2010年7月28日水曜日

とりあえず


報告だけ。

風邪も半分くらい治まりました。熱はほとんど下がりました。喉の腫れは引きましたが代わりに咳と鼻水が出始めました。

でも、もうひどくなることはないだろうという感じがしています。


☆今日、3年生の女子生徒が、743年の墾田永年私財法の語呂合わせで面白いのを言ってました。

ナンシーさん、来んでえ~ねん、というのです。

負けた、と思いました。わたしのは、

なして三世一身止めた?

でした。

それでその生徒に素直に負けを認めました。

2010年7月26日月曜日

喉が・・・











昨日夕方女房の実家にバイクで向かう途中、走り始めて1キロちょっと行ったところで後輪がパンク。




オーマイガー。




自宅まで歩いて押して帰り、再度バスで行こうとバス停(2系統あるのでそれぞれに。これがまた500メートル以上離れて居るんです)に向かうと、なんと35分以上も待たなければならないことに。




仕方なく実家にいる女房に電話して迎えに来てもらいました。




その時わたしの上半身は汗びっしょり。これが悪かった!




だんだんと喉が腫れてきたんです。




やべ~。明日は朝8時から塾でミーティングがあるのです。自宅を遅くとも朝7時には出発していないと。と言うことは、朝6時前に起きてないと。




ところがどっこい、あろう事か大恩ある大先生からメールが。中身を見るとローの話でした。




それで、こちらもついかーっとなって返信に没頭してしまい、気がついたら3時。あと3時間しか睡眠時間がない!なのに風邪の引きはじめの兆候ありありで、これは大変なことになった、と恐ろしくなってきました。




一体どうやって今日の9コマ授業をこなすか、マジヤバでした。




で、塾に着くと案の定喉が腫れまくって、唾液を飲み込むことが困難な状態に。




それでもがんばらんば、と必死に授業をこなしていきました。




結局、6回はイソジンでうがいしました。




すると、塾の帰り道、夜10時頃、なんか少しずつ腫れが引いてきたようでした。




でも、用心をしないと、と、夜中も空いているスーパーに立ち寄って、わたしの風邪の三種の神器である、半熟卵、バナナ、鶏肉以外の肉、を買ってきて腹に収めました。




それで、12時までに寝ようと思い、お風呂も入らず、顔と手足だけを温水で洗って、さっさと寝ることにします。



明日もまた同じように早いので。
それでは皆様、おやすみなさい。
☆写真は前原の商店街にある大昔からある食堂。お客さんの9割はおばあちゃんとおじいちゃんです。
わたしの親父も若い頃この食堂で食べたことがある、と言ってました。
カツカレー、580円。あんまり味がせず、半分残しました。

2010年7月24日土曜日

夏の精霊

















今日はまぁ、至る所でお祭りが行われていました。前原でも姪浜でも、西新でも。


女の子達は浴衣を着てウキウキした表情で祭りに向かってました。


日頃人の姿が少ない前原でも、こんなに人がいたのか、それも若者達が、とビックリ。


と言うわけで街の夕暮れは何か血が騒ぐような雰囲気に覆われていました。


そんな中、わたしと言えば、一銭にもならないのに塾に行き、月曜日からの本格的な夏期講習のためのプリント作りやら切り貼りやらホッチキス止めやら、と鬱陶しいことばかりやってきました。これをやっとかないと、来週から一日10コマとか11コマとかの授業をスムーズにやることができなくなってしまうからです。

 話変わって、この前facebookというヤツをやってみました。一体なにがどう良いのか分かりませんが、全世界に数億人が加入しているとかで、ひょっとしたら画期的な通信手段になるかもしれないと思い、闇雲に始めました。


 すると、九大の大学院に居る知り合いから早速丁寧なお返事が帰ってきました。有り難いことです。






2年前、ドロップボックスというヤツを始めたところ、これがもうメチャクチャ優れもので、もの凄く便利だったので、今度も何かクンクン臭うのでやり始めました。




☆田舎の両親の、仲の良いご夫婦のうち旦那さんが今日お亡くなりになりました。それで、ハッとわかりました。何が?人間は必ずあの世に行く、だから、生きてるうちが華なのよ、ということです。


生きている間に思いっきり自分のやりたいことをやろう、と。いや、生きていることそれ自体が有り難いことなのだ、と。



また、恐れるものは何もない、ということも。ビクビクして生きていくのはもったいないことだということがやっとわかりました。


当たり前のことですけど、今朝訃報を聞いたとき、まるで磯辺の洞窟で修行していた空海の口の中に光の玉が飛び込んだみたいな衝撃を受けました。


そんな気持ちで夕暮れの祭りの賑わいを眺めていると、これもまた生の塊である、生きていることそれ自体である、と妙に愛おしく感じてしまいました。



☆わんこのファン太くん(別名悪魔君)、よーく見ると、あれっ!あれです!あれそっくりなんです!

