2009年7月25日土曜日

降って降って降りまくってます







日曜朝8時過ぎです。猛烈な雨です。たった今雷も落ちました。我が家の横にある用水路みたいな川はあふれ出すまであと1メートルまで上がって来ています。






さっき佐賀県全域に大雨洪水警報が発令されました。筑肥線という博多から唐津まで海岸線を沿って走るJRの路線も止まりました。






密度の濃い雨がかなりの横向きで降ってきています。台所の小窓を開けて寝ていたのですが朝気付くとびしょびしょに。ちょうどその小窓に置いていたデジタル時計の温度表示が23度と出ていました。気温も急降下しています。






勉強部屋の窓を雨粒が叩いています。 ローに行くのをためらわせるに十分な雨です。










で、今ローです。夕方6時過ぎです。午後やってきました。昼過ぎから雨が上がったのです。ここに来る途中、市内の中心地を流れる樋井川、那珂川を渡ってきたのですが、想像以上の水かさでした。





所々に警察官が立って警戒していました。普段と違い、川の凶暴な一面がむき出しになった、といった感じです。あれじゃあ川に溜まっていたものが全部海に流されてしまっただろう、水が引いた後は川底も川岸も何にも残っていないすっからかんかもしれない、あ、いや、逆に上流から運ばれてきた石や倒木が散乱しているかもしれない、なんて思いながら見つめていました。





この激流に落ちたらまず間違いなくあの世行きです。





 わたしらみたいにあと6日後に試験がやってくる者と違い、小中高校生たちは可愛そうです。せっかくの夏休みが台無しになって。





そういえば、今太宰府の九州国立博物館で阿修羅像が公開されているのですが、そこも雨のため閉鎖されています。





 今回の大雨は本当にもの凄かったです。




 類型別、という名前の教科書があります。要件事実という、民事裁判での当事者の主張整理マニュアルみたいなルールについて書かれた本です。





ローの学生、修習生、40代以下の法律家ならみんな知っている、悪名高い本です。司法研修所が作った本です。






全部で150頁くらいしかないぺらぺらの本ですが、悪魔のごとき本です。







読み手の理解をなんとしてでも阻んでやる、という意図で書かれたとしか思われません。そのため、この本の解説書がいくつも出ているほどです。





去年の民事裁判実務という授業から使い始めた(指定教科書として)のです。





ですがさっぱり分からず、今年の要件事実論の授業でも、先月末まではこれまたよく分からずに来ました。




 昨日が要件事実の最後の授業で、終わった後質問を受け付ける、と先生が仰るので、またしても世話人役として受付順番決めとか教室確保とかの雑用をこなしました。必然的にわたしも質問をしなければならい事となりました。





 それで、前夜から一体どこを質問しようか、自分の分からない所、先生に質問する場所探しをしてました。




 それで、その類型別という本を読んでいったのです。そうしたら、なんとまあ、結構分かるんです。





びっくりしました。今まで、何じゃこりゃ?状態だったのにうむうむ、とうなずきながら読んでいる自分がいるんです。いったい何で急に分かるようになったのか、自分でもよく分かりません。




 発達という、心理学の中の領域で使われている言葉があります。その中で、子供は、最初はさっぱり理解や上達が出来ない時期があるのですが、ある時突然パッと分かったり急に上達のスピードが速くなったりするんです。




 要件事実の中山先生がいつも仰るのですが、量が質に転化する、というのも同じ意味なのかもしれません。




本当に、要件事実に対する苦手意識がヒュ~ンっと下がるのを感じました。実に不思議でした。




ブロックダイアグラムという、これまた初心者にとって意味不明の四角の箱の羅列があるんですが、その意味が見えて来だしたんです。というか、苦手意識が消えました。




やっぱ、何事も慣れなんですねえ。ただ、いざ試験で問題を出されたときにすらすらと書けるかはまた別問題です。今度の金曜に試験があるので、毎日少しずつ問題解きをやってもっと慣れなければ。






問題は倒産法と行政法です。今学期の試験勉強は要件事実とこれら以外はしません、いや、する余裕がありません。東大の先生の授業レジメを読んでいますが歯ぎしりするほど分かりやすいです。



☆そうそう、和田秀樹という東大医学部出身の医者で良くテレビに出たり受験本を書くヒトの本を立ち読みしていたら、他の人と全く違うことを言ってました。



東大生の作るノートは美しい、という本が今バカ売れなんですが、それに異を唱えているんです。彼が言うには、ポイントだけをノートに書き留めるなんてことはするな、と言うのです。初めてです、そんなことを言うヒトは。



で、彼が言うのには、ノートは口述筆記をやれ、先生が言った冗談も全部書け、ただし、ノートは端っこを空けておけ、後で書き込めるように、というのです。



いや~びっくりしました。でも、実はわたしが今読んでいる東大生の書いたノートというのがまさにその通りのノートなんです。そして、とても分かりやすいんです。でも早稲田式速記法でもマスターしてないと無理じゃないかなあ、なんて思ったりもします。



 しかしまあ、以前書いたように、和田吉弘さんのライブ民訴という本なんかは文字通り講義を口述筆記した本なんで、講義テープを何度も聴くよりも本をしっかり読んだ方が遙かに頭の入り具合が良いです。



 やはり、情報は主として目から入るからなのでしょうか。だったら、見て声を出して読んで自分の発した声を耳から聴いて、手を使って線を引く、ってことをやれば体の全ての気管を同時に使うことになり、情報処理能力が数十倍になるということになりますね。それを午前中にやればスーパー勉強法が実践できるということです。あとはやるだけ、で、す、ね。