2013年6月26日水曜日

来年の朝ドラ!

1今日は、人間ドックに行ってきました。5250円払いました。
朝9時に行って、12時過ぎに終わりました。
患者用のパジャマに着替えると、待合室がとても寒くてまた喉が腫れてしまいました。
拷問に間違いない、あのバリウムとお腹をふくらませる発泡剤を一緒に飲んだときの吐き気、しかも、ぐるぐる回る台の上でのたうち回らせられて余計にヒドイ状態に。
去年、バリウム検査で見つかった胃の上部にあるポリープのことを診断医に言うと、去年のレントゲンと今日撮ったレントゲンを見比べて、『今年はポリープがみあたりませんねえ』と言いました。えっ?ポリープって消滅するの?不思議です。

2終わってから近所にある串揚げ屋さんで食べていたら、懐かしい顔を発見。むかし谷川くんと一緒にゼミしてた弁護士のCHくんでした。
いろんな話をして、わたしが先に出ようとしたところ、昼食代をおごってくれました。
ごっちゃんです!
CHくんは、ある事務所のイソ弁ですが、ボス弁の仕事の手伝いの他、自分個人が受けた仕事を、忙しいときには40~50件も抱えていたそうです。アンビリーバブーです。そのときは毎日寝る間もなかったそうです。凄すぎ!

3自宅に戻ってネットを見ると、来年のNHKの朝ドラが、赤毛のアンの翻訳者である村岡花子さんをモデルにした物語だとしり、天にも昇る気持ちになりました。
わたしがどれほど赤毛のアンが好きか、ご存じない方もいらっしゃるかと思いますが、わたし、筋金入りのアンの腹心の友(kindred  spirits)なんですから。
しかも、村岡花子さんの翻訳がまたもう、素晴らしすぎるんです!
九州地方の表現にはない、『どっさり』『ぽっちり』という言葉がとても良いんです。
それから、主人公である、孤児のアン シャーリーを結局は養女として引き取ることになる老兄妹の名字が、カスバート、と呼ばずに、クスバート、と表記したのがまたイインデス!
どこが良いかというと、カスバートだと今風でイヤな感じですが、クスバートだと19世紀末のニオイがして昔の雰囲気が出てくるからです。
赤毛のアンシリーズは10数巻あり、それのスピンオフも何巻もあり、全部読むとアンの世界がこの世とは別に永遠に存在し続けている気になります。
アンの住んでいる世界に行ってみたいと何度思ったことでしょうか。
少女だったアンがいろんな苦労をして大人になり、村の小中学校の教室でアンの赤毛をからかったため石板でアンに殴られたギルバートブライスと恋をして、結婚して7人(8人?)の子に恵まれながら、次男坊を第1次世界大戦で失い、傷心し、けれども家族を何よりも大切にし続ける、そんな、愛さずには居られないアンの一生が綴られています。
今、思ったのは、わたしのマイブームである、NHKでやっている『トンイ』もアンとかなり似ているなあ、ということです。
みなさん、どうか、赤毛のアンシリーズを、しかも村岡花子訳を、新潮文庫を、読んでみてください。こんな素敵な女性は(うちの女房を除いて)他にいませんから。(意訳せよ)。
また、トンイもイイですねえ。主人公トンイのまっすぐなところがイイ。それと、主役のハンヒョジェさんもイイ。シリーズ後半で王様の側室に迎えられたあたりから、グッと凛とした美しさが際だつようになりました。
いままでわたしは韓国女優ではハンヘジンさんが一番だと思っていましたが、意見を変えます。

話をもどしますと、村岡花子さんの記念館があるらしいのです。東京に行ったら是非うかがいたいと今でも思っています。
赤毛のアンは映画にもなりました。ミーガンフォローズという可愛らしい女優がアンを演じてとても良かったですが、それよりも感動したのは、アンを養った、グリーンゲイブルズ(緑の切り妻屋根)にすむ、マシュークスバートと妹のマリラクスバートという二人とも未婚の兄妹です。
ほんとーに!素晴らしい俳優と女優です。
村岡花子さんの役を吉高ゆりこさんがするそうです。彼女の顔は典型的な平安美人の顔です。平安時代、薄暗い御簾の向こうに、吉高さんの顔がろうそくの炎に照らされてうっすら見えたとき、その妖艶さが極まって、おどろおどろしくもその魔力によってうつつの世に引き込まれてしまい、二度と現世に戻れなくなってしまったことでしょう。

