2009年7月29日水曜日

前期授業すべて終了



昨日、全ての授業が終わり、今日は日がな一日ロー自習室でちんたら倒産法をやってました。気が付くと夜10時、周りにはまだ大勢残っています。


外に出ると、なんとロー内よりも涼しいじゃありませんか。今年は冷夏なのかなあ、大雨のせいで。


帰る途中、スーパーで半額値下げの食品が無いか、と探しに。メキシコ産のマンゴーが298円で売ってました。


助六380円が半額になっていました。レジ近くに文藝春秋が置いてありました。チラッと立ち読みすると、邪馬台国はどこにあったかという面白そうな対談が。なんでも魏志倭人伝などという書物は無かったのだそうです。三国志の魏書、東夷伝、という箇所の事をそう読んでいるに過ぎない、と。あと、卑弥呼の時代、近畿地方には不思議と鉄製の武器や道具が出土していない、とも。


それから、太平洋戦争中のインドネシア、スラバヤ沖海戦、アメリカイギリスオランダ連合艦隊15隻中11隻を撃沈して大勝した海戦で、乗員150名が乗った駆逐艦雷(いかづち)の工藤俊介艦長が、撃沈されて波間に漂っていたイギリス駆逐艦エンカウンター号中尉フォール卿他400名以上の乗組員を救助したという記事を読んで思わず感激の涙を流してしまいました。



工藤艦長は重油にまみれた漂流者を救助するよう命じました。救助するには船のエンジンを止めなければなりません。ディーゼルエンジンは一旦止まると再始動に20分以上かかり、そのあいだ敵の潜水艦攻撃に対して無防備になってしまうのです。その危険をも顧みず救助作業に出たのです。

イギリス人達は21時間もの間海に漂っていたそうです。沈没した船から流れ出た重油を飲みこんで嘔吐し、体力を消耗してどんどん海の底に沈んでいったんだそうです。

艦の舷側に救助網を降ろしたのですが、自力で上がることが出来ない者が大勢いて、見かねた雷の乗組員の数名は自ら海に飛び込んで船にすくい上げたそうです。結局150名の日本人乗員に対して3倍近く多いイギリス人を艦にすくい上げたのです。反乱乗っ取りの危険を冒してまで敢えて救助したのです。


救助後、日本人乗員達はアルコールで漂流者達のあぶらを拭いてやりミルクや食事、衣服を提供しました。工藤艦長はイギリス人士官達を集め、流ちょうな英語で『諸君らは今から我が大日本帝国海軍の名誉あるゲストである』と言って敬礼したそうです。フォール卿はこれぞ武士道精神である、と感激し、以後自分の師はこの人物だと確信したそうです。

翌日彼らはオランダの赤十字船に引き渡されました。

工藤艦長は鉄拳制裁の禁止、歴史と哲学の勉強を乗組員に勧めたのだそうです。

平成10年、天皇皇后両陛下がイギリスを訪問される際、第二次大戦で日本軍の捕虜となって苦渋を味わった元捕虜たちが訪英反対の主張を声高に始めました。

すると、フォール卿はタイムズ紙に寄稿して、あのときの工藤艦長以下による救助活動をイギリス人読者に語ったのです。

そのお陰で以後訪英反対論は精彩を欠いたということです。

立派な日本人が大勢いたんですねえ。めちゃめちゃカッコイイです。

立ち読みして良かったです。なんだか勇気とやる気が湧いてきました。

ちなみに、工藤艦長が鉄拳制裁を禁止した理由は、武士道に鉄拳制裁はないから、だそうです。

☆最近習った心理学では、人間の集団は同集団と異集団とに分かれ、ヒトは同集団の人間の言うことは素直に信じるが異集団の人間の言うことは信じようとしない、だから、ヒトを納得させるには自分が相手にとって同集団の人間であることを伝えることだ、と言ってました。

鉄拳制裁はほとんどの場合異集団からの攻撃としか感じないでしょう、愛の鞭とは思えないです。鉄拳制裁でヒトを従わせようとする行動は心理学的に見ても全く効果がないばかりか、憎しみしか生まれないことになります。

また、歴史も哲学もどちらもヒトを知る学問ですから、工藤艦長は人間洞察力が素晴らしかったんでしょうね。見習わねば。
試験が終わったら久住高原に行っておいしい空気を吸ってこの絶景を見ながら入れる露天風呂に入りたいです。

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