2008年1月31日木曜日

論文3位




の合格者の講義を聞いてきました。


その憲法判例の知識のすごさ。きちっと要所を押さえており、さすが、と感心しました。


いまどきの合格者の特徴は判例をよく勉強していることです。そして要領の良い勉強をしている。すなわち、点数をもらえないところはやらない、配点を多くしているところはびしっとやる、ということです。


対して、民法についてはやや薄いかも。でも、足りないところはそれくらいで、とにかく判例のまとめがスゴイ。参った。


それと、答案作成術が完成されている。ほかの合格者のいいところをどんどんパクッて自分のものにしているのがまたスゴイと思いました。


 むかしの一桁合格者とはイメージが大きく違います。それこそ、俺はどっかのヘボ学者よりできるんだ、とでもいわんばかりの学問的深さを持っている奴が多かったです。ところが今では司法試験とは実務家登用試験であるという認識が一般化したので、とにかく実務感覚すなわち判例の知識が何よりも重要視されます。


もちろん、当時も判例だけ勉強してたやつは上位合格でなくてもとっとと受かっていました。わたしは愚かにもそういう人たちを馬鹿にして、学者面して間違った方向に驀進してました。あーあ。


 


今晩、新居の鍵渡しの集会が開かれました。これで福岡市の役人さんたちともお別れ。新しい鍵は自動車のキーみたいに大きくて、うんざりです。


今度新しくお隣さんになる方が分かり、人柄が良さそうなので大安心です。


しかし、明日から少しずつ引越しを始めなければと思うと、かなりブルーです。せっかくやる気が沸いてきたのに。


福岡市役所横は駐車違反取締りのメッカ。どんどんつかまります。
上の写真右手の銀色の日産マーチのおじさんも実は直前に、写真の二人組の取り締まり員から駐車違反切符を張られてしまったのでした。

2008年1月29日火曜日

テレビのない生活


何年ぶりでしょうか、この感覚。物足りなさと開放感とが交互に襲ってきて、ちょっと禁煙直後に似ている気がしました。禁断症状も少し出てきたかな。自分のためには良いことなんだが、なんかモノサビシイ。

自然と机にへばりつくようになりました。ほかにすること無いもんで。

でもでも、ちらりと電気屋に行って薄型テレビの値段なんかを偵察したりして、未練がましい奴です。

さっき、辰巳の帰り、MrMaxに寄ってテレビとウォシュレットを見てきました。ウォシュレットの安いこと。17000円で売ってました。

液晶テレビは、みんなが良いというシャープよりも、松下やソニーの方がきれいに感じました。20型で6万円台くらいか。

わたしが昨日処分した、なつかしのブラウン管14インチも売ってました。9900円!

世の中の変わり方の早いこと!いつの間にかテレビと言えば薄型が常識になってます。その上さっきのウォシュレットのように値段がどんどん下がって、だれでも買える時代になりつつあります。

厚さ数センチのテレビなんて、空想の世界でしかありえなかったのに。
そしてまたこうしてインターネットで世界中に自分の文章を発信できるなんて。

よくよく考えるとものすごいことですよこれは。

2008年1月28日月曜日

一段落




今日は箱崎に3回行きました。


①正午、学務部カウンターで入学金、授業料免除申請書を出しました。すると、この前とは違う女性職員が、わたしが一緒に出した所得証明書を見つめ、『あなたは独立生計になるんじゃないでしょうか』と、今までと全く違うことを言い始めたのです。


またかぁ、わたしはうんざりして、『えっ、どういうことですか』と聞くと、『お父さんからの仕送りだけで生計を立てているのがこの所得証明書でわかるので、お父さん関係の所得証明書や確定申告書の写しなどは不要になります』だって。


こちらがどれだけの苦労をして親父、お袋の書類を集めたと思ってるんだ!こんちくしょうめ、と思ったのですが、今後の後期の授業料免除のこととか、親父と同一生計のままだと、2月後半に、新しい確定申告の写しを提出するなどの面倒が増えるので、結果的には独立生計の方が有利となり、ありがたい話なんではあります。


けれども、そうであるなら最初からそう言って欲しかった。無駄な苦労が多すぎました。


このことを聞いたとき、この前対応した女の子が幸運にも横にいて、今日の女性がその子にこれでいいよね、と告げると、その子は、『う~ん、そ~ですね~』と、曖昧な返事。


わたしは、しめた、ラッキーと思いました。だって、対応した職員がてんでんばらばらなことを言うのですから、言った職員同士でコンセンサスを取って貰わないとわたしが後で困ることになりかねないからです。公務員は責任回避が上手なので、お互いに回避し合うと、結果的にこちらにババくじが廻ることになるからです。わたしに対して違うことを言った当事者がわたしの目の前で意見統一してくれたので、すごく安心しました。


その結果、わたしが清書してきた願書は書き直すことになりました。あ~あ、またか、とは思いましたが、後で苦労しなくて済むなら、と快く書き直しに応じました。


②そこで、真新しい願書を貰い、一旦我が家に戻って書き直すことにしました。


 で、帰ってみると、なんと今日の夕方に予定していた燃えないゴミの無料引き取りトラックが今にも出発しそうになっていました。やばい!そこでそのおじさん達にお願いして、昨夜遅く玄関外に置いてた灯油ストーブや古いスキャナー、プリンタ、壊れたステレオ、そして2日前に壊れた14型テレビを、一階から五階まで5往復して運び出しました。体がへなへなになり、汗でびしょびしょに。体力低下著しき限り。


