2009年8月16日日曜日

帰ってきました






















13日から16日まで田舎に。大分県宇佐市。オヤジの故郷です。お袋は都城出。わたしの心の故郷は大分県日田市です。小学校に上がるまで日田に居た母方の祖父母のもとに送られて典型的な年寄りっ子に。






同じ大分県でもずいぶんと風土が異なります。






宇佐は斜陽で、奈良平安のころの遺物が残っていますが、他にめぼしいものはありません。人柄は悪いです。ねたみそねみ悪口の風が強いです。これはまあ仕方のないことですが。大分県にはスゴイ数の藩と天領が細かく存在してて、お互い他領の百姓の悪口やら威張り散らしやらを250年間言い合ってきたのですから。
近くの豊後高田市には平安時代から全く変わっていない荘園が残っています。田染の荘(たしぶのしょう)という農地で、たんぼや道の形が1000年前から全く変わっていないんです。
文化遺産はとても立派なものがごろごろあるんですが、人間がね~。






 大分は九州の中でも異端です。どっちかというと瀬戸内海の西の端にあるので瀬戸内文化圏に入るのではないでしょうか。あっと!瀬戸内の気風が悪いと言っているのではありませんから。大分って地理的には愛媛や山口広島と近いんです。テレビ電波も海を渡って届きます。ただそう言う意味で瀬戸内に近いと言いたいだけですから。
 もっとも大分県でも西部の山あいではかなり九州風になってきます。そんな中、同じ山あいでも日田は別格で、天領でしたので都の風情がたっぷり残っています。豪商が天領の経済を操り、金持ちの遊びがおおいにはやりました。






 以前秋田の角館(かくのだて)に旅行に行ったとき、日田と同じ匂いがしてふるさとのような気がしました。角館にお金の匂いはあんまりなかったですが。もっとも武家屋敷の塀を黒塗りにしたのは都風にしたのだ、というのを現地で効いたような気がします。






 昨日は一日中びゅんびゅん風が吹いて、まるでトトロがやって来たんじゃないか、なんて気がしました。青々とした稲穂が風に吹かれる様はとても美しかったです。






 昨夜はまた、涼しいと言う以上に肌寒いほど冷たい風が吹き込んできて、夜中に女房が起き出して窓を閉めに行ったのをおぼろげながら感じました。今朝は薄い肌布団にくるまって寝てました。






 オヤジはこの前の広島原爆の日に、母校の小学校に招かれて被爆体験を語ったそうです。15分間話してくれ、と学校から言われたのに、実際は45分もしゃべり通したんだそうです。新聞社とテレビ局から取材が来たそうで、オヤジ達が良く通う、別府の原爆センターという、被爆者用の温泉施設のスタッフの方から、テレビに出てましたねーっ、と電話が掛かってきたそうです。






その原爆センターは、たしか九大医学部の先生が、原爆治療にここの温泉が効果がある、と発表したのに基づいて温泉施設を建てたんです。わたしも何度か行きました。一泊三食でたしか4000円くらいでしたか。透き通った無味無臭の温泉です。一日2回、温泉に浸かって、あとはごろごろ寝たり話をしたりして数日過ごすんです。広島からフェリーで来る人が一番多いです。






オヤジは常連中の常連なんです。自分がかつて被爆して大やけどを負ったとき、全身のケロイドが見事に解けて消えたのは温泉のお陰だと信じているからです。






 宇佐からわたしの住む福岡までクルマで約3時間。途中、女房の実家である田川を通っていきます。田川はちょうど真ん中です。青春の門の舞台です。






香春岳(かわらだけ)という山があったのですが、セメントを採取するため削られていき、いまでは台地になってしまいました。石炭産業が衰退し過疎地域になってしまった田川の再生に、この台地化した香春岳をテーマパークにしたら良いのに、と思います。未知との遭遇のような不思議な感覚を覚えるんです。






台地の上にいろんなアトラクションを造ったらもの凄く面白いものが出来るんじゃないかなあ。






 今日3時過ぎに帰ってきてさっそくローに行き、残りのレポート、歴史と法、をほとんど書き上げました。気付いたら夜10時でした。といっても3時間運転してきた疲れでだいぶ爆睡しました、自作の傑作あ○らく椅子で。