2010年8月31日火曜日

北海道は美味しい④


























































阿寒湖温泉に到着したのは夕方5時半。ホテルの夕食が6時半からなので、温泉にはいるか町を散策するか迷いましたが、散策することに。


湖畔を見たあと土産物を売っている商店街をぶ~らぶら。アイヌのお守りのフクロウとかコロボックルとかひげを生やしたアイヌの神様なんかをモチーフにした彫り物が多かったです。


 一通り町を見尽くしたな、と思ってホテルに引き返しました。ところが実はこれが大間違いでした。大事な場所を見損なっていたんです。それは夜8時から始まった千本たいまつという祭りで初めて知ったのです。

 一旦ホテルに引き返し、夕食をとりました。バスツアーなのでみんな一緒に大広間で取りました。


大した料理ではありませんでした。ただ、味付けは良いのです。北海道の料理は本当に味が良かったです。ハズレが一つもありませんでした。前にも書きましたが、多分素材と水が美味しいからではないでしょうか。

 夕食後、女房と二人で千本たいまつに参加。


これは阿寒湖温泉の全ホテルが共同で催しているようで、集合場所は阿寒湖温泉で一番大きなホテルニュー阿寒の湖側でした。


そこには150人くらいの宿泊客が集まっていました。そこでスタッフからサラダ油に芯を垂らした灯りをもらいました(披露宴会場のテーブルに置かれているヤツ)。それは透明な筒の中に入っていて、提灯のようにして持つのです。


その提灯をもって湖畔を数分歩きました。到着したところは観光船の船着き場。すると、真っ暗な湖の向こうから小さな小舟がゆらゆらと岸辺にむかってやってきました。



アイヌの衣装を着た三人が乗っていました。一番後ろにはひげのおじさんが赤々と燃えるたいまつを高く上げて立っていました。
小舟が岸に着くと、たいまつを持ったおじさんがオリンピックの聖火台みたいなヤツにたいまつの火を移しました。


その後、参加者全員にたいまつが配られ、スタッフがたいまつに点火し、いよいよ行進が始まりました。

それまで、バックに幽玄な感じの音楽が流れていたのが、一転、いかにもアイヌの音階、というような歌に変わりました。その歌が流れ始めた途端、わたしのハートはググッと捕まれてしまいました。

スゴク良いんです、その歌が。下の動画で聴いてみてください。


最初持たされた小さな灯りと違い、たいまつは結構大きくて、炎がまた怖くなるくらい大きいんです。

そんなたいまつを150人が持って行進を始めたのですから、巨大な炎の固まりが町を練り歩いているようでした。


町を散策していた人たちもスゴク興奮してこちらを見つめていました。見物人たちに見られて私たち行進組もさらにヒートアップ。


で、このまま終わるのかなあ、と思っていた矢先、行進は商店街を左に折れて進んでいきました。


そこに何があるのかなあ、なんてのんきにしてたところ、100メートルほど進んだところに、なんとアイヌの村が!


4メートルもある大きな木製の門の上にでっかいフクロウの木彫りが飾られていました。スゴク躍動的で感心しました。足の恐ろしいかぎ爪が今まさに獲物に襲いかかろうとしている、自分がまるで逃げ場のない子ネズミになった気がしました。


門の中は登りの坂になっていて、約60メートルくらいあり、最頂部には神様をお祭りする祭壇が、その手前にはインディアンのトーテムポールそっくりの柱が数本立っていて、その前にアイヌの長老が座り、左右にアイヌの女性たちが控えて、紐の一方の端を口にくわえ、他方を手に持ち、指でビ~ンビ~ンと弾いて音を出す、アイヌ独特の楽器を演奏していました。


