2009年2月28日土曜日

刀削麺
















渡辺通と西鉄薬院駅の間にある三角市場という飲み屋街に、中国人の料理人が出している店があります。






女房と行きました。生まれて初めて刀で削った麺を食べました。大分の郷土料理でだご汁というのがありますが、よく似ていました。意外に麺に腰がありました。スープは白湯スープで、本格的でした。それ以外に、点心も注文しましたが、エビシュウマイと椎茸たっぷりの蒸し餃子はおいしかったです。二人で1800円。安かったです。ただ、中国人の開く店らしく、サービス精神が欠けていたのが残念でした。






 今日は新司法試験の出題趣旨、ヒアリングを整理していました。法務省は新試験になって急に親切になりました。出題した問題の意図とか、採点後、試験委員達がどんな感想を持ったか(これをヒアリングと言います)、を細かく教えてくれるのです。これは裏返すとどういう答案を書けば点数が上がるか、を指導してくれているということですから、有り難いし、これを良く読むことは参考書を10冊読むよりも効果的だということです。






 ところが法務省というところは意地が悪いところもかなりあって、そういう出題趣旨だとかヒアリングをこそーっとしか法務省サイトに載せないんです。それで、第1回試験だった平成18年試験の出題趣旨を探し出すのにかなり苦労しました。それで偶然ある奇特な人が自分のサイトにそれらをきっちり纏めてくれていたのを見つけることが出来、とても楽に収集することができました。






 とにかく事細かに採点講評をしているのです。ですからどの点についてどの程度ふれるべきか、がよく分かり、今後の対策に大いに役に立ちました。












気が付けば明日から3月!!!






もう焦ってきました。倒産法、行政法、要件事実、会社法、エライコッチャ。
今日の驚き
神戸市交通局の市バス運転手の平均年収は880万円だそうです!!






2009年2月26日木曜日

入学試験







大学の入学試験前期日程が今日終わりました。受験生がぞろぞろと帰って行きました。



去年の今頃は姪っ子の入試のアッシー君になって、小雪とみぞれの混じった悪天候の中、伊都校舎まで行ったり来たりしてました。その直前まで引っ越しで悪戦苦闘しておりました。あれからもう1年。はやい!






関東は凄く寒かったそうですが、こちらは春爛漫のようで、もう暑くて仕方がありませんでした。ロー内は相変わらず空気がひどくて頭の働きが鈍りっぱなし、会社法の長文問題を読むだけでも一苦労です。



倒産法は自宅でだけやることにしました。なかなか取っつきにくかったのですが薄い入門書を読み始めたところ、すすーっと固く閉じられた門が開きはじめた感があり、もやもやが晴れつつあります。



 午後、学食で今年3月に卒業する後輩と弁当を食べながら話をしました。一番驚いたのが、予備校の模試の代金でした。3ヶ月ほど、週一回かよっただけで、なんと13万円以上かかるのだそうです。酷すぎる!阿漕な商売をやってます。残存者利益という概念があるそうです。各予備校が司法試験から撤退する中、頑張って続けていた予備校が一人勝ち状態になり、かなりの受験生がその予備校の模試を受けるようになりました。その結果がこれです。以前だったら13万円じゃなくて3万円で済んだのではないかと思います。人の足下をみた商売だなあ、と憤慨した次第です。
この前、福岡高裁の裁判官が宮崎支部に向かう高速バスの中で隣に座った女子大生にわいせつな行為をしたとして逮捕されたのですが、ついに取り調べで自白したそうです。オーマイゴッドです。自分の人生、家族の人生、被害者の人生、全てを狂わせてしまいました。なんでそんなことをしでかしたのでしょう?理解できません。彼とは昔同じ受験団体で一緒でした。ほとんど話をしたことはないんですが、時々自転車で裁判所から帰ってくるのとすれ違ったりしてました。実直な感じだったのに。逮捕されたときは、『それでも僕はやってない』と言う映画を思い出したりしたのですが。ただ動かぬ証拠があるらしく、冤罪の可能性はなさそうです。
なんとも言いようがありません。



 



2009年2月25日水曜日

簿記1級

満点を取った女性がテレビに出ていました。所さんの笑ってこらえて、です。

美人でした。この前検察修習で話した女性修習生と同じ才能の持ち主でした。

集中的に勉強することが出来るんです。一日15時間、4年間続けたそうです。

簿記1級試験の歴史上,満点を取った人はわずか3人、その中の一人になったのです。

それだけではありませんよ。彼女は歯科技工士だったのですが、歯科医院に来た女性税理士に憧れて自分も税理士になろうと思い立って、まず簿記からはじめたのですが、もっと高見を目指そう、と公認会計士試験にチャレンジすることにし、結局、4年間の勉強で見事公認会計士試験に受かったというのです。簿記1級満点合格はその途中での話だったのです。

 物の見事にシンクロしています、あの公法系で全国6位だった女性修習生と。

 勉強しかしない、毎日続ける、一日15時間の勉強を。これを才能と言わずしてなんと言いましょう。

 イチロー選手と同類の人種がこの世には存在するんですねー。参りました。

その簿記満点を取ったときに彼女が作っていたノートというのが画面に現れたのですが、さすが、でした。

 そうそう、赤壁さんと言う名前でした。レッドクリフですよ、今評判の。

それは良いとして、もの凄く刺激を受けました。春休みに入って弛んでいた気合いをたたき直すことが出来ました。ついこの前民事裁判実務で手痛い目に遭ったばかりだというのに。

あほんだらです、わたしって。

2009年2月24日火曜日

おめでとうダブル受賞




さっきまで要件事実についてコメントというか愚痴をこのブログに書きかけていました。



みなさんに何故わたしが要件事実がよく分からなかったのか、そして今ようやく謎が解け始めた、と言うストーリーをだらだらと書き殴っていたのですが、中止しました。



面白くなさそうな気配が濃厚に漂っていたので。



替わって、何故WBCでソフトバンクの松中と和田が代表落ちさせられたのか、原を批判し倒してやろうとも。



でも、今日のアカデミー賞ダブルはノーベル賞並の大ニュースですから、やはり挨拶しなければ、と、さっきまで右往左往してました。



ユーチューブでおくりびとの予告編を見ました。主題歌も。素晴らしい映画のようです。ユーモアとシリアス、生と死、悲劇と喜劇、コントラストが素晴らしいような感じです。また、山形の庄内平野がとっても美しいです。明治初年、イザベラバードという女性旅行家がたしか庄内平野のことをエデンの園と表現したのを思い出しました。


