかと思うと、西鉄って殺人者ならぬ殺街車じゃないか、と憤慨しております。










話は全く違うんですが、クルマといえば時々クルマの中で懐かしのフォークソングを聴いています。





 聞けば聞くほど、『いいな~!!』と感動するのがビリーバンバンです。若い頃は興味なかったんですが。どこが良いのかさっぱり分かりませんでした。





なのに今では、こんな素晴らしい歌は無い、と感動しまくっています。声も良いし、メロディも良い、けど、詩が一番素晴らしい。特に白いブランコはもう、傑作中の傑作だと思います。





 若かりし頃の恋愛と別れを詩情豊かに綴っています。言葉数が少ないのに情景が鮮やかに浮かんでくるんです。








ビリーバンバンは、こちらでは大分麦焼酎二階堂のCMの挿入歌を歌っていて、トレンチコートとくしゃくしゃ帽子を被った中年が、今はないかつての思い出を辿って流離う、というシリーズにピッタリ合っています。








今日、女房と愛宕神社に来年の干支である牛の置物を買いに。2年前参道前の茶店で買ったイノシシの置物が可愛くて、それ以来その店で買うようにしています。なんか縁起が良いです。