そのアイヌの長老の前に持ってきたたいまつを置いて、長老がお話をし、予め書いておいたお祈りの札を祭壇に入れてお祈りして祭りは終わり。



なまめかしい炎とそれが照らす独特の雰囲気に飲み込まれてしまいました。


アイヌの伝統をこうした観光のイベントに使うことに異を唱える人もいるでしょう。ですが、わたしはすっかり感動してしまいました。


昼間行ってきた知床のオホーツク文化をここで見ることが出来た気がしたのです。



明らかに私たちのヤマト文化とは違う独自の文化が存在するということにとても感動したんです。



わたしたちはこのような文化をリスペクトしなければならない、と強く思いました。




このブログを書いている今も、あのとき流れていたたいまつの歌とビ~ンビ~ンの響きが聞こえてきます。



翌朝、朝5時に起き、朝風呂に入り、6時半から朝食。7時半出発。目的地は富良野、美瑛、そして旭山動物園、とまりは250キロ走って札幌の南にある定山渓温泉へ。

※忘れないうちに。テレビのBS民放で、なつかしの『ジェットストリーム』、そう、あの城達也さんがナレーションした、深夜零時からの日本航空提供のラジオが、流れているのを知りました。テレビですから、城達也さんのナレーションにそのセリフにぴったりの場所が映し出されています。雰囲気良いです。

以下続く


2010年8月28日土曜日

北海道は美味しい③



































































床五湖のうち1湖が見える木道を歩きました。広大な湿原地帯の中に熊対策も兼ねて背の高い木道を設置し、電流を通してました。




ところどころエゾシカたちがのんびりと寝そべっていました。



知床、オホーツク海、イメージしてたのと違い穏やかでした。ですが、知床世界自然遺産センターで大きな地図写真を見たとき、ガーンともの凄い衝撃を受けました。




樺太、カムチャツカ半島、シベリアが写っている巨大衛星写真のパネルが展示されていたんです。それを見ると、このでっかい北海道が豆粒みたいに小さいんです。



きっとこれらの地帯はヤマト文化とは独立した独自の文化圏を形成していたんだなあ、と実感しました。それというのも北海道は植生が全く異なっているからです。これは気候風土が異なること、すなわち人間の生活、考え方、宗教、思想も違って来るということを意味します。