十数年間我が家に居たテレビでした。長い間ご苦労さん、と声をかけて運び出しました。


上半身裸になり、熱いタオルで汗を拭き、餅を4個焼いて食べながら、願書を書き直しました。300字以内で免除申請理由を書かなければならないのが大変なんです。


③書き直した書類を持って再び箱崎へ。着いたのが4じ30分。わたしが学務部に入っていくとカウンター内の近くにいた人がわたしの顔を見て最前の女性に声をかけてくれました。そうか、何遍も来るんでオレの顔は知られてるんだな、と分かりました。


で、その女性はわたしの顔を見て、えっ!今日来たの?はや~、と言う表情でした。


それで、点検の結果、これで良し、と言うことになり、やれやれ、と思う間もなく、文系校舎のロー事務室へ、時刻は4時45分。そこでは写真を貼った紙切れとちいさな写真1枚だけしか提出しなくてよく、あまりのあっけなさと先ほどまでの苦労苦労の免除申請との落差の大きさに驚くばかりでした。


④以上でロー関係の面倒で心労の多い書類提出行為は一応終了し、大いに安堵しました。


⑤夜8時、女房が羽田から帰着、空港まで迎えに。遅い晩ご飯にと三度目の箱崎へ。


めちゃめちゃおいしい天天ですぶたとマーボー丼を分け合って戴きました。


やっぱり美味い。


今日はいろいろ大変でしたが、一気に用事が捌けたので気分が軽くなりました。


また、氷雨の中を運転したので冬の雨も満喫できました。車中で昭和のフォークを聞きました。はしだのりひことシューベルツの、風が聞こえてきたとき、涙が出そうになりました。

歌川広重


今日テレビで、広重の東海道五十三次の版画の再現成功と、浮世絵がフランス印象派にどんだけすごい影響を与えたかを探る特集がありました。

たしか2年前、福岡に浮世絵展が来て百道の美術館に見に行ったことを思い出しました。

北斎は天才、広重は秀才、というのが見たときの感想でした。でもわたし自身は広重の東海道ものが好きです。みんなが取り上げる構図のすごさよりも、色の素晴らしさ、特に青のバリュエーションに引き込まれました。夕暮れの青の澄んでいてなつかしげでさびしげな色合いがとりわけ気に入りました。それと、雨の激しさ。雨好きなもので。

で、フランスの印象派の画家たちは浮世絵に熱狂したそうです。その代表格が、あの睡蓮で有名なクロードモネです。日本の太鼓橋や柳の木、睡蓮まで日本から運ばせたそうです。セザンヌ、ゴッホ、マネらも忠実に浮世絵を油絵で模写しています。

モネは、風景が見せる一瞬の表情を捉えてキャンバスに写そうとして同じ構図で異なる時刻の絵を何枚も描きました。セザンヌもです。

わたしには絵の才能が全くありません。ただ、小さいころから音感だけは良く、父の親戚の子分(当時その親戚は若松でヤクザをやってました)から古い流しのギターをもらったとき、独力で6弦のチューニングに成功しました。今思えば絶対音感を持っていたのではと思います。

でも、わたしはやはり絵の才能のほうがいいなあと思います。だって絵は残りますもん。音楽は一瞬のもので、終わったら余韻しか残りません。潔すぎます。

 なんでだらだらと印象派のことを書いたかといいますと、そのテレビを見終わろうとしたときに、テレビ画面が揺れだし、上下から黒いチョコレートのようなものが広がってきて、とうとう画面が真っ黒けになってしまったのです。

15年くらい使っていたちっちゃなテレビでしたが、引越し前に昇天してしまいました。まるで引越しを予期していたかのようで、なんかかわいそうになりました。


2008年1月26日土曜日

シニア


授業料免除申請手続には二つあります。半額免除と、全額免除です。そのうち全額免除は社会人、女性、シニアのみ申請できます。ではシニアって何歳からか知ってますか?


50歳ですよ。わたしはれっきとしたシニアなんですよ。ウソ~ッ!


オレはシニアかぁ。がっくりきました。若いと思っているのは自分だけなんか。


それでも、ちりとてちんで良いこといってました。人生どまんなかって。


つまり、自分の人生は他人の影になってしぼむことなどない、自分の人生はあくまで自分のものなんだから、胸張ってど真ん中を生きろ、という意味なんです。


良いこと言うなあ、と感激しました。


シニアだかなんだか知らんけど、ど真ん中を進んでやる、と思うと、なんだか気分が活き活きしてきました。


なんでもかんでもやりたいことをやってやろうと言う気になりました。言葉って凄い。人を変える力がありますねえ。


昨夜、とうとう免除申請関係書類を全て書き終え揃い終え、胸のつかえが下りました。


夜中の2時半でした。


今朝からついに引っ越し行動の記念すべきスタートを切りました。巨大で場所ばかり取り、そのくせ座り心地の悪い座椅子を福岡市西リサイクルセンターまで車で運び、引き取って貰ってきたのです。


すこし風邪気味でしたが、何かアクション開始したかったのです。


その前にローに提出する写真を、証明写真自動撮影機で700円入れて撮ったのですが、出てきた写真を見ると顔が真っ赤になってました。それを見た途端、熱っぽくなってきて頭痛も始まりました。バカな話です。自分の熱っぽい顔を見た途端に熱が出て頭も痛くなるなんて。

