2008年6月26日木曜日

寒くて暑くて











朝6時には21度と寒かったので冬用の厚手のシャツを着ていきました。ところが昼前から久しぶりに日差しが出て急に暑くなってしまいました。






 きのう100円ショップで買った、マグネット式の台所用品をローに持って行って机の前の鉄製本棚にくっつけたところ、ビッタシでした。機能的な机に変身して気分が良いです。そしてこの前持って行った照明スタンドのおかげで目の調子もよくなりつつあります。とても明るくなったので目が疲れません。ためしに備え付けの照明だけで本を読んでみると、これがめちゃくちゃ暗いんです。スタンドを持って行って大成功でした。おまけに選んだ機種というか形がとっても良くて、自分の前の本だけを明るく照らし、隣の人にはその灯りが見えないようになっていて迷惑をかけずに済むのです。しかも場所をとらない形なので、チョイスした自分を褒めてやりたいくらいでした。






 今日の行政法の授業で、この前全ての先生にたいして授業アンケートが実施されたのですが、その結果がご本人に知らされたらしく、先生は怒ってました。どうも先生の授業について、学生の評価が辛く、酷評したコメントが多く書かれていた模様です。






 で、先生は、もうこんなとこで授業なんかしない、とか、こうなったら思い通りにやるとか、爆発しました。






 たしかに、授業中堂々と居眠りする輩が何人かいます。ちょっと失礼な感じがします。わたしも長らく先生稼業をやっていたので、自分の授業中に生徒が寝ていたらすごく不愉快です。






 それでも先生は分かっていながら授業を続行します。ローの先生はみんなそうしてます。おとなですなあ。






 それで、行政法の先生の授業はそんなに酷いのか、というと、個人的には授業の準備とか知識の豊富さのみならず、実際の行政法の運用の現場をよく分かっている人なので、生きた知識を豊富に持っている人だと思います。そういう行政法の授業が出来るひとはそうはいないと思います。その点では大変実力のある先生です。






 ただ、そう、このただ、という接続詞が問題なんです。つまり、先生は重要な事項から重点的に教えようとするのです。けれどもそれがまさしく重要であると分かるためには学生の側に基礎知識が必要です。ローに入るくらいだからそれくらいの基礎知識は持ってるだろう、いや、持っていなければならない、との前提で授業を進めるのです。






ところがほとんどの学生はまともに行政法の勉強をしていません。なぜなら行政法は旧試験科目になかったからです。かえって現役学生で旧試験を受けなかった若者達の方が学部の授業で行政法を取っているのでわたしら旧試験組よりもよく知っています。






 そういうわけで、わたし自身、行政法は悪夢の科目です。全く知識がない状態で先生の高度な授業を受けさせられるのですから。今どこの何について授業しているのか、全体の中の位置づけができないまま途方に暮れつつ授業に出るという、精神的にとても苦しい状態が3ヶ月続きました。その上、教科書に指定された、宇賀先生の本というのがまた、とても分かり難い本で、細かい知識判例が文字通りギッシリ詰め込んであるのです。泣きそうになるくらいの難解本です。






 ところが、この前書いたように、素晴らしくわかりやすい本に巡り逢ったおかげで、この頃はなんか、すーっと風が通るようになってきました。






 やはり、理解のベースになるのは条文でした。条文という骨組みがかちっと出来ているか、つまり、知識を条文で整理出来てるかどうか、が鍵でした。






 その本はまさに条文ごとに解説と判例の分類をしてくれていたのです。












話を先生に戻すと、わたしとしては、というより、ほとんどの学生にとっては、4月の初めの数週間を使って、これからやる箇所の全体のチャートを、法律の構造、条文の配置、解説にあてて欲しかったです。いきなり各論のしかも特定箇所から始めたので、その箇所の重要性以前に、先生が今何をやってるのか、先生の話す内容そのものがさっぱり理解不能でした。





そういう意味では不親切だと思います。










と、ここまでが昨日の書きかけでした。ばててしまってこれ以上書けませんでした。





今日は、夜8時まで民事執行法の二コマ連続授業を終え、きつかった一週間がようやく終わった脱力感に覆われています。





 





昨日と今日は雨も止み、印象派の描く美しい青空が見れました。風もちょっと冷たくて、表現的には変ですが、美味しく感じました。