NHKの朝ドラがこんなに待ち遠しくワクワク感じたのは初めてです。NHKさん、よくやった!
次は、立花宗茂を大河ドラマに。そして、鎌倉河岸捕り物控え、を、お宿かわせみ、みたいな長期シリーズにしてください。



2013年6月22日土曜日

中途半端な日々

今日は夏至の日です。といっても台風5号と梅雨前線と湿舌のせいでまったく夏至っぽくない一日でした。しかも昨夜から急に冷たい風が吹いてきて、またも寝冷えした感じです。今日一日もこぬか雨、あんまり肌寒いのでジャンパーを着ていました。
ここのところ、兄の事務所に行ったり、ローに行ったりと、シャキーンとした行動が取れていません。兄の事務所に行くと、あれやこれや言い付けられ、エンドレスな束縛感を覚えます。ただ、勉強になる問題点がいろいろ出てきて面白いな、とは思います。
また、簿記の本も読んでいますが、途切れ途切れなので、いっこうに進みません。面白いかも、とは思います。
ローに行くと、受験が終わった人たちの中に、司法書士を受けるという人がチラホラいます。話を聞くと、皆、早く職に就くために受けるのだ、と答えました。びっくり仰天しました。司法書士の難しさを全く認識していないんです。すこし(2ヶ月?)勉強すれば受かる、みたいなイメージを抱いているようです。
アンビリーバブルです。ナイーブ過ぎます。司法書士に受かるためにはどれほどの勉強が必要なのか、あえて言えば法科大学院卒業者が司法試験に受かるのの10倍は難しいことが分かっていません。オーマイガー、です。
逆に、フランス語の勉強をしている、という人も。cool!

今朝、女房が人間ドックに行くのをクルマで送って行きました。朝8時半には病院に到着。兄の事務所の近くなので、事務所が開くまで、近所のマックで時間つぶしをしました。そこで食べたソーセージエッグマフィンの不味かったこと!ソーセージからなんかイヤなニオイがして、とても食べられませんでした。

この前、N先生がゼミ生のために開いていただいた試験の慰労会で、博多駅ビル9階にある韓国料理屋さんに行ったときの写真を載せます。孔子の94代目(96代目?)の子孫というスタッフのいる店です。黒豆マッコリは大変美味しかったのですが、料理はどれも値段が高かったんじゃないでしょうか。N先生、申し訳ありませんでした。





2013年6月17日月曜日

James Bond Medley - BBC Proms 2011 Last Night Celebrations in Scotland - YouTube

短答式足きりをくぐり抜けて、やっと少し青空を余裕を持って観ることが出来ると心晴れになりかけた矢先、今度は兄の事務所の手伝いをさせられ、気が重くて仕方ありません。わたしが一番好きな季節は、どの季節も好きですけど、梅雨なんです。雨が好きなんです。雨の中を歩いたりドライブしたり喫茶店で薫り高くて熱いコーヒーを楽しみながらガラス窓から見える雨をしとどなく見るのが好きなんです。
原点は、京都の北白川にあります。むかしむかし、大学に入り立てのとき、3畳の狭い下宿に居るのがイヤで、近くにある白川疎水のほとりにある、ジョルジュサンクという名前の喫茶店に行ってコーヒーを味わうのが無上の贅沢でした。特に、白川疎水沿いに鮮やかに瑞々しく咲いていたツツジの花と霧雨のような雨とが絶妙にマッチしていたのです。当時はたばこを吸っていました。ジョルジュサンクの店内で煙をたゆたせながら物思いにふけりつつ雨に濡れたツツジの花と葉っぱを見つめていました。
そんな、贅沢でゆたかな時間が(最終結果までの間ですが)味わえる、自分にとって極上の楽しみにふけることができる、と思っていたのに~。

