2009年8月31日月曜日

比較







政権交代が現実の物となりました。台湾や韓国では以前から起こっていました。日本は遅すぎます。農政、財政、保険、社会保障の大失敗のツケは自民党が払うのではなく私たち国民が負わねばなりません。それもこれも60年間自民党政権を支持し続けてきた私たち国民の責任です。



 民主党政権(耳新しい言葉ですな~)になったからと言って急に政治が変わる事もないでしょうが、ミスター年金、長妻議員なんかは徹底的に社会保険庁のやって来た悪事を糾明してくれると思います。そういう政官癒着のウミを出すことが期待できるだけ希望はあるんじゃないでしょうか。



 



比較といえば今日、藤崎を通ったので、ふと気付いて福岡拘置所に寄ってみました。刑務所とどれくらい違いがあるのか、外観だけでも比べてみよう、と思って。



未決の収容者には面会がかなり自由に出来ます。刑務所とはこの点が違います。裁判で有罪になっていない以上は無罪推定が及ぶので、できるだけ自由が与えられています。



 行ってみて分かったんですが、外壁の色がスカイブルーで明るい感じでした。それと、街中になじんでいることも。



 ただ、この福岡拘置所には死刑確定者も収容されています。



なんで死刑確定者が刑務所ではなくて拘置所に収容されているかご存じですか?



 刑務所と言うところは単に閉じこめておくだけの場所ではありません。将来出所したときを考えて、社会復帰改善更生させるための教育の場でもあります。



ところが死刑囚には社会復帰はありません。絞首台に行くより他ありません。



その点で死刑囚は他の受刑者と全く違う存在なんです。死刑囚が檻の中に閉じこめられているのはそれが刑の執行だからなのではなくて、絞首台に上がるまでの待機期間にすぎないんです。



ですから、刑務所に収容させることは出来ません。



もちろん、拘置所内でも一般の未決収容者とは別棟に収用されています。



年に数人ここで刑の執行が行われているようです。



そう言う意味では刑務所よりも怖ろしい場所です。



もっとも、我が国で死刑判決が下されるのは猛烈な残虐行為を犯したからで、全く情状酌量の余地のない悪逆非道、人間の心を持たない獣のようなヤツらです。



 死刑は一般市民の安全と平和を守るためにやむを得ない刑罰だと思います。



 亀井静香さんや団藤重光大先生は死刑廃止論者です。ですがわたしは死刑に賛成します。この世にいてはいけない種類の極悪人は、哀しいけれども存在します。こいつらに殺された罪無き犠牲者の恨みを誰かが晴らさなければならないと思います。絞首台の上で自分のやったことを思い出すべきです。






 被害者のことは長い間放置されてきました。加害者の社会復帰の前にまず被害者の傷を癒すべきです。まして被害者が殺されたのであれば、殺した側にも相応の責任を取らせなければ被害者家族の恨みは晴らせません。






話が逸れてしまいました。刑務所見学のことを考えるとついつい人間社会の暗部、人の精神の中に潜む残虐性に思いを致してしまいます。






☆昨夜見た夢:京都で学生生活、受験生活を送っていた頃が出てきました。



勉強が全然面白くなく、サボってばかりいたころを夢の中で思い出していました。目が覚めて、嗚呼、今とどれくらい違っているのだろう、と思わず比べてしまいました。



今日はいろんな比較をしてしまいました。