2008年8月1日金曜日

4ヶ月の成果







入学してちょうど丸4ヶ月経ちました。そして期末試験も終わりました。



拍子抜け的要素が多いです。



一言で言って、ほとんど落ちない倍率1,02倍の入試を受験したような感覚。気を抜くとババ抜きに会いそうな感じで怖いし、さりとて真剣にやらないと落ちてしまうという切迫感も持てず、もやもや状態でした。今まで真剣にやってさえも落ちるという試験に何十年もひっつかまってきたので本当に調子が狂いました。


概括  


この4ヶ月間の死にそうになるくらいきつかった勉強詰めで何かを得たか?


法律の知識としては新しく勉強した行政法と民事執行法、刑事訴訟実務の実践くらいしかありません。



憲民刑はほとんど成果無し、大学の授業よりも良くない、なぜなら深さが中途半端だから。



その点民訴はかなり深かったです。けれども、体系的な教え方をしてくれず、ソクラテスメソッド的な学生との応対で進めたのでその場では分かったつもりでも後になって復習がしづらい感じでした。あんな高度な内容の授業を上級者用の進め方で教えられて付いてこれる人はわずかではないでしょうか。

総括

ほとんど布団で寝ることもできなかった最初の1ヶ月半、それから後の課題課題の連続、たっぷり予習を要求する科目、基本を全然教えない科目、、、、、、


ローの全科目共通(例外は刑訴実務と民事執行法だけ)に言えることは、体系を教えないことでした。判例中心型授業だとこうなるんでしょう、多分。


このやり方は功罪相半ばだと思います。


目を開かされた点は、判例がいかに慎重丁寧に論理を押さえているか、と言う点でした(もちろん、論理の大元は、オレが正しいと思ったことは正しいという神学的な屁理屈にもならないものなんですが)。



壮大な屁理屈体系をいかにももっともらしく構築して、なんかしらんけど納得させる(無理矢理)、でもその大風呂敷の広げ方がなかなか芸が細かい、そう言うところがとても勉強になりました。しかも最高裁の一言が全での裁判官および検察官および弁護士、つまり全員を縛り付ける強力な支配力を持っているということ、だからこそみんな細かく細かく判例を勉強するわけです。


なんか、むかし、毛沢東語録を必死で学んでた模範的な共産党青年団員を思い出してしまいました。


実際、今日の憲法の試験でも、直前になって見直すものは先生の板書ではなくケースブック憲法に載ってる判旨なんです。しかも、この、今さっき批判してたこのわたしでさえ。


もしもロー改革をするとすれば、前期授業は徹底的に体系を押さえる。後期になって怒濤のように判例研究を学ぶ。授業中に学生に当てて答えさせるやり方は前期は無駄、やるなら後期、その先生が持っている体系を開陳してその法律の体系構造をしっかり押さえる方が先。その代わり、1週間で8コマという授業を倍増する。徹底的に体系知識を身につけさせること。これは不可欠です。


現に学部の行政法の講義は週に二コマ授業です。その先生の作るレジメは強烈にスゴイ優れもので、こんな講義を1年間やってもらったら行政法は確実に得意科目になります。



ロー批判になってしまいましたが、実際、あんなきつい思いをして、今日、自分にいったい何が残ったか、と振り返ると、恐ろしいくらい何も残っていません。あれはいったい何だったのか、怒りさえ覚える始末です。


訂正、三つだけありました。早起きの習慣と90分授業に耐えられるようになったこと、そして戦友感覚が生まれてきてクラスの中に若干連帯感が出てきたこと。


そういうわけで、前期日程がすべて終了したのに満足感が出てきてくれません。まあ、明日明後日まではのんびりとバイクでぶらぶらしてきます。それだけはとてもうれしいです。


また、明日の夕方、クラスの打ち上げがあります。どんな話が出るか、楽しみです。



今夜は大濠公園の花火大会、終わって観客がぞろぞろ六本松地下鉄まで歩いて来てました。浴衣姿が多いです。風情があって大変結構。