なんとかして兄から請け負った書類作りを終わらせようと思っていたのですが、今日事務所に行くと、がっくり。新たにまた二つ押しつけられてしまいました。
こんな状態がずっと続くのかと思うと、やりきれません。

で、夜、自宅に戻ると、ストレス解消にと飲んだくれています。ビールやウィスキーを呷りながらヘッドホンで大音量を出して聴いているのが下のユーチューブです。
ジョンバリーという、イギリスの映画音楽の大作曲家がいます。わたしの大好きな作曲家です。ヘンリーマンシーニもフランシスレイも好きですが、ジョンバリーが一番好きかも。理由は、ベースとドラムという、低音楽器を多用しているからです。イギリス人は低音が好きなんです。そしてわたしも。また、わたしが生まれて初めて、絢爛豪華、ゴージャス、というのはこういうものなのか、と震えた映画が、007のゴールドフィンガーという映画でした。小学校の5年生くらいのとき、小倉の映画館でこの映画を見たとき、自分の体の全細胞が興奮の極みに達したのを今でも覚えています。
その、ゴージャスな感動が蘇ってくる演奏会がこの、下のユーチューブにある動画なんです。みなさん、是非、ヘッドホンをして大音量でこのイギリスらしい、バスとホルンとドラムの重厚な低音と、これまたイギリスらしい、悲しい音色を出すトランペットの哀調を楽しんでください。





James Bond Medley - BBC Proms 2011 Last Night Celebrations in Scotland - YouTube

怖ろしい一日でした

土曜日、とうとう、短答式試験の点数通知ハガキが法務省から届くハズの日。
朝から恐怖と緊張で下痢気味。我が家には大体正午前後に郵便が配達されます。
ハガキが届くのが怖くて、女房一人で行くことになっていたお寺のお祭りにわたしも一緒に行くことにしました。郵便屋さんが来るのを待つなんて到底耐えられなかったので。
博多区の祇園というところに東長寺という由緒正しい真言宗のお寺があります。
空海さんが建てられたといわれています。
その東長寺で、弘法大師さんの生まれた日に、年に一度だけ、秘仏がご開帳されるのです。十一面千手観音像がおでます厨子が開かれるのです。
11時からそのお祭りがあり、行ってみると大勢の方々が見えてました。生まれて初めて真言宗のお経を聴きました。古い感じがしました。
護摩壇の向こうにその仏様がいらして、お経が終わるとみなさん、立ち上がってその行列を作ってその仏様のお姿を観させていただくのです。
高さ70センチほどの可愛らしい細身のお姿でした。
その行列で、お寄付をした人には弁当が配られ、その後、和尚さんのお説法が20分ほどあり、それが終わると、みんなが座って説法を聴いていた本堂にテーブルがいくつも置かれ、みなさんで先ほど配られた弁当をいただくのです。しかも、お茶だけでなく日本酒もありました。
なんか、和気藹々な雰囲気で、とっても和みました。まるで田舎の檀家の集まりみたいでした。当日来られた人はたぶん800人は下らない大人数でしたので、スゴク感心しました。
ですが、わたしの頭の中は短答通知ハガキのことで一杯一杯でした。ただ、仏様が金色の厨子の中で明るく輝いているお姿を拝見したとき、なんか瑞兆みたいなものを感じました。あくまでも妄想ですが。
で、女房とわたしの分の二つ、弁当をもらい、そのうち一つだけ、本堂でいただきましたが、当然わたしはお赤飯が喉を通らず、ほとんど一口しか食べられませんでした。後は全部女房がパクパク平らげました。

