2010年1月26日火曜日

風の清冽さに感動+ロー生活最後の授業

昨夜から今日にかけて、冷たい風が吹いています。でも日差しが暖かいのでこの冷たい風がすごく気持ちが良いです。
春は名のみの風の寒さよ、、、です。


 毎週火曜日の午前中、ローの自習室を業者さんが掃除してくれます。丁寧に掃除機をかけてくれるのです。その後、わたしの背中の方に窓があって、その窓を開け放ちますと、この、おいしい風がサーっと自習室に入ってきます。その冷たさと清浄なイオンシャワーにくるまれ、全身リフレッシュです。大好きな高原にいるようでした。





☆午後、トラブルが発生しました。わたしの周りの4つのブースが停電したんです。1時間、暗い中で勉強してました。故障原因はコンセントが外れていただけ。暗いところで本を読むと集中するのが難しいです。



☆夕方6時10分から、ローでの最後の授業があります。精神医療と法、です。

☆で、今はもうすぐ午前0時。あっけなく終わりました。留年しないという前提でローの授業がすべて終了しました。何の感慨もありません。不思議です。たぶん、心は後期試験と本試験に向いているからだと思います。

ずいぶんと無駄なことをさせられたなあ、という気がします。わたしは塾や専門学校で教えてたことがありますので、勢い教えること、教え方については辛口になってしまいます。

九大ローは文科省に忠実すぎると思いました。ソクラテスメソッドなんてクソ喰らえです。教えることに関して一番大事なことは、その法体系の構造をイメージとして学生の頭の中に構築させることができたか否か、だと思います。

 具体的イメージ、感覚が一番だと思うんです。ローでそれをやってくれた先生は、最後の最後の土壇場でパワーを発揮した院長と、わたしが入学する前にすでにこのローを離れられた、民事執行法のW先生と同じく行政法のO先生くらいです。W先生とO先生は、本や辰巳、それから講義録音を聴いて感動したのです。

 あ、忘れてましたが、太田検事も良かったです。体系的な授業で、実戦的でした。

むかし、塾講師をしてたころ、主に社会科を担当していました。その頃わたしが使っていたキャッチコピーはこうでした。地理という科目は、人と自然との関わりを知る学問だ。どっちが主人公かというと、もちろん人の方だ。月や南極みたいに人がいないところの勉強は社会科ではしない。公民は人と人との関わり方を知る学問だ。そして、歴史は、昔の地理と昔の公民の勉強のことだ。と言うことは、社会科というのは結局、人について勉強する科目だ、と。

ただ、同じ人についての勉強でも、国語は人の内面を知る学問で、社会は人の外面を知る学問だ、と。

人について知ることは結局自分や自分の周りのことを知ることに繋がる、他人を知って自分を知る、それが社会科の勉強なんだ、と。

もうちょっと聞いてやってください。

例えば、江戸時代260年間は、4つの時代に分けることが出来る。最初の50年間は幕府確立期。次に、確立されたので安定期に入る。それが元禄時代。ちなみに安定期は世界中どこでも同じように安定期で、フランスではルイ14世の時代。でも庶民の暮らしまで豊かになったわけではないから、元禄文化は一部豪商を中心としたお金持ちの文化。その後が熟成期である文化文政期、ようやく庶民の暮らしも安定してきて、庶民文化が栄えた、そして幕末期。

こういう風に4つに分けると江戸時代が頭に入り安くなります。それから、当時は日本におよそ260余の藩がありました。地方分権ならぬ、地方主権時代です。

ですから、日本には260の首都があり、各藩は自分の首都に文化を真剣に育て自分の領地を富ませようとしました。これが中国朝鮮と決定的に違うところです。中央集権、専制政治の中国朝鮮では地方は中央官僚の収奪の場でしかありません。都市文化が地方に栄えると言うことはほとんどありませんでした。

もっと言わせてもらうなら(がまんしてくださいね)、日本が日本たり得る決定的なポイントは、日本の歴史には鎌倉時代があったのに、中国は奈良時代で停まっている、韓国は平安時代で停まってしまった、ということです。

武士の時代があるかないかが決定的なんです。中国は未だに律令制度、つまり、皇帝唯一人のために国土と国民が奉仕する、役人は皇帝のためだけに仕える、という制度を続けています。今の皇帝は共産党です。

韓国は、それよりも進んで、国王の周りにヤンバンという貴族集団がいて自分らの利権を守るのに必死でした。これって日本の平安時代と同じです。

ところが、日本では西部劇の世界が平安中期から国中で繰り広げられました。中央の役人の力が衰え、自分の田畑は自分の力だけで守らなければならなくなったんです。ですから、当時の田舎は食うか食われるか、他人の領土を力で奪い取り、負けた方は一族皆殺し、でした。

そういう実力本位の世界では、合理的精神が支配します。とにかく生き抜くには力がすべてであり、少しでも力を蓄えるためには無駄は排除される必要があったのです。

そういう合理的精神が日本にはあったんです。そういうむき出しの力の文化と貴族の雅な文化が融合して今の日本文化が出来上がったのが室町時代です。

足利尊氏が関東に幕府を開かなかった主な理由は、自分自身の力が弱かったためです。自分に脅威を与える有力な武士集団が多く存在したので、天皇の力を利用せざるを得なかったわけです。秀吉と同じです。

それはともかく、室町文化こそが今の日本文化の元なんです。

☆ちょっと熱くなりすぎて恥ずかしいです。行政法のO先生の授業はこんな感じでした(録音で聴いただけですが)。O先生は行政事件訴訟法の構造を何度も何度も、具体例を挙げてこれでもか、と説明してくれました。こんなにありがたい授業はありません。そういう授業を他の先生もやってくれていたら、九大ローの合格率は70パーセント超え間違いないのに。一橋にも勝てるのに。

ローの最終授業を終えたということでわたしも少々感じる物があったんでしょう。いつもより饒舌になってしまいました。

☆☆良かったら左上のスライドショーをクリックしてみてください。いろんな写真が見れますよ。さらに、出てきた写真をクリックすると、拡大できます。