2011年7月5日火曜日

小林


霧島温泉郷から錦江湾と桜島のパノラマ

※ここんとこブログの調子が悪くて更新できませんでしたがやっと回復しました。原因は不明です。

人吉はのんびりとした町でした。人影も少なく、経済も落ち込んでいるようでした。
わたしが旅で好きなのは町の様子、雰囲気、人々の暮らしぶりを感じるときです。
人吉は住み心地の良さそうな町でした。Hくん曰く、人吉は人良しだ、人柄がとても良いところだ、
と言ってました。そんな感じがしました。味噌蔵見学でも焼酎蔵見学でも応対してくれた方々の感じがとても良かったんです。
人吉には巨人軍の川上哲治記念館というのもありました。


人吉から40キロ東へ進むと、途中、えびの市を経て宮崎県小林市へ。小林の街に入るとなんか硫黄のニオイが車内に漂ってきました。?この辺に温泉でもあるのか、といぶかしく思っていたところ、なんと、新燃岳から上がる噴煙のニオイが小林まで迫って来ていたのでした。
小林の街も人吉と似て、いやそれ以上に寂れた感じでした。


Hくんと久しぶりに再会。懐かしい思いがするかと思いきや、なんか、つい昨日も会っていたかのようでした。久しぶりという感覚がまるでありませんでした。福岡から300キロ走ってきたという感覚は全く感じませんでした。
Hくんのお姉さんが経営していらっしゃる懐石料理屋さんの上階にHくんはお姉さんとお母様と3人で住んでいます。で、お姉さんとはじめてお会いしたのですが、弟くんとは大違い。とても上品な方で驚きました。翌朝お母様にもご挨拶したのですが、このお母様がまたとっても上品で昔はさぞや美人でらしただろうと思われ、こんな素敵なお母様からいったいどうすればHくんのような息子が生まれるのか、不思議でなりませんでした。


小林に到着したのは午後3時だったので、夕方までHくんと3人で霧島スカイラインを駆け抜け、えびの高原、生駒高原、霧島神宮、霧島温泉郷と、ドライブしてきました。素晴らしかったです。
霧島から錦江湾、桜島が鮮やかに見下ろせました。大パノラマに感激。また、40年以上前に家族で出かけた旅行で宿泊した、林田高原ホテルを再び見て懐かしかったです。
それから、霧島神宮にもお参りしてきました。お姉さんがおっしゃるには、伊勢神宮、出雲大社、霧島神宮の三社を結ぶときれいな三角形になり、この三社にお参りすると御利益があるとのことでした。女房は今回の霧島神宮参拝でこの三社参りが完成したので大喜びでした。


実は前の週にこちらに来ようかと思っていたのですが、宮崎は集中豪雨でものすごかったそうで、とても怖ろしかった、とHくんやお姉さんがおっしゃってました。1週間遅らせてラッキーでした。霧島は青空と白い雲のコントラストがとても鮮やかで、高原の緑と涼しい風が体中を吹き抜けていきました。
鹿達ものんびりと草を噛んでいて、えびの高原は少年時代の記憶の通り、やっぱり良いところでした。
霧島温泉郷は、雲仙や阿寒湖のような感じでした。大きなホテル群が結構隣り合って建っていて、昔のリゾートの雰囲気が残っていました。




夕方小林に戻ると、お姉さんがとても豪華な懐石料理をわたしたち夫婦のためにとわざわざ準備してくださってました。その夜はHくんと3人で、とても素晴らしい料理を戴きながら昔語りなどでおおいに話が盛り上がり、小林に来て良かったなあ、と深い感慨に包まれました。
夜11時まで話し込んでしまい、お姉さんには大変ご迷惑をかけてしまいました。その夜はHくんが手配してくれた近所のホテルに泊まりました。
続く
新燃岳の噴火