予告編を見た限りでは仏様の女性の死化粧がとても美しかったです。また、日本家屋の畳と雪見障子、夫婦で行く銭湯など、日本文化、日本情緒がたっぷりでした。


こういう日本の美しさ(儀式、振る舞い、所作、人間関係、風景、四季、)がたっぷり盛り込まれていて、世界中の人に日本の良さを分かってもらえることになりそうで、そういう映画がアカデミー賞をもらえたことは素晴らしいことです。


そしてまた、生と死という問題は全ての人間が直面するものなので、本編は究極の人類共通の普遍的映画なのかもしれません。


 でも、世俗に戻ってしまいますが、こんな世界が認めた映画だったのに、宣伝はぱっとしませんでした。マスコミだとか映画評論家がワーワー興奮してこの映画は名作だから絶対見よ、とわめいていたなど聞いた憶えがありません。


またしても海外からの評価によって初めて良さが分かる、という我が国の哀しい対外評価依存症がでたのではないでしょうか。


つまり、今度の中川大臣の大失態もそうですが、我が国のマスメディアはその社会的責任をまったく果たしていない、ドアホぞろいじゃなかろうか、という強い危惧感を憶えてしまいました。


はなしがずいぶん逸れましたが、もう少し言わせてください。ローマで中川大臣が酒を飲んでいた夜、読売新聞の記者もその宴席にいたそうですが、読売新聞はそれについて何か弁明かなにかをしたのでしょうか。第一、政治家を批判的にチェックするのが新聞記者の責務ではないんですか、ホテルで一緒に酒を飲む政治記者って欧米にいるでしょうか。記者会見場で、『大臣、あなた酔っぱらってるんじゃないの?』と訊いた記者が誰一人いない、というのは一体どういうことですか?60年前の大本営発表を唯々諾々とそのまま載せた朝日読売毎日と変わっていないんじゃないんでしょうか。


わたしが中川問題で恐怖したのは、中川氏自身についてではなく、彼の周りにいた新聞記者、テレビ取材陣のモラルの崩壊です。


はなしが完璧にずれてしまいました。もう一つのアカデミー賞、短編アニメ賞ですが、これも予告編をチラッと見ました。こちらは切なくて切なくて、胸が痛くなりました。数年前のAIという未来映画を思い出しました。スピルバーグ監督の、サイボーグ少年が母親と慕った人間の女性の面影を何千年も追い求める、という作品で、ラストのシーンはこの10年間の映画の中で最も心に滲みるものでした。涙が止まりませんでした。


 ノーベル賞と言い、アカデミー賞と言い、どちらも富士山の頂上にあたりますが、それは広くて成熟した裾野を抱えているからこその話だと思いました。日本は自然科学でも映画でももの凄く広い裾野を擁しているのだなあ、見えない部分の凄さに感動しました。
 テレビで言ってましたが、アカデミー会員はユダヤ人が多くて、外国語映画賞ノミネート作品の中で、イスラエルの映画があったので、その映画が受賞するだろうと思われていたそうです。ところがふたを開けたら日本映画に。
その訳は何だったのか、について、アメリカ人が言ってました(テレビで)。なんでもユダヤ教では死者を洗い清める儀式があるそうで、ユダヤ人から見ると、おくりびとにはすごく共感を感じたのだ、と。へぇ~っと思いました。
一説によると、エジプトに連れ去られたユダヤ人は12部族いて、モーゼが彼らを率いて紅海を割ってシナイ半島に逃げた際、10部族が行方不明になった、そのうちの1部族が日本に渡ってきた、と言われています。そのせいで日本の風習とユダヤのそれとで似ている部分がたくさんある、と言う人もいます。例えば山伏がおでこに被る六角形の形の箱みたいなものはユダヤ教にもあるそうですし、よく神社に牛の銅像が置いてありますが、ユダヤ教の神殿では牛が聖なる生き物として飾られていた、とか、神社入り口で水で手と口を清める儀式も同じだとか、ユダヤの星の形が彫られた石灯籠が伊勢神宮にある、とか、ユダヤ人は日本に来ると、初めて来日したときでもなぜかほっとする、とか、、、。
失礼しました。ちと興奮してしまいました。とにかく、おくりびと、一度見なければ。



2009年2月21日土曜日

九大移転





































今年の3月で、九大六本松校舎、教養部が閉鎖され、そっくりそのまま西区の伊都に移転します。したがって2009年度入学生はみんな伊都校舎で勉強を始めます。









姪が今度2年になって工学部がある伊都校舎で勉強することになり、姪もまた伊都に引っ越しすることとなりました。









で、伊都校舎横にある、大学の寮に入ることになり、今日下見に行ってきました。姪とその母と三人で。









途中、オーガニックレストランで昼食を摂ったとき、バイトのスタッフがきびきびしたイケメンだったので、きっとあの人は九大生よ、と姪っ子が。









そこでわたしが彼に聞くと、ビンゴ。しかも姪っ子と同じ学科で今度から修士に上がるそうです。爽やかな知性が体から発散していて、男のわたしが惚れました。ただ姪っ子の方はほとんど関心なし。男を見る目がないのかなあ、と思っていたところ、姪っ子にとって男は自分の勉強や予習やわからないところを教えてくれる便利な生き物たちにすぎないらしいです。









その後、糸島半島のど真ん中にある伊都校舎に行き、横の寮へ。10階建てのビル、250人入居できる、ワンルームタイプの完全個室、最上階とその真下の階が女子専用、エレベータでその階に上がると、さらにセキュリティーのためのカード式ドアがあって、そこから先は入居者しか入れないようになっていました。









もちろん、1階玄関でも2度、カード式ドアを通らなければなりません。つまり、女性の寮生は都合3回、カードをかざしてドアを開ける作業をしなければならないことになっています。そしてまた非常階段にもカード式開閉ドアが。









安全面では大丈夫ですが、なにせ周りにはなーんにも店がありません。買い物をしたければ、大学内にあるローソンくらいしかありません。さもなくば、クルマで10分ほどかかる、周船寺とか学研都市駅まで行かないと。









部屋の中はベッドと机でほぼ占領されていて、ほかに家具を置くスペースはほとんどありません。バストイレはユニット、ちっちゃいです。でもちゃんとしたベランダがあり、奥行きは2メートル以上もあります。ベランダ側はガラスの引き戸で、採光も良いです。勉強するにはとても良い環境です。というか、勉強以外はなにもない、と言ったほうが正確です。









