2009年7月31日金曜日

量が多すぎて





























一発目の公法総合演習、やってくれました、木佐先生が。ビッグバンのような問題でした。問題文が長すぎ、その上設問の意味がイマイチどころかイマサンくらいでさっぱり分からず、何を聞いているのかが最後まで謎解きできませんでした。










 租税法の○×問題をさっさと解き(正答率は聞かないでください)、次に憲法の問題が2問も。それぞれしっかり書いてたら合わせて1時間ではとても足りません。なんとか書き終わったらあと40分。それまでに行政法の問題文を一度読んではいたんですが、なにせ参考法令まで入れると10頁以上あったんじゃないでしょうか、それをちゃんと読んだ上で設問が3問あるんです。その設問がさっぱり分からないのです。どういう意味なのか、問題の解析が出来ずにあーでもないこーでもないと悩んでいるとあっと言う間に時間が経ち、これはかなりまずい、とパニックになりかけました。










 で、昨年度期末試験で痛い目にあったのを思い出しました。思い出そうとしたらもうダメだ、って。










記憶をたぐるのは止めて、原則、基本から考えることに。また、どうせみんな沈没してるに違いない、と思いこんで、みんなが出来ない問題だからビビル必要はない、と言い聞かせ、本当に基本しか書きませんでした、というか、それ以上のことを書く知識も能力も時間も全くなかったです。


















で、終わった試験は忘れて今からは月曜日の要件事実の勉強!あと二日で要件事実と倒産法と民訴をガツガツやらないと。


















今夜もまた涼しい夜でした。このところ毎晩窓を閉めて寝ています。信じられますか?7月下旬といえば夏真っ盛り、うだるような暑さ、熱帯夜で寝苦しい夜と格闘しているはずなのに、一昨日の晩など、寒いので長袖シャツに着替えて窓を全部閉めて寝たんですから。









 やっぱり変です、今年の夏は。









夜、女房の実家のある住吉で晩ご飯を食べ、スタミナを付けろと、大きなステーキを食べました。近所に住吉大社があるんですが、そこで昨日今日と夏越祭り(なごしまつり)が行われていたのでちょっと覗いてきました。









よるの神社は良い雰囲気でした。








大阪の住吉大社が全国の住吉神社の総本宮と呼ばれるに対し、ここはその起源であるという意味で、住吉神社の根本宮というのだそうです。海の神様です。いまはどこの神社も生き抜くのに必死で、いろんな行事をやってます。茅の輪くぐり、といってアオカヤの束を輪にしたものを鳥居に立てかけてそこを3回くぐると魔除けになるとかなんとか、、、。







また、人形の紙に名前を書いて自分の息を3回吹きかけ、その紙を自分の体の悪いところに当ててその後賽銭箱にお賽銭と共にその人形の紙も一緒に入れて祈る、というのも。わたしもやりました。人形を耳と頭に当てました。

2009年7月30日木曜日

明日から試験

公法総合演習が第一発目です。金曜夕方4時40分から120分の試験です。


何にもしておりません。授業ノートの見直しも、教科書読みも。こんな事で良いのだろうか、そんな自分が怖ろしいです。


 今夜と明日半日で記憶喚起しないとホントーにやばいです。なんか今回は倒産法と要件事実だけが試験科目みたいな気分になっています。他の科目をやる気が起きないのが不思議で仕方ありません。内心、単位さえ取れればいいのさ、という甘さが隠れています。それと、必須科目の授業がバラバラだったのも原因かと思います。例えば公法総合演習は、憲、行、租税、の3科目で15回の授業を分担するのです。しかも、憲法も行政法もそれぞれ二人の先生が3回とか2回とかするので、一貫性がないんです。ほかの民事法総合も民、民訴、商、が各5回ずつ、刑事法総合も刑、刑訴、に分かれています。
ですから先生別に見るとわずかな授業しかしていないんです。
 個人的にはこのようなやり方には賛成しかねます。うちのローのカリキュラムははっきり言ってヒドイです。計画性、一貫性、何としてでも合格させよう、という立場でカリキュラムを組んでいません。何でかというと、結局どの科目も科目全体をフォローしてやろうとしてくれていないからです。学部の授業の方がよっぽどマシです。
 そういうわけで、最終学年になってますます科目を点としてしか押さえず、面として押さえることをしなくなったのです。
 いまさら愚痴を言っても仕方がありません。わたしのロー生活は早くも全体の四分の三が終わろうとしているのです。
 四の五の言わずに合格に向けてやるのみです。明日の公法の試験も、合格の一里塚と思って頑張るのみ。

