2023年10月26日木曜日

2023年9月2日土曜日

近況報告令和5年9月2日(土)

 第Ⅰ 初めての被告人国選弁護

   81歳女性の万引き事件

   50年間で10件、そのうち平成21年頃からは5件万引き

   窃盗症(クレプトマニア)ではないか、だとしたら責任能力の有無で争えるのでは?

   しかし、判決例ではたとえクレプトマニアと認定されてもその事実が責任能力を否定す   

   るとは限らないとするものがほとんど。

   なので、情状酌量により執行猶予をもらう方が現実的と判断

   ただ、この被告人は最後の窃盗で懲役1年、執行猶予3年の判決が下されているので

   通常なら今回の事件では実刑判決が下されるのが99%。

   判決

   懲役2年、執行猶予5年でした。非常にありがたかったです。残りの1%に入ったんで

   す。

   感想

   初めての刑事裁判で、一体何をどうやればよいのか、皆目分からず、心労で倒れそう

   でした。

   やれることはすべてやる、という精神でいきました。それと、修習中に習った、ケー

   スセオリーという発想を無意識で実践していたことを後になって自覚しました。

   具体的行動内容は後日お話しします。

   執行猶予が貰えたことで被告人自身もその家族も感謝してくれて、弁護士になったこ

   とをようやく実感できました。









2023年5月20日土曜日

九州リーガル・クリニック法律事務所所属弁護士の安部です。

 2022年、令和4年は、私の人生でおそらく一番激しい年でした。

4月に1回目の二回試験に落ち(民事裁判で落ちたのは全修習生の中でわたしただ一人!!)、内定先の事務所で事務員のバイトとして勤務、久留米に二回試験落ちが一人いたのでそいつと二人で起案の練習を7月からほぼ毎週土曜日にわたしの事務所で書き、11月に2回目の二回試験を受けに再び和光へ。

一回目は和光の司法研修所内のいずみ寮に宿泊しましたが、落ちたら罷免されてただの素浪人に。二回目の二回試験初日に再度司法修習生に一時的に採用されます。なのでいずみ寮には泊まれません。なので、和光駅前の東横インに12泊!しました。

気が狂いそうな毎日でした。食欲もなく(後に、原因の大部分は逆流性食道炎のせいだったと判明)、餃子の満州とかイトーヨーカドー内の餃子の王将とか駅の半地下の持ち帰り食材、スーパー成城石井で赤カブの漬物とかで無理矢理お腹にいれました。そうそう、東横インの朝食はとてもシンプルすぎて、買っておいた梅干しでなんとか白ご飯を口に入れてました。

和光駅前はわたしの記憶に永遠にのこるでしょう。

続きはまた。

とにかく1年ぶりのブログ更新になんか興奮してます。生まれて初めての国選弁護に超緊張しているのがブログ更新に走らせたのかも。





2022年4月24日日曜日

民事裁判でした

 不合格科目が分かりました。民裁でした。やはり、という感じ。

試験中パニックになりかけました。分からない小問があり、それに引っかかってずーっと考え続けたのが良くなかったです。

みんなも分からないのだから、なんでも良いから適当に書いてもその小問で落ちることはないのに、欲をかいたため力んでしまいました。

あと、これは当時の精神状態が異常だったことを物語るのですが、当事者が主張しようと思ったが結局主張しなかった事実があれば書け、という小問で、何もないと思ったら、『無い』と書くべきだったのに、全く何も書かずにスルーしまいました。

これは大変マズかったと思います。無いなら無いと書かなければならないし、これまでの即日起案でも必ず書いていたのに、何故か本番では、書かなくても良いだろう、なんて魔が差してしまいました。

内容的には、どこかで採点官に誤解されるような記述を書いてしまったのかも知れません。

あるいは民法の知識を書きすぎて要件事実として書いていなかったのかもしれません。

☆とにかく、敗因が分かったのは大きいです。自分が抱いた漠然とした不安が的中してしまったといえます。でも究極の問題は、自分の犯したミスが修習生全体のうちのわずか一人二人といえるくらい酷い致命的なものだったと評価されたことです。この点については正直言って納得できません。他の奴らも似たように酷い起案を書いたのではないか、と思わざるを得ません。

☆とはいえ、民事裁判の勉強は、法律事務所での仕事と直結している部分が多いので、二回試験対策であると同時に弁護士になれた後に大いに役に立ちます。なので、もう一度基礎から民法民訴法要件事実裁判記録の分析争点整理をやろうと思います。


☆ひまわりのたね、という、二回試験落ちを救ってくれるグループがあり、そのグループにコンタクトを取ることが出来ました。それで、Oさんという73期で去年二回試験に落ちて今年受かった方が運良く福岡在住で、その方とお会いすることが出来ることになりました。その方によると、今年の二回試験落ちは九州の人間が多かったそうです。なんで?

