2013年9月11日水曜日

三振

自分の番号がありませんでした。
ありえない、と思いました。
今までの受験人生で一番手応えがあったのです。
2000人という大きな枠の中に当然入っていると思っていました。
唯一の不安は倒産法の答案用紙の取り違えだけでしたが、そのようなほとんどないだろうと思います。仮にそのせいで落ちたとすれば、アホもいいとこです。
個別の成績表は今月下旬に郵送されます。何がいけなかったのか、是非知りたいです。今回の不合格には全くもって納得できないからです。
自分の人生を考え直すことにします。
これから先どうやって生き甲斐を見つけていくか、現実と折り合いを付けるか、あくまでも今の夢を追い続けるか、新たな希望を見つけるか、今は未だ頭の中は空虚で悔しさと苦さと非現実感だけしかありませんが、おいおいはっきりさせるつもりです。
とりあえずご報告まで。
応援してくださった皆様には申し訳なく思います。

2013年9月7日土曜日

クルマ疲れ

昨日、母親を乗せて宇佐から小倉記念病院までクルマで出かけました。小倉に出る手前、苅田というところに北九州空港という海を埋め立てて作った海上空港があり、そこから東九州自動車道という高速に乗り、途中から九州自動車道に乗り換え、さらに北九州都市高速へと、と合計3つの高速をサーフィンするという離れ業を、しかも我が人生初のETC使用のおまけ付き。
緊張がマックスに高まりました。慣れない高速とその移動、それぞれETCが作動するかどうか気が気でなく、本当に疲れ果てました。そして都市高速の最終地点で危うく事故るとこでした。小倉高校の近くで都市高速が二股に別れているのを知らず、しかもその二股地点の手前は緩やかなカーブになっていて前方に二股があるのが見えないのです。高速を降りる以上、左側のレーンに入っておいた方が楽だと思ったのが大間違い。左側レーンにいると目的地と反対の方向に高速が向かってしまうのです。二股直前にあわてて右のレーンに割り込んでしまい、後続のクルマがわたしのクルマに追突しそうになり、大変な迷惑をかけてしまいました。
帰り途も同じルートで高速を使ったのですが、とうとう途を間違えるミスをしてしまいました。都市高速から大分方面に向かって九州自動車道に入らなければならないのに、間違って山口方面に行ってしまいました。仕方なく新門司ICで一旦降りてまたすぐ逆方向の入り口に入り直しました。
小倉記念病院はまことに素晴らしい病院です。建物もきれいですが、スタッフの案内が素晴らしいです。患者の当日のスケジュールがきちんと紙に打ち出してあり、何時にどこでどんな診療をするか、予め知ることが出来るのです。患者にとってはとても安心することができます。
母親の診察を担当した医師はわたしと同じ大学の医学部出身でした。やはり変人でした。どこかオタク的雰囲気のある、若いときの竹中直人みたいなヤツでした。
少し自信過剰気味で、あんまり好きなタイプではありません。『おんどりゃ~っ!後輩!ちっとは謙虚になれや、ドアホ!』と、心の中で譴責してやりました。
母親はよろよろで、悲しくなりました。来年来るときは車いすになるかなあ。
父親は一応元気ですが、怒りをストックすることができなくなりました。洪水対策に作っておく遊水池みたいな怒りを一旦溜めておく堪忍袋の緒が切れるどころか、堪忍袋そのものが無くなってしまっています。
今朝、母親が中指が痛いというので、母親を、今度は近所の整形外科に連れて行ったのですが、父親も一緒に行くと言ったので連れて行きました。朝8時半に整形外科に着いて受け付けで初診の申し込みをし、痛みを告げると、その後医師が診断してレントゲンを撮るということで待合室で10分ほど待っていました。すると、父親が待ちくたびれて、険しい顔をして受け付けの窓口に行き、中にいた看護婦やらスタッフに向かって『レントゲン検査をはよ~せんかねっ!』と大声でおらびちらかしました。じっと待つことが出来なくなっているのです。すぐ癇癪を起こしてところ構わず爆発させるのです。
わたしは大声で『おとーさん!もういいから!いすに座って!』と言いました。待合室にいた患者さんたちは皆目を丸くしてわたしたちを見てました。
我慢することが出来なくなった父親もヒドイですが、それは老衰の表れです。
わたしがこの一件で改めて分かったのは、一昨日の小倉記念病院の準備段取りのすばらしさでした。あと何分後にどこで何をするか、というノーティス、事前告知がきちんとしているので、ほったらかされている不安感が生じないのです。
それに比べて田舎の病院は、自分のレントゲン検査があと何人後、何分後なのか、スタッフは言ってくれません。そういうことをしようとする意識がないのです。医療はサービスだ、患者はお客様だ、という気持ちが無いのです。
そういう意味では父親の怒りの発作も当然な怒りだと言うことが出来ます。