☆今日も夜10時までローに。昨日と同じく、外は涼しかったです。9月下旬のようでした。月がきれいでした。



2009年7月29日水曜日

前期授業すべて終了



昨日、全ての授業が終わり、今日は日がな一日ロー自習室でちんたら倒産法をやってました。気が付くと夜10時、周りにはまだ大勢残っています。


外に出ると、なんとロー内よりも涼しいじゃありませんか。今年は冷夏なのかなあ、大雨のせいで。


帰る途中、スーパーで半額値下げの食品が無いか、と探しに。メキシコ産のマンゴーが298円で売ってました。


助六380円が半額になっていました。レジ近くに文藝春秋が置いてありました。チラッと立ち読みすると、邪馬台国はどこにあったかという面白そうな対談が。なんでも魏志倭人伝などという書物は無かったのだそうです。三国志の魏書、東夷伝、という箇所の事をそう読んでいるに過ぎない、と。あと、卑弥呼の時代、近畿地方には不思議と鉄製の武器や道具が出土していない、とも。


それから、太平洋戦争中のインドネシア、スラバヤ沖海戦、アメリカイギリスオランダ連合艦隊15隻中11隻を撃沈して大勝した海戦で、乗員150名が乗った駆逐艦雷(いかづち)の工藤俊介艦長が、撃沈されて波間に漂っていたイギリス駆逐艦エンカウンター号中尉フォール卿他400名以上の乗組員を救助したという記事を読んで思わず感激の涙を流してしまいました。



工藤艦長は重油にまみれた漂流者を救助するよう命じました。救助するには船のエンジンを止めなければなりません。ディーゼルエンジンは一旦止まると再始動に20分以上かかり、そのあいだ敵の潜水艦攻撃に対して無防備になってしまうのです。その危険をも顧みず救助作業に出たのです。

イギリス人達は21時間もの間海に漂っていたそうです。沈没した船から流れ出た重油を飲みこんで嘔吐し、体力を消耗してどんどん海の底に沈んでいったんだそうです。

艦の舷側に救助網を降ろしたのですが、自力で上がることが出来ない者が大勢いて、見かねた雷の乗組員の数名は自ら海に飛び込んで船にすくい上げたそうです。結局150名の日本人乗員に対して3倍近く多いイギリス人を艦にすくい上げたのです。反乱乗っ取りの危険を冒してまで敢えて救助したのです。


救助後、日本人乗員達はアルコールで漂流者達のあぶらを拭いてやりミルクや食事、衣服を提供しました。工藤艦長はイギリス人士官達を集め、流ちょうな英語で『諸君らは今から我が大日本帝国海軍の名誉あるゲストである』と言って敬礼したそうです。フォール卿はこれぞ武士道精神である、と感激し、以後自分の師はこの人物だと確信したそうです。

翌日彼らはオランダの赤十字船に引き渡されました。

工藤艦長は鉄拳制裁の禁止、歴史と哲学の勉強を乗組員に勧めたのだそうです。

平成10年、天皇皇后両陛下がイギリスを訪問される際、第二次大戦で日本軍の捕虜となって苦渋を味わった元捕虜たちが訪英反対の主張を声高に始めました。

すると、フォール卿はタイムズ紙に寄稿して、あのときの工藤艦長以下による救助活動をイギリス人読者に語ったのです。

そのお陰で以後訪英反対論は精彩を欠いたということです。

立派な日本人が大勢いたんですねえ。めちゃめちゃカッコイイです。

立ち読みして良かったです。なんだか勇気とやる気が湧いてきました。

ちなみに、工藤艦長が鉄拳制裁を禁止した理由は、武士道に鉄拳制裁はないから、だそうです。

☆最近習った心理学では、人間の集団は同集団と異集団とに分かれ、ヒトは同集団の人間の言うことは素直に信じるが異集団の人間の言うことは信じようとしない、だから、ヒトを納得させるには自分が相手にとって同集団の人間であることを伝えることだ、と言ってました。

鉄拳制裁はほとんどの場合異集団からの攻撃としか感じないでしょう、愛の鞭とは思えないです。鉄拳制裁でヒトを従わせようとする行動は心理学的に見ても全く効果がないばかりか、憎しみしか生まれないことになります。

また、歴史も哲学もどちらもヒトを知る学問ですから、工藤艦長は人間洞察力が素晴らしかったんでしょうね。見習わねば。
試験が終わったら久住高原に行っておいしい空気を吸ってこの絶景を見ながら入れる露天風呂に入りたいです。

2009年7月27日月曜日

宮里藍ちゃんおめでとう




優勝カップに口づけをした写真が載ってました。うっすらと涙が頬を伝わっていました。



それを見てわたしももらい泣きしました。今朝、ユーチューブでニュースを見たのです。



昨年ドライバーが狂いだして予選落ちの連続、一時は引退しようかとも思い詰めたそうです。お父さんお兄さん達、家族、周囲の励ましで復活を遂げたのです。



藍ちゃんの良いところは、目です。きりりとしてて、真っ直ぐで力強い目です。



嫉妬とか恨みとかいった曇りがありません。自分を信じている目です。






 復活おめでとう、と心から祝福したいです。それと、フランスのエビアンというゴルフ場でボランティアをしてたフランス人達と、試合後輪になって記念写真を撮ってるシーンがあったんですが、みんな嬉しそうな顔で、藍ちゃんの優勝を心から喜んでいるようなんです。これにもグッと来ました。