Oさんをはじめ、73期の二回試験落ちの修習生はとてもつらい期間を過ごしたと思います。というのは、次の二回試験までに1年4ヶ月も待たなければならなかったからです。わたしの期である74期はコロナのせいで3ヶ月以上司法試験が遅れ、修習もそれにより4ヶ月くらい遅れ、二回試験も4ヶ月くらい遅れたのです。なので通常なら次の二回試験まで1年待てば良い(それでも余りに長すぎますが)のを73期は1年4ヶ月も待たされたのです。逆にわたしの74期は次の75期の二回試験が今年11月にあり、わたしは半年後に二回試験を受けることになります。例年の半分の待ち時間で済みます。これはとてもとてもありがたいです。半年なら次の二回試験の対策に必要な時間としてはちょうど良い長さだと思われます。民裁だけでなく刑裁、民弁、検察、刑弁と合計5科目の試験を全部もう一回受けなければならないので、全科目ブラッシュアップするには3ヶ月くらい、しかし民事裁判を確実に受かるためには広く深く勉強しなければならないので、もう3ヶ月、合計半年必要だと思います。なので、ダレる時間が無くなります。その上事務所ではボスの指示で裁判記録を読んだり書いたりしなければならないので、遊んでいる暇はなさそうです。



2022年4月19日火曜日

二回試験に落ちて

 まさか自分が落ちるとは!?

二回試験に落ちてしまいました。1450人中わずか5人しか落ちませんでした。その5人の中に自分の番号を見つけたときの気持ち・・・・

まさか、でした。何で?そんな馬鹿な!

落ちる不安はなかっったのか、と言われると、それはありました。初物に弱い肝っ玉の小ささ、修習中にしっかり準備して起案を書いて他の修習生に見て貰うとかの努力を怠っていたことは確かです。研修所の寮にいたとき、どことなく夢の中にいるような非現実感は感じていました。孤立感もありました。思えばそれはかつて大学受験の時に感じたフワフワ感と同じだったような。

でも、だからといって自分は1450人の中のドベの力しかないのかと言われると、異議ありです。

ではなんで落ちたのか?何が致命傷になったのか?成績通知は7月にならないと届きません。

なので、今は、どの科目で何を書いたのかをメモっておくこと、もう一度基礎からやり直すこと、たとえば要件事実をマスターしてまとめる、民事保全、執行をマスターする、白表紙を完璧に自分のものにする、長い記録をサクサク読み込めるようにする、そのためには実物の事件記録を利用する、それには入る予定だった事務所で勉強させて貰うこと、などなど、考えています。

研修所の教官方にはすぐに連絡しました。皆さん、温かい励ましのお言葉をかけていただきました。

次の二回試験は今年の11月です。わたしの期はコロナで半年開始が遅れたので、1年に2回、二回試験が行われる珍しい年です。あと1年、と思うと落ち込みが激しいですが、あと半年、となると、ちょうど良い加減なので、この点だけはありがたいです。

あ~あ、なんでこうなるの?どこまで自分に試験が付き纏うのか、なんですんなりいかないのか、自分を責めてしまいます。それでも、老荘思想で、あるがままに生きていきます。そしてその上で大谷翔平のように毎日精進していきます。これがわたしの運命なのだと覚悟しました。

2022年4月10日日曜日

恐怖の二回試験を終えて 3 スカイツリーと浅草と渋谷と江の島と鎌倉

 今から思い返すと、二回試験を受けに行った10日間は、夢の中にいるようでした。現実感がありません。早く一日が終わることだけを願っていました。

二回試験が終わった日の夕方、福岡修習のみんなで成増まで行って飲み会。余り飲まなかったのにかなり二日酔いに。

いずみ寮に帰り着いたのが11時前。そのままお風呂に入らずにバタンキュー。

翌朝、二日酔いのまま帰る準備。1階ロビーに運送会社の人達が待ち受けていて、そこで荷物を宅急便で送ることが出来ました。それでも背中と両手にバッグを提げて寮を出ました。

東京駅八重洲口のホテルにチェックイン。途中の山手線の窓からサクラが満開なのがみえました。

ホテルに荷物を置いて、身軽になってスカイツリー見物。3100円。一番上まで上がりましたが、それほど感動しなかった自分に驚きました。スカイツリー見物を終えて、歩いて浅草まで。浅草寺の本堂に入ったとき、4時58分。入ってすぐに警備員とお坊さんの二人で門が閉められました。滑り込みセーフ。二回試験もこうであって欲しい、と思いました。