要するに本州や九州とは全く異なる世界がここにあるんです。


知床を後にしてバスは屈斜路湖、摩周湖へと走り続けました。


摩周湖は霧で全く見えませんでした。ですが、意外にこれで良かったと言う気になりました。霧の摩周湖が見えたからです。



そしてこの日の最終目的地、阿寒湖温泉へ。


結構大きな湖でした。ですがそれ以外にはあまりビビッと来る物はありませんでした。


ところが、夕食後、町が主催してやっている千本たいまつというイベントに参加したんですが、これがこの旅で一番感動した体験でした。



以下続く











2010年8月27日金曜日

北海道は美味しい②














































ANAボーイング700440人乗りが新千歳空港に降りようとしたとき、下北半島あたりから雲が出始めていたのがますます分厚くなり、機内はガタガタと揺れ始めました。
心臓がドッキンドッキン言ってました。
到着し、バスに乗り込もうとターミナルから出ると、ひんやりとした空気に驚きました。温度表示板を見ると17度!
博多が35度だったので、遠い北国に来たことをまさに肌で実感しました。
 バスは温根湯温泉(おんねゆおんせん)という、聞いたことのない辺鄙な田舎町に向かい、雨中を4時間もひた走りました。
 着いたころは真っ暗。アメリカ中西部の砂漠のど真ん中にポツンと一軒だけ建っているモーテルの雰囲気の、古くさいホテルでした。昭和の雰囲気プンプン。部屋はかび臭く、建物はぼろぼろ。お風呂はコンスタンチノープルの地下の廃墟のようで、ちょっと恐ろしかったです。
夕方7時過ぎに到着したのでいきなり夕食に。食事は質素な物でしたが、味は良かったです。ジャガイモをふかしてバターとイカの塩辛を付けて食べるという食べ方が気に入りました。
それから、牛乳が新鮮かつ濃厚で、そのくせさらりとしていて旨い!水もまたミネラルウォーターみたいでした。
車中でガンガンかかっていた冷房にやられ、ただでさえ肌寒かったのにうたた寝したもので鼻風邪をひきました。
そのホテルは、ただ食べて寝るだけの宿泊所みたいなものでした。ただ、温泉だけは一等で、北海道で入った温泉のなかではピカイチでした。もっとも、温泉に目が肥えている九州人にとってはまあ合格、といったレベルかなあ。
初日は入浴後バタンキュー。
二日目は小雨の中、網走知床へ。網走は、な~んだ、的な感想でしたが、知床はさすが世界自然遺産だけあって、ジスイズネイチャー、でした。
とりわけ空気のうまさに感動感動。オスのエゾシカにも出会えてラッキーでした。
知床五湖への木道は湿原の雰囲気がスゴク良かったです。
 バスの車内から見て驚いたのは道沿いに生えている蕗の大きな葉っぱの群れです。こんなの見たこと無かったので北海道らしさをとても感じました。
 また、北海道らしさと言えば、しょっちゅう見かける小川です。河原がいかにもワイルドで、カナダの大自然(行ったことはないですが)みたいでした。赤毛のアンがみたら嬉しくて踊り回りそうな可愛い小川、シャケが遡上してきそうな石ころの岸辺の側に白樺の木立がパラパラと立っている、そんな小川をたくさん見かけました。
☆写真、下から3つめの土まんじゅうは、網走刑務所の囚人たちが道路工事のためにかり出され、鎖でつながれたまま働かされ、終いに力尽きて死んでいった際、土葬した墓の上を盛土し、その上につながれていた鎖を載せて埋葬した跡です。
2泊目は阿寒湖温泉。ここがわたしの一番の思い出となりました。千本たいまつ祭りというのに参加したんです。
これについてはまた明日ご報告します。







2010年8月26日木曜日

北海道は美味しい①







無事に帰り着きました。飛行機が怖いので、いつも自分の乗ってる飛行機が落ちるのではないかと魂が凍る心地です。
それから、私たちが新千歳空港に到着したとき、雨が降っていました。あ~あ、と思いつつ、バスは一路網走の手前まで一気に雨の中を4時間近くも突っ走りました。
でもそれが良かったのでした。というのは、その日の札幌というか北海道西部地域はもの凄い豪雨になったみたいで、川の決壊、道路の陥没などで旅館に閉じこめられた観光客らが大勢出たようなので。また死者も数人でたそうです。
ところが北海道はさすがに広く、網走方面はそれほどひどくは降りませんでした。
ただ、気温が九州と比べてえらく低くて、車中でうたた寝していたところ鼻風邪を引いてしまいました。翌日一杯鼻水タラタラ状態でした。





 しかしまぁ、北海道、行って良かったです。三泊四日の旅でした。強行軍でした。1日450キロもバスで飛ばす日もありました。ですがわたしの興味の対象は観光というよりむしろ北海道の自然や人々の暮らしを知りたかったので、道路沿いでしたが道民の人たちの自然とのつきあい方を少しは知ることが出来、とても勉強になりました。





おいおい、旅の感想をだらだらと書き綴って行きたいと思います。





とりあえず旅行から帰り着いた今、強烈に印象に残る北海道のイメージは、





大きなフキの葉っぱ・・・コロボックルがその下に隠れているのではないかと想像してました。





水と食べ物がスゴクすごく美味しくて仰天・・・味付けもまたさっぱりとしていて、多分水が美味しいからでしょう。





空気が美味しい・・・・さわやかなとても美味しい空気でした。とりわけ知床の空気は絶品でした。





小川のせせらぎがすばらしい・・・・北海道はどこに行っても森の中を小川がいくつも流れていて亜寒帯らしさがとてもよく現れていました。





強烈に高い山が意外と少ない・・・・九州のような急峻というのはあまり見かけませんでした。むしろ段々と高くなっていく、なだらかな山並みが印象的でした。けど、スケールがでかいのでいつの間にか山が高くなっている、という漢字でした。