わたしの方は、試験が刻一刻と近づいているのに、対策が進まず、イライラしております。今日も、レビン先生の紛争調停の授業が、前回休講のため一気に3コマ連続で行われたのですが、終わったのは夜8時半近く。イライラも絶頂に達しました。



最後のコマでビデオを見たのです。怒りの理由について、のビデオです。アメリカでの被収容者の更正プログラムの話です。



犯罪者の更正を図るのですが、皆幼児期に親や親の交際相手から残酷な仕打ち、虐待を受け、それが原因でオトナになって自分の子供や配偶者を虐待するようになる、ということでした。



彼らが受けた虐待の酷さには驚きました。親が複数いる子供のうち一人を差別したり、親からお前は嫌いだ、と言われたり、親や義父が性的虐待をしたり、無視したりして子供の魂を痛めつけていました。そういえばマリリンモンローも幼女のころ同じような性的虐待を受けたそうです。悲惨としか言いようがありません。



 むかし刑事政策を勉強してたとき、犯罪被害者が後に加害者になりやすい、と言ってましたが、本当だなあ、と思いました。被害の拡大再生産です。



 その更正プログラムでは、各自が自分の受けた体験をみんなの前で告白するのです。実感したのは、話すという行動の大切さです。他人に隠したい過去をあえてみんなの前で話すことで劇的に変わるんです。はき出した後は憑きものが取れたような爽やかな表情に変わります。浄化されたと言う感じです。



 紛争調停もですが、話すこと、それを聞くこと、いかにも単純ですが、最も効果的な紛争解決方法だと思いました。
ローマカソリックの告白も同じなんでしょうね。






★わたしの結構好きな脇役俳優、山田辰夫さんが亡くなりました。シブイ感じで、特に好きだったのは、10年前くらいでしょうか、昼帯ドラマで『はるちゃん』と言うドラマの中で癖のある番頭役をやっていたときです。屈折していて、ワルになりきれない善人という役柄がピッタリでした。おくりびとにもでていました。あ~あ、また一人、好きな役者がいなくなってしまいました。金田竜之介さんもすきでした。牟田禎三さんも。金田竜之介さんは大学時代、京都の円山公園内にある喫茶店で見かけたことがあります。おしゃれでした。




☆今日の写真、親切な女性従業員がお客さんのおばあさんの手を引いて横断歩道を渡ってタクシーに乗せてました。


もう一枚は、文系食堂で愛妻弁当を食べようとしたら、トンボたちの愛の行為が目の前で激しく繰り広げられてました。拡大していただくとやっと見えると思います。トンボそのものは儚げに空を飛び回りますが、その幼虫であるヤゴは極めて獰猛な生き物です。田んぼや池の中で他の虫を食べ尽くします。
 でも、トンボってもうちょっと季節が後ではないでしょうか。今年は早すぎるような気がします。






                   

2009年7月25日土曜日

降って降って降りまくってます







日曜朝8時過ぎです。猛烈な雨です。たった今雷も落ちました。我が家の横にある用水路みたいな川はあふれ出すまであと1メートルまで上がって来ています。






さっき佐賀県全域に大雨洪水警報が発令されました。筑肥線という博多から唐津まで海岸線を沿って走るJRの路線も止まりました。






密度の濃い雨がかなりの横向きで降ってきています。台所の小窓を開けて寝ていたのですが朝気付くとびしょびしょに。ちょうどその小窓に置いていたデジタル時計の温度表示が23度と出ていました。気温も急降下しています。






勉強部屋の窓を雨粒が叩いています。 ローに行くのをためらわせるに十分な雨です。










で、今ローです。夕方6時過ぎです。午後やってきました。昼過ぎから雨が上がったのです。ここに来る途中、市内の中心地を流れる樋井川、那珂川を渡ってきたのですが、想像以上の水かさでした。





所々に警察官が立って警戒していました。普段と違い、川の凶暴な一面がむき出しになった、といった感じです。あれじゃあ川に溜まっていたものが全部海に流されてしまっただろう、水が引いた後は川底も川岸も何にも残っていないすっからかんかもしれない、あ、いや、逆に上流から運ばれてきた石や倒木が散乱しているかもしれない、なんて思いながら見つめていました。