☆本当は昨日のうちに博多に帰るつもりでしたので、ローの刑訴ゼミ用の準備を今日博多に帰ってから慌ててしました。
わたしにとってはもう終わった試験なので、刑訴の準備のための本のPDF作りなんかする必要はないのですが、後輩に受かってもらいたくて、もの凄く有益な本で是非とも読んで欲しいのでせっせとPDFを作りました。
それで、今日の夕方後輩にそれを渡したとき、かなりキツイことを言ってしまいました。あ~あ、父親の堪忍袋どころか、自分こそ


田川のマヌカンピスというケーキ屋さん。丸ごと桃がスゴイ。

田川に本社、工場があるチロルチョコの工場横にあるアウトレット


どれも1袋300円!きなこ餅、紫いも、桜餅、ミルク。

小倉記念病院




堪忍袋が無くなっているじゃあありませんか。大バカ者は自分の方でした。

☆この3日間は好天が続いたのですが、また明日明後日と天気が崩れそうです。実は二番目の兄から、宇佐の安心院(あじむ)というワインの有名なところで、ワイン祭りが土日にあるから行け、と、1枚2500円のステーキ+ワイン+ワイングラスセットのチケットを2枚くれたのです。ですが、さすがにこの3日間クルマを運転してばかりでキツイです。
女房と相談した結果、日曜日にまた宇佐に出かけます。ステーキとワインを飲みに。とは言ってもクルマを運転する以上ワインは飲めないので、代わりにメチャクチャ美味しいブドウジュースをたっぷり飲んできます。ただ、雨模様なのでどうやって飲み食いするのか、不安です。
☆2020年オリンピック開催地がもうすぐ決まります。わたしは東京は×ではないかと思います。福島の原発汚染水問題は日本以外の国ではトップニュースなんですが、不思議なことに我が日本だけは頬被りして無視してます。唯一、テレ朝だけがしつこく汚染水問題を取り上げていました。それに引き替え日テレとかフジテレビなんかは自民経済界べったりですから汚染水問題は敢えて無視し続けてきました。
ところが今になってオリンピックに影響が出るという訳の分からない理由で突然政府が汚染水問題にタッチすることにしました。それまでは一企業たる東電に丸投げ。その東電は、学者が早い段階から今のままでは必ず汚染水は地下水を通って海に流出すると警告していたのを悪意でもって無視しまくってました。我が国を文字通り滅ぼす悪の根源はこの会社であり、その片棒を担いでいるのが政府財界です。
今日、JOC会長がこう言いました。『東京は安全だ。福島から遠いから。』と。これを聞いた福島在住の人たちは激怒しました。JOC会長の言葉を裏返すと、福島は安全ではない、ということなんですから。
でも、そうやって日本国民に嘘をつき、隠し通してきた汚染水問題がなんと皮肉にもオリンピック招致問題で致命的なネックとなって政府財界に跳ね返ってきたのです。
汚染水を海に流すなんて、それを許す東電と政府に対しては、全世界を敵に回したと言わざるをえません。汚染水問題を放って置いて、東京だけはクリーンだからオリンピックをやってくれなんて、よくもそんな厚顔無恥なことを平気で言えるものだと思います。猪瀬知事も、内心では、東電の無為無策、政府の後手後手の対応に怒り心頭でしょうが、知事本人にも責任が全くないとは言えないと思います。オリンピックを開くにふさわしい場所というのは、まず第1にそこに集う人たちの安全安心が確保されている場所である必要があるのに、都知事はその意識が薄かったと思われるからです。つまり、猪瀬知事本人も、オリンピック開催が先にありき、で、生身の人間については後回ししたとしか思われないからです。
放射能の不安を抱いた都市でオリンピックを開くのはムリではないでしょうか。それとも東京に住んでいる人たちは、250キロ離れた福島で起きている汚染漏れは自分のところまでは来ないとタカをくくっているのでしょうか。それこそ、ナイーブな考えです。 注:ナイーブ=世間知らず