で、その後わたし一人で家にバイクで戻りました。郵便受けの中に通知ハガキが入っているのはほとんど確実。中にどんな数字が書かれているか、もしも足きりに遭ったら、わたしの弁護士への途はその時点で終了です。足きり点は220点だということは、すでに1週間前に法務省が発表していました。
自分の点数が220点よりも少ないのが見えてしまったらそのとき自分はどうなってしまうのだろう、自分はどうやって生きていけば良いのだろう、などと、いろんなものが押し寄せてきました。
案の定、郵便受けをちらっとみると、例の物が見えました。もう、仕方ない、開けるしかない、と、二枚重ねを貼り付けているタイプのハガキを取り出し、その場で、えいっ!とかけ声をあげて端っこからビビビッと剥がしました!
と!なにやら、自分の想像していない点数が見えるではありませんか!
え~っ?なに?この点数は?
みなさん、持って回った言い方ですみません。それほど、予想外の点数だったのです。
結論は?セーフ!!!でした。
しかも、予想外の高得点でした。長い受験生生活の中で一番嬉しかったです。
こんなに嬉しくて、ホッとしたことはありません。短答式試験を受け終わった後の手応えがもの凄くイヤな感じでしたので、ずっと最悪を覚悟していました。
その上、新司法試験では短答式試験の点数は論文式試験の点数と合体されるので、点数が高ければ高いほど合格可能性が増すのです。
わたしが取れた点数は、短答足きりセーフだった5200人の平均点よりも25点も良かったのです。つまり、短答式試験の点数が合格のためのアドバンテージになってくれた、という、有り難いオマケまでつけてくれたのです。
こういうことになれば良いんだけどな~、でも、そんなの夢のまた夢だもんな~、とずっとため息ばかりついていました。それが現実のものになるとは。

一息ついたあと、なんか、急におなかが空いてきました。それで、短答セーフの余韻を味わおうと、バイクに乗って糸島近くのうどん屋さんにドライブしよう、と出かけましたが、途中で疲れがドドッと出てしまい、近くのうどんやさんで食べました。温かいうどんがお腹に沁みました。やっぱり、博多の人間にとってのソウルフードは、うどん、です。決してラーメンではありません。これはほとんどすべての博多ん者の共通認識です。それも、腰の無い、やわ~いうどんです。お箸で麺を持ち上げると直ぐに切れてしまうような柔らかい麺がイインデス。

で、うどんで幸せをかみしめた後、自宅に戻って、本番の問題集を取り出し、怖ろしくて今日まで決してすることが出来なかった自己採点をしました。
すると、自分が何故イヤな感じを持ってたのかの理由が分かりました。
得点源であるはずの憲法と刑法がボロボロだったのです。単純知識問題をイヤになるほど落としていました。心の中の警報機がぴーぴー鳴っていたのはそのせいだったのです。
その反対に、本番中、絶望感に襲われ続けた行政法とか会社法とか刑訴が信じられないくらいに取れていたのです。これには嬉しいショックを受けました。自分がこんなに良い点数なんか取れるはずがない、と今でも思っています。
今思えば、本番直前の大事な時間を、これらの科目の短答過去問解きに当てたのが好結果の理由でしょうか。ですが、試験中は本当にお先真っ暗で、××××と、間違ってばかりだろう、とほとんど確信すら覚えていました。
イヤ、本当に助かりました。









 


2013年6月8日土曜日

良いなあと思った言葉集 と近況報告


①あいうえおの教え
 
 

 人をして
 
 を逃さず
 を大事に
 を忘れず     ☆その通りだなあ、と実感!

②「最も美しい人というのは失意を味わい、苦しみを経験し、もがき苦しみ、目標に自分の手が届かなかったということを十分に経験して自分がどう生きるかを悟った人間の事です。そんな経験をした人物だからこそ周囲へ感謝し、人の感情の機微を悟り、慈悲や優しさ、他者への愛情を持てるのです。美しい人というのは何もせず生まれるわけではありません

エリザベス・キューブラー=ロス
             ☆これもまた、その通りだなあ、とは思います、ですが、美しい
              人になるにはもの凄い苦労を重ねることが必要だ、って言わ
              れると、なんか気持ちがしぼんでしまいます。いま観ている韓
              流ドラマの『トンイ』の主人公トンイはこれにピッタリですが、わ
              たしには無理です。