この激流に落ちたらまず間違いなくあの世行きです。





 わたしらみたいにあと6日後に試験がやってくる者と違い、小中高校生たちは可愛そうです。せっかくの夏休みが台無しになって。





そういえば、今太宰府の九州国立博物館で阿修羅像が公開されているのですが、そこも雨のため閉鎖されています。





 今回の大雨は本当にもの凄かったです。




 類型別、という名前の教科書があります。要件事実という、民事裁判での当事者の主張整理マニュアルみたいなルールについて書かれた本です。





ローの学生、修習生、40代以下の法律家ならみんな知っている、悪名高い本です。司法研修所が作った本です。






全部で150頁くらいしかないぺらぺらの本ですが、悪魔のごとき本です。







読み手の理解をなんとしてでも阻んでやる、という意図で書かれたとしか思われません。そのため、この本の解説書がいくつも出ているほどです。





去年の民事裁判実務という授業から使い始めた(指定教科書として)のです。





ですがさっぱり分からず、今年の要件事実論の授業でも、先月末まではこれまたよく分からずに来ました。




 昨日が要件事実の最後の授業で、終わった後質問を受け付ける、と先生が仰るので、またしても世話人役として受付順番決めとか教室確保とかの雑用をこなしました。必然的にわたしも質問をしなければならい事となりました。





 それで、前夜から一体どこを質問しようか、自分の分からない所、先生に質問する場所探しをしてました。




 それで、その類型別という本を読んでいったのです。そうしたら、なんとまあ、結構分かるんです。





びっくりしました。今まで、何じゃこりゃ?状態だったのにうむうむ、とうなずきながら読んでいる自分がいるんです。いったい何で急に分かるようになったのか、自分でもよく分かりません。




 発達という、心理学の中の領域で使われている言葉があります。その中で、子供は、最初はさっぱり理解や上達が出来ない時期があるのですが、ある時突然パッと分かったり急に上達のスピードが速くなったりするんです。




 要件事実の中山先生がいつも仰るのですが、量が質に転化する、というのも同じ意味なのかもしれません。




本当に、要件事実に対する苦手意識がヒュ~ンっと下がるのを感じました。実に不思議でした。




ブロックダイアグラムという、これまた初心者にとって意味不明の四角の箱の羅列があるんですが、その意味が見えて来だしたんです。というか、苦手意識が消えました。




やっぱ、何事も慣れなんですねえ。ただ、いざ試験で問題を出されたときにすらすらと書けるかはまた別問題です。今度の金曜に試験があるので、毎日少しずつ問題解きをやってもっと慣れなければ。






問題は倒産法と行政法です。今学期の試験勉強は要件事実とこれら以外はしません、いや、する余裕がありません。東大の先生の授業レジメを読んでいますが歯ぎしりするほど分かりやすいです。



☆そうそう、和田秀樹という東大医学部出身の医者で良くテレビに出たり受験本を書くヒトの本を立ち読みしていたら、他の人と全く違うことを言ってました。



東大生の作るノートは美しい、という本が今バカ売れなんですが、それに異を唱えているんです。彼が言うには、ポイントだけをノートに書き留めるなんてことはするな、と言うのです。初めてです、そんなことを言うヒトは。



で、彼が言うのには、ノートは口述筆記をやれ、先生が言った冗談も全部書け、ただし、ノートは端っこを空けておけ、後で書き込めるように、というのです。



いや~びっくりしました。でも、実はわたしが今読んでいる東大生の書いたノートというのがまさにその通りのノートなんです。そして、とても分かりやすいんです。でも早稲田式速記法でもマスターしてないと無理じゃないかなあ、なんて思ったりもします。



 しかしまあ、以前書いたように、和田吉弘さんのライブ民訴という本なんかは文字通り講義を口述筆記した本なんで、講義テープを何度も聴くよりも本をしっかり読んだ方が遙かに頭の入り具合が良いです。



 やはり、情報は主として目から入るからなのでしょうか。だったら、見て声を出して読んで自分の発した声を耳から聴いて、手を使って線を引く、ってことをやれば体の全ての気管を同時に使うことになり、情報処理能力が数十倍になるということになりますね。それを午前中にやればスーパー勉強法が実践できるということです。あとはやるだけ、で、す、ね。































2009年7月24日金曜日

記録的豪雨


今日夕方、福岡市内で一時間に110ミリの大雨が降ったそうです。わたしはローにいてよく分からなかったのですが、それでも屋根に打ち付ける雨音のすさまじさには驚きました。




なんでもわたしの住んでいる鳥飼という町では川が氾濫したそうです。




それを聞くと、川の様子を見たくてむずむずしてきました。子供の頃から、台風とか洪水とか大雪とかに興奮するんです。




新幹線もストップしているらしいです。さっき女房から電話があり、会社の会議で遅くなって夜9時過ぎになって退社してきたら、会社は博多駅近くにあるんですが、駅前の道路が大渋滞していると言ってました。




博多駅って、微妙に窪地にあるので、一度大雨が降ると駅の周りはあっという間に池になります。数年前には死者も出ました。




 さっきからローの外で消防署のサイレンが鳴りっぱなしです。はじめは火事かと思っていたんですが、どうも川の決壊ではないか、という気がしてきました。ローから3キロほど東に、多々良川という結構大きな川があり、その多々良川にいくつもの支流が流れ込んでいるのです。その支流が決壊したのでしょうか。




