2008年12月30日火曜日

皆様の来年がうっしっしな年となりますように。


来年は1秒多い年です。うるう秒だそうです。


今年は塾を首になった年以来の忙しい年になり、あっという間に1年が経ちました。


来年も多分同じでしょう。ただ、来年の後半からは受験シーズンに突入してもっと忙しくなるかもしれません。


今年、もっとやっとけばよかったのに、と後悔しているのは、運動です。机にへばりついてばかりで体を動かさなかったので、頭の働きも鈍くなってきたような気がします。


忙しくとも運動を、せめて散歩はしようと思います。


それから、ワンノートというファイル管理ソフトが本当に使い勝手が良いので作ったファイルをびしっと管理しようと思います。理解とは整理が出来たことである、と誰かが言ってましたが完全に正しいと思いました。




明日朝7時に家を出て大分の実家に向かいます。雪が降るとの予想で、八木山峠は雪が積もっているかも。


実家は宇佐神宮の近所です。初詣にいくかもしれません。




尻切れトンボですが、また来年もよろしくお願いします。
そうそう、なんでも鑑定団を見てて大いにためになったことがありました。わたしは焼き物も好きなんですが、信楽焼があんなに素晴らしいものとは思っても見ませんでした。もう、出っ腹のタヌキしかイメージ出来なかったのです。ところが秀吉が朝鮮出兵から拉致してきた朝鮮陶工たちよりもむかし、14世紀からすでに信楽では焼き物が盛んだったそうです。その素朴で頑丈で火と灰と土の中にわざと入れておいた小石が高温によって破裂するときに出来る紋様とが複雑に絡まり合ってまことにシブイ風合いを出しているのです。いやもう、マイッタ。焼き物好きが最後にたどり着くのが信楽だ、と『いい仕事してるねー』のおじさんが言ってました。仰る通りかも。
そう言う目で我が九州の焼き物を改めて見直してみると、どっか渡来風に見えてきました。不思議なものですね。物の見方が突然かわるなんて。




2008年12月29日月曜日

もうひと言











自転車の右側通行、何とかなりませんか。わたしは普段スクーターに乗っていますが、道路の左端を走っているとき自転車と正面衝突しそうになったことが何度もあります。自転車も道交法上の『車輌』なんですから、立派な違反行為ですぞ。





 一方クルマの方も、マナーの悪い奴らが大勢います。きのうも、わたしの前を走っていたクルマの窓から燃えている吸いさしのたばこがポイッと放り出されるのを目撃。福岡のドライバーのマナーは劣悪です。そうそう、信号が赤に変わり、その後右折→の青信号が出ます。すると、ある馬鹿者は平気で堂々と左折していきます。こっちは女性ドライバーが多いです。また別の馬鹿者はこの右折信号→が終わって完全に赤になっても強引に右折していきます。これは若い男が多いです。





ほんまにもう、いーかげんにせーよ!と叫びたくなります。警察がサボっているのも原因の一つです。そういえばこの前わたしを職務質問して免許証をメモった大阪府警の警官、案の定あの後うんともすんとも言ってきません。ただの脅しなんですよね。ふざけんじゃね~。





ふむ、なんで関西弁と関東弁を使い分けているんだろう。私人に対する言葉と国家に対する言葉を無意識のうちに使い分けているのでしょうか。








それからそれから、西鉄バス!!排気ガスが真っ黒で後ろを走ってたら前が見えんぞ!毎日何千台ものバスがこうやって街の空気を汚してるのかと思うと、西鉄って殺人者ならぬ殺街車じゃないか、と憤慨しております。










話は全く違うんですが、クルマといえば時々クルマの中で懐かしのフォークソングを聴いています。





 聞けば聞くほど、『いいな~!!』と感動するのがビリーバンバンです。若い頃は興味なかったんですが。どこが良いのかさっぱり分かりませんでした。





なのに今では、こんな素晴らしい歌は無い、と感動しまくっています。声も良いし、メロディも良い、けど、詩が一番素晴らしい。特に白いブランコはもう、傑作中の傑作だと思います。





 若かりし頃の恋愛と別れを詩情豊かに綴っています。言葉数が少ないのに情景が鮮やかに浮かんでくるんです。








ビリーバンバンは、こちらでは大分麦焼酎二階堂のCMの挿入歌を歌っていて、トレンチコートとくしゃくしゃ帽子を被った中年が、今はないかつての思い出を辿って流離う、というシリーズにピッタリ合っています。








今日、女房と愛宕神社に来年の干支である牛の置物を買いに。2年前参道前の茶店で買ったイノシシの置物が可愛くて、それ以来その店で買うようにしています。なんか縁起が良いです。





 






2008年12月28日日曜日

一言言わせて




勉強以外のことですが、聞いてもらいたいことがあります。ちょっとおつきあいください。






 この前ラジオを聞いてたら、おすぎさんがしゃべってました。彼(彼女?)がパーソナリティになってる番組が福岡にあって、毎週日曜午後4時間ほど続くんです。






おすぎは毎週日曜午後このラジオに出て、翌日朝6時半からのテレビに10時半まで出演(その間2時間くらい東京のテレビを挟みますが)、その後またラジオに出て月曜午後東京に帰って行きます。福岡に丸1日半います。野球シーズンのときにはヤフードームに通います。福岡が好きなんでしょうか。






 ま、そんなことはどうでも良いんですが、おすぎさんが最近の政治について話していて、どうも役人や政治家が働かないと怒っているご様子でした。そして、こう仰るのです。国会議員の数を減らすべきだ、無駄だから、と。






なるほど。世間の人たちもかなりこういうご意見をお持ちなんでしょうね。





わたしはそういう人たちにお尋ねしてみたいです。じゃあ官僚たちの不正を監視し、糺し、わたしたち市民の要求を政治に反映させるにはどうやってすればいいんですか?と。





たとえば、今後国会を衆議院だけにして、衆議院議員の数をわずか47人、つまり1県から1人選出することにしたらどうなるでしょう?





政府、役人の監視と、国民生活の向上を国政に反映させること、こういったことが十分出来るのでしょうか。





不当な解雇で路上生活せざるを得なくなった人、保護、福祉が打ち切られたり引き下げられたり、保育所が地域に全くなくて共働きが出来ない、道路、橋、街路灯が点かないので生活に困る、横田基地のひどい騒音について最高裁は冷たく突き放すばかりで誰が騒音被害を防止するのか、、、、。





 こういう国民が今直面している切実な問題を誰が解決するんですか、おすぎさん?





役人にさせるんですか、それとも47人の国会議員だけで十分できるとおっしゃるのですか?役人は今でさえさぼっていたり自分の都合の良いように天下り先を作っておいたりしています。そんな彼らを信じて良いんですか。諫早湾の干拓をはちゃめちゃなこじつけで強行したツケを役人は払ったのですか。国会議員がたった47人で、つまり1県一人で国土を破壊し環境を死に追いやることを防げるんですか。





 わたしは、参議院は要らないと思います。しかし衆議院議員は少なく見積もっても1000人は必要だと思います。えっ?とお思いでしょう。多すぎるやん!と。





決して多すぎません。1県に20人です。これでもまだ少ないと思いますが。多すぎるとお思いになった方は、そうお思いになった原因を考えてみてください。





 経費が懸かりすぎるからでしょ?国会議員一人あたり何億円もかかるから無駄だとお思いなのではないですか?また、多すぎるとサボるから?





