2011年6月27日月曜日

人吉画像


球磨川 流れが速い
青井阿蘇神社 熊本県唯一の国宝
神社神道の元々の姿を見た感じ

繊月工場から人吉城跡を見る


人吉駅前 のんびり 人影無し


宮崎鹿児島紀行

宮崎県小林のHくんに会いに夫婦で軽を飛ばして行ってきました。一泊二日で840キロ走破しました。
濃密な二日間でした。おいおい旅の様子をお伝えしたいと思います。去年は北海道、今年はその反対の本土最南端まで。
太宰府インターから九州自動車道に上がり、熊本県の南の端、人吉で降りたのが朝10時半。福岡を出たのが朝7時半でしたので、3時間の行程でした。
人吉を見よ、とのHくんのアドバイスに従い、駅の観光協会で地図をもらい、スタッフの方に目的地に印をつけてもらって街を周遊。
人吉の第一印象は、わたしのふるさと、大分県日田市ともの凄くよく似ていることでした。
ともに盆地に位置し、真ん中を大きな川が流れているのです。ただ、日田は三隈川といって筑後川が流れていて川幅が広く、流れも穏やかなので遊船といって川船を仕立てて鵜飼いを見ながらごちそうとお酒を楽しむことが出来るのですが、人吉は有名な球磨川下りの通り、流れが速くておどろきました。
また、日田は天領で豪商が支配した、ちょっと華やかさが残っているのですが、人吉は鎌倉時代初期に平氏の所領を奪った源氏の支配下に入り、源氏に味方した遠州の相良氏が代々領主として支配し続けました。700年以上も相良氏の城下町として栄えたので、豪快さが残っています。
人吉では味噌蔵と焼酎蔵を見学しました。
とくに繊月(せんげつ)という米焼酎の有名な酒蔵見学がとても面白かったです。
1570年代に人吉のとある神社を改修した折り、修理に当たった宮大工が、施主さんがケチで焼酎を飲ませてくれない、と愚痴を書き綴った木札が昭和に入って発見されたそうです。
そのことから、戦国時代に既に焼酎という酒が飲まれていたこと、すなわち、日本にサツマイモが入ってきた江戸時代よりも前に、サツマイモ以外の原料から焼酎が飲まれていたことが証明された、そしてその原料は米だっただろう、と酒蔵見学で説明してくれた従業員の方が教えてくれました。
そうかあ、焼酎と言えば芋焼酎が本家元祖みたいに思っていましたが、実は米焼酎の方がオリジナルだったのかあ、いや勉強になりました。
つづきはまた。