多々良川といえば、知る人ぞ知る歴史上有名な場所なんですよ。




ちょこっと蘊蓄を傾けさせていただくと、、、、、




そもそも(なんちゃって、気負っております)、関ヶ原の戦で東軍に寝返った小早川秀秋が多々良川河口の名島城の城主でした。




その前には、河口の多々良ヶ浜で、足利尊氏が後醍醐天皇方と戦って勝利した、多々良が浜の戦がありました。




足利尊氏は都で天皇方に敗れ、一目散に九州博多まで逃げてきたのです。




そこで味方を募って勢力を増やし、追ってきた天皇方をこの地で破り、逆に山陽道を上って兵庫の湊川の戦いで楠木正成を討って天下を取ったのです。




そういう、形勢大逆転に成功した場所,まさしくターニングポイントです。




では何故関東足利を地盤とした足利尊氏は九州に逃げたのでしょう。




ここからはわたしの推測です。




かつて元寇のとき、1274年、1281年、北条時宗は九州警護のため、関東地方の武士を大勢九州に派遣しました。




その後、関東に帰らずに九州に居着いた武士団がいました。彼らは関東の名門足利氏と縁戚関係にあったと思われます。




それで、元寇から60年後、尊氏は親類を頼って九州に落ち延びたのだ、と思います。尊氏が九州に落ちてきたとき、わずか数数百騎しか供がいなかったそうです。結局、数万の南朝方に勝ってしまいました。宗像大社の託宣とか、神風が吹いて砂埃が南朝方に向かって吹いたので目が開けられなくなったり矢が飛ばなくなったため南朝方は敗走したとも言われています。

とにかく、尊氏の元に集まった軍勢が九州にいた、という事実は重要だと思います。




 そして、もうちょっとだけ言わせてもらうと、さらに遙か昔、弥生時代後期、ここ多々良川流域では砂鉄製鉄が渡来人によって行われていました。




多々良(たたら)とは、砂鉄を原料にして鋼(はがね)を鋳る高等技術です。




全国各地にたたら、と言う地名が散在します。そこではかならず砂鉄が取れます。




出雲地方の八岐大蛇伝説も多々良の話だそうです。








と、いまこうやってローでブログを書いているんですが、いまもサイレンが鳴りっぱなしです。




どうやら外は大変なことになっているようです。




無事帰り着けるかしら。




明日は要件事実の最終回。先生にいろいろと質問をしなければならず、そのための準備が大変です。


で、我が家にたどり着きました。どうも近所の用水路みたいな小さな川が氾濫した形跡がありました。わたしの家の近所では2千人あまりの人たちが公民館に避難しているようです。おっと!たった今雷が間近に落ちました。花火が爆発したようなスゴイ音がしました。


明日朝無事にローにたどり着けるか心配です。



2009年7月23日木曜日

嗚呼、ハウステンボス、




経営難だそうです。福岡商工会議所会頭は、資金援助を断りました。


みなさんはハウステンボスに行ったことがありますか?


わたしは6回は行ったと思います。そのうち2回は中のホテルに泊まりました。


わたしがこれだけは言いたい、と思っていることがあります。それは、ハウステンボスの本当の良さは、園内のホテルに泊まって初めて分かる、ということです。夜更けのハウステンボスの町並みは実に幻想的です。赤みを帯びた街路灯に照らされた町並みには誰もいません。もの凄く静かです。自分の足音しか聞こえません。宮沢賢治の描くヨーロッパのどこかの街に入り込んでしまった感覚です。セロ弾きのゴーシュの弾くチェロの音が聞こえてきそうです。


 ハウステンボスはわたしにとってとても大切な宝物と言えます。


なんとかして再生して欲しいです。




現実に戻ると、前期試験が迫ってきています。怖ろしいです。なのに目の疲れと耳鳴りで体が悲鳴を上げている状態です。


倒産法と行政法、これらを克服せねば。明日から超朝型にシフトして午前中に集中することにします。

2009年7月22日水曜日

日食見たどーっ!!





