 そこでわたしの考えを申し上げます。給料は年間100万円しか差し上げません。住むところは国会議事堂の真横に議員宿舎を作ってそこに強制的に住まわせます。家賃はタダにします。公設秘書を20人、定年退職したサラリーマンを資格要件にしてあてがいます。これで20×1000=2万人の雇用が確保されます。





そして、国会を夜間開催します。もちろん委員会も夜間開催です。昼間は自分の政治活動報告をテレビやネットでさせます。報告をしたり提出したりテレビに出演したりしたら報酬を与えます。それらで生活費を稼いでもらいます。役人は午後5時に仕事を終わらせます。したがって役人が国会に出席することは原則として有りません。国会質疑、委員会質疑で必要な場合のみ、出席させます。残業手当は出します。





 任期は2年に短縮します。選挙区は全国を1000の小選挙区、つまり一人だけ当選させる方式にします。





その上で、自分がどの選挙区から出馬するか、についてはアトランダムに、機械で抽選して選びます。





当然地元という概念が消えてしまいますから選挙活動は無意味となります。では国民は誰をどのような情報によって選択するのか、というと、国会専門チャンネルを常設します。地デジのおかげで情報は多量に入手できます。





そしてこの議員はいつどこでどのような活動をしたのか、実績をいつでも閲覧できるチャンネルも作ります。国会議員でない候補者も専門チャンネルで自分の公約を載せることが出来ます。





 そうやって1000の選挙区から1000人の国会議員を選びます。





これをやれば選挙違反もなくなるし二世三世議員もいなくなるし、料亭やホテルのバーで政治をすることもなくなるし、第一、国会議員になるうま味がなくなります。国会議員はボランティア活動に格上げされます。





国民は自宅でご飯やビールを楽しみながら国会中継をライブで見ることが出来ます。そして議員の誰が頑張っているか、そうでないか、を監視することが出来ます。





どうでしょう、この考えは?





皆さんのご意見をお待ちしています。
この3ヶ月間、食べたくて仕方がなかったうどん屋さんへ。ここのうどんは福岡で一番です。わたしの理想が全て現実化しています。
空港の近くを通っていったので、真っ青な空の向こうから巨大な鉄の塊が飛んでくるのを見物しました。着陸直前、まさに『落ちて来た』ような感じです。






人間ドック


今朝行ってきました。8時過ぎに結核予防センターに到着。血液採取されたのもぞっとしましたが、一番いやだったのがバリウム飲むとき。かつまたその直後に胃をふくらませるために飲まされる発泡性の泡粒。バリウムでうげ~っとなってるときにあのサイダーの素みたいなヤツを飲まされたときは本当に吐きそうになりました。もっとも昨晩から絶食してたんで何も出なかったでしょうが。

技師から、ゲップを出さないで、と命令されたのですが、、、、あのときを思い出しただけで今この瞬間吐き気とゲップが同時に起きました。あ~気持ちワルウ。

 その間、ぐるぐる3次元的動きをする台に乗せられて、宇宙遊泳の訓練みたいに動くその台にしがみついて、右を向けとかうつぶせになれとか言われ、あと1分続いたら確実に吐くぞ、なんておびえながら早く終わってくれ~と泣きそうになりながらこらえていました。

 検査の結果、血糖値が高いことだけ注意され、ほかはセーフのようでした。

運動と節制、わかっちゃいるけど、、、、。


 今日が12月の27日だという感覚はまったくありません。あと9日後にはまた授業が再開されるということで頭の中はいっぱいです。

 女房から文句を言われました。このまえ女房の実家で甥や姪を呼んでささやかなクリスマスパーティを開いたときの写真を何故載せないのか、と。

 だけどねえ、次の日は民事裁判実務のテストが、またリーガルライティングの課題提出が、そしてその二日後には商法の課題提出もが控えていてパンク寸前だったのでがす。

 人間観察力のある姪っ子は、わたしの顔が暗い、と言ってました。自分では努めて明るく、パーティの時くらいはローのことを忘れようとしていたつもりなんですが、、。

2008年12月26日金曜日

泳いですっきり

商法の課題、書き終わったのが朝6時半。悪い癖が出てしまい、あ~でもないこ~でもない、と悩んだり迷ったりしてたもので気が付いたら朝になってました。
こんな課題、評価の対象にもならないし、先生もろくに読んでません。ですからいい加減に書いても別に構わないんです。ですが、判例の筋道とかいくつもある判例の整理、射程距離とかを考え始めると時間があっという間に過ぎてしまうんです。
判例はものすごく重要なんですが、もっぱら目の前にある具体的事件の解決のためにいろいろご託を垂れるので判例集全体から見ると一貫していないことがしょっちゅうなんです。
要するに、どういう事件でどういう判断をしたのか、とセットで憶えないと役に立たないんです。
今日提出の課題はライブドア事件がらみだったので、東京地裁、東京高裁も結構気合いが入ったことを言ってました。
 最近よく話題にする、オフィスワンノートは、課題の答案を貼り付けたりハイパーリンクを貼ったりして文書管理がとても楽なんで、書き捨てとか作り捨てみたいなもったいないことをせずに済みそうです。
 やはり、混ぜればゴミ、分ければ資源、です。このキャッチコピー、心の底から感心したので座右の銘にしています。

午後、志免町に美味しいラーメン屋があると麺ブログに書いてあったので、行ってみようと、寒風吹きすさぶ中、バイクで行ってみたものの、場所が分からず、撤退。箱崎の行きつけのラーメン屋に変更。食後、プールにいって泳いできました。
1ヶ月以上、忙しかったのでご無沙汰してました。久しぶりに1キロ泳いで気分最高でした。泳いでいると窓の外から真っ赤な夕陽が見えました。あの夕陽をデジカメで撮れたらどんだけきれいか、なんて惜しみながら泳いでました。
 今日は集中講義がちょびっとだけあってました。それ以外はもう冬休みになってたんですが、なんかだら~っと五月雨式になんとなく冬休み期間になってしまった、というすっきりしない終わり方でした。
むしろ、冬休みはない、と言う方が正しいのかもしれません。1週間ほど授業がないだけで、課題も予習もどっさり与えられているので全然休み感覚になれないわけなんです。
 わたしも、要件事実の本、民法で分担で受け持った問題の答案作成、行政法の復習予習、と考えたら凄いりょうの勉強が溜まっています。あと2ヶ月後に迫った後期試験のことを考えると今からうんざりです。

2008年12月25日木曜日

あと一つ






















明日提出の会社法の課題が今年のラスト課題です。






まあちょいちょいとやりかまして終わらせます。募集株式の発行の問題です。






どっかで見たり聞いたりしたことのあるヤツです。






昨日は机で目を覚まし、民事裁判実務のテスト準備をちょこっとやってから出立。10時半からの授業で、授業の終わり30分がテストに当てられました。






1個2点の問題が30個。うち20個は単語穴埋め問題、残り10個は○×問題。






3問くらい不安なのがありましたが。ほかは簡単でした。これで前回の不出来がほんの少しだけカバーできたかも。






 その後3時間ほど会社法の課題用のゼミを。






そして夕方から博多駅前の飲み屋でゼミコンパ。結構楽しかったです。個室だったので話がしやすかったです。いつもは大座敷で他の客と混ざってやっているのでうるさくてじっくり話が出来にくい雰囲気なので、そう言う点は良かったです。ただ料理や飲み物の値段がやや高くて心配しながら飲んでました。






