2009年3月15日日曜日

ブルートレイン

ハヤブサも富士も消えてしまいました。
寝台特急富士は、わたしの田舎である大分県宇佐市の実家のすぐ横が日豊本線の線路なのでよく見てました。
わたし自身は、浪人、大学時代に何度か寝台車で京都まで乗りました。
今憶えているのは、寝台がセットされ、ベッドに寝そべって窓の外を見ていたシーンです。大きな窓ガラスに夜露がじっとりと浮かんで、シーツが濡れていました。手で曇りをぬぐうと、たしか岡山駅か広島駅のホームに止まってて、ホームには誰一人居なくて、夜の停車駅、そのものでした。
なかなか寝付けなくて、そうかといって寝酒を飲む習慣も無かったので、ただぼんやりいろんなことを空想していたような気がします。
 それから、夜が明けて寝台が畳まれて座席になり、洗面台の蛇口をひねるとお湯が出たのに驚き、そのお湯で顔を洗うと一気にピシッと目が覚めた記憶があります。
 とにかく、寝台車の良い点は目的地に早朝到着する、ということです。なんか無駄が省けるというか、楽しみながら時間をうまく使える、という一石二鳥、三鳥みたいな、得をした気持ちになれました。
 一度、浪人中、博多から京都まで夜行急行阿蘇、に乗って行ったことがあります。寝台車じゃないんです。一晩中堅い座席に座りっぱなしで徹夜で京都に着く、という怖ろしい経験でした。6月末なのに寒くて寒くて、がたがた震えてました。たいていの乗客は新聞紙を床に引いて寝てたり、窮屈そうにして二人がけの座席に横寝してたりしてました。
当然食堂車も車内販売もなく、余りの空腹と寒さに死にそうになっていました。たしか新聞紙を服の中に入れて寒さを防いでいたと記憶しています。
 ブルートレインも、全てなくすのではなく、ちょっとくらい残しておいて欲しいです。観光資源になるンじゃないでしょうか。これからはスローライフの時代。中高年にとって大事な交通機関だと思うのですが。
 JRも日本郵政も勝手なことばかりやっている気がして仕方がありません。
もちろん元凶は役人をはびこらせた自民党と、自民党に政権維持に積極消極両方で加担した選挙民です。
 権力は必ず腐るのです。長期政権はどの国のどの政党でも腐敗します。
日本人は政治的センスにおいては全く度し難い民族です。それもこれも、まともな歴史教育をしてこなかったからです。先人に学ぶことがいかに大事か、歴史をたんなる受験科目にしてしまったことが問題の原点です。
 歴史を学ぶことがいかに大切なことか、欧米では必ず自国の歴史をしっかり学ばせます。社会的人間になるための原点だからです。
 歴史とは、過去の地理と過去の公民を足したものなんです。地理とは人と自然との関わり合い、公民とは人と人、人が作った社会、人が作った国、との関わり合い、つまり人間社会の構造の勉強です。
 歴史はそのような地理と公民を過去に遡って学ぶことです。歴史を学ぶことで今の本当の地理と今の本当の公民がわかるのです。
 ですから、地理も公民も歴史もすべて人を理解することに共通点がある訳なんです。
 ですから、歴史を知らないとどういう社会になるか、どういう人間になるか、考えただけで怖ろしいです。