 なにが?そう、キリンビールのキリンのデザイン、商標です。

 よくよく見ると、体や首周り、それからしっぽの気の生え方とその色、足が体に比べて細くて短いこと、


 顔も、耳が毛深く、顎の下も白っぽい毛が生えているのも。そして顔。睨みつけるような目とフンフンと鼻息荒そうな黒くて大きくて穴が上を向いている鼻。

もう、そっくりです。


















2010年7月21日水曜日

真夏だ~、新車だ~、塾の準備が~、もう勘弁してくれ~。
















猛烈な暑さに胃腸がへたり気味です。大正漢方胃腸薬と養命酒を飲んでます。少しずつですが回復傾向に向かっています。


日曜日夕方5時50分、とうとう新車を買うことに。もちろん、女房が、ですが。


日産の軽自動車で、ルークスというクルマです。ここに至るまではもう、大変でした。すべてが終わった後ヘトヘトになりました。翌朝は夫婦とも起き上がることすら出来ませんでした。


その前日の土曜日朝、ダイハツの営業所に行ってタントとコンテに試乗。タントにはかなり惹かれるものがありました。ハンドル周りがすっきりとしていて開放感抜群、わたしが一番重要視している前方の視界もとても良く、車内も広々としていて、リラックスして運転ができました。

今乗っている1300CCのキューブよりもスゴク広いのです。


短所はおそらく上り坂の走りと追い抜きのダッシュ力が非力なことだけでしょう。

その後すぐ、今度はホンダに行き、フリードとライフに試乗。フリードは1500,確かに良いクルマです。ですが、視界が思ったほど広くないのと、3列シートは不要なこと、値段が200万超えするのでアウト、ライフは視界良好でしたが、CVTという無段変速機が着いておらず、昔のまんまの、ガクガクッという変速の仕方で、ちと古いかなあ、とも。


 先週日曜、日産のフェア(青い日産グループ、日産プリンス系)に行ったときに試乗したニッサンティーダも若干前方視界が意外に狭く、値段も200万超えで、アウト。居住性は抜群だったのでとても惜しかったです。


 ただ、その日にたまたま日産ルークスが展示されているのを見て、これってダイハツタントの対抗馬として、まあまあかも、と思いましたた。もっとも、その日は展示車を見ただけで実際に試乗はしませんでした。主な目的はティーダの試乗だったので。


そしてその一週間後の日曜、今度は赤い日産グループ(こちらは単に日産系)がマリンメッセで合同フェアをやってるのに行きました。前回のフェアで試乗しなかった軽自動車のルークスに乗ってみて、対抗車種のタントと比べてみよう、と思ったからです。そのときはもう、タントかルークスかのどっちかに決めてました。


まとめますと、日産には系列が二つあり、赤い色の日産プリンス系と青い色の日産系です。どちらも同じクルマを売っているのですが、昔、プリンス自動車と日産自動車が合併した名残のためか、未だに系列が二つに分かれているのです。


そしてその二系列は先に日曜日に赤い方がマリンメッセで合同フェアをやり、その1週間後の日曜日に青い方がまた同じ場所で合同フェアをやった、というわけです。


わたしたちは最初の赤のフェアでティーダを試乗し、ルークスを見ました。その1週間後、青のフェアでルークスに試乗した、というわけです。


実は話はここから急展開しはじめたのです。


後の方の日曜日、午前中前原の塾で保護者会のプレゼンに出よ、と言われて9時半に塾に着き、1時頃まで保護者を前にして社会科の指導やら進路やらをプレゼンし、終わって午後3時頃、青の日産フェアの最終日に間に合うようとんぼ返りでマリンメッセへ。そこで女房と落ち合い、ルークスに試乗しました。