田舎はすごく寂れている・・・・・廃屋、閉鎖の連続でした。札幌だけが190万人、北海道第二位の町旭川は35万人、と急激に小さくなってます。その旭川も、なんか歯の抜けた櫛のようで、スカスカした感じでした。





札幌だけが異様に広くて大都会・・・・だだっ広い、そんな感じ。





道央地帯の自然がすばらしい、かつまた広大・・・・・これぞ北海道、でした。





初めてさとう大根つまりテンサイつまりビートをみて感激・・・・甜菜という野菜を見たときは感動しました。これでグラニュー糖をつくるのだそうです。





8月25日の朝の気温が17度にびっくり・・・・・・・・・朝5時に入った露天風呂の気持ちよいこと!熱い湯船にそよそよと吹き寄せる冷たい朝風が顔に当たってとっても良い気持ちでした。
そしてアイヌの人々への尊敬の念・・・・・・自然と一体となって何千年も生活をしていた人々の自然への畏敬の念は大変崇高なものだと感じました。


お菓子・・・・・・えらい美味しくて、試食品を食べ過ぎました。





☆福岡空港に到着すると我が町博多はサウナでした。もう一度北海道に戻りたかったです。






☆☆これから先いろんな写真を数回にわたって載せますのでよろしく。






2010年8月22日日曜日

終わりました


昨日の夕方5時ころ塾のスタッフルームにいたところ、急に体のエネルギーがダウン。階段を上がるのも億劫に。授業を始めても滑舌が回らなくなってしまいました。6時にその授業が終わった後、残り3コマを乗り切るにはおにぎりを食べるしかない、と、爆弾おにぎりを無理矢理飲み込みました。



すると、8時前になってやっと体調回復。この授業でこの夏の夏期講習授業が全て終わる、と思うと感慨深かったです。そのせいか、倭寇の話から元寇の話へ飛び、博多湾での元軍と鎌倉武士との闘いの様子を講談調で話し始めてしまいました。


ここ糸島や博多は歴史の宝庫だということを子供たちは全く知りません。


かつて唐津の先に豊臣秀吉が朝鮮出兵のために名護屋城という、大阪城に次ぐ規模の大城を築き、そこには家康、光秀等数々の武将たちが集まったこと、そこに行こうと博多から唐津街道をあの戦国武将らが通ったこと、塾の近くの道がその道であり、400年前に歴史上の有名人たちがぞろぞろ通ったことなどを告げると、生徒たち、とくに男子生徒は『お~っ!』と歓声を上げます。


また、日露戦争の日本海海戦での砲撃音が博多まで聞こえてきたこと、元寇では13万人の元軍が3000有余の船をもって博多湾を襲ったこと、大激戦が起き、もうちょっとで我々はモンゴル語をしゃべるはめに陥るところだったことなど、おもしろおかしく話してやると、男子は食いついてきます。ただ女子はしら~っとしてます。




女子と言えば、小6の下のクラスでは、歴史の知識が足りないので出来事テスト例えば1877年に何が起きたか、というテストをやろうとすると、女の子たちテストの答えばかり憶えようとします。歴史は流れで理解するのだ、そのためにはテキストをしっかり読むことが大事だ、といくら言っても聞き耳を持ちません。ただひたすらにテストで良い点を取ることだけを目指します。


その傾向があまりヒドイので、『もう小テストは止めた』と宣言すると、女子たちは、『せっかく前の晩必死に憶えてきたのに~』と文句を言います。


仕方なくテストを実施し、交換採点をさせて得点を一人ずつ言わせようとすると、今度は点数が悪いから言わない、と抵抗します。


その後、テキストを一人5行ずつくらい大声を出させて読ませようとすると、読み方が下手なのを隠そうとしてか、まじめに読もうとしません。


『君たちは志望校に受かりたくないのか?君たちは受験生だろ?』と問い詰めると、即時の返答が無く、答えにまごつきます。本心はまだまだ受験生意識はないのです。塾は小学校の延長に過ぎないのです。


