2009年1月28日水曜日

質問タイムとリンゴ















後期授業はほとんど終わりましたが、オフィスアワーと言って、先生に質問できる時間は残されています。それで苦手の民事裁判実務(中身は要件事実論と民訴)の質問をしてきました。先生は裁判官教官。優秀です。すごく優秀です。真面目です。ちゃめっ気もあります。でも学科の内容のこととなると鋭いです。丁寧な物言いの中に厳しさが籠っています。私の前に質問していた学生に対しては、『それは条文に書いてあるでしょ!』とぴしゃっと言い放ちました。条文くらい読んどけ、条文に書いてあるような質問なんかするな、というお叱りの心が含まれていました。とにかく実務家は条文に強いです。というか、条文依存症と言ってもいいほどです。








 わたしはそれを聞いて、あ~質問なんかしに来るんじゃなかった、と後悔しました。でも、ここで分からないことを聞いておかないと試験で落とされてしまう、そっちの方がもっとヤバいと思いなおしました。








 で、2点ほど質問しました。!と気づいた点もあり、訊いてよかったです。とにかく細かいんです。テストの問題は。しかも落とし穴がたくさんあって民訴の細かい条文をしっかり理解暗記しておかなければならないんです。と同時に、要件事実と言って訴訟の現場で原告と被告がそれぞれ相手に対してどういう主張を言うか、それをどのような表現で訴状や答弁書に書くか、というイヤな問題もあるんです。








民法通りでない、というところがイヤラシイんです。昨年も優秀な学生が何人もこの科目で落とされています。民法が得意な人に限って危ないんです。どこが民法通りでないか、というと、できる限り無駄を省いた主張をせよ、余計な事を書くと減点または零点、けれどもそれらは民法上は必須な事柄なんです。ですから、民法だと必ず取り上げなければならないはずの点が要件事実では逆に取り上げてはならない、というところが多々あってそれが大変なんです。








 何で余計なこと、ダブるようなことを嫌うか、というと、訴訟は迅速に明瞭に進めなければならないからです。混乱したり無駄が多いと争点がぼけるしわざと審理を遅らせる輩もいて権利救済が図られなくなるからです。そしてまた、ある問題点について、原告と被告のどちらに主張させた方が公平か、審理が進むか、ということが訴訟上重要だからなんです。







 







それはさておき、今日女房の実家で晩御飯を食べていて、所さんのダーツの旅を見てたら、りんごジュースで脳梗塞予防効果が出るわ、血糖値は下がるわ、頭の毛がどんどん生えるわ、と良いことずくめの報告が。







猛烈にありがたいニュースでした。全部気になっているのです。そしてなんと、わたしは毎日リンゴを1個皮ごと食べているので、わが意を得たり、の気分でした。その研究者の先生がいみじくも、林檎ほど高貴で気高い果物はない、とおっしゃってました。大大大賛成。若いころは好きではなかったのに、今では毎日食べないと体に老廃物というか毒性物質がたまるような気がするんです。ローに持って行って、本を読みながら一切れ口に入れて奥歯でジュワーっとかみしめると天然果汁がほとばしるのです。一気にリフレッシュします。







 おいしいリンゴを作ってくれる青森岩手山形長野のみなさん、ほんとにありがとう。

今日は暖かくて春の予感がしました。去年の春撮った桜を思い出し、再掲載しました。春よ来い。









 








答案













みんなで民法の問題の答案作りを分担してやりました。その後二人で(相方はもちろん男です)みんなの書いた答案を検討するゼミをやっています。自分の書いた答案のアラは自分ではなかなか気付きませんが、他人が書いた答案は不思議とアラがすぐ見えます。なんででしょう。






今日の刑訴、予想どおり当たったのですが、超簡単な質問でした。2秒で言い終わることができる、ショートアンサー、しかも答えがテキストに載っているという馬鹿みたいな質問でした。授業後、前に座っていた学生から冗談半分嫌味を言われるくらいでした。






その後の民事弁護では不法行為の被害者の貰う逸失利益に関する判例を15個、先生がどんどん当てて聞きまくりました。幸いわたしは当たりませんでしたが、当てられた学生は全員完璧に答えていました。スゴイ、と思いました。












いろいろな面白い判例があります。たとえば、交通事故の被害者がむち打ち症にかかったのですが、損害賠償を請求したところ、加害者がこう言うのです『むち打ち症になったのは被害者が異常に首が長いからだ、だから被害者にも(首が長いという意味で)落ち度がある、だから過失相殺して賠償額を減らすべきだ』と。最高裁はもちろんはねつけました。






 また、夫婦が乗った乗用車が交通事故を起こし、対向車の運転手と夫婦の車を運転していた夫の両方に過失があった場合、助手席に乗っていてけがをした妻が対向車の運転手に損害賠償を請求した場合、夫の過失を取り入れて夫の過失は妻の過失と同じだとして過失相殺を認めました。理由は、夫婦は財布が一緒だから、です。






 若干引っかかる判例もあります。4歳の男の子が交通事故で亡くなりました。その子の親は、子供が67歳まで働いたら得ることができたであろう収入(これを逸失利益といいます)をまずその子自身が損害賠償請求権として取得し、その請求権を親が相続します。






 問題となったのは、親にとってはその子が亡くなってしまった以上その子を養育するために必要な費用(養育費)はもはや支出する必要がなくなったのだから、その支出分は損益相殺すべきだ、との加害者側の主張が認められるか、です。
最高裁はこれを認めませんでした。たとえばその子の逸失利益が3億円だったとします。その子が67歳まで働いたら獲得できたであろう利益が3億円ということです。その額から、その子自身が成人後67歳まで支出するであろう生活費(食費や住居費など、仮に1億円とします)はさっぴきます。この時点で3-1=2億円残ります。では親がその子が独立するまでの養育にかけたであろう養育費(子供の生活費や授業料学費など、仮に5千万円とします)も更に差し引くべきか、2億ー5千万=1億5千万円に減らされるのか、です。






最高裁は、このような子の養育費は差し引かない、としました。難しい言い方をすると、利得と損失とに同質性がないから、と言いました。ぶっちゃけて言うと、親にとって子供を養育するのは費用なんかではなくてむしろ喜びなのであり、加害者はそういう、子供を養育する喜びを親から奪ったのだ、だから5千万円の支出が防げたのではなくて5千万円出して子供を育てる喜びが失われたのだ、と言いました。 これには反対する学者が結構います。






 と、こんな感じの授業を延々とやってきたわけであります。












写真は昨日の遺棄罪のテキスト(白鳥祐司北大教授)から抜粋しました。






白鳥先生は無罪説です。






今日学食で食べてたら東欧風美人が一人で器用にラーメンを食べていました。カッコ良かったです。