宇佐の実家近くにあるブドウ農場の直売所

2013年9月4日水曜日

今日も雨、気温20度

明け方、横殴りの猛烈な雨で目が覚めました。台所の窓を開けていたので、床がびっしょり。この1週間、雨ばかりですっかり季節変わりしてしまいました。あの夏の酷暑が懐かしく感じてしまうほどです。もう、涼しいどころではなく、肌寒いくらいです。
ローへの行き来のときクルマのオートエアコンで外気温度を測ると20度と表示され、ナンじゃこりゃ、でした。10月の温度じゃありませんか。
で、今は午後11時35分。勉強部屋の窓を開けていますが、雨音と涼しい風が入ってきています。もともと雨は大好きなので、涼しい風と雨音の二重奏は大変心地よいです。
今日は3人で刑訴ゼミ。その後みんなでロイヤルホストに行ってランチ。会話が楽しかったです。
明日は宇佐に戻ります。あさって早朝、母親を小倉記念病院にクルマで連れて行くことになっています。宇佐から小倉までは意外に時間がかかります。九州は博多ー熊本ー鹿児島、という西側は交通網が発達しているのですが、東側は全然未整備です。
それではまた。

2013年9月3日火曜日

元気が出るムネリンダンス


ユーチューブに懐かしのムネリンが。今彼はトロントブルージェイズで人気者になっています。地元ファンにもの凄く愛されています。さよならヒットなんかも打っていて、人気のみならず実力も認められています。
ムネリンみたいな超前向き人間にわたしもなりたいです。
そうだ!苦しいときは歌って踊ろう!

☆この前N先生に呼ばれて一杯やったとき、先生から読め、と勧められた本が2冊ありました。うち1冊は先生からその場で頂戴しました。
堤 未果さんの『(株)貧困大国アメリカ』(岩波新書)と、宮城谷晃光さんの書いた本すべて、です。
貧困大国の方は、ちょっとしか読んでいませんが、アメリカという国の恐ろしさ、1%の大金持ち、大企業のあくどさに戦慄を憶えます。まったくヒドイ国です。
宮城谷さんの本は、わたしはちょっと敬遠していました。中国の春秋戦国時代が余り好きではないので、その時代の王や宰相を主人公にした本は苦手だなあ、と思っていますので。でもせっかく先生が勧めるのだから、と、今日、ジュンク堂でざーっと著作集を見ていると、孟嘗君という題名の小説が面白そうに見えたので、全5分冊のうちの最初の第1巻だけ買ってきました。裏書きを読むと、孟嘗君(もうしょうくん)という人物はもの凄くカッコイイ生き様をした斉の国の宰相だそうです。その養父もまた素晴らしい人物だったそうです。ちょっと興味が湧いてきました。

☆刑訴で一昨年から探していた本がとうとう見つかりました。読んでみると、想像以上に素晴らしいものでした。そして、わたしが前々から考え込んでいた点について、ズバリ解説してくれていたのにはビックリしました。わたしが考えていた問題点を同じ問題意識でもって詳細に解説してくれていたのがもの凄く嬉しかったです。自分の発想は間違っていなかったことが分かりました。




2013年9月2日月曜日

平成25年9月!

台風が過ぎ去った後も雨が降り続いています。気温もグーンと下がり、ひんやり感が増してきました。ツクツクホウシもほとんど聞こえてきません。
夏はもう終わったのでしょうか。
発表も間近になり、やるせなさ感が募る一方です。
気分転換を兼ねて今日、久しぶりにコンビニ弁当仕分けのバイトに。雨が降っていたので箱崎埠頭まで女房と一緒にクルマで。
1週間ぶりの肉体労働はやはりきつかったです。特に、後半、チルド仕分けと言って、1リットルの紙パックに入ったジュースやお茶を仕分けするのがきつかったです。重いのと、かがむ所作が多くて腰が痛くなるのです。前半の弁当仕分けの際も、積み上げたコンテナの数をチェックするのに腰をかがめてまるでスクワットかウサギ跳びのような動きを何十回もやらされるので、腰もですが、足の先とかふくらはぎがジンジンしてきて痺れてしまいます。その後に重い紙パックジュースを腰をかがめておいていくのですから、もう勘弁して!と悲鳴を上げそうでした。
夜9時、半沢直樹が始まる前、京都にいる35年来の友人Mくんから電話が。大学時代に知り合ったのですが、歩く実直、ジェントルマンの見本みたいな人間です。
人が良すぎるため、京大ローで他人のために散々汗を流しました。自己中の真反対の人です。
Mくんと、9時から1時まで、4時間にわたって電話で話し込みました。ほとんど勉強の話でした。わたしから議論をふっかけたのが原因です。なぜ行政訴訟は抗告訴訟が原則形なのか、とか、訴因と公訴事実の関係と、それらは民訴では何に相当するのか、公訴事実といっても二つ存在するのではないか、とか。
ジェントルマンの見本ですが、いざ議論となるとなかなか頑固です。長時間でしたが充実した楽しい会話でした。
半沢直樹、事前に録画予約しておいて良かったです。明日観るのが楽しみです。