もちろん、わたしは否定しません。楽しく勉強させたいです。ですが先生の言うことを聞こうとしない独りよがりな思いこみに対してはそれを正さなければなりません。


これに対して上のクラスでは全く逆で、そりゃあもう、素直というか、わたしの言ったこと全てをそのまんま見事に吸収します。わたしの作った語呂合わせもそのまんま頭に入っています。

わずか5分の間に戦後の日本の歴史年号をほとんど憶えるのです。その数20個くらい。

スゴイですよ。


一方、下のクラスにも男子が4人います。そのうち二人は上のクラスに上がりたいと思っています。

向上心があるんです。ところが女子たちは、自分たちの志望校は久留米付設レベル以下なのだから

上のクラスと比較しないで欲しい、自分たち下のクラスは上のクラスとは別個独立でいたい、だから上のクラスと比較するようなことは言わないで欲しい、と主張します。

それで、わたしは、またしても怒りの炎がメラメラと燃え上がります。受験校のレベルの問題ではない、受かりたいと思う意欲に違いやレベルなんか無い、と言い聞かせます。

そして、下のクラスの男子たちに言います、『君たちは上のクラスで配っているプリントが欲しいか?』すると彼らは即答します『欲しい!』と。しかし彼らはなかなか良い成績が取れません。

この2つのクラスの子供たちの違いは一体どこから来るのでしょうか。

たぶん、上のクラスの子供たちは知識習得をゲーム感覚で捉えているのです。なんだか憶えることを遊びのように見ている節があります。

これに対して下のクラスの子たちは、男は歴史オタクのように深く広く知ろうとします。こちらの方が本当は勉強としては正しい態度だと思います。知りたいという欲求を充たそうと、広く深く知識を求めます。ただそれが災いしてか、テスト対策という意識は希薄になります。

つまり、テストに出ようが出まいがとにかく歴史を知りたい、という根源的欲求に基づく学習をするので、ポイントをつかむ勉強が出来にくくなり、そのためテストの点数も知識に比例して伸びるということになりません。

女の子たちはとにかく文章読解力がありません。漢字も知らないし声を出して読む力も弱いです。中には上手に読む女の子も居ます。ですが、それはただ単によどみなく読むことに集中しているだけで内容を要約して要点を押さえるという消化吸収作業が伴いません。そのため、読ませた後にその子に要点、キーワードを聞くと返事が返ってきません。


 と言う風にこの夏は小6の女子たちに振り回されました。


☆終わってみるとあっという間でした。もう1週間続けても良いかな、なんて思いもします。

 

☆明日から3泊で北海道に行ってきます。知床や富良野なんかを見てきます。

たっぷり写真を撮ってきます。



2010年8月18日水曜日

あと2日







過酷な夏期講習も金土の2日間で終了です。





お金があればこの一夏、ずーっと海外旅行していたかったです。






ただまあ、来週から4泊5日で家族3人で北海道旅行に出かけることに。本当はヨーロッパに行きたいと思っていたのですが、アイスランドの火山噴火と、8月出発のツアー代金がメチャ高いのにガックリきてあきらめたのです。








☆最近の中学生の学習内容は昔と比べて極端に減っています。特に地理はヒドイです。地方別学習や県別の知識をまんべんなく習得させることなんかまったくしません。



例えば東北地方なら山形県だけを取り上げて不必要に詳しく記述しているのですが、それ以外の県には一行も割かれていません。
世界地理も同じで、ヨーロッパ全体の説明がないまま、突然、フランスについてだけ異常に詳しく説明します。




これでは地理の全体像がまったく見えません。




また、そういう状況の下で統計資料がわんさか載っていて、それを憶えろと指示されます。




これではどんな人間でも地理が嫌いになります。全体像、基礎知識習得が出来ないまま抽象的な数字だけを並べている、欠陥教科書の見本です。




そのためか、21世紀の情報社会下であるにもかかわらず、いまの中学生たちには世界、いや、日本についての基礎知識がほとんどありません。中3の一番上のクラスの生徒でさえ、オランダやベルギーがどこにあるのか、きちんと言えません。




