2008年11月25日火曜日

ご心配をおかけしました。


今朝はだいぶ良くなり、何とかローに行くことが出来ました。若干微熱があるせいか、ロー内では妙に背中から汗が出続け、少し怖かったのですが、なんとか持ち直しつつあります。

もともと、土曜日が暑かったのに真冬用のコートを着込んでバイクでローにいったのが原因だと思います。コートの中でびっしょり汗をかいてしまったのです。

そのうえ日曜はなんかヤバイ感じがするのに一日中家族サービスでくたくたになったんで熱が出たんだと思います。でもインフルエンザじゃなくて良かったです。

半熟卵とバナナと野菜と肉も効きました。十数年ぶりに風邪薬も飲みました。


で、今日の夕方の授業で、民事弁護論という授業があったのですが、今日は特別に女性弁護士が講演をしました。

それがなんと昔ちょっとだけ一緒の勉強会をした女性でした。当時はNさんと言ってましたが今はIさんになってました。

何の講演かというと、I弁護士はハンセン病訴訟の弁護団の中核にいて第一線で頑張った人なんです。ハンセン病患者さん達の受けた苦難の話や訴訟がどのような物だったか、を当事者として淡々と、しかし溢れる思いを堰き止めるようにお話しされていました。

50年前、父と娘の二人がハンセン病にかかり、住んでいた奄美大島から鹿児島の療養園に入園するため、鹿児島港からタクシーに乗ろうとしたとき、運転手から断られたそうです。あんた達を乗せたら車内の消毒が大変だから困る、と言われて。それでその父娘は園まで30キロの道のりを二人で歩いて行ったそうです。到着したその園は刑務所のようだったそうです。父親が娘にぼそっと、『ここは地獄やなあ』と言ったそうです。

 ばかちんなわたしはこっそり行政法のノートを読み直そうとしていましたが、I弁護士の話を聞きこんでしまっていました。

 この国家賠償訴訟では裁判所での当事者尋問が計2回開かれて、どちらも朝9時半から夜8時まで続けられたそうです。

で、国側の代理人(やハンセン病施設の園長)が、ハンセン病患者さん達に対して、自分たち国に向かって国家賠償請求訴訟なんかを起こして、もしも患者達が勝訴したりしたら、今まで国の費用で衣食住を世話してきてやったのを止めるぞ、と脅したそうです。

 そしたら、裁判官がその代理人たちに対して、『裁判を受ける権利を行使したために不利益を被ることはない、と憲法が保障しているのをあなたは知ってますか』とその代理人たちにがつんと言ってたしなめたそうです。そして裁判は原告勝訴!小泉総理は控訴しないことを決断、大英断でした。

 講演したI弁護士さんは、生まれて初めて裁判官がかっこよく見えた、と話していました。

 ところがなんと。その裁判官こそ、今民事裁判実務の教官として福岡地裁からうちのローに来られているI先生なんだそうです。司会の先生が講演の直後そのことをみんなに告げるとローの学生100人以上でぎっしり詰まった教室全体がうわーっと湧きました。

 そのI裁判官って、外見からしてとてもそういう風にみえない方だったからです。先生は一躍ローのヒーローになっちゃいました。

 ちょうど明日朝その先生の授業を受けます。みんなの先生を見る目つきや授業態度ががらりと変わるのは明らかです。

ほんと、人は見かけによらないなあ。お見それしました。