 結果は逆に安く上がりました。みんなが出したお金のうち、余ったお金で二次会の費用も出るほどでした。






 二次会の焼鳥屋を出たのが11時過ぎ。かなり酔っぱらってました。地下鉄のホームにはまだ大勢の客がいました。






 西新駅を出ると、スーパーがまだ営業中だったのでふらりと入って総菜コーナーで焼きそばを買ってしまいました。ほんとは熱々のうどんが食べたかったのです(記憶は定かではありませんが)。






 10分ほど気持ちよく歩いて我が家にたどり着き、パソコンを開けて見始めたところでまたしても机寝。ブログまで到達出来ませんでした。

気が付けば朝6時。まだ酒が残っているようだったので、そそくさと布団へ。布団の中でうつらうつらしてたら10時に。コーヒーを淹れてポットに入れ、着替えてローに行く準備を。とそこで昨夜買って帰った焼きそばを思い出し、電子レンジでチンしてしょぼしょぼと食べました。まだ酔いが残っていたので少ししか食べられませんでした。






 クルマを昨日ローに置いてきたので、会社法の参考書、教科書をバッグに入れ、コーヒーポットを手に提げてまた地下鉄に乗りローへ。西新駅までは歩いて12分、地下鉄は20分ほどで箱崎に着きます。そして地上に上がって約5分歩けばローに到着。いつもはクルマかバイクなので、地下鉄通学は疲れます。






ローで会社法の文献を読んでたら夕方4時半から全館停電に。きょうは工事のため1時間以上停電する予定だったそうです。






 自習室は真っ暗になり、みんな騒然となって、というか、修学旅行先の旅館の就寝時間のような雰囲気になり、妙な興奮が支配してました。






 わたしはとっとと帰宅。一旦帰ってバイクに乗って天神の本屋へ。この前チェックしておいた会社法のテキストを買いに。その本はなんと6500円もするんで、買うのをためらっていたのです。仕方なく思い切って買うしかないか、と、ジュンク堂の棚の前でその本を手に取りながらもう一度中身をさらさら見てました。






すると、なんかしら不満を感じ出しました。予め会社法の棚にあるめぼしい本を見比べていたのです。 






 結果的にその本を買うのは止めて、違う本を3800円出して買いました。






なんでその本に変えたかというと、その本は判例を重視しており、判例の分析と分類の仕方が分かりやすかったからです。






 ローに入ってつくづく判例の重要性を認識させられたので、学者の個人的見解よりも膨大に蓄積された判例をいかに手際よく分析分類するか、また、これをしてくれている本の有り難さが身にしみるようになったのです。






 ああ、また今夜も机寝なのか、でもまあいいか。今年最後ですから。


上の3枚は今日、下の3枚は昨日の出来事です。






2008年12月23日火曜日

明日今年最後のテスト
















民事裁判実務のテストが明日朝あります。この前の小テストでは悲惨な点数だったので今回はなんとしても挽回せねば。





ところが、同じく明日が締め切りの課題が予想以上に厄介だったのでそっちに手間を取られてしまい、テスト対策は今夜のがんばりに掛かっているという切迫状況にあります。





こうなったのは自分のせいでもあります。昨日久しぶりに夫婦で映画を見てきたんです。レッドクリフです。





面白くはあったのですが、ちょっと現代的すぎるところもあり、軽くなってしまったところもありました。





また、中国映画特有の型どおりの立ち回りも多く、せっかくの軍勢同士の大激突の迫力が損なわれてしまった感じもしました。





金城武は世界的スターだと感心しました。飄々として軽やかで思慮深さとか清廉潔白さが体からにじみ出ていて日本人的な諸葛亮孔明になってて良かったです。





リンチーリンさん、台湾のトップスター、あんまり美人だとは思いませんでした。





音楽は良いな、と思っていたら、岩代太郎さんが音楽監督でした。和風の響きのある音楽だなあと思ってたのが当たってました。画面と良く合っていました。





キャナルにある映画館に入ると、客は誰もいませんでした。開演時間には16人ほどになりました。





本当は課題とテスト対策で焦っていたのですが、前から女房と映画を見る約束していたのでした。





約3時間の映画。眠くなったりはしませんでしたが疲れました。





パートⅡは来年4月封切りとか。やはり見に行くことになるでしょう。










見終わって二人で寿司ランチを食べたのですが、その量の多いこと。半分食べたらギブアップ。残りは持ち帰りに。





その後ローに行って課題に取りかかったところ、短い判決文なのに論理構造がなにかおかしくてすんなり分析できず、相当イライラしました。





結局夜中の3時まで掛かって8割ほど完成。





残りは今朝起きがけにやりました。茂木健一郎はやはり正しい。朝は脳みその働きが良いです。





今夜はまたしても机寝になるでしょう。





2008年12月21日日曜日

マイコプラズマ肺炎

流行中だそうです。



20年近く前、これにやられました。正月直後でした。実にやっかいな肺炎です。ワクチンが効かないんです。



わたしの場合、熱はそれほど出なかったのですが、乾いた咳が止まりませんでした。ゲホゲホと、喉や肺が痛くなるほどの強烈な咳ではないんです。狐の鳴き真似をするときのような小さな咳が出るんです。ですが、それが止まらないんです。



あんまり咳が止まらないんで、気管支炎かなあ、なんて思いながら病院に行くと、レントゲン写真を見た医者が、すぐ入院しろ、と命令したんです。しかも、これは伝染病だから隔離します、と。なに~~~~っ???でした。



結局1週間以上入院する羽目になりました。



入院経験は後にも先にもこれっきりです。



それで、毎日朝晩2回、抗生物質を点滴注射するんです。これが実にきつかった。



なんでも、抗生物質を肺まで運ぶためには大量の抗生物質を一時にどばっと注入しなければならん、ということでした。



 この抗生物質のせいで体調が変わってしまいました。



退院後、みんなが退院祝いをしてくれて、近くの居酒屋で宴会を開いてくれたんですが、そのときに生ガキのすがきを食べたら、わたしだけ当たってしまったのです。



その晩は七転八倒、死ぬかと思うくらい腹部に激痛が走り、上から下から3分に1回出るんです。悪魔の手のようなかぎ爪でおなかを引っかき回されたようでした。一晩中トイレの中でしゃがみつつ洗面器を口元に近づけてました。



 そのとき以来、牡蠣が食べられなくなってしまいました。数年たって2回チャレンジしました。もう体調が回復しているかも、と思って。



 で、どちらも全く同じように死ぬ思いをしました。特製チャンポンの具に入っていた小さな牡蠣をたった1個食べただけなのに。



 



マイコに感染した理由は、塾の生徒からだと思います。



そのとき以来、手洗いとイソジンガーグルが必須アイテムとなりました。





400回目の投稿にしてはぱっとしない内容ですが、もともとそういうブログなので、ちょうど良いと言う気がします。

皆様、今後ともどうぞよろしくお願いします。

2008年12月20日土曜日

399回目の投稿







チリも積もれば、とはよく言ったものです。この前、300回目のときも同じようなセリフを吐いた覚えがあります。





 ロー人生活は時間の経つのが早いです。この点、昨日のコンパでわたしがそう言うと、全員同じ意見でした。本当に1週間があっという間に経つのです。




ですから、ついこの前300回に突入するとかでわ~わ~騒いでたのに、それがもう400回なんで、自分が一番驚いています。




 ブログを始めて良かったと思います。記録になるし、文章を書くという癖を付けることが出来るし、日本中の人に見られる(大袈裟な!)と思うとサボれなくなるし、わたしにとっては良いことずくめです。