2008年1月24日木曜日

電気毛布


必需品です。

ここんとこ本格的な冬に立ち返ったため、家の中にいても下半身が冷たくて、電気毛布を腰に巻いたり頭からかぶったりして暖を取っています。

というのも、灯油ストーブが大の苦手で、燃えたときに出る細かい粒子のせいで咳がでてしまうからです。

また、エアコンも、妙に空気が乾燥してしまい喉に良くないのです。しかも、電気コタツのコードがどっかに行ってしまったため、残る手段はホットカーペットと電気毛布だけという有様なのであります。

 この電気毛布の暖かいこと!魔法の毛布です。薄っぺらいくせに熱がどんどん出てくるのです。まあ、当たり前といえばそうなんですが。

 そういえばスヌーピーに、赤い毛布を片時も離さず持ち歩く少年がいました。ブランケット症候群という医学用語まで出来ましたが、なにかにすがっていないと落ち着かない心の状態を言うそうです。今のわたしがそうです。暖気に包まれ、いい気持ちです。

 今日は、物事がうまく運んだ一日でした。

気温3度の曇り空の中、手袋を二重にはめ、首周りにネックウォーマーを被り、スクーターにまたがって区役所に行って所得証明書を取り、セブンイレブンでバイクの自賠責保険の更新をコピー機付属のネット処理で完了し、九大で授業料免除の申請に必要な書類の確認をしてほとんど手続の目処が立ったのでした。

 今日、学生課で教えて貰った斉藤さんという女性職員はてきぱきとしていて知識もあり、おかげでわたしの不安が消えました。この手続は信じられないほどうんざりする作業なんですよ。

 九大では、知り合いの後輩とばったり出会い、話をしてみると、今度ローの3年生になるとのこと。時の経つのの速さに驚きました。なんとこれからわたしの方が逆に後輩になるわけです。

 帰りに、女房から得た情報に基づき、博多駅の近くの代ゼミの裏手にふくちゃんラーメンの支店が出来たというので、見つけ出して食べてきました。

客はほとんど居ませんでした。味は田隈の本店よりも美味しく感じました。多分、博多で3本指にはいると思います。ただ、本店よりも100円高かったです。

今日の結果に満足した今の気持ちを写真で表してみました。


2008年1月23日水曜日

引越し手続き





電気ガス水道電話ネット、といろいろ面倒です。



頭にきたのは、ネットの移設工事で6000円も取られることです。なんで?ただ自分の会社内の設定変更しかしないのに。



とはいえ、おしなべて相手の電話の応対は優秀でした。



特に良かったのはNTTでした。思えば昭和の終わりころ、電電公社の時代、窓口ではおっさんが横柄な口調で、なんか用か、みたいな言い方をしてました。ところが今日の電話は実に親切丁寧でした。民営化してよかったかも。もっとも電話加入権を紙くずにしたのだけは未だに許せねえ。詐欺でしょ。電話加入権は資産ですと言ってたのは誰や?



詐欺といえば、朝青龍を精神疾患と診断したボケ精神科医をなぜ誰も弾劾しないのか?あの時、ただひとり、白髪のジー様(名前忘れた)だけが、『あれは仮病、ただのフテクサレじゃ』とおっしゃいました。偉い!



話を応対に戻すと、いまでも似たようなひどい応対をしているのが大きな警察署です。場所にもよりますが、大体、おまえ何しにきた、と言う感じです。一番ひどいのは百道にある早良署の一階交通課です。あそこのフザケタおやじどもには本当に頭にきました。



警察官でいい感じだったのは博多署の2階の交通課の警部さんくらいか。






ところで、女房が今週末から湯河原で会社の研修に出かけることになり、デジカメを渡したので、激写ができず、今まで撮ったものの中から選んで載せます。季節感がありませんが我慢して見てやってください。

2008年1月22日火曜日

歩いた歩いた




辰巳から歩いて帰ってきました。


朝は小雨、地下鉄七隈線で。辰巳に6時間半いて講座を二つ聞きました。昼ご飯も食べずにずーっと座りっぱなし。ただ、講義の内容がよかったので意外と疲れは少なかったです。


帰りに天神地下街を通って、DELLコンピュータの店に行きました。法科大学院ではノートパソコンが必須だというので、値段と性能を調査しに行きました。


近頃のノートパソコンは、画面がピカピカ反射してすごく見にくいのです。bicカメラの店員に以前聞いたところ、パソコン使用の目的は主に映画やグラフィックを見るためというのが大半で、そのためには美しい画面でないと売れないとのこと。わたしが、じゃあワープロをやる人はどうしたらいいの?と聞くと、画面のつや消しをしているメーカーはDELLくらいじゃないですか、との返答。


そういうわけでDELLを見に行きました。


なかなか良いです。ただその展示場所にはつや消し型はありませんでした。もっとも、画面が17インチというビッグサイズ画面のノートがあり、かなり心引かれる思いがしました。


 夕方は雨も上がり、風もなく穏やかな風情だったので、ついつい歩いて帰ってしまいました。


途中、例によって大濠公園を経由しました。


夕暮れ時の大濠公園がまたイイ感じなんです。




4時半に天神を出て我が家にたどり着いたのは6時半、2時間もほっつき歩いてしまいました。


あわててカップ春雨をすすり、団地の集会所へ。


7時半から新居の駐車スペースの抽選会があったのです。


自分の階段に近いスペースを選択するのですが、4人の応募者がいて、前回のように、茶封筒の中に1番から4番まで番号が書かれた紙を入れ、1番を当てた人から好きな場所を選べるのです。