浅草は想像以上にエリアが広かったです。京都の四条河原町と似た雰囲気がありました。

二日酔いが良くならないので薬局で消化剤を買って飲みました。

夕暮れ時、渋谷のハチ公とスクランブル交差点を見に行きました。渋谷の発展ぶりに仰天しました。迷子になってしまいました。

ハチ公前にたどり着くと、若者だらけ。密集状態。スクランブル交差点は、これまた意外に感動せず。

その後八重洲に戻って東京駅地下にあるはなまるうどん?みたいなうどん屋でざるうどんを食べてホッとしました。その後ホテルに戻り、お風呂の後、途中で買った缶ビール500ミリを飲んでベッドへ。歩きすぎてふくらはぎが痛くなり、寝ている最中に脚が攣るのではないかと心配しました。

翌朝、またしても大量の荷物を持ってチェックアウトして東京駅に行き、コインロッカーに入れた後、初の鎌倉へ一人旅。

鎌倉から江ノ電に乗って江の島まで行き、江の島見物。駅から江の島大橋を歩いて渡り、島に着くまでかなりの距離を歩きました。江の島に到着したら今度は坂道と階段登りがまた大変。サクラは満開で美しかったですが、足が限界に近づいてきてました。江の島の上の方にお寺があり、その脇に、エスカーと呼ばれる乗り物があるとパンフレットに書いてあったので、一体どんな乗り物なんだろう、と想像していたところ、なんと、ただのエスカレーターでした。ただし有料!

江の島の入口まで戻ったとき、ホテルの横に『レンタル 電動キックボード 30分500円』と書かれたのぼりがあり、ホテルに入ってレンタルしました。これに乗れば楽ちんだ、と思ったのです。ところがいざヘルメットを被ってキックを始めたところ、アブナイアブナイ!

とんでもなく乗りにくいのです。ハンドルが安定せず、道路の段差にもろに引っかかってよろけてしまう上、時速20キロを越えたら電動が急に切れて却ってエンジンブレーキみたいになってしまって急ブレーキがかかるのです。しかもアクセルがバイクみたいなハンドルのグリップではなく、右手の親指だけで上下に下げたり上げたりするレバーなのです。バイク乗りのわたしにとってはとてもやりにくい操作です。

その上、車道しか走ってはいけないと言われ、七里ヶ浜とか由比ヶ浜とかが続く海岸線を走る国道134号線を、トラックがバンバン通る片道1車線の道を、路側帯の段差でハンドルを取られながら、恐怖にまみれて1時間、鎌倉まで乗っていきました。はっきり言って無謀でした。

走り始めて2秒で、もの凄く後悔しました。こりゃヤバイ、死ぬかも、と。

海岸線を見物しながら、なんてとても出来ず、常に後ろを振り返りながら、クルマが追い越してこないか案じながら漕いでいきました。

終点は、鎌倉駅裏のホテル。出発して58分で到着。生きた心地がしませんでした。ですが、その分、鎌倉の若宮大路に辿り着いたときはかなり感動しました。無事に辿り着いたらサクラ満開の大路が出迎えてくれたので。 とても記念になった恐怖体験でした。

鶴岡八幡宮にお参りしたのですが、参道は長く、本殿までの階段がまたキツく、苦労の甲斐あってか、本殿に辿り着いて後ろを振り返ると鎌倉が一望でき、八幡宮が鎌倉のシンボルであるのがよくわかりました。

鶴岡八幡宮の元宮がわたしの実家、宇佐八幡宮であることがちょびっとだけ誇らしかったです。わたしの家は宇佐八幡宮の氏子で、村の道を御神輿がお通りになり、神様のお休み処が設けられたりします。放生会といって、隼人との戦争で多くの死者がでたのを供養すべく、寄藻川の浮殿で宮司が蜷貝(にながい)を放流する儀式が行われるのが、和間というところで、わたしの実家は和間部落の蜷木というところなのです。放生会の本場というわけです。

なので、鶴岡八幡宮にはなんとなく親近感を感じました。

それからさらに江ノ電に乗って鎌倉大仏、長谷寺見物。この日はめちゃくちゃ歩き回りました。どこにいってもサクラが満開。今年は、研修所も浅草も江の島も鎌倉も、どこも満開で、サクラを満喫し尽くしました。

ちょうど生しらすの時期だというので、食べてみました。うーん、という感じ。室見川のシロウオの躍り食いみたい。ちょっと塩味がしましたが、他には醤油の味くらいしか・・・

夕方6時前に東京駅に戻り、焼き肉弁当とビールを買ってのぞみに乗り込み、5時間かけて博多に深夜12時到着。

これでわたしの二回試験が終わりました。本当に夢みたいな非現実感。まさに、夢に胡蝶となる、でした。