見た見た、見ましたよ~!感動しました。








お日様がお月様になった、そんな感じを受けました。









 福岡は曇り空で、しかも有りがたいことに薄雲でして、ちょうどフィルターの役目を果たしてくれました。雲間に浮かぶ秋の月、ではありませんが、お月様そっくりでした。









でもよーく考えると、これは月ではなく太陽なんですよね~。









でもって太陽が欠けて三日月になるのを見ることって、普通はあり得ないことなんですよね~。









ですから、言い方は悪いんですけど、ディカプリオが日本の連ドラに出るみたいに、大物が大物らしからぬ振る舞いをしたみたいでなんか変、というのが正直な気持ちです。役柄と役者が合っていない感じでした。








 でもでも、さすがは太陽。90パーセント欠けるとさすがに辺りが暗くなりました。そんでまた気温も下がったみたいでした。後で天神福ビルの温度計表示を見ると、11時半過ぎで27度でした。かなり涼しかったです。日食によるためか、夜10時過ぎに我が家に帰るときも、バイクで走っていると肌寒いほどでした。9月下旬の夜のようでした。








ローに着いて話をすると、ある先生は粋な計らいをしたそうで、授業中、11時前になって急に気分が悪くなったので10分間休む、と仰ったそうです。学生達はその10分間、日食を見ることが出来たそうです。逆にその間も粛々と授業を続けた先生もいたんだそうです。








次に日本で皆既日食が見られるのは北関東辺り、26年後です。それまで生きていられるかなあ。








ちなみにわたしが心底感動した天体ショーは、何と言っても獅子座流星群ですよ。あれほどの感動と恐怖を味わったことはありません。美しいとかきれいとかではなく、マジで怖ろしかったです。大粒の光の球の群れが夜空の片隅から音もなく猛烈な早さで地球をかすめて飛んでくるのです。あんなに早く動く物は今まで見たことがありません。2秒ほどで天の端から端まで飛び去っていくんです。自分の頭の中で『ヒュンッ!』と音が鳴っているんですが、実際は無音です。そんな光の群れがうじゃうじゃ飛んでくるんです。SF映画の中に居るように感じました。その上場所が田舎の実家の冬の真夜中だったので、澄んだ大気がキリリっと引き締まっていてぎっしりと星座たちが浮かんでいて、どぎついくらいに漆黒の天幕になまめかしく輝いていました。








今日わたしが日食を見た場所は百道浜の福岡タワー広場でした。








本当は浜辺に行って見ようと思ったのですが、パブリックビューみたいにみんなで見る方が楽しいなあ、と思い、ちょうどTNCテレビ西日本の朝番のキャスター達が外に出て日食の中継をしていたので、わたしもつられて見てしまいました。
















見終わって、バイクを天神に走らせ、早稲田セミナー、辰巳、という受験予備校をはしごしてめぼしい本を買って来ました。おいしい本が何冊かありました。








しめて1万4千円かかりました。








今日で倒産法実務の講義が終了、公法総合演習も終了、来週末から試験です。








公法総合演習の授業が終わったのが夜8時。わたしが帰り支度をしていると、若い女子学生が、自習室内に備え付けてある保温ポットからカップラーメンにお湯を入れてました。これから夜中まで自習室に残って勉強するのでしょう。大したもんです。








今夜は窓を閉めて寝ないと冷たい風に当たって風邪を引きそうです。
☆今日の写真の一押しは下から2番目、左下隅にビルがみえるやつです。
これは今まで撮った写真のなかでトップ3に入ると思います。是非写真に
カーソルを当てて左クリックして拡大してください。
また、拡大した写真をパソコンに取り込むと、更に拡大することが出来ます。









2009年7月20日月曜日

前期試験まであと10日




























































































怖ろしい科目群、それは、行政法(公法総合演習の中の一部)、民訴(民事法総合演習の中の一部)、倒産法実務、です。あとはなんとかなりそうな感じです。













民事法総合演習というのは民法、民訴、商法の総合科目です。試験範囲は、民と民訴は判例百選から出すんだそうです。なんとアバウトな。













みんな必死で百選を読んでいます。わたしも民訴の百選を読まねば。













行政法は大の苦手です。まだまだです。倒産法は若干見えてきました。













これからは自分との闘いです。焦らずじっくり、でも急いでやらないと。













昨夜全国の職人が推薦する職人の中の職人という番組をちらりと見てました。お菓子の職人さんが言うには、仕事は早くやるのが大事だ、と言ってました。ゆっくりやるのが丁寧だというのは素人考えだ、と。













もの凄く蘊蓄のある言葉だなあ、と我が身に滲みました。全く仰るとおりだと思います。それに比べて自分の勉強スタイルは全然ダメだなあ、と猛省。













自分はプロになりきれていない、と思いました。













 これからはプロのつもりで時間とも闘っていかなければ。


























みなさんは最近体調はいかがでしょうか。わたしのほうはなんかだるさが取れず、朝の目覚めがすっきりしません。暑さと湿気のせいでしょうか。毎朝、体中汗びっしょりで目が覚めます。といってもしゃっきりぱっちりではなく、う~ぅん~~という感じなんです。













夏ばてという感じでもないんですが。疲れが溜まってしまってるのでしょうかねえ。

2009年7月18日土曜日

自修室で爆睡して熱風に当たって快感






















土曜日は午前中要件事実論の授業が一コマあって終了です。午後は貴重な時間です。一つは、バイクに乗ってうどんやラーメンを食べに出て行く時の開放感を味わえるんです。バイクを走らせながら一瞬の自由を体全体で味わうのであります。