で、今回もまたわたしが一番くじを引き当ててしまいました。ラッキー。あんた本当にくじ運強かねえ、と言われました。


 その後、脚をほぐすためにプールに行って水中ウォーキングをやり始めたところ、5分もしないうちに


両足ともつってしまいました。


さすがに2時間も歩いたのはやりすぎたかなあ。テレビでIKKOさんが毎日3時間歩いたおかげで1年で25キロも痩せたといってたのでつられてしましました。

2008年1月20日日曜日

トラブル







①未遂




 昨夜、奨学金の申し込みの最終段階として、ネットで申し込み入力をしました。




スカラネットといいます。最近は奨学金の申請にネットが必要なんです。なんか変ですよね。




本当の貧乏人はパソコンもましてやネットも出来ないのに。




それはともかく、画面上に次々と記入欄が登場していくのですが、その最初の画面に現れた表示が『この手続はwindous vistaでは行えません。』と言う文章です。えっ?




ということは、今時のナウいパソコンでは手続が出来ないということか、古いXPじゃないとだめだということか。




これもまた変だよなあ。まあ、私の場合はパソコンが古いので助かりましたが、締め切り直前にこの画面を見た人たちは青ざめることでしょう。だってもらった書類にはそんなことはなんにも書いてないんですぜ。不親切もここまで来ると芸術的です。




②既遂




 きょう夕方4時半頃、荒戸の交差点で、突然わたしの前に割り込もうとした車のあほたれドライバーと口げんかしました。




悔しかったのは、もうちょっと脅かしてやれば良かったなあ、という言い足りなさです。




右手方向に曲がる車線のところが10台近く信号待ちで止まっていたのです。その左側の直進車線をわたしが走っていると、止まっていた車がいきなり左側に、つまりわたしの車線に飛び出しかけてぶつかりそうになったのでわたしがプップッーと警笛を鳴らしたのです。




するとその車は、直後の赤信号で止まっていたわたしの横につけて運転手がわたしを睨み付けるので、わたしもにらみ返しました。するとそいつは窓を開けてなにかこっちに向かってわめき始めました。




わたしは音楽をかけていたので何をわめいているのか聞こえず、じっとそいつをにらみ続けました。




良く聞くとそいつは、どうも、おまえは警察か?おまえのすることはすべて正しいのか、とかなんとかわめいているようでした。わたしも言い返そうと思ったのですが、あほらしくなったので、はよう行かんか、とだけ言いました。




そいつはそれから5分ほどわたしの前を走っていました。




うーん、今思えば、『これからおれは博多署に用事があって行くけん、お前もついてこい』と言えば良かった。残念。もちろんウソですけど。




③予備




バザールが団地内で開かれたので、そこに要らなくなった座椅子を持って行こうと思い、下見に出かけたところ、あまりにも貧弱なバザールだったので、がっくりして帰ってきました。50円、100円のぼろぼろの着物やタダで貰ってもありがたくなさそうな趣味の悪い茶碗とかばっかりでした。




その後、思い直して話だけでも持ちかけて引き取って貰おうと出かけたところ、すでに終了していました。

2008年1月18日金曜日

ちりとてちん




NHKの朝ドラですが、はまってしまいました。女房もお袋さんもです。(女房のお袋さんは、KBCが朝やってるキムサングンにもはまっています)。みんなで泣きながら観てます。




わたしが素晴らしいと感じているのは、論理的であると言うことです。




会話が特に素晴らしい。練りに練ったセリフだなあと、脚本家の頭の良さに感服しています。




しかも15分以内という時間的制約下でよくもまあ観ている人を説得感動させることが出来るなあ、と、その才能に惚れました。




観ている人を感動させるためには、説得力が必要で、それには論理性が不可欠です。もちろん、人間は突発的衝動的な行動をとります。でも、そのような行動でも納得できる説明が不可欠です。




ドラマの語源は、相両立しない欲求同士の衝突をいいます。突発的衝動的な行動に見えるのはその行動の対立欲求がわからないようにみえるからです。




ですから、最初に衝動的行動を見せた後でなぜそのような行動に出ざるを得なかったかについて、対立欲求を説明すれば、なるほど、それでああいう行動を取ったのか、と納得できるわけです。




 ちりとてちんの場合、登場人物の各キャラクターが明確で、その人々が、彼のキャラからすればそのような発言をするのももっともだという安心感を築いた上で、さらに人々に突飛な行動をとらせ、その後にその説明をきちんとし、しかもその説明を担当する人を限定せずに均等に配分しているので単調さを防ぐことに成功している。




言い換えると、群衆ドラマとすることに見事成功しているのです。各自が生き生きと描かれている。こんなしっかりした構造を作れたことに才能を感じるのです。むかし、アメリカのアーサーヘイリーという作家が同じような群衆小説を書いていました(グランドホテル小説といいます)。




これに匹敵する素晴らしい才能だと思います。




しかも、状況に応じて5種類ほどの音楽を使い分けていて、場面設定ごとの雰囲気を見事に表現し分けています。




おしん以来の傑作ではないでしょうか。




このような説得力を答案にも生かせないかなあ、などと思いながら観ています。






ところで



昨日甥の住む学生寮が新築されるので新しい寮を見学してきました。スゴスギル。



ゴージャスそのもの。各部屋一人部屋でベランダ付き、エアコン完備、バストイレ付き、各階に談話室、親が来寮したときに泊まれる部屋、一階の食堂は全面ガラス張りで中庭が見渡せる、ホテルラウンジのよう。しかも立地が百道のど真ん中で閑静なたたずまいを体現したような場所、大学まで歩いて4分。これ以上の学生寮はないです。



わたしと寮母さんは感嘆の声を上げ、自分もここに住みたいと叫びました。



ところが、なんと、肝心の学生達は沈黙。甥に、感想は?と聞くと、『予備校の寮の方が広かった』などどほざくのであります。シンジラレナーイ!