2013年9月1日日曜日

ひょうたん寿司で

昨日、夕方、突然、いつもお世話になっているN先生から電話が。今天神に居るから一杯やらないか、とのお誘いでした。恐れ多くて尻込みしかけましたが、せっかくお誘いくださったのでありがたくお受けしました。
その時わたしは車でローに来ていたので、一旦クルマを住吉の女房の実家に置いてからバスなり地下鉄なりで天神に向かおうと思ったのです。ところが、台風のため雨がジャンジャン降っていて、しかも金曜日の夕方特有のラッシュアワーと重なり合ってしまい、猛烈な渋滞に巻き込まれてしまいました。N先生との約束の時間に天神に到着することは完全に無理。猛烈に焦りました。タマタマ女房が帰宅していたので女房を住吉で乗せ、一緒に天神に向かい、そこでわたしだけが降りて女房はそのままクルマで住吉に引き返す、という計画は崩れ去りつつありました。
N先生に、遅れてすみません、という電話を2回もしてしまいました。
結局、天神の手前の大渋滞の真ん中でわたしはクルマを降り、降りしきる雨の歩道を走りました。
ようやく天神地下街の南端にたどりつき、地下街へ下りました。そこから、待ち合わせ場所である地下鉄改札口までの遠かったこと!走っても走っても地下街は延々と続くばかり。いろんな汗がほとばしりました。
結局、6時半の待ち合わせ時間から30分近く遅れてしまい、N先生はすこしおかんむり。
10回くらい深々と頭を下げて謝りました。わけを話すと、それなら奥さんも一緒にくればよかったのに、とおっしゃってくださいました。
ひょうたん寿司というお店は昔から大繁盛しているお寿司屋さんです。その日もぎっしり。廊下には2組ほどがいすに座って待っていました。
10分ほど待って店内に。久しぶりに本物のお寿司を食べさせていただきました。わたし好みの、小振りな江戸前で、しかもシャリがほろりほろりと口の中でほどけていくのです。
お寿司以外にも、ハモの梅あえ、鯨のさえずり(舌)の刺身など、どれも美味しかったです。N先生はお酒がもの凄く強くて、生ビールの後は伏見のお酒、玉の光の小瓶を二人で4本空けました。普段そんなに日本酒を飲まないので相当酔っぱらいました。
N先生とは法律の話とか今年の試験の話はほんの少しだけで、後は四方山話とか昔の思い出とか。N先生は高校の大先輩なので、思い出話をすると共通項がかなりあります。むかしむかし、筑肥線という国鉄の線路がありました。博多から唐津までの線路です。なかなか風光明媚な線路でして、博多湾や能古の島、生の松原など、美しい海岸線を通っていました。今は半分、地下鉄に取って代わられてしまいました。
唐津への途中に、二丈町というところがあり、そこには希に見る良質温泉である、きららの湯という温泉センターがあります。ラジウム温泉でして、ほんなこて上品かつ清潔かつ最高の効能がある温泉です。この温泉に入ると身も心も清々しくなるんです。二丈町にはN先生の叔母さんが住んでらして、子供の頃、蒸気機関車で博多から二丈町にある一貴山駅(いきさん)に降りると、駅の周囲はすべて田んぼ。その田圃の向こうに叔母さんの家があり、そのときの情景が今も思い出される、とおっしゃっていました。よく分かります。わたしも、子供の頃乗った汽車とかバスとかの記憶は他のことに比べると遙かに鮮やかに記憶に残っていますから。

世が世なら最高裁判事になられたはずのN先生と差しでお酒を飲むことができ、光栄でした。あと2年で公証人を退職され、ローの教官も原則退官ということです。その後は弁護士登録されてローの教え子たちと共同事務所を立ち上げるのだ、と、おっしゃいました。その時はあんみつさんも大番頭として頑張ってくれ、と言われ、脂汗が出ました。第一、今年受かっていなければならないのに、不安が拭えません。第二に、もしもN先生がボス弁なら、わたしが書いた起案はN先生から10回くらい書き直しを命ぜられることは明らかだからです。福岡高裁時代、地裁判決の三分の一以上は厳しく叩かれて破棄されたそうですから。
進退両難です。でも、受かってからキツイ目に遭う方が落ちるのよりは何万倍も楽です。
あ~、もうすぐ発表かあ。