 感覚としてはタントとよく似ていました。どちらも箱形で大きなフロントガラスが直立していて前方がとても見やすいのは変わりません。


 比べてみた長所は、タントよりも走りが機敏そうなこと、車体重量がタントよりも軽いこと、タントは左側のドア支柱が無く、助手席ドアと助手席後方ドアをいっぺんに開くとメチャクチャ広い開口部が出現します。ですが、真ん中の支柱がないので、助手席のシートベルトの引っかけ口が助手席の左肩の後ろからでています。それでシートベルトが胸を強く圧迫してしまいます。この点でタントはちょっと良くないかも、と思いました。


 他方、ルークスの方は、ハンドル前の視界は良好でしたが、タントほどの開放感はありません。


スピードメーターも普通のクルマと同じくハンドルの後ろ側に着いてます。一般的な置き場所です。これに比べ、タントのスピードメーターは運転席と助手席の真ん中に横長く置かれていて、見やすいです。


というわけで、どちらも一長一短あり、迷いに迷いました。


試乗後、見積もりを出してくれた女性スタッフが提示した額はルークスとしてはかなり安めの額でした。


ルークスという軽自動車は他の軽よりも若干本体価格が高めなので、彼女の提示した額の安さには正直驚きました。


それで、そのフェアは、最終日の日曜日は午後6時で終わる、ということで、試乗し終わったのが4時。わたしはどうしてももう一度タントと乗り比べてみたかったので、ダイハツ営業所に今から行ってみる、と日産の担当者の女性に言いました。

すると、その女性スタッフは、なんと、それまでわたしたちに提示した見積額(この額自体普段よりも安めだったのです)よりも更に安い値段をボンッ!と提示したのです。え~っ!?とビックリしました。スゴい攻勢だなあ、と驚きました。


そうやって日産の販売攻勢に驚きつつ急いでダイハツへ向かいました。


途中、車内で、今乗っているクルマを8年前に買った、わたしの実家がある大分の日産の営業マンに電話しました。フェアではこの値段で売るといっているけど、そちらの条件次第ではそっちで買いますが、と言って、フェアで女性スタッフが提示した値段を言うと、その値段では到底無理です、とあっさり言われ、こちらはジエンド。


その大分の営業マンには日頃からお世話になっているので出来ればそっちで買いたかったのですが、なにせフェアで提示された額が相当安かったので、フェアの方を選択するほかありませんでした。



それでは、と、更に女房の親戚が赤の日産に勤めているというので、そちらにも電話で聞きました。この親戚の女性はかなりがんばってくれました。女房も、同じ車を買うなら親戚から買った方が良い、というので、わたしも賛成しました。それで、この時点ではフェアの日産と女房の親戚の日産、そしてダイハツタント、の3カ所の闘いとなりました。



そうやっていろいろと電話を掛けながら、ダイハツに到着しました。するとダイハツで説明してくれた女性がちょうど所用で外出しようとしていたところでした。



それで、こうこうこういうわけでタントとルークスとどちらにするか迷っている、と正直に告げました。


そうしたところ、彼女は、ちょっと待ってください、と上司に相談しに行きました。



その間わたしたちはタントに乗って見晴らしや内装をチェックしていました。すると、さっきまで居た日産フェアの女性から電話が。なんと!出てくるときに提示された額よりも更に5万円も引いた値段を電話で提示したのです。つまり30分前よりもさらに5万円下げたのです。



もう、ビックリ仰天です。猛烈でした。



すると、今度はダイハツタントの女性スタッフが戻ってきて前回彼女が私たちに提示した見積額よりも更に8万円も安い額を提示してきました。



で、わたしが、日産は今こういう値段を提示してきました、と言うと、彼女は、エ~ッ?!と言って口惜しそうな表情を浮かべました。


わたしとしてはタントの開放感にとても惹かれたのですが、値段だけ見てもタントよりも7万円も安くなってしかもその上4万円相当の備品までタダにするという日産の捨て身の攻勢にガツーンと来てしまいました。