 ぜいたく者という表現だけでは足りなさすぎます。自分たちがどんだけ恵まれているのか全く分かっていない。腹が立って腹が立って仕方ありませんでした。



大学も変です。学生寮とは貧乏な学生を保護して勉学に努めさせるためにあるはずなのに、超高級な箱物を作って高い寮費をとるなんて、はっきりいって間違っています。



 寮費を旧寮の倍にするんですよ。貧乏人は入るなということです。



どう思います?




 

2008年1月15日火曜日

悪寒




辰巳のブースが暑かったせいか、途中から頭痛がひどくなってきました。辰巳を出て九大に奨学金の書類を提出しに行った帰り、頭痛はますますひどくなり、とうとう体中が冷えてきて、バイクの運転中、一刻も早く我が家にたどり着いて暖かいホットカーペットの上で横になりたかったです。



帰り着いたときには冷凍マグロになっていました。


直ちにホットカーペットをつけてバファリンを2錠飲み、ミイラのようにダウンのコートと毛布にくるまってホットカーペットの上で丸虫の格好で仮死状態。硬直は2時間続きましたがようやく解凍されつつあったその時、携帯の呼び出し音。知らない番号だ。


出てみると、コスコス引越センターからの見積もりの件。昨晩のアートの怪しからん態度を思い出しつつ、サカイに決めたので、と言って丁重に断ると、なんと『そうですかあ、それはおめでとうございます』と!しかも、あちらが『あのー、お値段はいくらくらいでしょうか』と尋ねたので『8万くらいです、エアコン工事込みで』と答えると、『それは安いですねえ』と。



なんたる違い!わたしが、昨日こうあるべきだ、と思っていたとおりを彼がしゃべったので、感動して、電話口でその担当者を褒めちぎったところ、あちらは別にうれしくもなんともなさそうでした。ちとがっかり。



 その担当者のお名前は、志垣さんといいます。コスコス引越センターさんの志垣さん、あんたは偉い!営業マンの鑑ですぞ。



とまあ、不遜なる言い方をしてしまいましたが、世の中品格を失っていない人もいたんだなあ、と安心。

写真は箱崎商店街と日蓮上人像。





2008年1月12日土曜日

契約

してしまいました。引っ越しのサカイとです。
土曜日一日の顛末を話します。
 わたしの住んでる住宅の同じ階段に住む6軒すべてがリフォームのために引っ越すことになったのですが、そのうちのわたしを含む3軒で共同して引越会社から見積もりをして貰おうということになったのです(わたしがセッティングして)。
 そして、第一弾として引っ越しのサカイに土曜の午前中来て貰うことにしました。先にわたしの家から始めることになっていました。ところが、他の二人のおばさんたちの都合で(勝手な)、結局わたしはその日の午前中に見積もりすることが出来なくなりました(お人好しなボク)。
 仕方なく、サカイの営業マン(森クン)と、後日改めて見積もりをしようということになったのですが、次の週はわたしが何度も箱崎や辰巳に行かねばならないので、次回合うのは一週間後の土曜にしようと決めたところ、直後に森クンから電話がかかってきて、やっぱり本日の夜なんとかして伺いますとのこと。
いいけど、と返事し、夕方6時半ごろ森クンが来ました。おそらく、一週間も待つと別の会社に取られてしまうと恐れたからでしょう。
で、彼に、他の二人のおばさん達は契約したのかと尋ねると、『はい、契約していただきました』と。
え~?なんで?今日はただの見積もりだけして貰う日にしましょうね、とおばさんたちには釘を刺していたのに。今日見積もりして今日契約するなんて、なんてバカなことを。他社と比べてみないと高いか安いかわからんのに、とあきれました。
で、けっきょくはわたしも同じことをしてしまいました。
なんでやねん?
ひとつは、営業マンの森クンの人柄です。24歳、独身、いやらしさがなくて、信用できそうでした。
もうひとつは、値段。予め他社からネットで見積もりをしてもらっていた額よりも安かったのです。
最初に彼が提示した額は高すぎて、とても自分の予算と合わない、とわたしが告げると、上司と電話で話した上で、彼はわたしの提示額より少ない額を言ったのです。ですが、わたしも、今日の今日契約をするなんて拙速は自分の主義に合わない、やはり今日契約するのは止める、と言いました。
すると、彼は再び上司に電話し、今日契約してくれるのであればさらに2万円下げる、と言うのです。
これがサカイのよく使う手であるだろうとはうすうす分かりましたが、他社の見積もりと比べて一番安かったので、松本やアートからは未だ見積もりを取っていなかったのですが、サカイに決めてしまいました。
それに、家にきてもらって見積もりを頼むのも結構しんどいことだと分かって、それを何度も何度もやるのを想像しただけできついなあ、とうんざりしたからです。
結局、わたしの見積額の上限をだいぶ下回ったので、即決してしまいました。
後日談あり。
その1
翌日日曜、今の住居でする最後の団地掃除にでて、掃除はそっちのけで引っ越しの話ばかりしてたところ、同じ階段の別のおばさんが、じぶんがほかの階段の住人から聞いてきた話だけど、どうも松本引越センターが良いそうよ、と、昨日サカイと契約したおばさんに向かって松本引越センターがいかに良い会社で得かをとうとうと話すのです。電気電話ガスの変更手続も向こうがしてくれるらしいよ、等々。
わたしは開いた口がふさがらない思いでした。すでにサカイと契約をすませてしまった人に向かって、松本引越センターの良さを言い立てて一体何の意味があるのか?もしかしてわざと不愉快にさせるつもりかいな?とまで勘ぐってしまいました。しかも、自分が直接会社から聞いたものでもなく、伝聞にしか過ぎない不確かな情報なのに。
 もっといわせて貰うなら、変更手続なんて電話一本ですぐできるので、むしろ他人にやらせる方が不便になるのに。そんなものをサービスに含めること自体失当です。
その2
日曜夜、アート引越センターから電話有り。見積もりに来る日取りの確定の電話でした。わたしが、申し訳ないけど、サカイと契約をすませてしまった、と告げると、相手はなんと言ったと思います?
わたしから、金額とか作業人員は何人かとか聞き出そうとし、わたしが、8万ちょっとだというと、それは高い、ウチだったらもっと安いのに、とそいつは言うのです。カチンときました。
家の中の家財の量を見もしないでいい加減なこと言うな。それに、契約をすませてしまった人間に対して、契約したお前は愚か者だと言わんばかりの言いぐさ。
 頭に来たので、わたしも言い返してやりました。『契約済んだ人間に向かってそんな言い方はないやろ!契約すませた、と聞いたら、それはおめでとうございます、と言うのがほんとの商売人やないか?そういう風にいえば、言われたこっちも、ああ、さっぱりした良い奴だなあ。じゃあ次はアートにしようかなあ、という気になるんと違うんか?』と。
そしたら、そいつは『そうですね、おめでとうございました。次回よろしくお願いします』と返しました。
だったらはじめからそう言わんかい、あほんだらー。
で、そんな嫌らしい奴と比べると、サカイの森クンはよかったなあ、と改めて自分の決断の正当性を裏付けることができました(ちと言い訳じみてるか。)
 ただ、サカイを全面的に信用しているわけでもありません。
そこで、一足先におばさん達がサカイを使って引っ越ししてしまうので、その作業を観察して、不満な所を見つけたら直ちに森クンに電話して文句を言うつもりです。場合に寄れば本社に電話してやるつもりです。モンスタークライアントにならなければ。