エリザベス・キューブラー・ロスは、精神科医。死と死ぬことについての画期的な本(『死ぬ瞬間』)の著者 。
http://blog.livedoor.jp/drazuli/archives/6561216.html

【近況報告】
1 今週はずっと兄貴の事務所に呼ばれて離婚調停申し立て書の起案や不当利得返還請求の起案をさせられてました。
勉強になります。なりますが、兄貴の指示の仕方がべらぼうにアバウトなので、何度も書き直しを強いられ、うんざりしました。

そうこうしている間に短答式試験の足切り点が発表されたようです。わたしは見ません。どうせあと少しで法務省からお前の点数は何点で、足切りでセーフ、アウト、どっちなのかの葉書が来ますから。

実を言うと、試験直前よりも格段に緊張しております。短答式の手応えがイマイチだったもので。
2  一昨日から風邪を引きました。昼間と違い、夜は涼しいというより肌寒いほどの風が吹いてました。窓を開けて寝たとき、思わずここが高原の別荘みたいな気がして、すがすがしい気持ちになったのまではよかったのですが、結局寝冷えしてしまいました。喉が腫れて、吐き気がして、朝大量にもどしました。吐いたせいか頭痛がし出して来て、事務所に行くのがとてもつらかったです。
土曜日の朝になって少し良くなりましたが、体中の節々が痛いです。

3 先週土曜日、N先生がやってくださってたNゼミの慰労会を先生が催してくださいました。ゼミ生4人と先生とで、博多駅ビル9階にある、てんくう、という高級レストラン街にある韓国料理店でご馳走になりました。メッチャ高い店です。チジミでさえ1000円くらいします。
味は、さすが高級店、文句なしでした。とりわけ良かったのがマッコリです。大きなどんぶりにはいったマッコリを柄杓ですくって取り分けて小さな湯飲みみたいな杯で飲みました。3種類の違ったマッコリを合計4どんぶり分飲みました。
一番美味しかったのが、黒豆のマッコリでした。爽やかな味で、大変結構でした。
マッコリを飲み始めたときは少し酔っぱらったのですが、何故か途中から回復してきて、最後のほうはむしろ元気はつらつ状態で店を出ました。
マッコリが高級だったからだとおもいます。不純物などが混ざっていないためか、マッコリの乳酸菌が体に良い影響を与えたんじゃないかと思いました。
韓国料理で知っている名前はほとんど食べましたが、あとで思い出したら、チゲ料理がメニューに無かったようで、ちょっと不思議でした。
それから、ウェイターの男性で名前が孔(ほん)さん、という人がいました。
本人曰く、孔子の94代目の子孫なのだそうです。中国から祖先が半島に移住したのだそうです。へ~っ、でした。

近いうちにその人の写真を載せます。
 

4 アルバイトの口がなかなか見つかりません。あさって月曜日にランスタッドという派遣会社に面接に行きます。もう一つの派遣会社からはなにも連絡がありません。
学習塾の紹介の件もまだです。
あれこれ考えると、自分のもっとも得意なのはやはり塾の先生かなあ、と思います。20年もやってきましたから。それに、中学生はなんだかんだ言っても子供ですから、人生最初の試練である高校入試に対してはもの凄い恐怖心を持っています。成績で人間の仕分け、格付けをするのですから、優等生でもない限りイヤでたまらないのは当然です。わたしとしては何とかしてその子の心を救ってやりたい、自信をもたせてやりたい、という気持ちが強いです。だからわたしは学習塾の先生の仕事が好きなんでしょう。
それで思い出したのですが、法律の勉強だって同じもんだなあ、と試験の前後感じてました。正しい勉強方法、正しい発想方法を愚直に貫いた者は直ぐにどんな試験でも受かるんだなあ、と実感したんです。
それは、司法試験の再現答案で超優秀答案を何通も読んだときに感じたことです。
また、最高裁の判例の判旨をきちんと丁寧に読み込んでいったときに感じたことです。そしてまた、兄貴の事務所で以前の裁判上の離婚の事件記録を全部読んだときに感じたことです。
それが何か、については、後日書きます。とにかく、高校入試も大学入試も司法試験もみんな同じだ、という気がします。