 本当に便利な世の中になったもんです。昭和の頃、こんな情報伝達方法なんぞ想像すらできなかったのですから、




 やっぱり、今って21世紀なんですよ。夢の世紀にいるわけですよね、我々は。




 さっきまでパソコンとプリンタで遊んでました。DVDに昨夜のコンパビデオを焼いたのですが、表面に写真を印刷できる技を会得したのでデジカメで撮った写真をそのDVDディスクの表面にプリントしてたのです。




 ディスクに文字を印字するだけでなく、好きな写真も焼き付けることができるので、見栄えがすっごく良くなるんです。




 また一つ、賢くなりました。









 今の生活に比べると、浪人生活時代はだら~っと生きていました。起床時間が遅かったのですぐ夕方が来るのです。空しさに包まれていましたのでその夕暮れの寂しさは相当こたえました。特に塾講師を首になってからは落ち込みが激しかったです。





 小人閑居して不善を為すというのはその当時のわたしのことでした。忙しいということは有り難いことなのだ、有り難いことだと思います。




 今日はお歳暮だとか買い物だとかの用事を済ませて昼過ぎにローに行くと、いるいる、みんなやってました。勉強を。





昨夜盛り上がった連中もいました。





わたしも早速控訴趣意書についての課題に取りかかりました、が、ほどなく例の睡魔が訪れてきてしまいました。





 夕方、博多駅バスセンターの4階にある100円ショップに買い物に。セーラーのジェルインクボールペンが凄く気に入っているのですが、何故だかダイソーにしか売っていないのです。




 バスセンターの3階は長距離用の発着所です。ひっきりなしにバスが出て行きます。東京名古屋大阪に向かう発着所でもバスが止まってました。博多から東京まで1万5千円、と書いてありました。





 バスセンターには列車のホームとは違う雰囲気があります。余計に哀愁を感じてしまうんです。なんででしょう。一昔前の雰囲気があるからでしょうか。




 ちょうど今、窓の外から雨音がし始めました。暖かい雨です。
呉服町に驚くべきカフェが出来てました。ほんと、びっくりしました。おせんべい屋さんが無料で、つまり、タダでせんべい食べ放題、コーヒー、お茶飲み放題のカフェを作ったのです。
今日は忙しくて外から観察するだけでしたが、そのうち中を探索してきます。




S君合格おめでとう。




友人がロー入試に合格しました。既修です。うれしいです。知り合いが同じローにいるのは心強いものです。いやほんとに良かった。


 今年最後の授業は来週水曜のたった一コマ、これだけなら良かったのですが、その授業でテストをするんだと。それ以外に課題提出が二つ。


今週末はまたしても厳しいです。


 


今夜、クラスコンパが催されました。出席者は15人。少ないです。でもそのおかげで出席したメンバーとはかなり知り合うことが出来ました。社会人出身の学生もわたしと同じ意見でした。忘年会に出るのは義務だと。




2008年12月19日金曜日

ハムラビ法典健在

http://www.cnn.co.jp/
イランでものすごい判決が下されました。

男が交際を強要し、女から断られた腹いせに女の目に酸を浴びせて失明させたのです。

イランの裁判所は、男にも同じことをする、という罰を下しました。


イランは昔、ペルシャと言い、ハムラビ法典のハンムラビ王は今のイラク、バビロニアの王で、ちょっと場所がずれるのですが、いや~、妙に感動しました。

とにかくやることがシンプルでストレートでなんといっても分かりやすいですよね。

おかげで心のどっかで納得している自分がいるんです。

今の日本国憲法では、こんなのは残虐な刑罰として一切禁止されています(とはいうものの、それよりもっとおそろしい死刑制度は残虐な刑罰ではない、と最高裁は言ってますが)。


こういう誰にでも分かる刑罰って、良いもんだという思いが強いです。

そう言うと人権派に怒られます。亀井静香氏からも。

でも、被害者のことを第一に考えるべきです。その後に社会の安全、そうして最後の最後に、果たしてこんな刑罰を科すことが許されるか、憲法の人権尊重主義からはみ出していないか、と考えるべきです。


あの~、法律論になると急に~すべきである、というふうに『べき』論になってしまいます。これは仕方のないことですが、やはりなんだか窮屈になってしまいます。


ところで昨夜行政法で原子炉もんじゅの設置許可処分無効確認訴訟の判例を読んでいたところ、『直截的で』という漢字が判決文に出てきました。

みなさんはこの漢字をどう読みますか。


2008年12月17日水曜日

国家を肌で感じるとき


きょうの民事裁判実務、裁判官であるI先生の話を聞いていると、現役裁判官が実際に裁判をしている現場の臨場感を感じます。それはまさに国家意思の発動です。国家の持つ権力、柔らかく言うと統治権が現実に働く姿を肌で感じました。


 別に怖ろしいことをやっているというのではなく、裁判という作用もまた国家権力の行使なんだなあ、そしてほとんどの裁判官はこの権力を慎重な上にも慎重に行使しているということがよくわかりました。


 なぜなら国民の権利を国家によって剥奪、否定するか否かのぎりぎりの決定(これってものすごく怖ろしいことですよ)を日々行っているのが彼ら生身の裁判官だからです。


 翻って国家機関をぐるっと見渡すと、国家意思決定を自ら単独で行っているのは裁判官くらいのもんです。他の公務員は総理大臣からしてみんな集団的意思決定を隠れ蓑にして責任回避をしていますが、こと裁判官に限っては(単独事件と最高裁判所に限ってですけど)一人責任を負っています。


 これはそうとう辛いです。


きょうのI先生の話からわたしが嗅ぎ取ったのはそういう覚悟、でした。


まあ、ジャンルは違いますが、イチローとにているところが大いにあります。


どちらも隙を見せない、日々努力する、努力する姿を人に見せない、そして他人にも自分にも責任を負っていることを自覚しているからです。


 裁判官をべた褒めしているように見えますが、実際、これほど厳しい職業は滅多にないと思いました。


昨夜は夜中の3時半までかかって行政法の予習をやってました。興奮してその後布団に入っても寝付けませんでした。

 で、今日ロー内のネットを開けてみると、なんと授業予定が変更に!こんにゃろ~っ。

がっくりもいいとこです。

 また今夜も半徹夜か~。しかも、ゼミのコンパもやることになりわたしがセッティング担当になってしまい、場所探しに苦闘。だって24日にやるのでどこも予約でいっぱいだもので。

 好事魔多し。いや、まだ好事も来ていないのに魔ばっかしですわ。

わてほんまによ~いわんわー、と笠置静子が歌ってましたねー、って、知ってる人はほとんどいないよなあ。
写真はこの前の日曜日、天神中央公園でやってた京筑(けいちく)地方物産展、行橋あたりです。子供達の舞が良かった。このあたりでは未だに奈良時代の地名が多く残っています。
また、この写真を思い出したのは、公園の向こうに見える白い建物が、済生会病院で、美空ひばりさんはここに入院していたからです。つまり、笠置静子からひばりを連想したと言うわけです。

2008年12月16日火曜日

 いよいよ年末?















