2009年5月25日月曜日

リンゴからオレンジへ







今年に入ってほとんど毎日食べていたリンゴですが、とうとう季節が終わり、最近ではおいしくないです。香りも味も落ちてしまいました。また、割ってみると中は赤く変色していたり、シブい味のするモノまで。



仕方なく昨日オレンジを買いました。せめてすがすがしい香りだけでも楽しもう、その代わりきっと酸っぱいだろうな、とあきらめながら。



で、今日の紛争調停技法の休み時間に食べてみたところ、これがまあ甘いのなんの。すっかり気に入りました。



今日はその調停技法2コマ連続授業の前に、隔週ある刑事弁護という授業でまたまた不意を突かれて当たりました。先々週、40分近く質問をぶつけられたので、まさか今日はないだろ、と完璧に油断、というか、居眠りをしてました。と、突然この前のデジャブが。わざわざマイクまで渡され、9分くらいしゃべらされました。



わたしの話法は、ショートアンサー主義です。結論しか言いません。それには訳があります。昔塾で教えてたときに学んだことです。先生が生徒に質問するということは、その生徒の学力を試すために聞くのではない、ということです。その生徒と言葉のキャッチボールをしあうことでクラス全体に理解をさせようとするためです。



いわば当たった生徒は先生の授業の道具の役割を担うわけです。そしてクラス全体がよりよい理解をするためには推理的要素が必要です。つまり、なんでだろう、という理由を学生に考えさせることが重要なんです。



そのためには、先生が質問したら、当たった学生は答だけを言うのが一番です。なぜなら、学生が答しか言わないとき、先生は当然『なんで?』と聞き返すわけですが、そのとき他の学生達も自分の頭の中で、なんでだろう、と自ずと考えるからです。先生の狙いはそこにあるのです。



まあ、餅つきのような息の合った掛け合いが出来たら先生としてはウレシイ限りです。



それが逆に答を言う前に先に理由から言い始めるとテンポがガラガラっと崩れてしまいます。理由って言い始めたら結構長くなるでしょ?それで先生がイライラし始めるのです。



ですから、芸術的な回答は、出来るだけ単語で答えることです。ただ、それがどんぴしゃのキーワードだったら超カッコイイ答になるのですが、これがもしハズレたら、めちゃめちゃ恥ずかしいことになります。



今日のわたしの答え方は、60点かなあ。なにせ不意打ちを食らってとっさに気の利いた言葉が出てこなかったためかなりあたふたしたもんで。



でもクラスの他の学生達は不思議に思ったでしょう、なんでこうしょっちゅうわたしばかり当たるのか、と。わたのほうこそ一番知りたいです。




停電
















大学全体が停電だそうで、ローに行かずに家で宿題をやってました。





間に合いません。





明日朝7時にローに行ってやるつもりでいます。





夕方、女房の実家まで散歩がてらちょっと歩きました。風が冷たくてびっくりしました。とても気持ちの良い風でした、わたし、そのうち風ソムリエになろうなな。





街中でツバメが頑張っていました。どこにエサがあるんだろう、不思議です。