現在のところ、入居者は外国人留学生の方が多いそうです。中国、韓国が多数で、ほかにはタイ、インドネシア、マレーシアなど。ヨーロッパからは一人くらい、とのこと。









国立大学の寮らしいところがありました。それは、各階に広い談話室が設けられていて、37型の大型液晶テレビが備え付けられていたこと、またその部屋には大型冷蔵庫や電子レンジもありました。また、家賃も格安、月2万2千円ほどだそうです。これは安い。別途電気代は自腹だそうですが、それでも安いです。









また、1階にはかなり広いホールがあり、ダンスパーティもできそうなくらいでした。そのホールには超巨大液晶テレビが2台も。お金の掛け方がスゴイ。1階には他に男女別々のコインランドリー室があり、乾燥機も。女子学生専用のコインランドリー室に入るにはまたしてもIDカードが必要です。男女が別々の階に住むとはいえ同じ寮内に住む以上、いろいろと難しいことがあるのでしょう。









父親代わりにいろいろと管理人さんに質問したりデジカメで撮ったりしました。









帰り際、姪っ子のおなかの調子が悪くなってきて、苦痛に顔がゆがみ、額から脂汗が出てくる始末。ところが道は渋滞。しかたなくセブンイレブンやスーパーに立ち寄り立ち寄り、トイレのはしごをしました。









聞くと朝から調子が悪かったそうです。でも昼食のオーガニックスパゲッティをバクバク平らげていたではないか、とわたしが問い詰めると、食べたら良くなるかも、と思ったからだと。不思議な理屈です。結局腹痛は夕方にはおさまり、晩御飯も一緒に食べました。おいしいおいしいと言いながら。若い、ってこういうことなんですかねえ。









この伊都校舎って、おっそろしくデカくて、国家予算がどっカーンと投入された巨大テーマパークみたいです。国内の理科系校舎の中でも群を抜く規模だと思います。









姪っ子が言うには、この巨大ビルの中には至る所に学生のための自習室があって、無線ランもすべてに配備されているらしいです。うらやましいか、と問われるなら、そうでもない、と答えるでしょう。人間のにおいが全くしないんです。ただまあ、受験前の半年くらいからだったらここに住んだら確実に合格します。勉強だけに集中するには最適な環境ではありますから。

寒いっす(昨日の書きかけなんで、飛ばしてください)

今日は風が強くて寒くて、きりりっと気が引き締まりました。

ところがロー内の温度は22度で、これはちょっと寒かったです。寒いとチョコレートとか甘いものが食べたくなってしまいます。そういうときには、マイブームになっているお菓子を口に含みます。それは森永の塩キャラメルです。これがまたエラクおいしいんです。ロッテからも塩キャラメルは出ていますが段ちに森永です。これとコーヒーがすっごく合うんです。

 今、ローでは会社法と倒産法、自宅では要件事実と行政法、という具合に場所ごとにやる科目を決めています。ただ、進みが遅くていらいらし始めています。

どうせなら一つの科目を一気にやった方が良いのかもしれません。ただ、年をとってくると熟成期間が必要な気がしてきて、休み休みやる方が理解がこなれてきそうな感じがして、どれもちょっとずつやってみようということになりました。

 ネットには役に立つ情報が、探せばいっぱいあるのがわかりました。要件事実にしても、本気で有益情報を探してみたところ、出るわ出るわ、おいしい情報をいっぱい仕入れることができました。

 そうなんだよね~。やっぱり人間って、誰かに向って自分の知ってることを発信したいんだな~。そういう私自身だってそうですもん。

 つまり、ネットという素晴らしく便利な道具ができたおかげで世界中のだれでもが何でも自由に好きなだけ発信できるんですよ。こんなスゴイこと、若いころは想像もできませんでした。一握りのマスコミだけが情報を発信できただけで、一般人はただの受け手に甘んじるしかなかったんです。しかもその受け取る情報も、マスコミによる意図的な情報選択の結果、ふるいにかけられて選別された限定的な情報だけだったんです。

ところが今では情報の発信も受信も自由です(ただしグーグルが裏で何も操作していないという前提ですが)。

これは物凄く素晴らしいことだと感嘆するとともにいくら感謝してもし足りないくらい人類にとって大きな福音だと思います。

 たとえば、昨日、ホセフェルシアーノのことを書いたので、彼がいまどうしているか知りたくなって、ユーチューブで検索したところ、それはもう出るわ出るわ(さっきも使った言葉で、谷崎潤一郎から叱られます)、懐かしい動画が山のように出てきました。しかも、関連して、私の大好きだったジリオラチンクェッティ

まで出てきて、懐かしさのあまりウルウルとなってしまいました。

 ほんと、ネットってすごいと思いました。モンスター図書館を持っているのと同じ情報収集能力です。そのうえだれとでも通信通話できるんです。

2009年2月19日木曜日

うまくいく日といかない日




昨日、学生課に行って授業料免除申請手続きをしました。案の定トラブル発生。とはいっても今年は去年の教訓という財産があるのでうまく回避できました。


男性職員が、私の提出した書類に不足がある、とクレームをつけたのです。わたしが親の扶養にかかっていないことを証明する必要があるため、わたしは親と別居していることを示す住民票、収入がないことを証明する所得証明書、を提出したのですが、そのほかにも親自身が私を扶養していないことの証明書も必要だというのです。


それでわたしがモンスタークレーマーよろしく、『去年申請した時はそんな書類はいらないといわれましたよ、現にこの去年書いた下書きを見てよ』と食い下がると、相手はちょっとひるんで、『では親御さんの所得証明書を出してください、その証明書には扶養人数が記載されていますから』と。


 最初からそう言いなさいよ、と思いましたが、わたしも一応大人なので『それなら納得しました』とやわらかく答えました。


 それ以外の膨大な親の青色申告書など、去年一生懸命兄貴が集めてくれた書類は今年は一切要りませんでした。そういうわけで若干の押し問答はあったものの去年の10分の一の労力と時間で終わりました。こういう書類仕事って苦痛なので短時間で片付いてさっぱりしました。


 あんまり気分がよかったので、ローに行ってロビーでクラスの連中と談笑していた時、民事裁判実務で落とされたことをあっさり暴露してしまいました。驚いたのは、それを聞いた学生たちがそのニュースを聞いたときの驚きぶりです。