それと、さっき述べた、助手席のシートベルトが胸を圧迫する点で問題があったので、タントはあきらめるしかありませんでした。


それで、ダイハツの女性には何度も何度も謝って再びマリンメッセの日産フェアへ。ダイハツの名誉の為に言いますが、彼女の態度はとても爽やかで立派でした。ゴメンナサイ。



そのときの時刻は午後5時半。あと30分でフェアが終了する間際でした。



と、運転中再度フェアの日産から電話が。どうなったかを知りたがってたのです。



それで、ほとんどそちらに決めたけど、あと一押し、なにか備品をサービスしてくれたらそちらに決める、と女房に言わせました。では何が良いのかと向こうが訊いてきたので、クルマの左前方に立てるポール(1万円)を取り付けて欲しい、とまた女房に言わせました。すると、ちょっと待ってください、とおそらく隣にいる店長と相談したのでしょうが、一瞬の間をおいて、『わかりました、取り付けます』とほぼ即答状態で返事が来ました。



この人たち、マジで何が何でもクルマを売らねば、なんだなあ、という鬼気迫るものを感じました。



そういうわけで、とうとうマリンメッセのフェアの方に決めたということで、いとこの女性に断りの電話を女房が掛けましたが、何度掛けても繋がりません。数回掛けてもダメだったので、あきらめてたところ、やっといとこさんから掛かってきました。



女房がフェアの提示した破格の値段を告げると、そんな値段、あり得ない、と言って、いとこさんもあきらめた風でした。


マリンメッセに戻ってきたのは午後5時45分でした。広いマリンメッセ内では片付けが始まっていました。


日産の女性営業員と見積もりをして確認していたところ、女房のケイタイに電話が。



 女房が席を外してなにやら長話をしてました。すると今度はわたしの携帯が鳴りました。出ると女房から。いとこから、いとこの勤める営業所の所長が、マリンメッセが提示した値段で売って良い、といとこに言ってくれたのでどうしようか、というものでした。女房は自分の親戚の方を優先させたがってました。


 これにはわたしもほとほと悩みました。車を買うのは女房なので、彼女の意思を最優先させるべきとも思いました。ですが、なんとなくひっかかるものを感じたのです。いとこの方はなんか、売ってやる的なニオイがしたんです。たしかに所長さんから見れば自分の部下の親戚に安く売ってやるというのは親切なことだと思います。ですが、買う方のこちらとしては高い買い物をするのですから、お金を払うのに恩義を感じるというのはオカシイ、と感じたのです。


また、いとこの方は条件提示が終始後出しでしたが、フェアの方は逆に自ら積極的な値引き攻勢をどんどん仕掛けてきて、そのアグレッシブさは愉快痛快爽快でさえありました。見事な攻略法だと感心しました。それも相当身銭を切って出血大サービスをしたと感じました。


それに、購入後のアフターサービスも、恩義を感じながら頼むよりも何が何でも買ってくださいと言う店に頼んだ方が安心ではないか、と思ったからです。つまり熱意の差、みたいなものです。


それで、そのことを正直にフェアの女性営業員に言いました。



こちらも散々悩んだ末、オタクに決めました、と。彼女はちょっと声を詰まらせたようでした。



おそらく、推測ですが、日産フェアに出品する際に予め定めた販売目標台数ノルマを達成する必要があったんじゃないでしょうか。そして、フェア最終日の夕方、ひょろっとやって来たわたしたちが買うことがノルマ達成の為には是非とも必要だったんじゃないでしょうか。そう考えると他の日産営業マンが二人とも値段の点で二の足を踏んだのも良く分かります。


そういう風に思うことが出来たなら、今回の買い物はグッジョブだったのかもしれません。


ですが、ほんと、この二日間の駆け引き合戦でほとほと疲れ果てました。おまけに塾の保護者会用のプレゼンを考えるのにもパワーを使ってましたので、体中に染みこんだ疲労感を拭うことはなかなかできませんでした。




☆と、長々と駄文を垂れ流してしまい、申し訳ありませんでした。
























































2010年7月18日日曜日

とりあえず梅雨明けで











このところ何度もブログ更新をしようとしては書きかけの途中で断念してました。




イマイチな中身だったもので。




毎日塾通いで忙しく、その割に稼ぎは悪く、いい加減にうんざりしてきました。




明日日曜も保護者会とかで朝9時過ぎに行かなければなりません。




他方で車の買い換えをするかどうかでいろんな会社のクルマに試乗したりして、バタバタしてました。補助金の打ち切りが近いということで慌ててバタバタしてました。楽しさよりも苦しみのほうが多いです。




