2010年1月18日月曜日

浅川マキ、ミッキー安川、小林投手







ショックショック、ショックです。




少年時代を思い出しました。浅川マキさんはまさに全共闘時代、薄暗い下宿、汚い工場地帯、うらぶれた色街、昭和40年代の影の一面を象徴していました。まさにブルースの女王です。亡くなられたと聞き、ユーチューブで久しぶりに浅川節を聞き直すと、しみじみと昔がよみがえると同時に、彼女の歌が全然古びていないことに驚かされました。いや、この歳になって初めて浅川マキがスゴイ歌手だったことに気づきました。




 ミッキー安川さんについては、いまでもキョーレツに覚えていることがあります。中学時代、中一コースという月刊誌を定期購読していたのです。その雑誌にミッキーさんのアメリカ留学時代のおもしろ話が毎月載っていたんです。




それがまた荒唐無稽というか、胸がすくような日本男児ここにあり的中身で、毎回興奮してミッキーさんの活躍に身を躍らせていたんです。




 当時アメリカと言えば遙か彼方の日本よりもお金持ちであこがれの国でした。日本人は劣等感にひしゃげていました。それが、ミッキー安川さんは一人アメリカに乗り込んで行って日本人を舐めるな、って言ってくれていたんです。



今でも覚えている逸話があります。



アメリカの大学の寮のトイレでの話です。日本ではしゃがんでする時代でしたがアメリカはすわってやるタイプ、それで、アメリカ人達は大ちゃんと小ちゃんを同時にすることが出来ない、同じように座っていても大ちゃんと小ちゃんとは別々にし、よーいどんで同時に大小をやっちゃうことができない、と聞いたミッキーさんは、日本人は同時に出来るぞ、と言い張りました。そうしたら、アメリカ人達からそれならやってみせよ、ととっちめられ、ならばやって見せよう、と、みんなが見ている前で便器に座ってやって見せた、そうしたらみんながビックリ仰天した、ざまあみろ!だ、という話でした。



この話を中一コースで読んだときは衝撃を受けました。一番のショックはミッキー安川がたった一人で堂々とアメリカ人達と渡り合ったという勇気でした。



それから、この話を想像したときのおかしさです。みんなが見ている前でよくもまあ出来たなあ、凄い人だ、と尊敬しまくりました。






実は、1週間ほど前から、わたしの頭にミッキー安川さんが浮かんで来ていたんです。今頃何をやってるかなあ、ミッキー安川は?と。これほんと、ですよ。



ま、浅川マキさんのことは思い浮かびませんでしたが。






ところが小林繁投手のことは何故だかチラッと頭に浮かびました。






ひょっとしてわたしって何かしら霊感があるんでしょうか。ただ、受験前のせっぱ詰まった状態だから持てるのでしょうか。






☆☆いま、チビチビと『閉鎖病棟』についてのレポートを作っています。



   我ながら出来が悪いのが見え見えでイヤになります。






☆☆夕方、香椎までちょいと買い物に。夕暮れが素晴らしかったです。



   千早にJRの新駅が出来ていたのには驚きました。以前は操車場跡でなんにもないガラ~ンとした空き地だったのが、いまではもの凄い街が出来つつあります。