2009年11月26日木曜日

Yes,we can!







ってオバマ大統領がスローガンにしましたが、我が国にはもっと昔に同じ言葉をスローガンにして藩財政を立て直した藩主が居たんですねー。


 

それはあの『為せば成る、為さねば成らぬなにごとも、成らぬはひとの為さぬなりけり』と詠んだ米沢藩主上杉鷹山、ようざん(治憲、はるのり)です。母方のおばあさんが、米沢藩4代藩主綱憲(あの吉良上野介の息子)の娘です。つまり上杉鷹山は綱憲のひ孫にあたります。


 

この上杉鷹山は元々は宮崎の高鍋藩主の次男です。高鍋藩主は秋月氏です。秋月氏はもとは福岡県甘木地方の秋月というところに割拠していました。939年の藤原純友の乱を鎮圧しに都から派遣されてきた大蔵氏(渡来系で、阿智使臣の子孫と名乗っています)が乱を鎮圧した報償として太宰府に近い秋月地方を領地にもらったのです。また、鷹山の実母は黒田氏の姫です。


 

実は女房の実家の祖先も秋月なので、上杉鷹山さんがグッと身近に感じました。


 

それにしても、イエス、ウィーキャン、とオバマさんが叫んでいるのは、『為せば成る!』って言ってるわけかあ。なんか不思議な感じがしますねえ。


 


 

☆今日また、民事法の課題が出ていました。既判力と相殺の問題。ややこしいです。しかも、答案を書いて木曜日に提出しろと。しかもまた刑事弁護でも新作の課題が出ていました。よく読んでいませんが、伝聞例外みたい。リミットは来週火曜日。適当にやって終わりにしたいのですが、なかなか。


 

こういうものは一気にやっつけてしまわないとズルズル引きずって大切な時間を潰してしまいます。というわけで土日で一気に終わらせ、、、、たいなぁ。願望


 





 

絶滅希望種











絶滅危惧種があるのなら、絶滅希望種もあっても良いんじゃないかな、と思います。






最近、歩きたばこをよく見かけるんです。若い男、若い女、おばちゃん、が多いです。歩きたばこではありませんが、クルマたばこも多いです。こちらはおっさんが運転中窓を開けて自分がすっているたばこを右手で車外に出しているんです。たばこの煙が車内に入らないように、ということなんでしょう。それで、吸い終わったら、ポイッ、です。






もう、いい加減にしろ!ですよ。道路は吸い殻入れじゃあないんだから。












☆今日は大変に陽気がよくて、暑かったです。東公園に寄り道して、昨夜偶然再会したK先輩の開業している行政書士事務所の場所を探索しに行ってきたんです。そうしたら、東公園内に見事な人工の滝と絶品の紅葉が見えたんです。






おもわずヨダレが垂れました。この絶好の秋日和にぴったりの景色だったんです。






ちょうど昼休みの時間帯だったので、隣にある福岡県庁の人たちが大勢散歩したりジョギングしたりして賑やかでした。






うっとりするような紅葉が撮れました。






☆☆そのあと、以前から行ってみようと思っていたカレー屋さん、ドリアンに。






今から16年前まで箱崎で下宿して、塾講師をやっていたころ、真冬の夜10時過ぎに下宿に戻る途中によく寄ってました。その後、わたしの下宿先と同様、JR鹿児島本線が高架になるので立ち退きにあってどっかに行ったか廃業したか、分からなくなっていたんです。それが数ヶ月前偶然見つけたんです。






中に入ってカツカレーを注文する際、水を持ってきてくれた女性に、ここは以前踏み切りの横でやってたあのドリアンですか、と尋ねたら、経営者は変わったけれどカレーは同じ物です、とのこと。 たしかに味は変わっていませんでした。美味しい、というか、味にボリュームがあるんです。カツもカリッと揚がっていて美味しかったです。






ただ、昔は細長くて深い容器に入っていたのに今日のはふつうの広皿でした。昔を懐かしむ思いが強かったので、器が違うだけなのにかなりがっかりしました。






ただ、帰り際、代金を支払って出ようとしたら、奥から別の女性が出てきて(若い)わたしが昔のドリアンを懐かしがっていることに興味を持ったみたいでした。






どうも、昔の店をやっていたおばさんの娘さんみたいです。わたしが昔のドリアンを知っているのがうれしそうでした。










☆☆☆今日の民事法の講義は民訴、将来の給付の訴え、とくに敷金について、そして訴訟承継でした。もっぱら敷金についての話でした。最後の詰めの部分がいつもイマイチ分かり難いんです。






この授業は3年生100人を3クラスに分けて授業するので先生は同じ授業を3回もぶっ続けで講義しなければ成らず、きつそうです。よく分かります。45分授業に換算すると6コマぶっ続け、となりますから。へとへとになりますよ、全力で授業すると。





以前教えていた塾では、夏期講習冬期講習で、朝から晩まで45分授業を連続15コマ授業したことがありました。今思うとゾッとします。というか、よくまあそんなことが出来たなあ、と自分に感心します。いまでも時折その当時の夢を見ます。前にも言いましたが、学部やローの先生達は一回、予備校講師のやってる授業やわたしがいた塾(現在生徒数1万人の巨大塾になってます)の研修に参加してみるべきです。人に教える、ということもスキルが必要なんです。学者の先生達は他人の授業を参観したことがあまりないようです。それなのに自分のやってる授業は大した物だと思いこんでいる人がかなりいます。





それだから、自分の授業のやり方を他の教官(特に実務家教官)から批判されると烈火のごとく怒ります。でもねー。人に何かを教えることって、ある種のサービスであり、ボランティアであり、人間関係形成なんじゃないかなあ。





言ってなんぼ、ではなく、分かってなんぼ、だと思います。その点では、やはり仕事上対人的行為の多い実務家の方が教え上手です。ただ、裁判官教官はどこか、一枚、いや二枚くらいのシェルターがかかっている感じもします。つまりどんなことをしてもお前らぼんくらを分からせてやるぞ、という気迫は弱いです。これくらいわかっとるやろ、との前提で話をされるのです。ぼんくらたちはそもそもの前提で躓いているのが分かってらっしゃらない、という感じです。





それに比べると検察官教官は、口が悪くてぶっきらぼうですが、なにがなんでもわからせるぞ、という熱い気持ちがこちらに伝わってきます。





弁護士教官はアカデミックな雰囲気にあこがれを抱き続けている万年青年みたいな感じです。というか、不思議なことに弁護士教官が一番学者的です。





一般的には裁判官が学者に近いという感じもしますが、九大ローではそうでもないみたいな気がします。ピュアーな弁護士さんが多いです。情熱もまたスゴク熱いです。





と、ここまで書いていて、あれ?と思いました。肝心の、本来的な学者教官についてイメージがポッと湧いてこなかったからです。そうかあ、ということは、九大ローというところは学者以外の教官達で持っているとも言えるのかなあ、と。





おっと!ここらで止めておかないと。





☆今W先生から頂戴した民事訴訟法から考える要件事実、という本を読んでいます。もの凄く良い本です。去年この本が出ていたら再履修の憂き目に合わずに済んだ物を、なんて。実際この本は頭にすっと入ってきます。また、読んでいて凄く楽しいです。実に気持ちの良い本です。