最近の軽自動車の進化はもの凄いです。ほんと感心しました。




内装、インテリア、居住性は今わたしが乗っている普通自動車よりも上です。室内がとても広いんです。




坂道での登坂力くらいじゃないでしょうか、軽が見劣りするのは。
☆大雨のあと、不意に梅雨明け。極端な変わりようです。ですがわたしの大好きな青い空と雲が見れるようになり嬉しいです。
雨も好きですけど、この目に飛び込んでくる青と白はまさに爽快、気分もスカッとします。クルマを買うならそんな青空色のクルマにしたいと思いました。気持ち良く大空を飛び回るような気がしそうですから。




2010年7月11日日曜日

くたびれた~











毎日毎日塾通いです。もう、忙しくてどうしようもありません。




仕事が膨れあがってます。








で、最近あんまりネタがなくて、、、、。小ネタですが、、、、。








☆筑肥線の乗客マナーは最低です。平気で電話するわ、20分以上もの長い間鏡を見続けてひたすらお化粧に熱中するオンナ。野球道具を入れた大きなバッグを通路のど真ん中にドサッと平気で置く早稲田高校のガキ。








☆車を買い換えるか、ということで日産フェアーをやってる福岡マリンメッセへ行ってきました。個人的に雑誌で気に入っていたティーダを試乗したのですが、値段が200万超えと、あまりにも高く、その上運転席から見た視界が狭く感じて、前が見えにくかったのであきらめました。居住性と走りは文句なし、だったんですがねえ。外からみたよりも遙かに車内は広々としてて、快適そのものだっただけに残念でした。




で、あきらめきれずに同じフェアーで、軽のルークスの運転席に座ってみたところ、こちらは前方の視界が完璧に満足できるほど視界良好でした。後部座席も、座って足を組んでもまだゆとりがあるほどでした。ただ、高速では歯がゆいほどのろいそうで、これまたがっくり。しかもお値段は一番安くても153万もするんです。軽自動車といっても決して値段は軽くないです。








☆今日は夕方から塾の合同パーティが開かれました。博多リバレインのルモンドガーデンという高級なレストランを貸しきりにして。




飲み物も食べ物も一級でした。




久しぶりに都会の夕方のゴージャスな雰囲気を満喫できました。








☆夏バテなのか、胃腸の調子がイマイチです。10日以上続いてます。いろいろ胃腸薬を飲みました。




一昨日から飲み始めた大正漢方胃腸薬が自分に合っているみたいです。少しずつ回復してる気がしてます。
☆今朝は毎月第二日曜日恒例の団地掃除の日。昨夜結構降ってたのでさすがに今日は雨で掃除無しだろう、と思ってたところ、なんと雨はきっちり止んでました。
これでここに引っ越してきて以来、約2年半の間、第二日曜日の朝は雨降らずの時間帯が続いています。これって意外にスゴイ記録です。
☆大相撲理事会の伊藤委員、あの伊藤整の息子さんですが、とんでもないジジイです。わたしはもの凄く怒ってます。彼は、真っ先に、琴光喜は首だっ、と言い放ちました。なんでですか?何故他の委員は反論しなかったんですか?元高検検事長は何をしていたのですか?
自分に不利な事実を申告する義務はどんな人間にもありません。野球賭博をやってたと自己申告する義務はだれにもありません。ですから相撲協会理事会が、申告しろと言うこと自体不当です。ましてや、自己申告したら厳重注意にしてやるから、というのも明らかに越権行為です。相撲協会内では厳重注意かも知れませんが娑婆では立派な賭博罪ですから手が後ろに回るのです。ですから申告義務なんかどこにもありません。、
それなのに、琴光喜は嘘をついて申告しなかったから解雇だ、とあの伊藤氏は言い放ったんです。
あんた正気か?と言いたいです。おまえこそクビだ、って言いたいです。
このことを極めて正当にテレビで言ってたのは大沢弁護士ただ一人でした。彼を見直しました、なんて上から目線でスンマセン。
それから、警察のがさ入れも遅すぎます。本当にやる気あるのか、って聞きたいです。
そしてそして、大相撲はもともと国技なんかではありません。ただの興業です。
☆本当に絶滅させるべきは暴力団そのものです。この世にあってはならない反社会勢力です。マスコミはしかし、暴力団に向かってはもの凄く及び腰です。度胸が無いんです。そのくせ野球賭博という、暴力団に踊らされた者に対しては居丈高です。マスコミって本当に卑怯者だと思います。力士たちだけを取り巻いてわいわい騒ぐばかりで背後の暴力団には怖くて近づくことすらしようとしません。弱い者いじめをやってるのと同じです。
☆ついカッとなってしまいました。イタリアではマフィアが堂々と何とか組なんて看板を掲げて事務所を開くことは禁止されています。それなのに我が国では堂々と看板を出してます。もの凄く間違っていると思いませんか、みなさん。



