2013年8月22日木曜日

福岡刑務所で

ロー生のときに講義の一環で福岡刑務所見学をさせてもらいました。その福岡刑務所で今日、40歳代の男性受刑者が11メーターもある刑務所の高い塀に登ってそこから自分の意思で塀の外に向かって頭から落下し、脳挫傷で死亡した、というニュースが刑務所正門や塀の動画付きでテレビに。どうも、うつ病だったらしく、落下直前、制止しようとした刑務官に向かって『お世話になりました』と言ったそうです。
このニュースを見て、到底他人事とは思えませんでした。自分がこの目で見たあの高い塀、その内側と外側とはまさに天と地の差が。その差をあの塀が象徴的にも現実的にも表現しているのです。彼は隔離、監禁、自由剥奪、自我喪失の象徴的存在でもあるまさにその塀に登ったのです。そうして、おそらくこれはわたしの勝手な推測ですが、まるで映画『ショーシャンクの空』のように、両手を羽のように広げて塀の外の自由を自分が死ぬことでもって手に入れようとしたのではないでしょうか。黙禱。
今のわたしも、ほとんど似たような心境です。なんちゃって。
ともかく、自分がこの目で見て触ってもみたあの高い塀は、本当に高いのです。いったいどうやってあんな高い塀の上まで上がれたのか、よくわかりません。ただ、あの高い塀の向こうには心の自由が、この世では望めない自由がある、と思い込んだのかもしれません。マジで身につまされる話でした。
もう少しだけお付き合いください。人間が感じる自由って一体何なんでしょうか。それこそ、主知主義に陥ってしまいますが、やはり老荘思想に行きつくのではないでしょうか。これはわたしの本当に個人的な妄想ですので迂闊に信じないようにしてくださいね。
ですが、日本語の上手なハンガリー人の数学者ピーターフランクルさん、ユダヤ系だったので、伯母さんがアウシュビッツに収容されて殺されたのですが、この伯母さんが殺される前に書いた『夜と霧』という本では、アウシュビッツ収容所の中に居てさえも幸福感を感じる時がある、というのです。これこそ、人間はその気持ち次第で自由にも幸福にもなれる、またその逆にも陥る、ということを表していると思います。
わたしは以前は内心ではこう思っていました。人間は死ぬとどうなるか、というと、別のパラレルワールドの世界にいるもう一人の自分が目を覚まして、それまでの本来の自分の人生が別の世界の自分の夢に見ていた世界だったのだということに気づく、というわけです。
ところが、最近は、人は死ぬと魂がこの地球を旅立って宇宙の旅を始めるのだ、と。
この前読んだ本で、『ダビンチコード』の作者が書いた新作小説では、人間は死ぬとわずかに微量ではあるが質量が減少する、という筋立てでした。つまり、魂、自我、という精神的な存在にも質量がある、というとんでもない話でした。結構おもしろかったです。
☆こういう風に死後の世界とか自殺とかの話ばかり書いている自分がコワイです。やはり発表が近づいてきているせいでしょう。
☆そもそも最近はスカッとする話が身の回りに全然ないんです。今日のバイトがドタキャンになって何もしないで6割分のバイト代が補償してもらえた、くらいです。
☆ただ、少しではありますが、勉強したいなあ、という、餓えのようなものは出てきました。マンション管理士試験でも受けてみようか、なんて。建物の区分所有に関する法律というのは、読んでみると意外に面白いです。現役のマンション管理士さんがブログでこの法律や過去問の詳細な解説をしてくれていて、めちゃくちゃ面白いです。
☆明日木曜日は、お世話になっている先生からチョーオイシイバイトを紹介していただきました。背広を着て行ってきます。