2008年1月11日金曜日

摂氏18度


暖かいという表現を通り越して、暑いと言いたくなりそうでした。


昨夜、ホットカーペットの上で寝倒してしまいました。未必の故意がありました。


勉強の合間に引越しの準備をしなければ、と言う計画が、逆転してしまいそうです。引越しって本当にパワーが必要です。


とりあえず、引越し業者7社をピックアップし、各社から見積もりを取ることにし、その第一弾が明日朝の引越しのサカイです。予定は総額10万円以内に抑えたいです。引越し費用として住宅公社から一律に26万円ほど出ます。でもトータルすると赤字になるのではとの不安あり。


たとえば、エアコンの取り外しと移転、設置の込みで、電気店だと1台につき2万5千円、引越し業者に頼むと1万500円から。これは引越料とは大体別料金になっています。


それに、移転先に敷くカーペットとかカーテンとか、、、、


ああ大変。少しずつ不用品を処分していかねば。とりわけ、本本本本本、、、、。本当に本の処分を真剣にやらねば。なにせ受験新報とか月刊法教、アーティクル、ハイローヤーが、それぞれ15年分完璧にそろっているのです。それを最近3年分以外全て廃品回収に出すことに決意しました。総額40万円分ですよ。なんとまあ、馬鹿なことを。受験とはお金と時間を無駄に使うことだったのですねえ。反省。



2008年1月10日木曜日

箱崎模様




九大の学務部に行って奨学金の申し込み手続を申し出ました。ところが受付カウンターにいた中年の職員の男女は、『えっ?なんですか?』と変な顔して答えるのです。
わたしが『ですから奨学金の申し込みです』と再度答えると、『そんなの聞いてませんよ』と。なんちゅー言いぐさ!
わたしが切れかかって『ほら、ここにちゃんと1月10日からと書いてあるじゃないですか。』と用紙を見せると、彼らはそれを受け取って穴が空くほど見つめながら、そんなバカな、と言う顔をしました。
でも、謝罪はなし。こっちをちゃんと見て、あやまらんかい!いい加減にせ~よ、あほんだらぁ!
まったくもって、社保庁なみの職業意識。きょうもまた不毛な戦いを強いられるのか、とうんざりしていたところ、かれらに(わたしにとっても)救世主現る。彼らは近くにいた鹿児島弁のおばさん(と言っても多分わたしより年下でしょう)にバトンをわたしたのです。
ところがその人が意外にも親切丁寧に手続の流れを言ってくれたので、疑問がほとんど全て消えました。はじめからその人にやってもらえたら無駄骨を折らずに済んだのに。
で、なーんも知らんおばちゃんのほうは、わたしとその鹿児島弁の出来た職員とのやりとりを横からずーっと眺めていました。今頃学習してどうする!
公務員のぬるさにはマジ頭に来ます。
それにしても奨学金の申し込み手続に関する説明のなんと不親切なこと。
結局今日の所は手続完了に至らず、再度九大にでかけなければなりません。がまんがまん。