また、習うべき知識の量が極端に減っています。ライン川もドナウ川も習いません。地中海性気候なんていう世界の気候も出てきません。




わたしの時の三分の一くらいしか習いません。このままでは日本はダメになります。




☆3日前の月曜、可也山という糸島の山に夕日が落ちようとしていたとき、まるで北斎の凱風快晴の版画のような見事な色合いを目撃して感動しました。ただ、残念なことに、クルマを運転していてシャッターが切れなかったんです。ほんとうに悔しいです。




☆わんこのファン太、先週田舎に連れ帰ったら、大勢の初めて見る人間に抱かれたためか、かなり人間慣れしたようです。顔つきが少しマイルドになった感じがします。




☆毎朝塾に行く前、筑前前原駅前のマックでアイスコーヒーのLサイズを買っていきます。なかなかおいしいです。9コマ連続授業というハードな時間割をこなしていくのには、自分をマシーン化しなければなりません。生徒に向かって教えている自分自身を、そばで別の自分が眺めている、そんな感覚です。

2010年8月15日日曜日

心広きチャコ











お盆に田舎に帰省してきました。チワワのファン太を連れて。





田舎にはチャコというコーギーの雑種が居て、果たして二匹が対面したらどうなるか、と少し不安でした。





チワワの方は案の定、臆病なくせにチャコに向かって吠えたてました。ところがチャコの方は、自分の縄張りによそ者がやってきたにもかかわらず、怒りもせず、むしろ一歩引いてました。





わたしがファン太を連れて散歩に出かけると、チャコは50メートルほどの距離を置いてつかず離れずで付いてきてました。





やはりなんか気になるのでしょう。私たちと一緒に行きたいけどオレがオレがと自己主張はしたくない、でも自分の存在もわたしに分かってもらいたい、そんな風情でした。





チャコのそんな奥ゆかしさにグッと来ました。





それに引き替え、チワワのファン太の方はというと、人間そっくりのイヤな性格の持ち主。ほんと、小さいくせにこちらの方がなんか人間くさいです。





多分、愛玩犬という種は買い主の顔色、感情を察知して自分の意のままに操ることにより自己保存を図るという本能を持っているのでしょう。わがままで甘え上手で臆病で内弁慶で打算的です。








☆ことしの夏はなんとなく虫の数が少ない感じがしました。例年なら網戸にびっしりと張り付いているのですが、ことしはほとんど見ません。




逆に、実家の縁の下に巣を作っているミツバチたちは猛烈に働いていました。熱に浮かされたかのようにしゃかりきになってせっせと取ってきた蜜を縁の下に作った巣に運び込もうと、ブンブン飛び回っています。それが玄関のすぐ横なので、かなり怖いです。




☆明日からの塾の準備が間に合わず、ちょっとマズイです。作らなければならないプリントが出来て無くて、顔が引きつり始めています。




 ただ、お盆休み中にたっぷり休養を取ることが出来、体力はすっかり回復しました。



いつもはカロリーオフの発泡酒ばかり飲んでいるので、実家でエビスビールを飲んだとき、余りの濃さに驚きました。




☆チワワのファン太は、わたしがこき下ろしたにもかかわらず、実家の母や兄家族にはめちゃめちゃかわいがられていました。ただまあ、『ブス可愛』って言われましたが。








2010年8月9日月曜日

久しぶりのオフ











土曜日、夕方に塾が終わり(教室長のはからいで)、日が暮れた後長浜屋台街ちかくの魚料理店『だぼ』という小さな店でロー仲間と再会。




出てくる料理全てに驚きました。




圧倒的な質と量、見たこともない魚や貝類、目一杯飲んで食べて一人4000円。




全員圧倒されました。もちろん味もまた格別でした。




店内にはほかに10人くらいの団体が居て、わたしらグループとで貸し切り状態。




楽しかったです。でもこの飲み会は神戸から来たKさんの送別会でもありました。




今週末、実家に戻るのです。またいつか必ずどこかでバッジをつけたKさんにあえるときが来ると確信しています。




で、その飲み会に、わたしの写真が載った塾のパンフレットを持って行ってみんなに見せました。みんな大爆笑。




と、一人が、『この教室長、ぼくの大学時代の司法試験勉強仲間ですよ』と。なんとまぁ!