2010年7月3日土曜日

洗骨


昨日の朝、ご飯を食べながらNHKを見てたら与論島の風習を特集してました。



感動で涙が止まりませんでした。


ある一家のひいおばあちゃんが4年前に亡くなり、墓地の横の砂地に土葬されました。骨だけが残り、遺体の他の部分は分解されて土に還るのを待つのです。


そして4年後、一族みな揃って砂地を掘り、お骨を掘り出してきれいに洗い、それを骨壺に納めて一族の他の方々のお骨が納められている大きな墓に埋葬されるのです。


そうしてひいばあちゃんは一族の守り神になるのです。


この洗骨の儀式の前夜、皆が揃って宴会を開き、亡くなったひいばあちゃんの思い出を各自語っていくのです。みな涙涙でひいばあちゃんとの思い出話をします。すると、一緒にいる小さな子供達にもひいばあちゃんの思い出が引き継がれていきます。


亡くなった方方は生きている人間の記憶の中で生き続け、次の世代へと受け継がれていくのです。


洗骨の儀式は宴会の翌朝未だ日が昇る前に始まります。


土の中から掘り出されたひいばあちゃんのお骨は一本一本丁寧に清水で洗われていきます。子孫達はひいばあちゃんにまた会えたという思いでお骨を撫でながら再開を喜びます。


小学生の女の子もその母親に励まされ、恐怖に怯えつつ大人達の喜ぶ姿を自分も感じることが出来るだろうかと必死でお骨に触ります。


この儀式を見て、嗚呼、これこそ日本人の原点だ、と熱いものが湧きだしてしまいました。今思い出しても涙が溢れます。



★今日は踏んだり蹴ったりでした。日曜だというのにたった一コマの補習のために塾に行かせられ、終わったら直ぐ帰れるかと思いきや、ミーティングに出席させられ、終わって博多駅に直行して女房がクルマで出迎えに来てくれたは良いが、なんと運転席のウィンドーが外れてしまい、ディーラーに駆け込む始末。結局5万近く費用がかかると言われガックリ。

家に帰り着いて読書用の眼鏡を取り出すと鼻の押さえの部分がポロッと取れてしまいました。



2010年7月1日木曜日

月夜




ここんとこ雨続きでしたが、塾帰り、久しぶりにお月様を拝みました。



夜11時前、西新の街はまだ人通りが多く、大半は飲み屋から出てきたといった様子でした。



たまにはラーメンでも食べて帰ろうか、と路地裏のラーメン屋に入ると、カウンターだけ8席しかない小さな店が。



中ではサラリーマンが2組、くだを巻いていました。若者の組では後輩の会社内での振る舞いに先輩がやんわりと、しかしだらだらとお説教をしてました。もう一組はオッさん達。チャーシューを肴に焼酎のロックを呷りながら会社内のグチを言い合っていました。



みんな言いたいことが山とあるんですよね。わかります。ま、思いっきりはき出してすっきりしてまた明日がんばろう、ということで、みなさん、お疲れ様でした、と思いつつラーメンをすすっていました。



ただ、不味かったです。近頃本当に美味しいラーメンに出会うことがないです。




☆明日から7月。この5月6月はとても長かったです。塾のバイトを始めて25日くらい経ちますが、もう1年以上続けている感覚がします。


☆塾と言えばこの前カメラマンがやって来て授業風景(の振り)を撮りたいと。そこで誰もいない教室で授業している格好をさせられました。昨日、生徒が持ってたチラシをふと眺めると、教師達の写真が大きく載っています。と!なんとわたしもまたデカク写っているじゃありませんか。


生まれて初めてです、広告チラシに自分の姿がでっかく載ったのは。記念に今日何枚か取ってきました。


明日からはマジに民事執行法と行政法、エクセルの勉強をしないと。