晴れがましい式でした。日本人としてとても誇らしい思いです。ノーベル賞授賞式会場で日本語によるアナウンスがなされたとき、その思いはピークに達しました。
また、シカゴの南部先生への授賞式では、こじんまりとした式にして欲しいと先生はリクエストされたそうで、その謙虚さがまた賞賛の対象となったようです。
思い起こせば昭和50年代、京都大学理学部あたりをあの先生達がうろうろしていたのかと思うと、ノーベル賞をとても身近に感じます。ひょっとしたら近所の喫茶店か生協食堂ですれ違ったかも。
京大理学部は本部敷地と今出川通りを隔てたところにあり、平安時代、鳥辺野といって火葬場があったところです。わたしが学生時代キャンパス内で発掘作業をしていました。理学部一帯には幹が太くどっしりとした木々が生えていて静かで落ち着いたたたずまいでした。
以前にも書きましたが、ノーベル賞を取った福井謙一先生のご自宅のすぐ側の下宿に住んでいたことがあります。受賞後、先生が作業服みたいなのを着てふらふら散歩しておられたのを見かけました。
ストックホルムでの授賞式やパーティを見るとほんと、京都をなつかしく思い出してしまいました。
今日、大学の情報基盤センターに電話すると、簡単にオフィスのダウンロードができるようになりました。めっちゃくちゃ嬉しいです。ただ余りの忙しさで今日は出来ませんでした。明日トライします。
今日の民法、債権譲渡担保。かなり難しかったです。授業で出てきた判例の数は10個くらい。理解して整理して整合性を考えるのが大変です。おまけに破産法と動産・債権譲渡担保法の理解が不可欠なので、頭がぐちゃぐちゃになります。それでもクラスの大半の学生は見事に授業についてきてました。
来週、クラスのコンパをやるということで、参加者を募ってました。プロデュースしたのが若い学生でリーダーシップのある良いヤツでした。ただ、参加者がすくないみたいで、授業前教室で大声で参加を呼びかけていました。
わたしは彼をものすごく尊敬し、かつ彼の行為に大いに感謝します。みんなの気持ちを一つにしようとするイベントはとても重要だと思います。わたしのいるクラスはだんだんグループごとに集団が分化してきつつあるとともに、一匹狼みたいな学生も結構います。
灘やラサールが優れているのは勉強ばっかりやる集団だけではないところです。趣味や特技、遊びをこなしつつ東大に受かるところが凄いのだと思います。
もっと言うと、単に東大に受かることしか考えていない他の受験校と違い、受かった後何になるか、何をするかまで考えているところが凄いんです。
同じようにローも弁護士になって何をするかを入学する前からすでに決めていなければなりません。単に勉強マシーンだけではまともな弁護士にはなれないと思います。よく遊びよく学び、社会を知り、知的好奇心を常に刺激し続けなければならないと思います。
今のクラスに関しては、そういう点で若干物足りない思いがしています。福岡以外から学びに来ている学生で、福岡や九州のことをもっと知りたいと思っている学生はわずかしかいません。ひたすら勉強勉強です。
やらなければならない勉強量がものすごくたくさんあるのは承知しています。わたし自身ヒーヒー言ってますから。
それでもほんのちょっとの空いた時間を利用して街を探索してみよう、と思ってほしいんです。
学生達は睡眠時間以外のほとんどの時間、勉強しかしていません。わたしは、正直これではいけないと思います。
というわけでコンパに参加することには大事な大事な意義があるのだ、なんちゃって。写真はオフィスワンノート。傑作です。