翌日曜は朝7時から団地掃除。とてもつらかったです。前日のお酒がまだ消えず、塾での果てしない労働の疲れが澱のように溜まって、雑草の海を見た途端、へたり込みそうになりました。








午後、ローに通っているOくんが来て、倒産法のレクチャーをしました。ところが、たった2ヶ月で、相当量の知識が抜け落ちているのに気づき、またへたり込みました。




で、途中から居眠りを始め、O君が言うにはわたしはイビキをかいてたそうです。








やはり、重労働とくそ暑さのせいです。3日前は実に38,3度を記録したのです。




冷たい飲み物ばかり口にしています。食欲減退気味でこまってます。








☆実に2ヶ月以上振りにロー別館に行きました。かつてのわたしの机はすでに別の人間が使用していました。わたしの私物はロッカーに移されていました。




帰りに箱崎のラーメン屋に行きました。そこはもう25年以上も通っている店です。




で、ラーメンを食べていたところ、突然上からハウスの一味唐辛子の小さい瓶がラーメンどんぶりに飛び込んできたんです。




カウンターの上の台に箸とかゴマとかと一緒に置いてあったのが何故かラーメンどんぶりにジャンプしたんです。




その時、ガチャーンっと言う音も聞こえました。




カウンターの向こうで作業していた店の人間の体が当たってその弾みで一味唐辛子の瓶が落ちたみたいでした。飛び込んで上がったラーメンスープのしぶきがわたしの顔面に跳ねて、めがねに油の油膜が出来ました。




そのときわたしは三分の二くらい食べ終わっていたのですが、店の人間たちが、『すみませ~ん、もう一度作り直します』と言ってきました。




それで、もうこれ以上食べられんけん、もういいです、と返事したのですが、向こうはなんとしてでももう一杯作ると言って聞かず、さっさと作り始めました。




食欲不振でしかも胃腸の調子も完全ではないのにもう一杯食べさせられたらたまったもんじゃない、とこちらも何度ももう要らない、と言ったのですが、根負けしました。




で、出てきたラーメンに手を付けたものの、やはりもうこれ以上ダメでした。




二口くらい食べてギブアップし、店の人に千円札を渡しました。




すると、ちゃんと代金を取りました。450円。ひょっとしたら代金はもらいません、とかなんとか言ってくれるかも、と期待しましたが、、、、、、。




新しいラーメンが来るまでの間、そばに置いてあったテッシュでめがねと顔を拭いてこちらの被害状況を暗に知らせたのですがね~。ちょっとがっかりしました。




2010年8月4日水曜日

元気回復すれど


体調は完全に元に戻りました。ただ、ネタがありません。


猛暑の中をてくてくタラタラ塾に行き、一日中子供たちを相手にし、足が棒のようになって引きずるようにして夜10時半に帰宅し、風呂に入ってカロリーオフの発泡酒を呷り、バタンキューとなる、そんな毎日です。


しかしなんですな~。子供って、小学生と中学生とでなんであんなに違うんでしょうか?


良くも悪くも純粋で好奇心も旺盛な子たちが、たった1,2年で豹変するんです。ゾンビみたいに無感動無関心に。


まあ、個別に対応すると、はにかみながらも反応するので、教室内で無反応なのは羞恥心が出始めたためかもしれません。




☆今の授業内容は私たちの頃のおよそ半分に減っています。世界史なんか、鼻くそ程度しか出てきません。それでも歴史が苦手という生徒が山のようにいます。なんでだろ?




☆わたしの傑作語呂合わせ集


♯1


正長の土一揆(1428)と山城の国一揆(1485)、加賀の一向一揆(1488)を一気に暗記できるやつです。


ツバ吐いたババァどこ行った、とシャカが聞き。