2009年1月16日金曜日

金曜の夜と土曜の朝と日曜
















一週間の緊張が解ける時で、ホッとします。







ローにはいろんな人間が居ます。良いのも悪いのも普通の子も。






まあ、悪いというのはいませんが、マナーが良くないひとはちらほらいます。






建物がプレハブみたいな安っぽい作りなので、歩くと床がたわみます。足音も結構響くし音もします。そういう自修室内を、だだだっと走る馬鹿者がいて、いらっとするときがあります。それから、女の子で授業の時床に自分のノートや本を広げてるのがいます。汚い上に目障りです。それから、机の上に荷物やバッグをドッシーン!と置く大馬鹿者はそうとう大勢います。周囲に気を配るという回路が欠落しているんです。これは男も女も同じくらい居ます。お茶と剣道を習わせたいです。






総じて今頃の若いヤツ(昔は自分もそう言われてた気もしますが)は他者への尊敬、リスペクトが足りない(関東では足らないというのでしょうが)と思います。






もちろん例外も居ます。でも、根本的な問題は、何事に対しても、つまり人や物や様子や事象全てに対して興味好奇心関心を持たない人間が増えているということだと思います。






へ~っ、それ面白いねー、という会話が聞こえてこないです。こないだも、同じ高校出身の後輩(親子以上の年の差はあるも)に、同じ高校出身の女医さんがエチオピアで誘拐されて解放されたことを話しかけると、なんですかそれ?てなもんでした。






 自分に関わりがないからこそ面白いと思うのではないでしょうか。つまり、自分を客観的に見ることが出来ることと何にでも興味を持つこととは凄くつながっているように思えるんです。






回りくどくなってしまいましたが、人生をより豊かに楽しむためには意識しない自分つまり自我とそれを側から客観的に見ているもう一人の自分という二面性からあらゆるものを観察し感じかみしめることが重要であり、そうであるなら何事についてもああ面白いなあ、と興味が湧いてくるんじゃないかなあ、と思うのであります。





 それで思い出したのですが、来月検察庁見学会が実施されるので、参加者を募っていました。クラスの学生がわたしに、一緒に行きませんか、と言ってきたので、自分は検察官が大嫌いなので行かない、と答えました。志布志事件や、数年前佐賀地検で佐賀信用金庫不正融資にからんで老人にむごい取り調べをしたもみあげ男の検事がいて結局無罪になったについて検察庁は一切謝罪しませんでした。そのひどい検事は今もどっかで検事やってます。





わたしは日本で一番権力を握っているのは検察庁だと思っています。その役所がひどいことをたくさんしています。しかも横柄なヤツが多いです。ですから検察庁になんか誰が行くものか、と思っていました。





 でも返事をした後、思い直しました。やはりこの目で直に見ないといけないな、と。物事を客観的に見るためには情報が多い方が良い、しかも直接体験できるなら体験すべきだ、と。





 そういうわけで行ってみることにしました。感情に踊らされるなんてやはりまだまだ修行が足りないなあ、と反省しました。










 一方、凄く良いヤツもたくさんいます。中に、頭も良く行儀も良く気配りも良いというパーフェクトな若者もいます。非の打ち所がないんです。そういうのがちらほらいます。たいしたもんです。






 課題も予習も一段落(いちだんらくと読むそうです)ついたのでだらだら書いてしまいました。






 それからついでにもうひと言。自転車の右側通行、これは大変危ない行為です。前にも書きましたが最近何度もぶつかりそうになりました。






自転車運転のマナーレスはもの凄く重大な問題だと思います。学校で厳しく指導していないんでしょう。










昨日は家族サービスで、二丈町にあるきららの湯というラジウム温泉へ。ここのお湯は本当に最高です。日本でおそらく一番ラジウム含有量が多いです。そして15リットルで100円でお湯を持ち帰ることが出来ます。これでコーヒーを淹れるとめっちゃおいしいです。




















油断

先週の民法の授業、終わりかけに当たっていじめられ、さすがに今日はないだろう、と確信していたらまんまとやられました。
2週続けて当てるなんて。で、本人Aが他人Bの名義で銀行預金をしたら、預金契約者はAなのかBなのか、Aとするのが実質説とか客観説とか言われる説、Bだとするのが形式説です。
判例は客観説をとります。お金を出したAが預金者だとするわけです。
 先生の質問は、なんで客観説をとるのか、その根拠はナニカ、でした。
わたしの前の前の前から当たり始めました。今日はなぜか出席簿順だったのです。おそらく先生が風邪を引いていたせいで順番を変えて聞くという技巧を凝らすエネルギーが枯渇してたんで単純にやろうとしたのでしょう。そのせいで酷い目に遭いました。
 先生は前の3人の返事に満足せず(一人は欠席)さらに次の学生を餌食にしていきました。とうとうわたしの番が来ました。内心、先週も当てやがってこのやろー、という怒りと、今週は当たらんから予習を適当にしかやらなかった後悔と、どう答えるべきか頭の中から情報を取りだそうとする焦りで混乱の極み。
 結局、こう答えました。銀行としては現金が自行に入金された以上、目的は達成された、後は誰に返すべきかについての問題だけで、それが誰なのかは銀行にとって余り大した問題ではない、誰が返金権利者なのかは預金者側の内紛なので、それはそっちで勝手にやってくれ、銀行としてはとにかく現実に金を出した人を預金者としておけば十分だ、というのが客観説の理由だろう、と答えました。
 先生は、そうですね、と言って追認してくれました。やったー。うまくいったぞ。これで解放された~。と思ったのが運の尽き。更に追い打ちが待っていたのでした。
それは、現在の我が国社会では他人名義を使って預金できるのか、というものでした。
わたしが、出来ない、と答えると、それは何故だ?と聞かれ、なんとか法です、と正式名称が出てこなかったので誤魔化すと、ちゃんと答えて、と突っ込まれ、え~~~っ、預金者なんとか法で~~、と口ごもると、預金に関する本人(すんません、もう忘れてしまいました)、、、、、、法です、と先生が。
いわゆる本人確認法です、と。
それだけではお終いにしてくれず、更に、じゃあなんでこの法律が出来たんですか?と更なる追求の魔の手が。
えーーー、それはーー、税金逃れをーーー。
ともごもご言ってたら、違います!!9,11テロ対策です。マネーロンダリング防止目的です。
で、解放されました。
長かった~。4分から5分くらいでしたでしょうか。それより長かったかも。
 最近ある疑惑が生じてきました。この先生、質問の難易度が学生によって違うんです。もの凄く優しくて短い質問であっという間に終わる学生とわたしのようにハードで長いつっこみをされる学生との落差が大きいんです。偶然とは思われないんです。
いろんな意味でこんちくしょー、でした。
もう来週はないでしょう、まさか、ね。