2021年2月7日日曜日

山本哲久くん

 昨晩、友だちの女性弁護士から備前焼のコーヒーカップの夫婦茶碗が送られてきました。最初のローのとき、同じクラスで九大図書館(箱崎にあったものの、今は無し)のゼミ室でよくゼミをしていました。木々に囲まれた渓谷を流れる清流のような方で、澄んでいてキリッとしていて、でも穏やかで、しかも声がとてもきれいな方です。いただいた備前は、色合い、肌触り、形、どれをとっても素晴らしく、一目惚れしました。いろんな素晴らしい方が自分の周りに居てくれる、というのはありがたいことです。

友だちと言えば、はまやんという宮崎の大親友もまた、得がたい大親友です。彼とは二人でよく女房に隠れて久住、阿蘇、別府、筋湯温泉、古湯温泉なんかにドライブに行ってました。彼とはホントに波長が合うのです。このブログのわたしの写真を撮ったのもはまやんです。別府湾を見渡す高台で取ってもらいました。大病を患ったのに、明るく前を向いて進む精神は見上げたもので、尊敬します。


そして大学時代以来、終生の友だったのが山本哲久です。鳥取出身で、二人とも二浪して京大に。入学前に下宿探しをして北白川のボロい3畳しかない狭苦しくてクーラーも何も無い下宿を下見していたとき、チラッと彼を見ました。そのときは同じクラスになるとは思いませんでした。入学後、そのボロい下宿の8人くらいは入れる内風呂(1日おきにしか入れない)に行くと、なんと入学式に同じクラスにいたヤツが風呂に入っているではありませんか!二人とも同時に『おーっ!』と言いました。

それから、ほぼ毎日、山本と夕方にジントニックを飲むようになりました。前に書いたように、それが一番安上がりだったからです。冷蔵庫が無い生活だったので、買ってきた冷たいスプライトにジンをぶち込んで一気飲み。すぐ酔っ払うのが良いところでした。

山本も、上に書いた女性弁護士と同じく、不正を憎み弱者を助ける、ピュアな、あまりにも 純粋な人間でした。

鳥取県庁に就職しましたが、エリートコースの財政課に配属されたので、受験勉強ができない、と、数年で辞め、民間企業に転職しながら鳥取からバスに乗って京都の答案練習会に参加していました。前日答案練習会の前日、熊野神社に引っ越したわたしの下宿に泊まり、寒かったので日本酒と湯豆腐で酒盛りをしていました。

山本は、島根ローに入り、鳥取に一人息子を残し、松江で一人暮らししながら司法試験を目指していました。重い病でローに行けなくなり、夢の途中で他界しました。葬儀に参列し、友人代表として、思いの丈を叫びました。なんでだ?なんで逝ってしまったんだ?バカヤローって言ってしまいました。あとでお坊様に叱られました。

去年、試験後、出雲大社にお参りに行きました。女房の守り神様が出雲大社である、と、占いをする人から言われたためです(わたしの守り神様は霧島神宮らしいです)。で、松江の町も見て回りました。素晴らしいところです。品があって、華やかさがあり、又是非来たいと思いました。その松江に、山本の夢が残っている、と思うと、胸が熱くなりました。いつか一緒に受かろう、と湯豆腐をフーフー吹きながら語り合っていたのを思い出しました。

京都の青春時代を語り合える心の友が居ないのはとても寂しいです。彼の墓前で報告したいです。お前の分も受かったぞ。お互いもっとはやく受かりたかったなぁ、オレも馬鹿だがお前はもっと馬鹿だ、受かる前に逝きやがって、、、、、と。


わたし自信、今週木曜日にCT検査をして、膵臓検査をし、翌日、舌ガン検査をしました。どちらもセーフと言われ、安堵感で脱力してしまいました。次は、大腸がん内視鏡検査をしましょう、と医者に言われ、ハイ、と言ってしまいました。