2008年1月7日月曜日

丙子胡乱




って知ってますか?へいしこらん、と読みます。1636年、朝鮮半島で起きました。


わたしはよく韓国メディアのHPをよく見るのですが、前からずーっと知りたかったことが最近そのHPに載ったのです。


それは、李氏朝鮮が明を宗主国としていたため、満州民族の清が台頭してきた際、李氏朝鮮は明に忠誠を誓って清と戦い、敗れてしまったのです。


わたしが知りたかったのは、敗戦国の李氏朝鮮と戦勝国の清との関係でした。


韓国メディアによると、わたしの想像を超えたおぞましい事態が生じていました。


清は朝鮮民族を60万人も拉致して中国に奴隷として連行したというのです。この事件が丙子胡乱です。


つまり、清は朝鮮民族を家内奴隷として利用したわけです。死ぬまで働かせ、殴りつけ、強姦し、殺したのです。


あまりの苛烈なる歴史にわたしはその記事を読んだ時、絶句しました。


しかも、その後250回にわたり毎回女を数十人清に献上したそうです。


なんという悲劇でしょう。連行された人々に待ち受けていたのは黒人奴隷が新大陸で受けたのと寸分違わぬ残虐行為でした。


チャングム以来、李氏朝鮮の歴史に興味を持っていたのですが、島国の日本と違い、陸続きの半島が被る悲劇のすさまじさには血が凍るばかりです。


韓国の人々の民族主義的行動発言には鼻白む思いを感じることが多いのですが、彼らの受けた悲惨さを知ると、それもやむを得ないことだなあと感じました。


ただ、韓国ではこの歴史的事実を学校でおしえていないそうです。韓国人の学者でさえアメリカでアメリカ人から韓国は自国民を奴隷として輸出する国だったと指弾されて初めて知ったそうです。


うーん。人間の残虐性の底知れ無さを知ることも歴史の勉強の一部なのは分かるけど、それにしてもこのような事実は歴史好きのわたしにとっては知りたくない悪夢でした。


え?なんでお前はそんなにわめくのかって?だって、ここ福岡から釜山までたった220㎞しか離れていないんですよ。そんな目と鼻の先で苛烈な目に遭わされてた人々がいたと言う事実がわたしを圧倒するのです。


まあ、わたしがこんなに興奮するのには別の理由があるのです。それは、姪が今度九大を受験するのに、日本史が苦手だと言ってグチを言ってるのを聞いて、歴史の勉強の方法についてついつい蘊蓄を垂れてしまったのですが、そのとき、その当時の王朝とか内閣とかを暗記することよりも、その時代に生きた庶民の生活に思いをはせることのほうが大事ではないか、今までのような受験用の歴史教育って間違っているんじゃないか、と思ったからです。


このような悲劇はこの現代でもなくなっていません。コソボ、スーダン、チベット、イラク、ああ、人の心に潜む悪魔のすさまじさよ。


それでも、いやそれだからこそわたしたちは歴史を探究する努力を続けなければなりません。それを止めたなら私たちの心の中にある獣性、悪魔性に対する防波堤がなくなってしまうからです。


つまり、わたしが不覚にもそうであったように、歴史を受験勉強に堕落させてしまうことは絶対に間違っていると言いたいのです。歴史を学ぶことは単なる勉強ではなく、人間を知る学問だと言いたかったのです。


歴史を受験の対象としか見ていないことに憤りを覚えてついついこんなに長くぐちってしまいました。


 夕方、テレビで秋田の角館(かくのだて)の雪景色が写りました。数年前に女房と東北旅行したときの目的地の一つでした。乳頭温泉鶴の湯にも入りました。懐かしく思い出しました。


ただ、食べ物と焼き物は九州に勝るものはないと思いました。