とりわけ今日は梅雨明けなのか、もうコテコテの真夏日で、肺に思いっきり熱くてジメッとした空気を入れたとき、体中の細胞が完全に夏モードに変わるのが分かりました。







とにかく暑くてムシムシして、それがまた気持ち良いんです。







もう一つ大切なのは、自分の勉強が出来ることです。なーんちゃって、張り切って倒産法の本を読もうと昼ご飯(ラーメン)から帰って自修室の自分の机についたとき、例の睡魔くんがさっそくやってきました。



 最近、椅子を改良したんです。うたた寝しやすいように。というのは、椅子は結構後ろに倒れるんですが背もたれ部分が低いため仰向けになって仮眠するときは首が後ろにガクンと倒れてしまい、首筋が痛くて仕方がないんです。わたしは机にうっつぷして寝ることが苦手なんです。息苦しくなるからです。おなかも圧迫されるし。




で、ホームセンターでベニヤ板とい草のマットを買ってきて背もたれにしたんですが、これがもう久しぶりのナイスアイデアだったんです。背もたれが一気に頭の天辺まで高くなったので、とっても気持ち良く仮眠できるようになったんです。




オレってなんて頭が良いんだろ~って思ってしまいました。なぜか快楽を追求するときに限って粘り強くやることができるんです。



しかもとうとうネーミングまで考えつきました。それは『あんみつ椅子』です。え?つまんないですか?だったら『あ○らく椅子』(○のなかにはバ行のひらがなが入る)はどうです?


とにかく現物を見せろ、といわれそうなので明日載せます。







今夜は女房が田川の実家にお袋さんと帰っているので夜10時までローで民訴の和解と自白を復習し、バイクで帰りました。帰り着いたのは11時。



夜10時を過ぎても熱風のエネルギーは衰えず、大気エネルギーをたっぷり身に受けながら帰り着きました。月曜も休みのせいか、人通りが多かったです。







途中、福岡城跡のライトアップがきれいでした。






でも今一番感動している景色は空の青さです。それといろんな色と形をした雲とのコントラストです。熱風を浴びながら空を見上げていると、自分が今夏の中に居るんだなあ、と夏に包まれているのがわかります。







☆石川遼くんは大した男だなあ、と感心しました。いや、惚れ惚れしました。今年は予選落ちしましたが、タイガーウッズを超える世界的スターになるのは間違いないです。盲目のピアニスト辻井伸行くんもスゴイ。彼らを心から尊敬します。技術だけでなく人間としてのスケールが大きいんです。






2009年7月15日水曜日

大誤算


きょうは倒産法実務の講義が2コマ連続でありました。正規授業と補講です。
で、予習範囲がべらぼうに広くて教科書にして100頁以上ありました。
ところが、今朝、更に追加レジメがアップされてました.

トータルすると完全に戦意喪失しそうな量です。それでも、わたしが当たるのは9番目だから大体このあたりまでやっとけば良いだろう、と見当を付けて、しかしそれでもぎりぎりまで教科書を読んでいました。結局追加レジメまでは予習できずに授業に突入。
そしたら、完全にハズレました。わたしが当たった箇所はなんと今朝届いた追加レジメの真ん中当たりだったのです。
 民事再生法の否認についてでした。この3日間、必死で読んだところはびゅんびゅん飛ばされてしまったのです。
それでもわたしの番は休み時間開けの2コマ目だったので、休み時間にあせくりまくって教科書を読んでました。そしたらクラスの学生どもが邪魔してくるんです。てめ~ら!オレのこの顔を見ろ、この真っ青な形相が目に入らぬか、と怒り心頭。
 先生に質問された問題は、実は一昨日読んだ松下淳一さんの本の中に掻いてあったんですが、きれいさっぱり忘れてしまってました。で、答がぱっと出ないので仕方なく原理原則に従ってカンで答えました。ブッブーでした。でも良い間違い方でした。
間違いにも良い間違いと悪い間違いとがあると思います。
原理原則に従った答えは、考えや知識が今一歩たりないだけです。それに対して悪い間違いとは体系性、法則性に沿っていない、知識を思いだそうとして出てきた答えです。これを論文本試験でやると間違いなくアウトです。
 わたしの言った答はアメリカでは制度化されていますが(原則通り)日本では原則が修正されたのが法律化されているので残念ながら不正解でした。
もちろん条文の正確な理解があれば間違うはずがありません。
まとめると、今のわたしは考え方としてはズレてないけどまだまだ勉強が足りない、ということです。
 明日はこれまた大変な日です。刑事法総合で厳しい質問がバシバシきます。明日授業でやる問題について、予め10人に答案を書いて提出させといて、教官3人がそれを読んできてその10人にズカズカと厳しい突っ込みを入れるのです。その10人の中にわたしも居るんです。
その問題というのが、現行犯逮捕と準現行犯逮捕との区別、準現行犯逮捕が認められるかの要件当てはめ、その錯誤の処理、なんですが、事案が面倒くさいので大変なんです。そしてまたどちらも刑訴法、刑法の大論点なんで、かなり深く突っ込まれること間違いなし、なんです。

