2008年1月28日月曜日

一段落




今日は箱崎に3回行きました。


①正午、学務部カウンターで入学金、授業料免除申請書を出しました。すると、この前とは違う女性職員が、わたしが一緒に出した所得証明書を見つめ、『あなたは独立生計になるんじゃないでしょうか』と、今までと全く違うことを言い始めたのです。


またかぁ、わたしはうんざりして、『えっ、どういうことですか』と聞くと、『お父さんからの仕送りだけで生計を立てているのがこの所得証明書でわかるので、お父さん関係の所得証明書や確定申告書の写しなどは不要になります』だって。


こちらがどれだけの苦労をして親父、お袋の書類を集めたと思ってるんだ!こんちくしょうめ、と思ったのですが、今後の後期の授業料免除のこととか、親父と同一生計のままだと、2月後半に、新しい確定申告の写しを提出するなどの面倒が増えるので、結果的には独立生計の方が有利となり、ありがたい話なんではあります。


けれども、そうであるなら最初からそう言って欲しかった。無駄な苦労が多すぎました。


このことを聞いたとき、この前対応した女の子が幸運にも横にいて、今日の女性がその子にこれでいいよね、と告げると、その子は、『う~ん、そ~ですね~』と、曖昧な返事。


わたしは、しめた、ラッキーと思いました。だって、対応した職員がてんでんばらばらなことを言うのですから、言った職員同士でコンセンサスを取って貰わないとわたしが後で困ることになりかねないからです。公務員は責任回避が上手なので、お互いに回避し合うと、結果的にこちらにババくじが廻ることになるからです。わたしに対して違うことを言った当事者がわたしの目の前で意見統一してくれたので、すごく安心しました。


その結果、わたしが清書してきた願書は書き直すことになりました。あ~あ、またか、とは思いましたが、後で苦労しなくて済むなら、と快く書き直しに応じました。


②そこで、真新しい願書を貰い、一旦我が家に戻って書き直すことにしました。


 で、帰ってみると、なんと今日の夕方に予定していた燃えないゴミの無料引き取りトラックが今にも出発しそうになっていました。やばい!そこでそのおじさん達にお願いして、昨夜遅く玄関外に置いてた灯油ストーブや古いスキャナー、プリンタ、壊れたステレオ、そして2日前に壊れた14型テレビを、一階から五階まで5往復して運び出しました。体がへなへなになり、汗でびしょびしょに。体力低下著しき限り。


十数年間我が家に居たテレビでした。長い間ご苦労さん、と声をかけて運び出しました。


上半身裸になり、熱いタオルで汗を拭き、餅を4個焼いて食べながら、願書を書き直しました。300字以内で免除申請理由を書かなければならないのが大変なんです。


③書き直した書類を持って再び箱崎へ。着いたのが4じ30分。わたしが学務部に入っていくとカウンター内の近くにいた人がわたしの顔を見て最前の女性に声をかけてくれました。そうか、何遍も来るんでオレの顔は知られてるんだな、と分かりました。


で、その女性はわたしの顔を見て、えっ!今日来たの?はや~、と言う表情でした。


それで、点検の結果、これで良し、と言うことになり、やれやれ、と思う間もなく、文系校舎のロー事務室へ、時刻は4時45分。そこでは写真を貼った紙切れとちいさな写真1枚だけしか提出しなくてよく、あまりのあっけなさと先ほどまでの苦労苦労の免除申請との落差の大きさに驚くばかりでした。


④以上でロー関係の面倒で心労の多い書類提出行為は一応終了し、大いに安堵しました。


⑤夜8時、女房が羽田から帰着、空港まで迎えに。遅い晩ご飯にと三度目の箱崎へ。


めちゃめちゃおいしい天天ですぶたとマーボー丼を分け合って戴きました。


やっぱり美味い。


今日はいろいろ大変でしたが、一気に用事が捌けたので気分が軽くなりました。


また、氷雨の中を運転したので冬の雨も満喫できました。車中で昭和のフォークを聞きました。はしだのりひことシューベルツの、風が聞こえてきたとき、涙が出そうになりました。

歌川広重


今日テレビで、広重の東海道五十三次の版画の再現成功と、浮世絵がフランス印象派にどんだけすごい影響を与えたかを探る特集がありました。

たしか2年前、福岡に浮世絵展が来て百道の美術館に見に行ったことを思い出しました。

北斎は天才、広重は秀才、というのが見たときの感想でした。でもわたし自身は広重の東海道ものが好きです。みんなが取り上げる構図のすごさよりも、色の素晴らしさ、特に青のバリュエーションに引き込まれました。夕暮れの青の澄んでいてなつかしげでさびしげな色合いがとりわけ気に入りました。それと、雨の激しさ。雨好きなもので。

で、フランスの印象派の画家たちは浮世絵に熱狂したそうです。その代表格が、あの睡蓮で有名なクロードモネです。日本の太鼓橋や柳の木、睡蓮まで日本から運ばせたそうです。セザンヌ、ゴッホ、マネらも忠実に浮世絵を油絵で模写しています。

モネは、風景が見せる一瞬の表情を捉えてキャンバスに写そうとして同じ構図で異なる時刻の絵を何枚も描きました。セザンヌもです。

わたしには絵の才能が全くありません。ただ、小さいころから音感だけは良く、父の親戚の子分(当時その親戚は若松でヤクザをやってました)から古い流しのギターをもらったとき、独力で6弦のチューニングに成功しました。今思えば絶対音感を持っていたのではと思います。

でも、わたしはやはり絵の才能のほうがいいなあと思います。だって絵は残りますもん。音楽は一瞬のもので、終わったら余韻しか残りません。潔すぎます。

 なんでだらだらと印象派のことを書いたかといいますと、そのテレビを見終わろうとしたときに、テレビ画面が揺れだし、上下から黒いチョコレートのようなものが広がってきて、とうとう画面が真っ黒けになってしまったのです。

15年くらい使っていたちっちゃなテレビでしたが、引越し前に昇天してしまいました。まるで引越しを予期していたかのようで、なんかかわいそうになりました。