2013年5月28日火曜日

薬事法施行規則が違法であるとの最高裁判決と『海賊と呼ばれた男』感想

前回、セブンイレブンの年齢確認ボタン強要行為に怒りまくりましたが、最高裁平成25年1月11日判決は、事案は違いますが、セブンイレブンのお役所的発想、形式さえ整えば足り、中身はどーでもよい、という心無い行為と同じ厚生労働省の規則をバッサリ断罪しました。
つまり、ケンコーコムという通販会社が、薬を通販で売ろうとしたところ、厚労省が、薬は対面販売でなければ売ってはイカン、という規則を勝手に作ってケンコーコムの通販を禁止したのです。
厚労省の言い分は、規則の基になった薬事法が、対面販売を禁止していると見えること、薬は薬剤師が客の顔と健康状態を見ながら販売するかどうかを決めるのが筋だから、対面販売でない通販では適切な薬の販売ができない、だから通販で薬を売るのは許さん、という規則を作って規制したのです。
これに対して最高裁は、一言、『アホか!』と一喝しました。薬事法のどこを探しても対面販売厳守とは書いとらん。それに、薬剤師は客の顔色や挙動のどこをどう観察してどう対処すべきか、についてどこにもマニュアルが書いていない。しかも、客が、薬剤師の説明を不要だと言ったらそれ以上薬剤師による説明はしなくて良い、というのが現行制度だから、今の対面販売自体、まったく薬剤師による適切な売薬行為の判断を行っていない。
つまり、現行の薬の対面販売行為においては薬剤師による観察、説明が不可欠だ、という大前提自体が全く机上の空論であり現実に行われていないものだから、そのような机上の空論があたかも現実に存在するかのように見せかけて、かかる薬剤師による観察や説明は通販で行うことは全く不可能だから、薬を通販で売ることは許されない、という厚労省の言い分は、まったくもって事実の基礎を欠き、ホラ以外の何者でもない、と最高裁は切って捨てたのです。
セブンイレブンの年齢確認ボタン強要行為も同じです。本当にセブンイレブンが未成年者に対して断じてお酒を売らないゾ、という信念を持っているなら、徹底的に年齢確認行為を客に求める筈です。客が年齢確認ボタンを押しさえすれば未成年者飲酒が防止できるのでしょうか?違うでしょ!本気で未成年飲酒を防止しようとするなら身分証明書の提示を要求するしかないでしょ。しかも一見しておっさん、じいさんと分かる大人なら身分証明もへったくれもないでしょ?未成年者飲酒防止対策には、未成年者に見える者に対して身分証明を求めることで必要カツ十分なんです。
なのに、老いも若きも誰であろうととにかくボタンを押せ、押さないとお酒を売らないぞ、しかし、ボタンさえ押せば一見して未成年と分かる者以外は売ってやる、いや、そもそも店員は客の顔すら見ずに『年齢確認ボタンお願いしま~す』とマニュアル動作をしているだけです。
このように、厚労省という役人の発想とセブンイレブンの発想は全く同じです。何が同じかって?
相手のことを全く無視した形式の押しつけをすることが同じなんです。この、相手のことを一切考慮しない、自分さえ良ければよい、と言う点が全体主義的だ、自由の抑圧だ、とわたしは言いたいのです。
だから、ボタンを押すくらいどーってこと無いやんか、と思うのはことの本質を全く認識していない大バカ者だと言いたいのです。

☆話変わって、試験後1週間経ちましたが、時間が経つのが遅くて、身をもてあましています。バイト探しを始め、そのとっかかりに、福岡の塾協会の大御所に仕事の口をお願いしました。去年その方とホテルオークラでお会いしたのですが、そのときはバイトをする時間はないと、やんわりお断りしたのです。
それ以外に、午前中は肉体労働の不定期バイトを後輩に頼んで紹介してもらおうと思います。汗をかいた方が試験のことを思い出さずに済みますから。
もう終わってしまったことですし、二度と試験を受けることはないのですから試験分析とか自分が何をどう書いたか、なんて思い出しても意味がありません。
できるならば合格を前提として、弁護士独立開業に向けた準備をしたいのですが、なにせ手元不如意なので。むしろ、忙しくしてた方が、空いた時間を有効利用しようという気になりそうで、イイコトではないかと思います。
とにかく、何かして稼ぎたいです。