かれらがこれほど驚くとは思いませんでした。こっちはとうに達観の域に達していたので彼らが驚いてくれたのを楽しく拝見できました。


ある学生が、『明日にはクラス中がAさんが落ちたのを知っているでしょうよ』と、言ってました。好きにして、てな気分でした。


 ローは今エアコンが故障中なので寒いです。足もとからの冷気がちょっときついです。


 今日、区役所に両親の所得証明書を取りに行くと、係の女性が、冷たい感じで親の委任状が必要だと言いました。じゃあ委任状を書くから、というと、いやな顔をしました。ここで委任状を書いては困る、というのです。委任者である親が自ら書いた委任状でなく、受任者であるわたしが書くからです。つまり、委任状は委任者自身が書く必要がある、というのが彼女の考えなんです。


 たしかに世間的にはそういう考えが通常です。およそ委任状というものは委任する人が自ら書かなければならない、というのです。


 でもそれは真実ではありません。


たとえば、親が私に向って、『お前がワシに代わって委任状を書け、ハンコも押しといてくれ』と言ったとします。それに従って受任者である私自身が委任状を作成したとします。この委任は無効でしょうか、とんでもない。委任者の言うとおりに書いたのですからこの委任は有効であり、委任状もまた有効です。つまり、受任者は委任状(わたしは~についてAに委任します、との文言が記載された文書)の作成を受任者に委託させてはならない、委託させたら無効になる、なんて法律はどこにもありません。委任者が良いというならそれでいいんです。


 ですから、受付の目の前で受任者が委任状を書いたとしても、委任者から委任状を書いてくれと頼まれていたのであれば何の問題もありません。


 もちろん、本当に委任があったのかどうか疑わしいではないか、とりわけ受任者自身が委任者の書く(はずの)委任状を書くなんて、本当に委任があったかはなはだ怪しい、と疑うのももっともです。


 でも、よく考えてください。仮にわたしがあらかじめ自宅で委任状を作成した上で区役所に来て、はい、これが委任状ですよ、と係の人間に見せたとしましょう。まあそういうケースが一般的ですよね。でも、その委任状(とみられる文書)が本当に委任者によって書かれたものだと誰が分かるのでしょうか。わかるはずはありません。だって係の人間はその文書を委任者が書いている現場を見ていないんですから。つまり、その文書は委任者がちゃんと書いた委任状、らしく見える、信用できそうに見える、というだけです。


 じゃあ世間はなんで文書を信用しているのでしょうか。それは文書に書かれた署名または捺印が本物だろうと思われるからです。つまり文書の信用性の源はサインかハンコにあるんです。だれが書いたか、は本質ではありません。


 ということは、委任状が本物かどうかを本気で(ここが大事な点です)確かめるためには、捺印文書の場合印鑑証明書が必要になるはずなんです。


 なのに、役所では他人が証明書を申請する場合、委任状は要求するものの、印鑑証明も見せろ、とは言いません。


 これは何を意味するのでしょう。それは、役所のやることはカタチだけの見せかけだ、本気ではないということです。本気で代理人かどうかとことん確かめるようなことは全くしていない、ということなんです。カタチだけ名目的に委任状を要求して、役所としては個人の情報管理をちゃんとやっていますよ、と責任回避するための儀式をやっているだけなんです。


 もしも役所が本気になって個人情報を守ろうとするなら、他人が所得証明書を申請したら、『あなたはどういう関係ですか、本当の代理人ですか、それを証明する物を見せてください、委任状ですか、これも本物かどうか確かではありませんから、印鑑証明書を出してください。でないと見せません』と言うはずなんです。


 なのに、現実は、ただのぺらぺらのだれが書いたのかわかりっこないような委任状だけでOK、しかもハンコには印鑑証明も不要なんです。ほんとにカタチだけなんです。


 そんなへのツッパリにもならない形式的な委任状提出の、形だけを死守しようとする係員に対してわたしは怒ったのです。


 ですんで、わざと『じゃあここで委任状書くから』と、彼女の目の前で書いて自分のハンコを押してやりました。


 そのうえ、去年もらって使わなかった親の所得証明書を使ってその裏側の白紙部分に委任状の文面を書いて押印して提出しました。


 そしたらその係員はむっとした顔をしました。


 その2分後、親の所得証明書をもらってお金を払うとき、その係員がわたしに『今度からは証明書の裏側を使って委任状にしないでください』と文句を言いました。


それでわたしも『どうして?』と言い返しました。


すると向こうも『証明書だから』と。


それでわたしが『自分の紙をどう使おうと自分の自由でしょ?』


とまた言い返すと、向こうは沈黙しました。


 わたしがわざと去年の親の所得証明書を使ったのは訳があるんです。去年もわたしが親の所得証明書を取っていたことの証拠なんです。ですから、それを見ればわたしが決して赤の他人でないことが分かるはずなんです。もちろん、去年委任を受けたから今年もまた委任を受けているとは限りません。


ですが、さきほども言ったように委任状自体、ほとんどまったく委任の事実の存在を証明する力はないんです。だれでも勝手に偽造できるんです。


そんな屁みたいな委任状に比べたら去年の親の所得証明書を私が所持していることの方がよーっぽど信頼性が高いんです。


 なのにそういうくだらないことでこちらをやっつけようとする係員は、心底役人根性丸出しです。つまりカタチだけを御身大事にしていて何がことの本質か考えようともしないのです。




 もともとそんな意地悪をするつもりはさらさらなかったのですが、相手の対応がひじょーに非人間的だったので、ホノホがメラメラっと立ち上ってしまったのでした。


 またこれには伏線があり、3日前に同じ窓口で自分自身の所得証明書をとったときの受付係の女性は人当たりがよくて爽やかな感じだったのです。ついそのときの女性と比べてしまったのでした。で、その時の女性は若くて所内の地位もそんなに高そうに見えなかったのですが、今日の女性は中年で、地位が高そうな感じで、わたしに話すときの雰囲気が、詰問チックだったのです。


それでカチンときたわけなんです。今まで城南区役所での応対で不愉快な目にあったのは、中央から巡回でやってきたエラソーな若い女くらいでした。


 そんなイイ感じの区役所にこんな昔風のえらそなヤツがいたので、ほかの公務員たちがせっかくいい雰囲気を作っているのになんだおまえは!という怒りもありました。


やっぱ、怒りって人間の行動の源になりますねー。知らぬ間に長々と書いてしまいました。どーもすみません。




昨日は、今年入学するS君ともお話ができ、よかったです。彼と話をして、入学前に何をやっておくべきか、をアドバイスしたのですが、改めて、やはり判例が重要だと再認識しました。


あ~あ、わたしが入学した去年、わたしのような親切過剰人間が(自分で言うか!?)先輩にいてくれたらどんなに助かったことか、民事裁判実務も落とずに済んだだろうに、、、。それは冗談ですが、何事も情報が大事だなあ、としみじみ感じました。
昨日撮った文系キャンパスの梅です。今日は大雨、たぶん明日も。雨の日にはホセ・フェルシアーノの歌がよく合います。