暖かくて教室内は死にそうなくらい。
今日受けた刑訴と民事弁護論はこれで今年最後の授業でした。
先生がそう告げたとき、ぴんと来ませんでした。暑さのせいだと思いました。
とても年末気分じゃないです。
 街もなんか盛り上がりに欠けるという感じ。キンキンに凍った空気の中でこそイルミネーションも映えるというものです。
今日受けた二つの授業、どちらもバッチシ当たりました。どちらも簡単な問題で、ある意味物足りないくらいでした。
 
今週末のクラスコンパ、集まりが悪いそうです。今日やったゼミのみんなに、クラスコンパに出るか聞いたところ、誰も出ないとのこと。落胆しました。
 逆に彼らは、今のこのゼミ生だけの飲み会なら参加する、と。う~む。どう考えるべきか悩むところです。
 昨夜11時頃机で寝ていたところ、O君から電話で起こされ、その後今日のための相続法の予習に時間が掛かり、布団で寝たのが3時半。うたた寝をしたせいで久しぶりに布団の中で悶々としてました。いつもは3分以内に眠り込むのですが。
 早寝早起きが一番能率的なんですが、ついつい夜の勉強の取りかかりが遅くなってしまいます。
 





2008年12月15日月曜日

専門家「?」、考古学調査で「スイス製腕時計」出土―広西 2008/12/15(月) 10:21:30 [サーチナ]



エライコトが起きました。オーパーツが発掘されたんです。
SF小説、タイムパラドックスを地でいく驚くべき事件です。

まあ、このサーチナの記事を読んでみてください。これって本当に本当のことなんでしょうか。 どきどきわくわくしました。


14日付新文化報によると、広西チワン族自治区防城港市の上思県で11日、明代(1368-1644年)から清代(1644-1912年)のとされる墓を発掘していたところ、「スイス製」と刻まれた腕時計の模造品が見つかった。関連写真:そのほかの広西チワン族自治区に関する写真  同遺跡からは10月下旬、石灰石、砂、米などを練り合わせて作った「三合土」製の大型棺が出土し、広西チワン族自治区では初めての例として注目された。  「腕時計」が見つかったのは棺室内。棺とは別に、約5キログラムの「三合土」があり、その底部の土を取り除く作業を進めていたところ、泥まみれの状態で見つかった。形状や大きさから、腕時計を模した指輪とみられている。  腕時計は外部が銅製で、針は10時6分を示している。泥をぬぐうと「スイス製」の文字が浮き出た。  専門家によると、副葬品と考えるにしても、現地には金属でミニチュア品を作る習慣はない。なにより不思議なのは時代が合わないことで、世界で初めて腕時計が作られたのは1904年で、(1918年説もある。スイス製腕時計が中国に伝わったのは、数十年前とされている。  墓の年代とは明らかなへだたりがあり、現在のところ、なぜ「腕時計」があったのかは、理解に苦しむ謎という。  「遺跡から“腕時計”」のニュースは各メディアが注目し、ウェブサイトにも次々に掲載されている。写真は古美術や文化財の専門サイト、中国文物網が掲載した同記事。(編集担当:如月隼人)











2008年12月14日日曜日

初めての投稿

ちょっと失敗しました。

実は先日絶賛したオフィスワンノートというソフトの機能の一つに、ワンノートに書いたものや画像を

ブログに送れるというので試行錯誤したらこうなってしまいました。

文字は送れるのですが画像は出来ないみたいです。出来るのかもしれませんがやり方がわかりません。

どっちにしろ便利であることには間違いないんですが、より便利にしたいという欲求が納まらないので。


ひと目でわかるMicrosoft Office OneNote 2007: 紀伊國屋書店BookWeb

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4891005416.html

画面の領域の取り込み日時: 2008/12/13 9:53



2008年12月13日土曜日

日中韓首脳会談イン福岡



上の写真が私が撮ったやつで職務質問と写真消去を要求されたもの、下の記事は西日本新聞のネット記事。比較してみてください。

久しぶりに職務質問されました。10数年前、以前箱崎に住んでいたとき、夜9時頃、スーパーからの買い物帰り、歩いていると不気味なセダンがひっそりと後ろから付けてきて、中から一癖有りそうな30代の男たちが降りてきてわたしに向かってきたので、てっきり因縁を付けに来たやくざかと思いきや、私服警官で、近所で下着泥棒が出たので不審者を捜してたんだと。失敬な。かつまた、そっちこそどうみても警察に見えない、夜道で声かけられたら正当防衛が成立しそうなくらいやばそうなくせに。




で、今回は千代交差点付近の四つ角で。




各国首脳の乗った車列を人目見ようとしたのですが一足遅かった。




警戒中の警官に聞くと車列は通り過ぎたと。




あ~あ、と思いつつバイクを走らせようとしました。ところが道路は大渋滞。なんで?もう要人たちは大宰府に行ってしまっていて道路封鎖は終わっているはずなのに。




で、ちょっと先の西部ガスビルの四つ角に行くとそこにも大勢の警官がバリケードとか検問体制を敷いていました。




しかもそこを守っているのが大阪府警からの応援隊。




これはいったい何だ?えらく大がかりではないか、とますます訳を知りたくなって、とりあえずブログ用に写真を撮っておこうと、交差点を越えたところでバイクを止め、デジカメで交差点の様子を撮りました。




するとだれかが大声でおらぶのです。そしたら道の向こうで交通整理をしていた大阪府警の警官がさぁ~っとこっちに渡ってきて、バイクを道の端に止めなさい、と。


喜んで応じました。こりゃ面白い、と思いながら。

その警官は『なんで写真を撮るのか』と聞いてきました。

それでわたしは『何で撮ったらいかんのか』と聞き返しました。
すると『困るんですよ』と。

『何が困るのか』と返すと、
『警備の様子を撮られるのは困るんです』
『私はこういうものです』と学生証を見せると『免許証を見せてほしい』
『どうぞ』
『Aさんですか、名前を控えさせてもらいます』
『どうぞどうぞ』
『写真を消去してください』
『自発的に消去しますよ』
『』
『』、、、、




と続きました。全部で3分間ほどだったでしょうか。
しかしねえ。消去するかしないかはこっちの勝手なんですよ。
ただまあ、警備の警官の顔が載ると本人も困るかもしれないので今回は自重しておきます。
そのかわりもっとおとなしい奴を載せておきます。
と思っていたのですが、さっき西日本新聞のネット記事を見ると、堂々と検問の写真を載せてるじゃないですか。どーゆーこと?また、テレビは見ていませんが、きっとニュースで物々しい検問の様子が流れますよ。
そうだとすると、なんでわたしが撮った写真を消去しなくちゃならないんですか?変だと思いませんか。あ、清水寺の今年の漢字でした、変って。
消去を正当付ける唯一の根拠は警戒中の警察官のプライバシー、肖像権だけです。ほかに写真撮影禁止を根拠付ける公法は有りません。
警察官らは新聞には自分の顔が載るのを許可しつつ、わたしの撮影だけは許可しないと言えるでしょうか。
 たしかに間近でアップで撮影すればそのような理屈も通ります。肖像権は個人の権利ですから。
けど、上の写真を見てください。警察官の顔写真を撮ろうとして撮っているように見えますか?警察官の顔がまじまじと写っていますか?
ないでしょ。誰がどう見ても組織としての警察が検問している様子を撮っただけで、警察官の顔を撮ろうとして撮ったようには見えないはずですし、また、警察官の顔も見えません。
だって当時の交差点の状況を撮影しようとしてそのように撮っただけですから。
要するにあまりにも過剰警備ではないかと言いたいんです、わたしは。
さらに、交差点の状況を撮影する行為のどこに、警職法2条の職務質問の要件である、不審事由がありますか?どこにもありませんよ。あるはずがないじゃないですか。他人のプライバシーを侵害するストーカー行為じゃないのでそもそも不審な行為ではないからです。
う~ん。こういう記事を書いているとだんだん熱くなってきました。もうちょっとだけおつきあいください。
 もっと言うなら、野次馬が交差点に数百人いてみんなで検問を写メしたらどうするおつもりですかいな、警察は?
 この前天皇皇后両陛下が福岡に来られたとき、車列が交差点を通ったとき、写真を撮った人はみんな職務質問されたのでしょうか。そんな馬鹿な話は聞いたことがありません。
 結論、警察のやり過ぎ、です。
わたしはこういうのに怒りを感じてしまうんです。




