2009年8月21日金曜日

国旗騒動

麻生総理と産経新聞が民主党霧島支部の国旗裁断行為をねちっこく非難しております。

日の丸を2本使ってそれぞれ半分近くに切って縫い合わせると民主党の旗が出来るので、霧島支部がその通りに作って小沢一郎の講演会の壇上に飾ったという事件です。

みなさんはどう思いますか?

国旗を『切り刻んだ(麻生さんの表現です)』行為は国旗に対する不敬な行為であり許し難いことでしょうか。

それとも、それくらいどーってことないじゃん、でしょうか。



わたしが思うに、これは国旗とはなんぞや、という面白い問題であると考えます。

国旗ってなんですか?言い換えると、白地に赤い丸を描いたデザインは全て国旗になるんでしょうか。

たとえば商店のシャッターを真っ白に塗って真ん中に赤い丸を描いたら国旗になりますか。日の丸弁当は国旗ですか。幼稚園児が画用紙の真ん中に赤い丸を描いたら国旗になるんですか。 お祭りやパーティーで万国旗を天井なんかにずらずらーっと飾りますが、あの一つ一つはみんな国旗として使われているのでしょうか。それともただの飾りとして使っているのでしょうか。


 人がそのデザインを国旗として使うときに初めてそのデザインは国旗になるのだと思います。
ですから霧島市の民主党支援者は普段は国旗として使っていた布だけどもデザインが似ていて民主党旗を作るのに便利だからそのデザインの布を使ったのであって、国旗、を裁断しようというつもりは無かったと思います。
ただ、当の本人はそう言う思いしかなかったとしても、周りの人間の中には2枚の布がもともと国旗として使われていたものだからその布は裁断の時も依然国旗だった、だから国旗を切った、と見てしまったわけです。

このように、あるデザインが描かれた物体に国旗という意味を充填させるか否かはひとえにそれを使う人間の心理状態に掛かっていると言えると思います。
ですから、サッカーワールドカップで自分のほっぺたに日の丸をペイントするときは、自分のほっぺに描いたデザインは国旗である、との意味が本人によって、また周囲の人間によっても充填されたといえます。
 ですが、逆に、例えば国旗の白地が長い間盆正月祭日に外に立てられてきたせいでくすんできたとして、新しい国旗を購入し、くすんできた古いやつをリサイクルして裁断して服地にしたり風呂敷にしたり雑巾にしたとしたら、もはやその古い布地から国旗としての意味充填が外されて元の布きれに戻ったわけです。ですから切り刻んでもなにをしても構わないんです。 霧島の民主党員はそういう感覚で切ったのだと思います。

このように、国旗騒動の第一の問題は、それが国旗としての意味を充填されたまま裁断されたのかどうか、という事実判断の問題だと思います。

そして第二に、では仮に国旗として裁断したとした場合、はたしてそれはいけないことなのか、です。
自民党と産経新聞はこのレベルで民主党を攻撃しております。
国旗に対する不敬行為である、と。
 実を言うと、わたしはあっけにとられています。麻生さん達は本気で言ってるのかしら、と。気が狂ったのではないか、と心配になりました。
極端に言うと、国旗を焼こうが切ろうが本人の勝手なんです。自由なんです。
自由で良いんです。たしかに眉をひそめる行為です。国民の誇りを傷つける行為です。道義的には許せません。わたしだって怒ります。
でも、自由なんです。言い換えると麻生さん達は怒りのレベルがずれているのです。
例えばですよ、昔立ち小便をさせないように塀に小さな赤い鳥居が打ち付けてありましたでしょ。鳥居に小便をひっかけたら罰が当たる、という信心を利用して。
★厳密には鳥居に似てはいるが違うものらしいです。鳥居の二本の横棒の長さのうち下の方を長くしてたそうです。上が長いと鳥居ですが、下が長いと鳥居ではないんだそうです。★

あれと同じです、というかあれ以下の低レベルの問題なんです。
つまり、鳥居におしっこをかけるのと国旗を切ることとは両方とも言わば道徳的次元の問題にすぎません。オマケに霧島市の民主党員は自分の所有する国旗を切っただけです。公道でおしっこしたら軽犯罪法違反ですが、自分の国旗を切っても何の犯罪にもなりません。
 要するに下らないことで大騒ぎしているんです。麻生氏と産経新聞は。
鳥居におしっこをかけるヤツは許せん、とスピーカでわめいたり新聞でくどくど書いているのと変わりません。

それどころか、皆さん、実は麻生さんらは怖ろしいことを言っているのですよ。国旗をかつての天皇陛下の御真影みたいに扱おうとしているのです。
 人間よりも御真影の方が価値が高いのだ、という極めて危ない思想の匂いがするのです。
国旗というのはあくまでも象徴、シンボルにすぎません。ハトはハトなんです。ハトを食べたら平和に反対する悪者になりますか?
なるわけないじゃないですか。所詮シンボルというのはたとえにすぎないんですから。ハトが平和よりも大事になる世界っておかしいでしょ?
それと同じで日の丸は日本人が暮らす社会である日本国のシンボルにすぎず、大事なのは日本人と日本人が共同生活している日本という社会それ自身なんです。
麻生さん達はそれがひっくり返っているんです。

繰り返しますが、わたしも日の丸を汚したり踏んづけたり焼いたりするヤツは許せません。が、それは個人のレベルでの愛国心の問題であって、あくまで個人的問題にとどめるべきです。この問題に国家が介入して良かった試しは一度もありません。
アメリカでもベトナム反戦運動で兵役忌避者がアメリカ国旗を燃やして国旗侮辱罪を問われたとき、連邦最高裁判所は、かかる国旗焼却行為はアメリカ憲法で保障された表現の自由である、と宣言しました。
日本の刑法でも外国の国旗を、侮辱目的で毀損したら処罰されますが、日の丸を毀損しても処罰はされません。

ということで、最近の国旗騒動は我が国のファッショ度を計る良い機会だと思いながら眺めています。