 

2009年2月17日火曜日

最終結果

今年の成績は、前期後期合わせて優6,良5,可5、不可1、でした。そのうち不可だった民事裁判実務は必修科目なので、来年後期にもう一度履修し直さねばなりません。
 今の心境ですが、結論としてはローの成績はまったく意味がない、と言うことに尽きます。
無意味に尽きる、と断言した直後に修正するのも間の抜けた話ですが、民事裁判実務の主要部分である要件事実については、もう一度腰を据えて勉強し直す良い機会を与えられて良かったと本心から思っています。
 この1年、ローの授業で得られたものはほとんどと言っていいほど判例の知識ばかりでした。そして新司法試験に備えるために必要な知識の半分は判例です。残り半分は条文と基礎知識です。
 ですから、1年間の授業をきちんと情報整理してまとめておけばこれほど戦力になるものはない、とも確信しました。
 ただわたしの大欠点がこれなんです。やりっ放しなんです。ですんで今のうちになんとか整理しておかなければ、とかなり頭を悩ませています。
 すぐ受かる受験生の特徴なんですよね、まとめ力、情報集約力があるって。
今流行の、東大生のノートは美しい、というのも納得します。こういうわたしでも中学時代作っていたノートはそれはもうひとに見せびらかしたくらい完璧なノートでした。あ、思い出した!中学二年の時、わたしが作った歴史の授業のノートを先生が見て、クラスの生徒全員に回し読みさせたことがありました。
 そーかー、やっぱりノートと成績とは相関関係にあるんですね。とにかく頭を整理することなんですよ、理解って。そうだったそうだった、忘れていました。
新しいことをあれこれ追い回しても実力は付かないんですよ。基礎知識をまとめて頭を整理することが一番大事なんですよね。
 そういうわけで、今日から、倒産法、要件事実、行政法、の三つを平行して整理し始めました。で、まずは自宅の勉強部屋の整理から。
 ところが、さっきメールが来てローの自習室の机の配置替えでトラブルが起きているとのこと。上級生が愚痴ってメールを打ってきました。 
 なんでも毎年もめるんだそうです。誰がどこの机ゲットするかって。しかも学年と既修未習とでどう分けるか、なんて争いもあるそうで、えらいことです。
明日ローで状況を把握しなければ、でもこっちとしてはその前に授業料免除申請という去年学生課とやり合った問題が再び起きているのでそっちから片付けなければならず、集中が難しいです。

2009年2月16日月曜日

で、行政法は




良をくれていました。いやぁ~、、ほ~~~っとしました。素直に感謝しました。これでまた不可だったらどないしょ?と心中おびえておりました。
 他には、憲法がなんと、可に転落。前期は優だったのに。民事弁護論は逆に優をもらいました。頭が痺れてしまい、頭痛でがんがんしだしたほどの超難問で、なにが問われているのかさっぱり解らず呆然となっていたんですが。
 もう、ローの採点は何が何だか訳が分かりません。ただ民事裁判実務で不可を喰らったのだけは神妙に納得しております。
 今日は一転冬に戻り、バイクでローに行ったのですが途中で後悔しました。やっぱりクルマで行けば良かった。 強風でバイクがよろけそうになりました。その強風の寒いこと!
 ローに行くと、卒業する学生達がざわついていました。卒業後も試験までの約3ヶ月弱の間ローの自習室を使えることになり、その間どの机にするか、を決めていたみたいです。彼らは今どんな気分でしょうか、試験直前の焦りとか恐怖に耐えながらひたすら猛勉強しているのでしょう。いよいよ来年はわたしの番です。




そういえば土曜、辰巳という法律系の予備校に行って無料講義を聴いたのですが、受験生がいっぱい居て驚きました。なんでも、全国で今年新司法試験を受ける予定者が1万人近くいて、そのうち2千人以上がこの辰巳がやっている模試を受けているんだそうです。
ちなみに今年の合格者数はおそらく2千5百人と予想されます。ということは、合格者は4人に1人、ということになります。
 当初は6割以上が合格すると喧伝されていましたが、ロースクール乱立によりロー生の数が増えたため合格率が下がりました。
 でも、旧試験の合格率が1パーセント以下であるのと比べると天国です。
その、無料講義によれば、平均点をとれば落ちない、と言うことらしいです。
わたしが、民事裁判実務での落胆から回復した理由の一つは、合格者の再現答案を読んで、その中身と彼の順位とが著しくずれていたからです。講師の弁護士も言ってましたが、なんでこんなひどい答案が合格答案なのか、わかりませんでした。




 ただ、その中で全国6位の答案は、内容は平易で誰でも知っていることしか書いていないのですが、コンパクトに要領よく短くまとめており、かつ各段落に表題を掲げていたり、キーワードがちゃんと書き込まれていたり、と、採点者が点をつけやすいような書きぶりでした。中身ではなく飾り付けや配置、レイアウトが大事だ、ということです。ということは今から短く解りやすく見通しの良い答案が本番で書けるような勉強をするべし、ということです。




え?それって旧試験でも言われていたことじゃないか。そうなんです。でも旧試験では問題文が短くて何を書くべきかすぐ解ったので、ついつい深~く書こうとしていたのです。ところが新試験では問題文がべらぼーに長いため、何が問題なのか自体を探し出すのがまさに大問題でして、それを探り当てるために相当時間が掛かります。また、書くべき事柄の数ももの凄く多くなりました。




そのため一つ一つの事柄について論述できる行数が必然的に短くならざるを得なくなりました。わたしにとってこれは凄く良いことです。初めっから短く書くしかないと体で納得しました。つまり深~く書きたい気持ちに強制的に踏ん切りをつけることが出来たのです。こうなったら徹底的に短くしてやります。








 そもそもわたしが民事裁判実務で不可を取った理由は、民事裁判実務のメインである要件事実という学問では必要最小限度でのことしか書くな、もしも不必要なことを書いたら減点または零点になるという科目で、わたしの性格である説明過剰癖だと自ずと減点零点を招くからです。