☆☆ で、『海賊と呼ばれた男』=出光佐三の伝記=は、もの凄く面白く、かつ、大変感動しました。国際石油資本の暴虐振り、それに頭を押さえつけられて手下に成り下がった国内石油業者とそいつらと結託した役人、それらの巨大な権力に一人で対抗し、見事突破した男の中の男、の話です。
読みながら何度も涙が溢れて目頭を押さえました。出光さんは、福岡出身で、宗像大社を篤く信仰していたので、昔からなんとなく近しい感じはしていましたが、この本を読んでより近く感じました。
そう感じたのは二つの事実に基づいています。
一つは、出光さんの遠縁は宇佐神宮の神官の出だという点です。わたしは父の里が宇佐で、宇佐八幡宮の氏子なのです。
もう一つはわたし自身のことです。この本の後半部分のハイライトに、イランから石油を買い付けて出光自前のタンカー日章丸がイランから日本に石油を運ぶという部分があります。
当時、イランはイギリスの植民地から独立し、イギリスがイランに持っていた石油精製設備を接収しました。イギリスは怒ってホルムズ海峡を軍事的に封鎖して、どこの国もイランから石油を買えないようにしました。無理矢理突破しようとすればイギリス海軍の軍艦によって拿捕されて積み荷の石油を没収されるのです。
出光さんは、水面下でイラン政府と交渉して果敢にも日章丸をイランに出航させたのです。
当然、国際石油資本の傀儡である日本の石油業者と、英米を恐れる政府役人は出光の行為を激しく非難しました。
そして、これは法律問題にもなりました。もしも日章丸が日本に無事たどり着けたとしても、イギリス政府は、日章丸が積み込んだ石油はイギリスの所有物であり、イランが盗んだ盗品であるから、出光は盗品売買行為をしたのだとして、日本の裁判所に差押えの仮処分申請をしたのです。
この問題について、京大の田畑茂二郎教授と東大の横田喜三郎教授が対立しました。田畑さんは、石油はイランのものだから出光の言い分が正しい、と言い、横田さんは逆に、石油はイギリスのものだ、と言いました。
で、その部分を読んだわたしは、嬉しくてうれしくて、思わずオオオ~ッと大声を出してしまいました。というのは、わたしは、大学卒業のとき、この、田端茂二郎先生と祇園の飲み屋で実際にお話ししたことがあるのです。
自分が話したことのある人がこの本に登場したのを読んで、わたしはもの凄く嬉しかったです。まるで自分も歴史の一部になったかのような気がしました。
この、祇園の飲み屋というのは、あの有名な高橋和己(邪宗門)の家の家事や炊事や身の回りの世話をしたという祇園の名物女将のお店で、卒業記念に三人でその女将の顔を見に行こうじゃないか、という計画でした。
ごく普通のL字型のカウンターだけの小さな店でした。私たちが店にはいると、向こうのカウンターに品のある紳士のおじいさんが一人で飲んでました。
すると、わたしの同級生が突然その老紳士に向かって『田畑先生、ここにいるあんみつくんは先生の御著書の愛読者ですよ。』と、いらんことを言い出したのです。
わたしはそれこそ窮鼠猫を噛む、でなく、窮鼠フリーズ立ち往生、状態で、カチンカチンに固まってしまいました。だって、わたしは確かに田畑先生の国際公法の教科書を持っていましたが、一行も読んだことがないんです。
すると、田畑先生は嬉しそうな顔をして私たちの方へ歩いてこられました。そして『きみ~、ボクの本はどーだった?』と、一番恐れていたことを仰るではありませんか。
わたしは、それこそ天下一品の『しどろもどろ』を演じてしまいました。口から声がでないのです。顔は真っ赤、口は半分開いたまま、目は犯罪者のようにきょろきょろと虚ろなまま視点定まらず、この場から消えてしまいたい一心でした。
すると田畑先生は『そーかそーか、よしよし、女将、この学生たちにビールをご馳走してやってくれ』と仰いました。わたしはうつむいたまま、顔を上げることが出来ませんでした。
そのような田畑教授がこの本に登場したのです。しかも、出光を支持する意見を言ったのです。懐かしくて嬉しくて、またしても涙が溢れてしまいました。
東京地裁は、出光の勝ちとしました。
この本を読んで改めて知ったのは、イギリスがこれまでどんだけヒドイやり口でイランから石油やイラン国民の財産を強奪してきたか、イギリスの極悪非道振りが尋常でないことです。それに乗っかるように米国もソ連対策にイランを利用しました。
第二次大戦後、民族自立によりイラン人政府が樹立され、イギリスの資産を接収したので、イギリスと米国は金を使ってクーデターを起こし、英米の傀儡政権であるパーレビ国王を君主にして再びイラン国民の財産を我がものにしたのです。
ですから、それから25年後にホメイニ師がイラン革命を起こして反英米強行路線を敷いたのはむべなるかな、というべきことでした。
つまり、今現在イランは核開発を目指し、イスラム教強行派として反米反英路線を突き進んでいます。わたしたちは、どっちかというと、イランに対して批判的な感情をもっています。ですが、歴史の流れで物事を見ると、むしろ英米の方がいかにむごいテロリズムをイランに対して長期間行ってきたか、英米こそテロリスト国家だったことがわかります。イランは長い間一方的な被害者だったのです。わたしたちは英米にうまいこと洗脳されているのかもしれません。
つづきはまた。