 そのあと、OK君にレジメを渡したついでに、近頃ネットで高評価の中華が地下鉄の上がり口にあるということで、二人して出かけました。公団住宅の一階にある、天天という店です。
 そこで1200円の昼会席と840円の酸ラー湯麺を分け合ってたべましたが、一言で言って、大当たりでした。1200円の昼会席が絶品だったのです。
サラダ、コーンスープ、エビチリ(4匹)、酢豚、マーボー丼、杏仁豆腐、のコースで、すべてが美味しかったのですが、なんといっても酢豚が絶品中の絶品で、この20年間で一番おいしかったです。
豚肉は臭みが全くなく、脂身もほとんどついておらず、柔らかくて味がしっかりしており、外側がカリッと、しかし中はジューシーに揚がっていて、もう、何と言っていいか分からないくらいおいしかった。
味付けも甘くしかし爽やかに仕上げており、どぎつさがまったくありません。
あー、じつにおいしかった。OK君もまた歓声を上げていました。
それ以外にも、コーンスープもマーボー丼も極めて美味しかったです。ここの料理人さんの腕は凄い。本物です。
われわれがそのことを店の人に告げると、うれしそうでした。おかげでコーヒーをサービスしてくれました。感謝。
箱崎では良い目に会うことがなかなかないのですが、この天天だけは別でした。次回箱崎に行く時は必ずまた酢豚を食べます、絶対に!
あまりのおいしさに、写真を撮るのも忘れてしまいました。残念。

スクープ2題
















その1





今朝、自転車で辰巳に向かう途中、天神のソラリアホテルで火災発生に遭遇、一帯は騒然となっておりました。





その2





夕方、住吉の女房の実家まで自転車で向かう途中、西鉄薬院駅で、RKBテレビ深夜放送中の、九州青春銀行という番組の出演者一行がバスで乗り付けるのに遭遇。





バスから降りてきたのは、こりん星からやってきた小倉優子、とんがり頭のはなわ、それと、お父さんが犬になってしまったソフトバンク家族のアフリカンのお兄ちゃん、本名ダンテなどなど。





ゆうこりんは、小さくて細くて真っ白でした。人形みたいでした。





ダンテはかなりかっこよかったです。はなわはテレビのまんまでした。










残念だったのは、写真撮影に失敗してしまったことです。遠慮してフラッシュを焚かずに露出を上げて撮ろうとしたのが敗因です。










明日は九大学務部へ、奨学金の申し込みの談判をしに切り込むつもりです。彼らにはサービス精神が欠如していますので、はたして平常心を保ったまま無事に手続が終われるか心配です。





あんまりがみがみ言うとかえってサボタージュされて仕返しされるおそれがあり、さりとて従順に振る舞うと同じように何にもしてくれない羽目に陥りそうで、微妙な駆け引きが要求されることでしょう。










2008年1月9日水曜日

ネコにガン飛ばされた







夕方、近所の住宅街をスクーターでてれてれ走っていると、右手の家の門の下から灰色地に黒い縞模様のどら猫がびょっと飛び出してきました。はは~ん。オレのバイクの前をひとっ飛びで横切る腹だな、と予測したので徐行してやったところ、思いがけずそのどら猫は足を止めて、わたしを地面からにらみつけたのです。おんどりゃぁ~っという感じです。



なにを~!そっちがガンとばすんならこっちだって黙っちゃいないぞ、とわたしもどら猫をにらみ返しました。



すると、そのネコは体をかがめ、目をおもいっきり細めてゾッとするような上目遣いでわたしにガンつけてくるのです。



で、わたしも、こんにゃろめ~とさらににらみ返してやりました。



その間約5秒、結局、私のバイクがゆるゆるとそのネコの横を通り過ぎるまでお互いににらみ合い続けました。



異種動物間格闘技をした気持ちです。勝敗?その場から去ってしまったのでわたしの負けかも。






 その前、長住のファディというスーパーにコーヒーを買いに出かけたところ、目当ての深煎りコーヒーがほとんど品切れで、わずかに88グラムしか残っていないとスタッフの女の子に言われました。残念、また別の日に買いに来ますと告げると、その子はささっと残った88グラムを袋に入れ、わたしの前に置いて、つなぎにもならないわずかな量ですが、どうぞお持ち下さい、と言いました。



 えっ?くれるの?と尋ねると、ええどうぞ、との返事。



かっこいー!惚れました。



今度、お許しが出ればその子の写真を載せます。






2008年1月8日火曜日

早春賦




昨日も今日も春めいた天気でした。さながら吉丸一昌の早春賦のようでした。



ちなみに、わたしが一番好きな小学唱歌は、朧月夜です。とくに二番の歌詞は田舎の情景を見事に描写していて、まるで絵のようです。



さとわの火影も森の色も田中の小径をたどる人もかわずの鳴くねも鐘のおとも、さながらかすめるおぼろ月夜



この、かえるが鳴く音が『ね』で鐘の音が『おと』と読むところなんぞ、イマジネーションがいかに素晴らしいかの証です。



あ、そうか、このコメントの一行目に、さながら、という言葉を使ったんで、朧月夜が頭に浮かんだのか。なんたる単純頭。



きょう、西南大学の生協に行き、辰巳の講座申し込みをしてきたんですが、西南の女子学生のファッションのすごいことすごいこと。90パーセントの女の子が雑誌のモデルみたいな、ブーツ、短パン?ロン毛でした。たしかに昔よりも足が長く細くなっています。化粧も上手です。でも、よーく見ると、なんか幼いです。遠くから眺める分にはかっこいいんですが、間近で観察すると、魅力のオーラが乏しいです。自分がジジィになったからでしょうか。生協の書籍部で専門書を取って読んでいる女の子は一人もいませんでした。そのかわり、雑誌の棚の前で二人して延々とおしゃべりをしてました。