 本試験でも無駄な説明をいっぱい書いてしまい、流れが悪くなってしまったのです。




 ですから、これからは説明過剰癖を矯正して、簡にして要を得た短文が書けるような訓練をやっていくつもりです。
写真上、ネットでも評判になっていました。アヒルの名前はピーちゃんだそうです。
下は、三越三階にある天神バスセンター。九州中どこへでも行きます。東京までも。この前逮捕された福岡高裁宮崎支部の裁判官もここから乗ったのでしょう。その裁判官とは時々近所ですれ違ったことがあります。向こうは自転車に乗ってました。むかし大学の答案練習会で見かけたことのある人でした。彼がそんなことをするなんてとても信じられないんですが、、、。






2009年2月15日日曜日

受験生







昨日の悪夢を払拭するべく、今日はローで去年の本番の問題を分析し、解説講義を聴きました。




全受験生中6番だった合格者の再現答案を分析しました。おかげで完全に立ち直ることが出来ました。




何をすべきか、はっきり見えました。単位を一つくらい落としただけでウジウジしていた自分は受験生の意識が足りない、と大いに恥じ入りました。



おかげでやる気満々になることができました。






今日は、天神のインキューブという大型文房具店に行き、色鉛筆型のラインマーカーを探しました。



インクジェットプリンタでは、活字の上にラインマーカーを塗ると滲んでしまうので、字が滲まないようなマーカーを探しに行ったのです。



すると、意外な掘り出し物を発見しました。写真の大きな色鉛筆です。ステッドラー製で、エルゴソフトジャンボと言います。すごく良い感じです。発色が良くて塗りやすくて持ちやすくて、このペンを持ってプリントに線を引いたり塗ったりすると満足感が出ます。



 そして手前のシャープペンシルのようなヤツは、中に8色の色鉛筆の芯が入っているやつで、これも使い勝手がいいです。ぺんてるマルチ8といいます。



 買い物をした後外に出ると警固公園は暑かったです。4月中旬の陽気でした。マジで異常気象です。買い物中にじわ~っと出ていた汗がどっと噴き出しました。



これからわたしたちの惑星はどうなるんでしょうか。



 

2009年2月13日金曜日

不安がとうとう現実に

民事裁判実務、不可でした。あ~あ~あ、、、、、、、、

ショックです。ローで初の不可。司法試験の択一や論文の合格番号発表のとき、検察庁の掲示板に貼られた紙を見て自分の番号がなかったときと同じ心境に陥りました。頭から血が引いていく感触です。

やはりわたしにとって検察庁は鬼門だったのか、なんてことも浮かんだりしました。授業でも優秀な上級生たちが再履修を受けていたのがすごく気になっていました。来年後期、もう一回受け直しです。

でも、でも、でも、、考え直しました。

これはチャンスなんだと。

要件事実をちゃんと身につけることが出来るのだと思えば、負担どころか逆に有り難いことではないか、単位を落としたことなんか全く恥でもなんでもない、堂々ともう一度授業が受けられるのだ、と思い直しました。

民事裁判実務という科目は、民事訴訟法という法律の知識と、事件を訴状にどのように書き分けるか、という要件事実、の二つの領域で構成されています。

わたしは後の方の要件事実の書き方、書き分け方が出来なかったのです。

これは自分の性格が災いしています。なんでも慣れるのに時間が掛かるんです。何でそうなるのか、という仕組みや全体構造を知らないと頭に入らないんです。要件事実の思考方法が分かりかけたのは試験の直前でした。

 でも、試験には間に合わなかった、ということです。

新学期の前期には別の先生(元裁判官)の、スバリ『要件事実』という科目があります。まずはそれに出てもう一度基本を確立させたうえで、後期、再チャレンジします。捲土重来、です。

 まあ、これが本物の司法試験でなくて本当に良かった、と思いました。落ちた体験を久しぶりに実感したので春休みの勉強にもの凄く気合いを入れることが出来ました。

 とはいうものの、この発表を見た後、3時間くらいは一旦引いた血が頭に逆流して首から上がかーっと燃え上がるように熱くなり、正常な思考ができませんでした。

 しばらくして、期末試験の解答をネットから落として見ました。民事訴訟法の知識問題は10点配点でこれは満点だったのですが、その後の要件事実70点配点のうち書き方をしくじったり書き落としたりして半分も取れていないようです。

自分の弱点がモロ出た感じです。自身のないところをハッタリで押しまくる、ということが出来ないんです。逆に自信のなさがべろっと出てしまうのです。

 くどくど愚痴ってしまいました。まだ引きずっているようです。

でもまあ、これを良い経験として来年5月の本試験に繋げようと思います。失敗から学ぶことが大事、と心得て謙虚に真摯に頑張ります。

 実は先ほど書いた、前期の授業である、要件事実、去年取ろうと思っていたのです。ところが、上級生優先だから、新入生は遠慮して、と書かれた掲示板が貼られていて、わたしは馬鹿正直にもその通りに遠慮したんです。ところが実際は私のクラスでも何人かその授業に出た人がいたんです。

今思えば、遠慮なんかするんじゃなかった、と後悔しています。なんてまたしても愚痴が出ました。だめだこりゃ。

ほんと、理性が感情を抑えるって、すごく難しいです。近頃人気のお笑い芸人のセリフじゃないですが、『くやし~ですっ!』

2009年2月12日木曜日

検察庁見学





























九大と福大のロー生計23人でお邪魔しました。建物の各部屋をざーっと見せてもらいました。接見室という、弁護士と拘留中の被疑者とが話が出来る部屋も見ました。







途中から、修習生3人、ロー生3人でひと組となって、被疑者役に検事さんがなって模擬弁解録取をやらされました。







修習生は福岡全体で88人もいて、それを4つの班に分けて刑事裁判民事裁判検察弁護士事務所に分かれて研修します。







驚いたのは彼らの若さです。本当に若い。おまけに女性の修習生は相当の美人揃いで心底びっくりしました。







終わって近くのしゃれた中華レストランで懇親会。総勢45人ほど。大集団になりました。







ここでも若い修習生達がエネルギーを発散していました。ロー生は目立たなくなっていました。







わたしの目の前に座った若くてカワイイ女性の修習生と話をしていると、なんと!その子は新司法試験の公法系の得点が全合格者2200人中8番だったんだと!!







仰天しました。失礼ながらとてもそんな風に見えなかったのです。でも、これは大ラッキーだと思いました。わたしの苦手な行政法が公法系の一部なので、一体どういう勉強をしてきたのか、を根掘り葉掘り聞きまくりました。







大変為になりました。わたしがこういう勉強をすべきではないだろうか、と考えていた通りでした。その修習生がすごいのは、みんながやる答案練習を余りやらずに半年間ほとんど家から出ずに自宅に籠もりっきりで一日中勉強していたそうです。不安はなかったのか、と訊くと、不安を抱くのは損である、だからそんな無駄なことはしなかった、と。







更に訊くと、彼女の家は一家のうち4人が弁護士なんだって!!!