しかしまあ、あんまり面白い対決ではなかったです。

もっと警官が大勢来て私を取り囲んで難癖をつけるのではないかと期待していたのですが、たったひとり、しかも私の免許証を書きとめるとわたしがもっと話そうとしてたのを振り切ってさっさと持ち場に帰ってしまいました。




 話が大きくずれてしまいましたが、わたしの謎は依然解明されないままでした。なんで未だに道路封鎖をしているのか。




 で、もうしばらくその交差点に立って(今度は写真を手に持たずに)2分ほど様子をみていました。さすがに見ることまでは規制しようとしませんでした。




すると、ようやくわけがわかりました。




 右翼の街宣車が町の中心部に入ってくるのを防ぐためだったのです。




街宣車が中心街に入る道(明治通りと言います)に入ろうとすると、拡声器で警官が何かを叫びます。すると持ち場にいた警官たちが蛇腹のようなバリケードをさささーと道の真中まで広げて車が通れないようにするわけです。




 わたしが立ってた5分ほどの間に4台ほどの街宣車が入り込もうとしていましたが、ことごとくブロックされました。中の一台は大型スピーカで何か文句を叫んでいました。




 中国の首相が日本に来るとこういうのが集まってきます。




こういういたちごっこをやってたせいで街中交通マヒに陥っていました。
このあとローに向かったのですが、どんなに狭い小さな道にも警察官が配備されていました。蟻の入り込む隙間もない、という表現がぴったんこでした。




と、ここまで若干批判チックに書いてきましたが、本当はこの首脳会談を大宰府の国立博物館でやるのは超大賛成です。大ヒットです、麻生さん。

なぜかというと、福岡という場所をグーグル地図で見ればわかるように、福岡は3カ国のちょうど中心にあるんです。そして国立博物館に行ってみてよくわかったのですが、あそこはまさにこの3カ国の文化文明の共通性と独自性が見事によくわかる場所なんです。




文明文化は決して単独では成立しない、相互に影響し合って生成発展するものだということが直にわかる場所なんです。




 つまり、この3国ははるか大昔から大スケールで文化交流してきた、ということが肌でわかるんだ、下らない政治家どもの腹の探り合いなんかは歴史から見るとちっぽけなものにすぎないんだ、ということが当の三人の首脳たちにも分かるんじゃないか、というわけです。まあ無理かも。

むかしむかし、京都でエリザベス女王夫妻、鄧小平、フォード大統領を見ました。今回も期待したのですが、残念でした。




2008年12月11日木曜日

ノーベル賞授賞式


 晴れがましい式でした。日本人としてとても誇らしい思いです。ノーベル賞授賞式会場で日本語によるアナウンスがなされたとき、その思いはピークに達しました。


また、シカゴの南部先生への授賞式では、こじんまりとした式にして欲しいと先生はリクエストされたそうで、その謙虚さがまた賞賛の対象となったようです。


 思い起こせば昭和50年代、京都大学理学部あたりをあの先生達がうろうろしていたのかと思うと、ノーベル賞をとても身近に感じます。ひょっとしたら近所の喫茶店か生協食堂ですれ違ったかも。


 京大理学部は本部敷地と今出川通りを隔てたところにあり、平安時代、鳥辺野といって火葬場があったところです。わたしが学生時代キャンパス内で発掘作業をしていました。理学部一帯には幹が太くどっしりとした木々が生えていて静かで落ち着いたたたずまいでした。


 以前にも書きましたが、ノーベル賞を取った福井謙一先生のご自宅のすぐ側の下宿に住んでいたことがあります。受賞後、先生が作業服みたいなのを着てふらふら散歩しておられたのを見かけました。


 ストックホルムでの授賞式やパーティを見るとほんと、京都をなつかしく思い出してしまいました。


 今日、大学の情報基盤センターに電話すると、簡単にオフィスのダウンロードができるようになりました。めっちゃくちゃ嬉しいです。ただ余りの忙しさで今日は出来ませんでした。明日トライします。


 今日の民法、債権譲渡担保。かなり難しかったです。授業で出てきた判例の数は10個くらい。理解して整理して整合性を考えるのが大変です。おまけに破産法と動産・債権譲渡担保法の理解が不可欠なので、頭がぐちゃぐちゃになります。それでもクラスの大半の学生は見事に授業についてきてました。




来週、クラスのコンパをやるということで、参加者を募ってました。プロデュースしたのが若い学生でリーダーシップのある良いヤツでした。ただ、参加者がすくないみたいで、授業前教室で大声で参加を呼びかけていました。


 わたしは彼をものすごく尊敬し、かつ彼の行為に大いに感謝します。みんなの気持ちを一つにしようとするイベントはとても重要だと思います。わたしのいるクラスはだんだんグループごとに集団が分化してきつつあるとともに、一匹狼みたいな学生も結構います。


 灘やラサールが優れているのは勉強ばっかりやる集団だけではないところです。趣味や特技、遊びをこなしつつ東大に受かるところが凄いのだと思います。


もっと言うと、単に東大に受かることしか考えていない他の受験校と違い、受かった後何になるか、何をするかまで考えているところが凄いんです。


 同じようにローも弁護士になって何をするかを入学する前からすでに決めていなければなりません。単に勉強マシーンだけではまともな弁護士にはなれないと思います。よく遊びよく学び、社会を知り、知的好奇心を常に刺激し続けなければならないと思います。


 今のクラスに関しては、そういう点で若干物足りない思いがしています。福岡以外から学びに来ている学生で、福岡や九州のことをもっと知りたいと思っている学生はわずかしかいません。ひたすら勉強勉強です。


やらなければならない勉強量がものすごくたくさんあるのは承知しています。わたし自身ヒーヒー言ってますから。


 それでもほんのちょっとの空いた時間を利用して街を探索してみよう、と思ってほしいんです。


 学生達は睡眠時間以外のほとんどの時間、勉強しかしていません。わたしは、正直これではいけないと思います。
というわけでコンパに参加することには大事な大事な意義があるのだ、なんちゃって。

写真はオフィスワンノート。傑作です。
 




 

便利なソフト

マイクロソフトのオフィス2007を偶然開いたところ、知らないソフトが目に入ったので開けてみると非常に面白くて役に立つソフトなんでうれしびっくりでした。
それはオフィスワンノートというソフトです。単品で買うと6000円位します。
で、なんでも入れ込める便利なノートファイルなんです。書き込み方も貼り付け方も自由自在、で、自分がどこにどんなノートを書いたかすぐ分かるし、色遣いがとても良くてウキウキするような感覚になります。とにかく便利。こういうファイルが欲しかったという願望がそのまんま実現したみたいな感じです。
 ただ、これは大学がタダでくれた2007にしか入っておらず、春に買ったノートパソコンに入ってた2007の中には入っていません。そういうわけで自宅のデスクトップには入ってますがローのノートパソコンには入っていないのです。
 何とか出来ないものか、明日大学の情報基盤センターに問い合わせてみるつもりです。
 もっとも今はそんなことをやってる場合じゃなく、民法憲法行政法の予習で非常に時間が逼迫しております。民法は債権譲渡担保という真新しい分野、分かり難いです。憲法はまたしても判例の読み込みが行政法はもっと凄い数の判例が待ってます。
一体どれほどの数の判例を読み込まなければならないのか、皆さんにお示ししたいのですが、数えるのも億劫なくらいです。