2011年7月4日月曜日

保証してくれ

遠すぎた橋 という映画を思い出しました。
第二次大戦末期、ノルマンディ上陸後、連合軍がベルギーからオランダに進出しようとしていました。どうしてもクリスマスまでに勝利を収めようと無理して、ドイツ軍の背後を空挺部隊が落下して襲いライン川に架かる橋を連合軍の空挺部隊が死守する(大失敗に終わる)という映画です。
そのとき、アメリカ軍の若い兵士が、戦闘で死ぬことへの恐怖から逃れるために、同じテントで寝泊まりしていた同僚にこう頼むんです。『どうか保証してくれ、オレは死なないって。』
すると同僚は『保証するよ、お前は死なない。』と。
そのシーンを思い出したのは、玄海町長が海江田大臣に、『国が安全を保証してくれたから再稼働を認める』と言ったときでした。
海江田大臣が出した安全宣言は全くの空手形です。映画で同僚が言った保証と比べものにならない悪質なものです。
どちらも全く安全の保証にはなっていませんが、映画では兵士は戦地に向かうことが命令で義務づけられているのに対し、原発再稼働をしないことは自由なのです。嫌々ながらでも死地に向かわざるを得ない者に対して心の安らぎを与えることは罪ではありません。しかし再稼働しなくてもよい場合であるのに安全を保証するという空手形を発行するのは罪です。安全が全く保証されていないのにもかかわらず安全だと言い張るのは意思の自由を偽らせること、つまり騙すことだからです。

「節電」は本当に必要なの?(3) 電力消費の基礎知識を2,3 - 武田邦彦 (中部大学) - BLOGOS(ブロゴス)

「節電」は本当に必要なの?(3) 電力消費の基礎知識を2,3 - 武田邦彦 (中部大学) - BLOGOS(ブロゴス)

節電令、変だと思いませんか? 上のサイトをクリックして読んでみてください。
普通に考えたら東電の債務不履行(不完全履行)ですよね。ちゃんと契約通り電気を寄越せ、と請求できて当たり前じゃないでしょうか。みなさん余りにも従順すぎやしませんか?
この点、橋本大阪府知事が言ってることの方が筋が通っています。彼が言うには、関電が節電願いをする前提としてなんで節電する必要があるのか、きちんと根拠を示せ、それをしないで節電願いばかり言うのはオカシイ、と。また、本当に原発が安全なのなら大阪のど真ん中に作れ、というのももっともな話です。
☆わたしは以前から言い続けていますが、かつて九大の原子力研究所にアメリカ軍のジェット戦闘機が墜落してあわや、という大事故が起きました。
同じように、原発に飛行機が故意か過失かで突っ込んだり墜落したりする危険性は全くないとは言い切れません。現にアメリカではつい最近原発周辺が大洪水になって発電機が水没しかけたこととか、逆に山火事が原発に迫ってきた、なんて言う事件も起きました。
ですから、飛行機が墜落することも想定の内に入れて厳重な防備を敷く位のことをやってから、大丈夫発言をしろ、と海江田大臣に言いたいです。
また、玄海原発それ自体もの凄くヤバイです。設計者自身が、一刻も早く廃炉にしろ、と言っています。というのは原子炉、格納容器の劣化がひどくて爆発する危険性が高い、というのです。もしも爆発したら福島どころではない、九州全体が死の島になる、というのです。
それをたかだか玄海町長と佐賀県知事だけで再稼働を認めてしまう、という決定プロセスで良いわけがありません。少なくとも北部九州全体で住民投票するべきです。原発関連産業で暮らしている玄海町の町長が、原発にNOと言うはずないじゃないですか。


以下朝日新聞から


九州電力玄海原子力発電所(佐賀県玄海町)から10キロ圏内に県域の一部が入る長崎県の中村法道知事は4日、「九電に対し原子力安全協定の締結を働きかける」との考えを示した。県議会の一般質問で答弁した。中村知事は玄海原発2、3号機の運転再開にあたっては長崎県民にも安全性について説明するよう国に求める考えも示した。

同県松浦市の離島、鷹島は玄海原発から8キロに位置し、県と同市は2009年9月にも九電に安全協定の締結を求めたが「立地自治体以外に例はない」という理由で断られた。中村知事は「地域住民の安全を確保するためにはさらなる情報提供が不可欠だ」とし、改めて県と市で九電に協定締結を求める、と述べた。