そういう家系ってあるんだよね~。







参りました。







 今日一日を振り返ると、彼女から話を聞けただけで大成功の一日でした。







あと、検察庁に行く前、同じクラスの男と福岡城跡を歩きました。城内では梅の花が可愛く可憐に咲いていました。うん、梅もまた良いですねー。派手さはないけど清楚で可愛らしい咲き方にしみじみとなりました。桜のような圧倒的なボリュームがなく控えめなのが良いんですよねえ。














2009年2月11日水曜日

黄砂に煙る街
















昼頃まで弱い雨。せっかくローにバイクで行こうと思っていたのに、出鼻をくじかれました。






午後になり雨がやんだのでやおら出発。と。なんだか街中がガスっているじゃあありませんか。ふ~む。これはモヤだな、でも昼過ぎにモヤが出るなんて妙ではあるなあ。なんて考えながら、ふと、それならば海は幻想的な風景になっているんじゃなかろうか、と海岸通りに迂回しました。まずまずの景色でした。






でも景色よりももっと驚いたのは、冬用の手袋をしていたら中が熱くなってしまい、とうとう手袋を脱いでバイクを走らせたのです。今までだったらとても信じられないことです。2月の中旬と言えば一番寒い頃ではないですか。






 マジ、地球温暖化が現実味を帯びてきました。我々の次の世代の人類ははたして生き残れるでしょうか。






 春休み、やるべきことが多すぎて欲張ってあれもこれもと思うと逆にどれも手が付かなくなってきつつあります。これではいかん、と、今週は倒産法に絞って突破口を築くことにしました。






 ところが明日、検察庁の見学会が。その後検事さんたちとの懇親会が夕方から。だんだん焦って来つつあります。足を地につけて、ゆっくり急ぐことにします。とにかく朝一の勉強を最重要ノルマにしなければ。

もう暑くて暑くて


ローには行ったものの、空気の悪さと蒸し暑さで早々に退散しました。


春休みが始まったばかりなのに若手がせっせと勉強していました。


途中天神のジュンク堂と辰巳に寄って欲しかった本をどっさり買い込んでしまいました。会社法の本はなんと6800円もするんです。けれども明治学院のローの先生が書いた本で、その先生は大会社の法務部長を長らく務めていた人なので、法律にも実務にも詳しく、しかもパワーポイントでまとめを図表化してくれているので分かりやすいです。やはり実務家の本は良いです。

今の気分はもう受験生です。昨年の今頃はローのことよりも引っ越しでてんてこ舞いでした。受験なんか先の先だと思っていました。けれどもあと一年で行政法と倒産法を得意科目にしなければならないと思うと身震いが出ます。
右上にある図解民事訴訟法という本は司法書士用の本ですが、なかなかの優れものです。
わたしはどちらかというと右脳人間タイプで、なんでもイラスト化、図表化、具体化しないと頭に入らないんで、そう言う本を探しまくります。最近は好みの本が増えてきて有り難いです。
そうそう、NHK爆笑学問で音楽の平均律のはなしが出ていました。同じ長さの弦を二等分すると音が1オクターブ上がる、とか、三等分したらファの音になるとか、すごく面白かったです。話のポイントは、西洋音楽が音を12の音階に揃えてしまったため多様性が失われた、というもの。
わたしが感心したのは、それを分かりやすく伝えるために、教授が音を色に置き換えて説明した点です。つまり、この世の色を12色だけで表現しようとするのは無理だ、自然界には無数の色が存在しているのだから、と。同じように音だって十二音だけじゃなくて一音と他の一音の間に無段階の音があるのだ、と。
色にたとえた瞬間、直感的に、ああわかった!と感じました。わたしはこういうのが好きなんです。勉強でもそのようなやり方をしないとすっきりと頭に収納できない質です。丸暗記がまったくできません。
というわけで、文字だけの本はもはや読めなくなってしまいました。


2009年2月9日月曜日

老い














































ばあちゃんの法事に行ってきました。春の陽気のもとで墓参りと法要と食事会。










ばあちゃんは曹洞宗でした。それで知り合いの曹洞宗のお坊さんに来てもらいました。父方は西本願寺なので、作法がかなり違っていて興味深かったです。特に感じたのは作法が厳格な様子で、なるほど薩摩の人間の好む雰囲気だなあ、と思いました。










先週偶然に女房とおふくろさんが親子で封切り中の映画『道元』を見てきてたので、坊さんにそのことを話してみたら?と女房に勧めました。そしたらその坊さんが喜ぶこと!なにせ自分とこの開祖さんが主人公の映画ですもの。しかもそんな映画を(失礼!)わざわざ見に行く人はそうはいないでしょうし、法事直前に見たというタイミングの良さも手伝って絶好の話題が提供できました。









 10年前に営まれた3回忌のときの写真が出てきて、今回と比べると、みーんな変わっていました。走り回って大騒ぎしていた子供達は大人になり、じーさんばーさんたちはもっとじーさんばーさんになり、腰は曲がり体は縮み耳は遠く目は見えず、10年という時間の残酷さにたじろぎました。哀しいですね。










 話変わって、これからの50日、自分の最も苦手とする科目をマスターするラストチャンスと覚悟して得意科目にしてお客さんが取れるような実力をつけたいと思います。




















 

2009年2月7日土曜日

油断




最後の科目、民法で大チョンボをしそうになりました。小問が三つ出たのですが、最初の小問で何が論点なのか、あまりに簡単すぎる問題だったので出てこなかったのです。というのは、抵当権という担保物権では土地と建物が同じ人Aさんの所有だったとき、土地、建物、そのどちらかでもまた両方にでも抵当権を設定したら、土地に地上権という建物がその土地の上に存在し続けられるための権利が自動的に(強制的に)成立するんです。これを法定地上権といいます。


法定地上権が強制的に作られる理由は、抵当権が実行されたとき、土地と建物の所有者が違う人になりますが、そのとき建物が土地の上に居続けることが出来る為の権利が必要になります。けれども元々土地と建物とは同じAさんが持っていたので民法はAさんが同じAさんに対して賃借権や地上権と言った土地利用権を設定することを認めておりませんから、抵当権が実行されて土地と建物の所有者が別人になったときは、建物の存立のための土地利用権が無いままになってしまいます。


そうなると、土地所有者は建物所有者に対して、オレの土地に勝手に建物を置くな、と言うことが出来て、結局建物を撤去しなければならなくなる、というとてもおかしなことになってしまうのです。