今週は、ローの先生達が相互に他の先生の授業を見て評価するということで、教室内の後ろの方に別の先生が座って授業を観察してます。そのため
授業も普段と違う、借りネコ状態になってます。緊張感がこっちにまで伝わってきます。わかるわかる。
わたしも塾で教えてたとき、しょっちゅう模擬授業をやらされました。塾のお偉いさんや他の教師達が生徒の席に座って、わたしが普段やってる授業を見せるわけです。辛口の批評がばんばん来ます。おかしかったのは教師経験のないお偉いさんに限って抽象的で的を外した批判をするのに対し、ベテランの教師はちゃんと正当な評価をしてくれたことです。
現場で実践した者しか分からない悩みやコツがあるんです、教えることには。
 そういうわけで、今週の先生達が受けているストレスは想像以上のものだと思います。おかげで進路が進まず、どの授業もわたしが当たるはずの問題まで到達しないまま終わってしまいました。

2008年12月9日火曜日

怖ろしいリストラ


トヨタもソニーも大量に契約社員の首を切りまくっています。大学新卒者の内定取り消しも。

まったく酷い話です。トヨタでは会社の寮に住んでいた契約社員の首を切る際、今日から3日以内に寮から出て行け、と言われたそうです。たった一言で衣食住すべてを奪われたのです。

フザケンナ!ですよ。一体人間をなんだと思っているのでしょうか。

やっぱり企業は冷酷です。ただ、労働者も自分の身を守ることを怠っていたと言えないこともなさそうです。

わたしが13年間勤めていた九州最大の学習塾でも労働組合のろの字すらありませんでした。そのため経営者一族の好き放題な斬首が横行していました。

けれども労働組合を結成するとなると猛烈な圧力がかかります。結局発起人だけがひとり貧乏くじを引くことになり、ほかの社員は見て見ぬふりです。

 お隣の韓国では正反対に現代自動車なんかしょっちゅう暴力的な労働争議が頻発してます。

 日本はおとなしすぎ、韓国は激しすぎ、とどちらも極端です。でも一番良くないのは人的多数である労働者が団結することをサボっていることだと思います。ネコには鈴を付けなければならないのです。企業に良心なんかありませんから。

 明日からホームレス、ワークレス、マネーレスにさせられる人たちは本当に悲惨ですよ。

麻生さん、こういう人たちを助けないで他にどんな仕事があるんですか。ホテルのバーで飲んでる場合じゃないんですよ。福岡出身なら中野正剛や緒方竹虎、広田弘毅を見習え、と言いたいです。

 

ところで昨夜はまたしても机寝。気持ちいいんです、これが。半徹夜したのですが、結局わたしにまで番がまわってこず、来週に持ち越しになりました。

 

時々載せる、アヒルの八百屋さん。今日も見ました。ほんと、アヒルは可愛いです、見れば見るほど可愛くなります。しかも自分一人で勝手に遊ぶんです、歩道で。

それで今日ハッと気づきました。この八百屋さんの所在場所の名前が鳥飼

(とりかい)だということを。

頭が飽和状態




明日の授業二つはどちらも辛いです。必ず当たる上に予習範囲がどっちも膨大なんです。刑訴は①ロッキード事件②公判前整理手続③悪性格立証、民事弁護論は民事保全法全体。


それで、公判前整理手続についてイマイチ掴めていなかったため昨日刑事弁護という季刊雑誌をコピーしたのですが、条文の趣旨がバシッと書いて無くて困っていたところ、その中にチラッと実務家(つまり検察官のこと)は法曹時報の解説で動いているから、、、、、という記述があり、ならば、と今日の夕方ローの図書室に行くと、置いてなく、中央図書館ならあると言われて訪ねてみました。


 地下室に入っていくと、まるでインディジョーンズの世界。古くて暗くてかび臭くてとうに役目を終えた本達のカタコンベのようでした。こんなところにわずか3年前のまだ新しい雑誌が置いてあるんだろか、と疑ってた所、古本(失礼!)に囲まれて真っ白な新しい雑誌たちがベテランの中のルーキーのような初々しい風情で置いてありました。


中をぱらっと見ると、ずばり的中。ものすごく丁寧にきちんと条文の趣旨とか具体例などが書かれていました。


ただ、ただね~、全部で200ページ以上あるんですよ。仕方なく全部コピーしました。汗びっしょりかいて。


しかもそれを明日の午後までに読まないと。


いやマイッタ。

2008年12月7日日曜日

篤姫







泣きました。別れ、って切ないですねえ。人は別れることからは逃れられないんですね。




ことしの大河ドラマは今までで一番品がありました。話し方がゆったりしてて、日本語の美しさが際立ちました。ゆっくり話すことの価値がよくわかりました。




惜別の思い。この感情を知ったのは幼稚園の頃です。とにかく夕暮れ頃になるとさみしくて悲しくて一人ぽっちで切なくなってよく川を見に行ってました。




わたしだけ親兄弟と離されて、日田に住んでた祖父母の家に預けられていたのです。今思えば一番つらかったのはやはり母親と離れ離れにさせられたことです。




 幼くして寂寥感を知ってしまったわたしは人恋しい気持ちが強くなると同時に逆に孤独も愛してしまうというアンビバレントな性格になってしまいました。




 今夜の篤姫のように自分のまわりの親しい人たちが次々に離れていった際彼女が味わった寂しさには強く共感しました。セラヴィ。
母親で思い出しました。母方のじいさんのそのまたじいさんは薩摩藩の殿様の剣道師範だったそうです。むかしむかしにばあちゃんが話してくれました。






今日は福岡国際マラソンの日。外に出て応援したかったのですが予習と宿題に追われて無念。



ところが、ローに大事な忘れ物をしたのに気づき、夕方バイクで取りに行くはめに。冷たい空気の中をバイクで走るのはこれまた爽快です。キリリっと引き締まった大気を顔に受けると気持ちよいです。昨日からの雪模様も収束し、夕方には澄んだ青空にお月さまと金星木星が大きく輝き、西の空は広重版画の藍に染まって、きっと江戸時代の旅人もこういう夕景色をどこかの宿場町の道端で見てたんだろうなあ、とバイクで走りながら遠くに思いを馳せてしまいました。

2008年12月6日土曜日

雪だ!寒い~


冬を実感しました。昼頃ローに行きましたが、自習室の自分の机に座ってるとどこからともなく冷気が押し寄せてきて、真冬用のフード付きコートを着込まざるをえませんでした。わたしの机は自習室の真ん中にある階段に近いのでそこから冷気が入ってくるのでしょう。


昨夜は久しぶりに布団で寝ました。でもなんとなく違和感を憶えました。寝ようと思ってちゃんと寝たからかも。いつもは机で知らぬ間に寝込んでますんで。


 午前中降り続いた雪も昼頃には小降りになりました。でも山は真っ白に化粧してました。

内心、雪模様を写真に撮りたくてうずうずしてました、けど来週の予習の準備をしてたら凄い量の勉強が必要だと気づき、こりゃいかん、ローで勉強しなくちゃとかなんとかぐずぐずしてる間に本降りだった雪が小降りになってしまい、凄く残念でした。