2009年7月12日日曜日

政治革命起きるか
















東京都議選、面白くなってきました。民主党の大躍進と自民党の大敗。






さらに二大政党化が加速し、社民党は消滅状態。






日本人の弱点はチェンジと言う言葉におびえることです。変革を恐れる気持ちが強いんです。






それから、権威に弱いことです。大臣とか代議士とか東大とか博士とかを聞くと思考停止します。






それら二つがタッグを組んで自民党支配が60年間続いたのです。






その上、自民党という政党は本来なら単一政党としての体をなしていない、烏合の衆というか、利権の集合体ですから、基本思想がそもそも無いんです。






いわば農水商工党みたいなもので、サラリーマン(と教員と一部公務員)以外の全ての職業の為の政党です。






ですから、今回全ての職業人からダメ出しされたんです。






わたしは、政党は道具にすぎないのだから使い勝手が悪くなれば他のに取り替えるのが当たり前だと思います。チェンジすれば良いんです。そしたら永田町も風通しが良くなって役人達も好き勝手なことがし難くなります。






その意味で今回の都議会選挙選は面白いです。












今日は朝から団地掃除、汗びっしょり。その後東大教授の授業レジメが手に入ったのでプリントアウトして読んでました。






東大が東大たる所以は何か、がよく分かりました。わかりやすさです。本当に頭がいい人は教えるのも上手いです。






 わたしの見るところ、東大の有名教授達が書く本はことごとく読みやすいです。あ、例外もありました、平野刑訴と山口刑法です。でも他の学者はみな量は多いものの大変読みやすいです。






これって情報伝達能力が優れていることの証左です。というか、東大の先生達は情報を分かりやすく伝達することがいかに重要か、を意識して本を書いています。もちろん例外もいます。平野刑訴、山口刑法なんかは難解でした。






 はなしを戻すと、今日読んでいたレジメはショッキングなくらい分かりやすくて、東大ロー生がうらやましかったです。






 では分かった、とは何か、ですが、右脳でイメージを把握出来たことではないでしょうか。感覚を基本とする右脳の情報処理能力は論理をベースとする左脳の数万倍あるそうです。






 今日読んだレジメはまさにわたしの右脳を直撃しました。












今日は梅雨明けの気配を感じました。雲の形が夏チックで、夕方の博多は熱帯アジアさながらでした。大気中に熱エネルギーが充満していました。こういう気候も結構好きです。生きてるなあ~っと思えるんです。そのせいか街ゆく人々もみなリゾートに来ているような表情をして歩いてました。






2009年7月11日土曜日

水泳







本当に久しぶりに泳いできました。もやもやしたときは運動に限ります。



その点で水泳はぴったりです。



気分転換できました。






午前中、大学の学生課に電話して免除不許可の理由を聞きました。そしたら、奨学金を貰っているのが収入に当たるためだ、と言われました。



ええっ?奨学金ってお金を借りているに過ぎないのにそれでも収入なの?



向こうが言うにはアルバイトで稼いでもやはり収入だから免除不許可になる、と。



これって一見すると納得しそうですが、アルバイトは自分で稼いだお金で返す必要はありません。これに対して奨学金は必ず返さなければならない他人のお金です(形式的な法律論は脇に置きましょう)。



それがなんで収入なんですか?



それで、もしそういうことなら後期授業料も同じく免除不許可になるのか、と聞くと、そうだ、と。



あきらめました。



それならば支払い猶予か分割払いは出来ないか、と聞くと、それについては収入係に聞いてくれとのこと。こちらは財務省か文科省の出先機関で大学とは完全に別個独立した部署で、建物も別です。雰囲気も全く違います。入り口がよく分からないような建物の中に入ると意外にも大勢の人間が黙々となんか仕事をやってます。とにかくあれだけ大勢いるのにすっごく静かなんです。



秘密機関のような雰囲気です。



そこには何度か行ったのですが今日は電話で尋ねました。



すると、分割払いはやっていない、今月末に支払いがないときは督促状を出す、それは8月末が期限だ、と丁寧な返事が。つまり、言わんとするところは8月末まで待ってやる、と言うことでした。1ヶ月だけ猶予するということを遠回しに言ってくれたというわけです。



仕方ないなあ。なんとかしてかき集めてこないと。



また悩みが増えました。
ああ、久住に行きたい、阿蘇に行きたい、南小国に、黒川に、上高地に、那須に、尾瀬に、東北に、北海道に、、、、。前期試験まであと3週間。これからがまた大変です。オーマイゴーッ!