 そのため、民法は強制的に法定地上権ができる、と規定して建物のために土地を利用することが出来ることにしています。


 ということは、もしも土地がまっさらな空き地だったときに土地の上に抵当権を設定したときは土地の上にまだ建物は建っていないのですから、法定地上権を認める前提がありません。ですから、土地に抵当権が設定されたあとに土地所有者Aさんが建物を建てたときは、その後に土地の抵当権が実行されて別人が土地所有者になったときはAさんの建物のために法定地上権は認められません。


え?そうするとAさんは建物をどかさないといけなくなるの?そうです。そうなります。なんでかというと、抵当権者はこの土地がまっさらな土地だと、つまり価値が高い土地だと評価して抵当権を設定したのです。なのにそのあと建物が建ったときは土地の価値は相当下がってしまいます。これでは抵当権者にとても不利益です。ですから後から建てたAサンの建物は、どけと言われたらどかさないとなりません。


 そういう風に、土地がまっさらだった場合には法定地上権は認めることは出来ません。


 小問1はそう言う事例だったのです。ですからわたしの頭の中では、法定地上権なんか認められるわけがない、と当然のように考え、まったく無視してしまったのです。つまり、あまりにも当然なので考える必要も書く必要もない、とスルーしてしまったのです。


 それを、答案を小問3まで書き進んだときにハタッ!!!と気付いたのです。ヤッタ~!マズッター!!とあわてて自分の書いた答案に小さい字で書き足し埋め込む極めて難しいことをやらねばならなくなってしまいました。


 ほんと、冷や汗が出てました。


わたしがドジを踏んだのには理由があったんです。というのも、先生が壇上で答案におもしろ小話を書いた人には点数を上げる(正確には、かもしれないという接尾語もついていましたが)、なんてことを公言したんで、頭の中が急にそっちの方に言ってしまったのです。


 まあ、落ちる人はほとんどいないので大丈夫だし、結局はなんとか書き足したので零点になることはないでしょう。


 それにしても今回の期末テストではチョンボしかけたことがこれで2度目でした。多分、苦手の行政法と民事裁判実務のことばかりに集中しすぎたため他のことがおろそかになったのが原因です。


 来年の本番でこういう大チョンボをしたと想像すると、ぞ~っとしました。


平常心の大切さ、平常心が生まれるためにはイチローのように日々鍛錬していなければならないこと、を改めて反省反省大反省しました。


 終わってから5人で筥崎宮にある屋台、花山に行きました。みんなは行ったことがないようだったので。


この5人とは3月から会社法ゼミを一緒にするメンバーで、男3,女2,です。女性一人をのぞいて皆他県から来た人です。


みんな、せっかく福岡に来て居るんだから福岡の面白い場所を少しでも紹介してやろう、と思って連れて行きました。みんな、博多の屋台は初めてでした。


ま、連れて行って良かったかなあ、とホッとしました。


今日はこれから実家がある宇佐に帰ります。ばあちゃんの15回忌の法事があるんです。


帰ってきたらまたご報告します。  

2009年2月5日木曜日

あと1科目


なんか妙な気分です。ほとんど落ちないと分かっている科目の試験を受けるって。えっ?優を取れるように頑張れ?仰るとおりです。


でも、でもねぇ。先生達の採点の仕方がよー分からないんです。


というのは、今までの旧試験の答案練習会で、いわゆる優秀答案だったとしてもそれが必ずしもローでも優秀答案と評価されていないからです。


一体どう書けばローで優がもらえるのか、イマイチよく分からないのです。


前期試験でも、こりゃあかん、と思っていた憲法が優でした。その反対が商法です。可でした。あんだけ書いたのに。先生によって採点がまちまちなんです。しかも、おそらく自分の気に入った書き方をしないと良い点をくれないのです。客観的な採点が期待できないような気がします。


それから、実務家の採点もひどかったです。こちらは逆に形式的な要求が過剰です。もちろん実務家ですから法律をこれでもかというくらい堅く守りますし、学生にも要求します。ちょっとでも条文と外れるともの凄く減点します。


 どちらの先生達も、おそらく条文解釈とか論点掘り下げは余り好まれないのでしょう。逆に事案の分析をしっかりやって、確かにこの点はこうこうこうとプラスがある、しかし反対にこれこれとマイナスがある、だから総合するとこうだ、と事案の評価をしっかりやる答案が高く評価されるのではないか、と思われます。


 そうだとすると学者の教科書を読むのは無駄で、判例評釈、事例演習なんかで練習した方が良い、ということになります。


 実は今回の期末テスト、試しにそういうタイプの答案を意識して書いてきました。結果がどうなるか、楽しみが出来ました。


 残るは明日夕方からある民法のみ。今の気分は、盛り上がらないまま終わってしまったお祭りの後のつまらなさと寂しさ、みたいな感じです。


充実感がほとんどありません。もちろん行政法と民事裁判実務の要件事実だけは理解が深まってワンランクアップした感じがします。でもそれ以外の6科目は、なーんか微妙です。明日の民法はちょっとは担保物権の新しい考え方がわかりましたが、もの凄く役に立ったか、と問われると、う~ん~、です。


 そうなんです。結局、10月からの後期で為になった授業だったと思えるのがかなり少ないのが不完全燃焼の真の原因かもしれません。


 これでローの1年が終わってしまうのか、と思うと余計に鬱憤がたまりそうです。


 わたしが前から何度も書いたことですが、ローの授業の進め方はまことに不合理この上ないと思います。システマチックなところが全然無いのです。


計画的にその科目の修得をしていくといったものがありませんでした。行き当たりばったり、虫食い、基本を飛ばして各論の細かいところばかりやる、終わってみれば何も残っていない、そう言う授業がほとんどでした。


 なんか不平不満の大爆発になってしまいました。でも、もう来年5月が新試験だと思うと、実務家になったときに一人でやっていけるだけの実力を身につけつつ試験勉強もやる、という二本立てをあと1年3ヶ月でやり終えることができるのか、ローの授業が今のように手枷足枷という足手まといというか自分の目的にとって邪魔になるかも、と思うと、とても憂鬱になりました。


 正直、ローの授業は中途半端、どっちつかず、でした。自分の実力が上がったなあ、と実感できたのは自分で勉強したところだけのような気がします。


そう言えば我が校のモットーは『自学自修』でした。そうか!看板通りだったのか!ということは、それを知らずに入ったわたしの方が大馬鹿だったということでしょうか。


天神にある日本銀行です。立派な建物です。