昨日の夕方プールで泳いだ後、汗が引かないまま下着を着てしまい、じっとりと濡れてしまったので、そのせいか今日は咳が止まりませんでした。体質的に、一旦汗をかき始めるとなかなか引いてくれません。でも中にはスポーツクラブから出るとき完全防備でダウンジャケットもなにもかも全て着込んでいる人がいます。信じられない思いで見ています。わたしは出来ることならいつも下着のシャツだけで外に出たいくらいです。

汗っかきといえば、学生時代にはかなり得をしました。というのも肉体労働のバイトが多かったので、びっしょりと汗をかいていると凄くまじめに働いているように見えたからです。

 

民事保全法を一日でマスターしなければなりません。また、刑訴の公判前整理手続も。さらに要件事実も行政法も。

2008年12月5日金曜日

時雨


寒さが心地よいです。今日は一日中激しい雨が急に降ったりやんだりしました。

 昨夜また机寝してしまいました。行政法の予習をしてると、窓の外でびゅーびゅーと雨交じりの凄い風が吹いてていかにも寒そう、けれど勉強部屋にはオイルヒーターがじわ~っと温熱を発してくれていてほんわりとあったかい、それで気持ちよ~くなってきて、がくっ。

目が覚めたときは朝5時になってました。

今日は取消し訴訟の原告適格のところ。前期でもやりました。そのときは路頭に迷っていました。なにがなんだかさっぱり分かりませんでした。わからないのに判例をがんがん読まされて嫌になりました。

 今回は大分理解が進みました。授業レジメも整理されているので(前期と違う先生です)判例の理解が容易になりました。

 一皮一皮むけていく感覚です。ただ、授業中判例の事案と判旨を当てて言わせるので、当たった人は大変です。とりわけ小田急事件の判旨を言わされたらとんでもないことになります。今日その小田急事件の判旨を言わされた女子学生はおよそ5分近くの間延々と判旨を言うのに格闘していました。先生は助けてくれません、傍観しています。その女子学生はちらっと半泣きになってました。

 

憲法の先生、女っぽい仕草をしますが、突っ込みは厳しいです。ほとんどの学生はまじめに予習してきてます。判例時報とかの判例集を図書室でコピーしておき、がんがん読み込んでます。

行政法も憲法も判例の読み込みが大変です。百選に載っている判旨は端折りすぎていて役に立ちません。

 

夕方6時10分、一週間で一番大変な一日が終わり、みんなホッとした顔になります。もちろん、すぐさま自習室の自分の机に戻って勉強する人もいます。また、ゼミを組んで始めるグループも。生協の食堂にぞろぞろ行く連中も。さっさと市外の自宅に帰る人も。

わたしはプールに行きました。900メートル泳いだところ今度は右足裏が攣ってきたので、終了。体から毒素が出て行ったみたいに爽快でした。

2008年12月4日木曜日

冷たい雨に打たれて







街をさ迷ったの、、ではなく、民法の先生の質問に対してわたしの答がさ迷ったのであります。





予期せぬ質問にうろたえてしまったわたしはあーだこーだを繰り返しながら、結局正解を答えることが出来ず、1回戦敗退という無惨な姿をさらしてしまいました。





土砂降りの中をうなだれながら帰ってきました。





でもこれでいいんです。合格し、実務家に必要なスキルを手に入れることが目的なんですからいくらでも恥をかきますよー、だ。





うむむ、、このセリフって前にも書いたような、、、、





つまり進歩してない、っちゅうことですか。








さあ、明日金曜は1週間で最もハードな日です。大の苦手行政法と憲法、この憲法の先生は前半7週と後半7週で先生が替わります。後半の先生はどんな質問をぶつけてくるのか予測が立てにくいので予習に苦労します。




昨夜はプール疲れで机寝してしまいました。多分今夜もそうなるでしょう。
写真は晩秋の阿蘇、阿蘇神社門前町に水基といってどの店の前にも湧き水がわき出ている一角があり、馬肉コロッケ『馬ロッケ』なんかが売ってます。
また、湧き水で淹れたコーヒーが飲める喫茶店も。一度飲んでみたいです。











2008年12月3日水曜日

プール







久しぶりに泳いできました。




箱崎にアクトスというスポーツクラブが出来、正会員が月5900円とかなり安かったので申し込んだわけです。




プールの水がものすごくきれいで、お客さんもほとんどおらず、貸し切りに近い状態、しかもプールサイドにわたしの好きなミストサウナまで付いています。




全部で7コースあり、かなり広いですし、採光も十分で明るくて開放感があります。




 気持ちよく泳いでいたら600メートル泳いだところで左足の太ももが攣ってきました。




ジャグジーに移って攣ったところをもみほぐしました。




 やはり運動は大事だなあ、と実感しました。頭の動きも良くなった感じがします。




 明日提出の手形の課題、今から書き上げなければ。そして明日朝早く起きて民法の予習も。週末が一番大変です。




きょうあった民事裁判実務、ほとんど先生の解説授業でした。肩すかし気味でした。楽でしたけど。



この授業には上級生で優秀な学生が二人ほど受けています。彼らは去年この授業の単位を落とした人たちです、優秀なのに。わたしはてっきりモグリで今年もう一度聴講してるんだとばかりおもっていました。それくらいデキる人たちが落としてるんです。なんでだろ?




 わたしはハッと気づきました。民法や民訴が出来ている人ほど落とし穴に落嵌りやすいと。というのは、要件事実の大半は、書き方、書きぶり、書き分けなんです。しかもその書き方マニュアルが厳格なんです。ちょっと逸れたり余計なことを書くと零点です。ですから書式に力を注がねばならないのです。民法的な法律関係の解読に力を注いではならないということです。民法が得意だとついそっちに頭が行ってしまうんです。




 



 昨日の夕方、民事弁護論の先生にCDを渡しました。先週講演したI弁護士の録音を焼いたものです。この民事弁護論の先生が講演会をセッティングしたので、ご自分のライブを記念に渡してもらおうと思ったためです。




すると先生はとてもとても喜んで、『ありがと~!!Aさん!わたしも良い講演だなあ、これをとっとけたらなあ、と思っていたんですよ。是非I先生に渡しますよ、きっと喜んでくれます。』と言ってくれました。




 さすがだなあ、社会人のあるべき姿ここに見たり!でした。こんなふうに喜んでいただいたお陰で渡したこちらの方が逆にありがたい気持ちになりました。



2008年12月2日火曜日

虚脱




きょうローに行き、ゼミ仲間や友人達と話すと、ほとんどの学生が先週金曜に受けた行政法の中間テストの後遺症でヘタッてました。


わたしだけじゃなかったので安心しました。優ばっかりとってる学生は、その症状に試験自体の出来が不調だったのと風邪が長引いているのの合併症でへたり方がすごかったです。


 明日はいよいよ民事裁判実務で要件事実の授業、わたしが当たるのは確実です。それなのに要件事実の本があまり読めなくて相当不安です。


 したがって例の『早く寝る、寝る前に難しいところを読んでおく、分からないまま寝る、翌朝4時に起きる、起きてすぐ分からなかったところを読み直す』作戦を断行します。














また、風邪でダウンして休んだ学生、無理してローに来ている学生が多いです。