2008年1月7日月曜日

丙子胡乱




って知ってますか?へいしこらん、と読みます。1636年、朝鮮半島で起きました。


わたしはよく韓国メディアのHPをよく見るのですが、前からずーっと知りたかったことが最近そのHPに載ったのです。


それは、李氏朝鮮が明を宗主国としていたため、満州民族の清が台頭してきた際、李氏朝鮮は明に忠誠を誓って清と戦い、敗れてしまったのです。


わたしが知りたかったのは、敗戦国の李氏朝鮮と戦勝国の清との関係でした。


韓国メディアによると、わたしの想像を超えたおぞましい事態が生じていました。


清は朝鮮民族を60万人も拉致して中国に奴隷として連行したというのです。この事件が丙子胡乱です。


つまり、清は朝鮮民族を家内奴隷として利用したわけです。死ぬまで働かせ、殴りつけ、強姦し、殺したのです。


あまりの苛烈なる歴史にわたしはその記事を読んだ時、絶句しました。


しかも、その後250回にわたり毎回女を数十人清に献上したそうです。


なんという悲劇でしょう。連行された人々に待ち受けていたのは黒人奴隷が新大陸で受けたのと寸分違わぬ残虐行為でした。


チャングム以来、李氏朝鮮の歴史に興味を持っていたのですが、島国の日本と違い、陸続きの半島が被る悲劇のすさまじさには血が凍るばかりです。


韓国の人々の民族主義的行動発言には鼻白む思いを感じることが多いのですが、彼らの受けた悲惨さを知ると、それもやむを得ないことだなあと感じました。


ただ、韓国ではこの歴史的事実を学校でおしえていないそうです。韓国人の学者でさえアメリカでアメリカ人から韓国は自国民を奴隷として輸出する国だったと指弾されて初めて知ったそうです。


うーん。人間の残虐性の底知れ無さを知ることも歴史の勉強の一部なのは分かるけど、それにしてもこのような事実は歴史好きのわたしにとっては知りたくない悪夢でした。


え?なんでお前はそんなにわめくのかって?だって、ここ福岡から釜山までたった220㎞しか離れていないんですよ。そんな目と鼻の先で苛烈な目に遭わされてた人々がいたと言う事実がわたしを圧倒するのです。


まあ、わたしがこんなに興奮するのには別の理由があるのです。それは、姪が今度九大を受験するのに、日本史が苦手だと言ってグチを言ってるのを聞いて、歴史の勉強の方法についてついつい蘊蓄を垂れてしまったのですが、そのとき、その当時の王朝とか内閣とかを暗記することよりも、その時代に生きた庶民の生活に思いをはせることのほうが大事ではないか、今までのような受験用の歴史教育って間違っているんじゃないか、と思ったからです。


このような悲劇はこの現代でもなくなっていません。コソボ、スーダン、チベット、イラク、ああ、人の心に潜む悪魔のすさまじさよ。


それでも、いやそれだからこそわたしたちは歴史を探究する努力を続けなければなりません。それを止めたなら私たちの心の中にある獣性、悪魔性に対する防波堤がなくなってしまうからです。


つまり、わたしが不覚にもそうであったように、歴史を受験勉強に堕落させてしまうことは絶対に間違っていると言いたいのです。歴史を学ぶことは単なる勉強ではなく、人間を知る学問だと言いたかったのです。


歴史を受験の対象としか見ていないことに憤りを覚えてついついこんなに長くぐちってしまいました。


 夕方、テレビで秋田の角館(かくのだて)の雪景色が写りました。数年前に女房と東北旅行したときの目的地の一つでした。乳頭温泉鶴の湯にも入りました。懐かしく思い出しました。


ただ、食べ物と焼き物は九州に勝るものはないと思いました。





2008年1月3日木曜日

客人到来
















宮崎から来た友人と久しぶりに夜更けまで語り合いました。楽しかったです。今二人とも熱中しているのがマインドマップです。特にマインドマネージャーという高価なソフトの無料体験版を試用していてその素晴らしさに感激しきりです。本当にスゴイ。けど高い。




夕方、女房の実家がある住吉までの6キロを歩いて行きました。




股関節が痛くなりました。途中、桜坂で空腹のあまり低血糖になり、コンビニで豆乳きな粉を買って飲みました。意外とおいしかったです。




朝8時に、愛宕神社に女房とお参りして来ました。寒さがびしびしと顔を刺しましたが、とても空気がおいしかったです。




それになんといっても福岡の朝模様が素晴らしかったです。遠くの山々が雪ともやで白くゆらゆら揺れ、博多湾は青々と輝き、大気はクリスタルガラスのように硬く澄んでいました。




神社の鳥居下に古くからある茶店で熱々の焼きたて饅頭を食べ、今年の干支の人形を買いました。




去年もここでいのしし人形を買ったよと言うと、茶店のおばちゃんは400円のねずみ人形ホルダーをおまけにつけてくれました。




ああ、今年がいい年でありますように。




2008年です。







今度の正月は、雪景色と晴天、曇天とめまぐるしく天候が変わって楽しめました。もっとも、寒さはとても厳しかったですが。



さあ、今年こそブレイクスルー、突破の年にしましょう。



試験の周回軌道から飛び出す時。今年は、推進ロケットがエンジン全開になってくれそうです。



何から何まで忙しい一年になるような気がします。



みなさん、どうぞ今年もよろしくお願いします。