玄海原発の安全協定を巡っては福岡県の小川洋知事も九電に対し、締結を申し入れる考えを示している。


☆宮崎鹿児島紀行は近いうちに再開します。

福岡県人の恥 ブログ復興した矢先に、、、、

どうにかブログ異常が元に戻ってくれました。おかしくなった原因も復旧した理由もわかりません。
ただ、最近わたしの知らないうちにブログ機能がバージョンアップしたようなんです。でもそのせいである意味使いづらくなったところも、、、、。
で、宮崎鹿児島紀行の続きを載せたいのですが、その前に頭に来ることが。




まったくもう、松本龍復興大臣ってヤツは・・・・
東北のみなさん、どうかお許しください。こいつの失礼で横着横暴な振る舞いを。
岩手宮城県知事に向かってタメ口をきき、まるで戦前に戻ったかのごとき中央集権丸出し。
地方自治を一顧だにしない、オレ様は偉いんじゃ、お前らオレの言うとおりにしろ、と言ってました。
そして更に、その様子を取材したマスコミに向かってオフレコ要求し、もしも報道したらその社は終わりだよ、と恫喝。
新聞やネットでこの様を報道したのは朝日と読売だけ。テレビでは東北放送とTBSが勇気を出して状況を全て放映してくれました。本当にもう、我が眼と我が耳を疑ってしまいました。わたしが松本龍の母親だったら、我が子を思いっきりお仕置きしてます。人として情けない振る舞いでした。
※実はわたし、松本龍に何度も投票したことがあります。でももう、金輪際二度とこいつには入れません。このニュースを見た福岡県人はみんな同じ思いで、東北の被災者の方々に対して肩身の狭い思いをさせられることとなりました。

2011年6月27日月曜日

人吉画像


球磨川 流れが速い
青井阿蘇神社 熊本県唯一の国宝
神社神道の元々の姿を見た感じ

繊月工場から人吉城跡を見る


人吉駅前 のんびり 人影無し


宮崎鹿児島紀行

宮崎県小林のHくんに会いに夫婦で軽を飛ばして行ってきました。一泊二日で840キロ走破しました。
濃密な二日間でした。おいおい旅の様子をお伝えしたいと思います。去年は北海道、今年はその反対の本土最南端まで。
太宰府インターから九州自動車道に上がり、熊本県の南の端、人吉で降りたのが朝10時半。福岡を出たのが朝7時半でしたので、3時間の行程でした。
人吉を見よ、とのHくんのアドバイスに従い、駅の観光協会で地図をもらい、スタッフの方に目的地に印をつけてもらって街を周遊。
人吉の第一印象は、わたしのふるさと、大分県日田市ともの凄くよく似ていることでした。
ともに盆地に位置し、真ん中を大きな川が流れているのです。ただ、日田は三隈川といって筑後川が流れていて川幅が広く、流れも穏やかなので遊船といって川船を仕立てて鵜飼いを見ながらごちそうとお酒を楽しむことが出来るのですが、人吉は有名な球磨川下りの通り、流れが速くておどろきました。
また、日田は天領で豪商が支配した、ちょっと華やかさが残っているのですが、人吉は鎌倉時代初期に平氏の所領を奪った源氏の支配下に入り、源氏に味方した遠州の相良氏が代々領主として支配し続けました。700年以上も相良氏の城下町として栄えたので、豪快さが残っています。
人吉では味噌蔵と焼酎蔵を見学しました。
とくに繊月(せんげつ)という米焼酎の有名な酒蔵見学がとても面白かったです。
1570年代に人吉のとある神社を改修した折り、修理に当たった宮大工が、施主さんがケチで焼酎を飲ませてくれない、と愚痴を書き綴った木札が昭和に入って発見されたそうです。
そのことから、戦国時代に既に焼酎という酒が飲まれていたこと、すなわち、日本にサツマイモが入ってきた江戸時代よりも前に、サツマイモ以外の原料から焼酎が飲まれていたことが証明された、そしてその原料は米だっただろう、と酒蔵見学で説明してくれた従業員の方が教えてくれました。
そうかあ、焼酎と言えば芋焼酎が本家元祖みたいに思っていましたが、実は米焼酎の方がオリジナルだったのかあ、いや勉強になりました。
つづきはまた。