2008年12月17日水曜日

国家を肌で感じるとき


きょうの民事裁判実務、裁判官であるI先生の話を聞いていると、現役裁判官が実際に裁判をしている現場の臨場感を感じます。それはまさに国家意思の発動です。国家の持つ権力、柔らかく言うと統治権が現実に働く姿を肌で感じました。


 別に怖ろしいことをやっているというのではなく、裁判という作用もまた国家権力の行使なんだなあ、そしてほとんどの裁判官はこの権力を慎重な上にも慎重に行使しているということがよくわかりました。


 なぜなら国民の権利を国家によって剥奪、否定するか否かのぎりぎりの決定(これってものすごく怖ろしいことですよ)を日々行っているのが彼ら生身の裁判官だからです。


 翻って国家機関をぐるっと見渡すと、国家意思決定を自ら単独で行っているのは裁判官くらいのもんです。他の公務員は総理大臣からしてみんな集団的意思決定を隠れ蓑にして責任回避をしていますが、こと裁判官に限っては(単独事件と最高裁判所に限ってですけど)一人責任を負っています。


 これはそうとう辛いです。


きょうのI先生の話からわたしが嗅ぎ取ったのはそういう覚悟、でした。


まあ、ジャンルは違いますが、イチローとにているところが大いにあります。


どちらも隙を見せない、日々努力する、努力する姿を人に見せない、そして他人にも自分にも責任を負っていることを自覚しているからです。


 裁判官をべた褒めしているように見えますが、実際、これほど厳しい職業は滅多にないと思いました。


昨夜は夜中の3時半までかかって行政法の予習をやってました。興奮してその後布団に入っても寝付けませんでした。

 で、今日ロー内のネットを開けてみると、なんと授業予定が変更に!こんにゃろ~っ。

がっくりもいいとこです。

 また今夜も半徹夜か~。しかも、ゼミのコンパもやることになりわたしがセッティング担当になってしまい、場所探しに苦闘。だって24日にやるのでどこも予約でいっぱいだもので。

 好事魔多し。いや、まだ好事も来ていないのに魔ばっかしですわ。

わてほんまによ~いわんわー、と笠置静子が歌ってましたねー、って、知ってる人はほとんどいないよなあ。
写真はこの前の日曜日、天神中央公園でやってた京筑(けいちく)地方物産展、行橋あたりです。子供達の舞が良かった。このあたりでは未だに奈良時代の地名が多く残っています。
また、この写真を思い出したのは、公園の向こうに見える白い建物が、済生会病院で、美空ひばりさんはここに入院していたからです。つまり、笠置静子からひばりを連想したと言うわけです。