少しずつ慣れてきました。教授によって、予習すべきレベルが大体分かってきました。
絶対的に知識が足りないため知識習得のための大量の予習が不可欠な科目(会社法の会計と刑訴の細かい条文)、
パソコンノウハウがないため周りの学生に聞きまくる科目(法情報論)、
とにかく判例をひたすら読んで内容構造論点をあぶり出す科目(憲、刑、民訴)、
あんまり予習しなくてすみそうな科目(行政法、民法)。
このうち、刑法と民訴は出席簿順に当てていくのでかなり楽。
今の段階ではこんな感じです。
今日の昼休み、掲示板を見ていると(隅から隅まで丁寧に見ておかないと後で取り返しがつかないくらいヤバイ!)、既修の学生が、午後からの行政法の予習を食事しながらやらないか、と持ちかけてきました。す・ご・い!
このやる気!あおられて、つい『うん』と言ってしまいました。
結局4人で昼ご飯を生協食堂(昭和のニオイぷんぷん)で。中の一人は、毎日下関から通学しているそうです。えええ~っと思わず聞き返しました。小倉から新幹線に乗ってくるそうです。
かれらは、今受けている必修科目8科目以外に選択科目を更に履修するそうです。民事執行法とか労働法なんからしいです。
わたし?当然なんにもとりません。最低限でもあっぷあっぷしているのに。
結局、行政法はわたしの読み通り、教授ががんがんしゃべりまくり、学生に質問することはほとんどしませんでした。わたしはこの授業が一番ローらしくて好きです。学問的な授業は、行政法では無益です。現実の行政がどのように行われているのか、生の事実をわかりやすく面白く話してくれ、かつわかりやすくするための膨大な資料をくれるからです。こんな面白い授業、学生に質問して時間を浪費するのは実にもったいないです。ちなみに、他の科目もそうあってほしいです。
そうそう、刑法で分かったのですが、いまの学生は基礎理論が弱いです。しゃべりは上手で思ったことをどんどん言う点はすごいのですが、刑法の大元に遡ることをしません。昔と正反対の現象です。
話題転換。
この前読んだ本は本当に面白かったです。日本人のDNAを調べたところ、実に興味深い事実がわかったそうなのです。
人類はアフリカから3回の異なる時期に出発し、全世界へと広がっていったそうです。
その3回の出発時期、そして各各がそれぞれいろんなルートをたどって広がっていくうちに、少しずつ変異が生じていったそうです。
そのうちで、強者と弱者のグループ(数の多少による)ができ、弱者グループは消滅したり辺境へ逃げていったりして、そういう特別のグループがすでに存在しなくなった地域、国家が多い中、日本だけはそのような世界中の残り少ない弱者グループがいくつもいくつも残存し、各地方ごとに分かれて居住しているらしいのです。
で、ここから次のことが分かるのです。
①今もテレビでやっている、県民性を比べてその大きな違いに驚く、という企画、あれはまさに日本人が世界中のわずかに残った少数弱者グループ達による地域別の棲み分けで構成されているということの証明であるという、まことに科学的根拠に基づく立派な番組であると言うこと。
②中国大陸や朝鮮半島から移住してきた渡来人たちは、先端技術を持ってやってきたにもかかわらず、日本の支配的グループになっていない。それは、やってきた渡来人の数が意外に少数で、かつ一時にではなく長い期間にわたって少しずつ渡ってきたため、列島に前からいたグループの数の方が多くて、彼らの中にとけ込んでいったり同じように棲み分けたりしたこと。
そのため、言語についてもかれらは現地語を用いるようになり、大陸の言語は日本に広まらなかった。
③結局、著者の言いたいことは、日本人こそが世界でもっとも多様な種のヒトが棲む地域であること、チンギスハンのような民族浄化といったことが起きず、比較的平和に共存してきたこと、そういう多様性が日本人の特色であること、したがって、日本人の性格(争いを好まない、好奇心が強い)もここから説明できるし、人類の将来像が日本にある、ということ。
実に面白かったです。納得納得。
その本には、沖縄、アイヌ、チベット、九州人、関東人、東北人、、、、と、いろんな比較がしてあり、興味が尽きません。
かねてより、わたしが想像していたことが科学的に説明されたので読みながら膝を何度も打ってしまいました。