2019年4月1日月曜日

新元号は 令和 太宰府にゆかりのある言葉で、かなり嬉しいです。

万葉集より
天平二年正月十三日に、師(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて、宴会を申(ひら)く。時に、初春(しよしゆん)の月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風(やはら)ぎ、梅は鏡前(きやうぜん)の粉(こ)を披(ひら)き、蘭(らん)は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かをら)す。加之(しかのみにあらず)、曙(あけぼの)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きにがさ)を傾け、夕の岫(くき)に霧結び、鳥はうすものに封(こ)めらえて林に迷(まと)ふ。庭には新蝶(しんてふ)舞ひ、空には故雁(こがん)帰る。ここに天を蓋(きにがさ)とし、地を座(しきゐ)とし、膝を促(ちかづ)け觴(かづき)を飛ばす。言(こと)を一室の裏(うら)に忘れ、衿(えり)を煙霞の外に開く。淡然(たんぜん)と自(みづか)ら放(ひしきまま)にし、快然と自(みづか)ら足る。若し翰苑(かんゑん)にあらずは、何を以(も)ちてか情(こころ)を述※1(の)べむ。詩に落梅の篇を紀(しる)す。古(いにしへ)と今(いま)とそれ何そ異(こと)ならむ。宜(よろ)しく園の梅を賦(ふ)して聊(いささ)かに短詠を成すべし。

天平二年正月十三日に、大宰師の大伴旅人の邸宅に集まりて、宴会を開く。時に、初春の好き月にして、空気はよく風は爽やかに、梅は鏡の前の美女が装う白粉のように開き、蘭は身を飾った香のように薫っている。のみにあらず、明け方の嶺には雲が移り動き、松は薄絹のような雲を掛けてきぬがさを傾け、山のくぼみには霧がわだかまり、鳥は薄霧に封じ込められて林に迷っている。庭には蝶が舞ひ、空には年を越した雁が帰ろうと飛んでいる。ここに天をきぬがさとし、地を座として、膝を近づけ酒を交わす。人々は言葉を一室の裏に忘れ、胸襟を煙霞の外に開きあっている。淡然と自らの心のままに振る舞い、快くそれぞれがら満ち足りている。これを文筆にするのでなければ、どのようにして心を表現しよう。中国にも多くの落梅の詩がある。いにしへと現在と何の違いがあろう。よろしく園の梅を詠んでいささの短詠を作ろうではないか。

☆初めて見たとき、ふ~ん?でした。特に令と言う文字に違和感を感じました。れいわ?れい?う~ん、なんか変、でした。
その後、出典が万葉集、大伴旅人が太宰府で詠んだ作と知り、更に原文を読んでみると、春の風情をみんなで酒を酌み交わしながらうっとりと味わって楽しもう、という、何とも風雅な、上品な、もの凄く共感する歌ではないですか!旅人の漢詩そのものがとても素晴らしいので、元号も好きになってしまいました。おまけに、我が福岡県を故郷とする新元号とも言え、ますます好きになりました。太宰府には何度もバイクで出かけていき、奈良盆地とよく似た景色のなか、ぽつんと田んぼの脇道で一本だけ満開に咲いている桜に心惹かれたりしました。菅原道真公と飛び梅の逸話は、この万葉集の歌と関わりがあるのでしょうか?
バイクと言えば、330日に転倒して右足骨折してしまいました。全治3ヶ月と診断され、試験を目前にして暗澹たる気持ちにおそわれました。松葉杖ではちょっとした場所に行くにも不便で、病院やローに行くにも、右足骨折、ギプスなので、クルマの運転が出来ず、女房に送り迎えしてもらうのみです。歯も大工事中で、満足にものが食べられない状態でして、もう、にっちもさっちもいかないとはこのことか、と大悲惨状態の自分にあきれかえります。
山中鹿之助状態です。吾に七難八苦を与えよ、然らずんば~、です。
高校生のときに左手中指を骨折して以来。数十年ぶりの災厄です。でも、今年は令和という香しき梅の花を想像しつつ、足の痛みに耐えながら勉強をする、という、なんともまあ、生涯の記憶に残る年になりました。