2013年6月1日土曜日

最近知ったオモシロ言葉

試験が終わったのが5月19日。あれから2週間。最初の1週間は体調が戻らず、眠れない前半と眠たくて仕方がない後半に終始しました。週末には田舎に帰りました。正月以来の帰省で、年老いた両親の顔が見れて良かったです。
そして今週はようやく順調に元々の暮らしぶり=飲んだくれ生活=に戻ってきました。
で、バイトの口を探そうと人材派遣会社に入会したりしました。後輩のSくんから紹介してもらったランスタッドというのと、アデコという会社です。
ランスタッドに電話すると、面接日が10日と、えらく遠いので、ネットを見てアデコというのにも入りました。こちらはネットだけで入会手続きが終わりました。ただ、携帯メールが届いて、面接するかもしれない、と。
頭の中には試験のことが離れません。忘れようとしてレンタルビデオを見たり小説を読んだり、受験関係の資料雑誌、本などを片っ端から捨てまくりました。
昨日は半年ぶりにスポーツクラブに行って400メートル泳いできました。これが一番スッキリしました。
今日から6月、福岡はすでに梅雨入り。わたしの好きな雨が降っています。しかも、少々肌寒いです。梅雨寒という言葉がピッタリの日です。
夕方からお世話になっているN先生がゼミ生たちのために慰労会を開いていただくことになっています。場所は博多駅ビルの上の方にある、てんくう、というレストラン街です。
それまではいろいろ雑用をこなします。
その一つが、クルマの修理依頼です。帰省した際、田舎の細道をバックしてて、壁にクルマの左後ろをゴツンと当ててしまったのです。いろいろ会社を調べて、出光リペアという会社にしました。4万8千円です。
出光佐三さんの伝記を読んだせいか、出光というネームに対する信頼感がググッと増したので、そこに決めました。そのことを対応してくれた従業員の若者に話すと、おかげさまで営業がもの凄く好調だそうです。
出光で思い出しました。最近オオオ~ッと驚いたことがありました。

①題名のない音楽会には何故番組途中にCMが無いのか?
出光さんは昭和39年に東京交響楽団がTBSからの支援を得られなくなって困窮していたとき、助け船としてこの番組を制作し、常勤楽団に据えました。
そのとき、『芸術に中断はない!』と言い放ちました。そのため今でもこの日曜朝の番組には途中でCMが入ることはないのだそうです。カッコイイ!

②白銀比と俳句の関係
詳しいことはこちらにわかりやすい説明があります。私たちは知らないうちに黄金比以外にも白銀比という縦横比率を使っていたのですね~。びっくりしました。
http://oshare.chips.jp/making/02layout/07route.html

特に白銀比というのは初めて知りましたが、上のサイトでもあるように、紙の大きさのA3、A4とかいうのが、これだそうです。
1:√2、つまり、1:1,14142・・・のあれです。
正方形を対角線に半分に切った三角形の辺の比率が1:1,14142:1なんですが、
わたしが驚愕したのはその次の話なんです。
それは、この三辺の比率を5倍するとなんとなんと! 5:7:5 
なるのです!
俳句は白銀比!だったのです。これはJPPRESSというサイトに載っていました。
いや~っ、スゴイ!なぜかもの凄く感動しました。

③おもいやり算 ACJAPANさん
http://www.ad-c.or.jp/campaign/self_all/01/

ナレーション「人を笑顔にする算数があります。たす。」
主婦たすけあうと、大きな力に。」
ナレーション「ひく。」
青年ひきうけると、喜びが生まれる。」
ナレーション「かける。」
高校生「声をかけると、ひとつになれる。」
ナレーション「わる。」
老人「いたわると、笑顔は返ってくる。」

ナレーション
「たす。ひく。かける。わる。
ほら、やさしいでしょ、『おもいやり算』」

ACジャパン。

ラジオからこのナレーションが流れてきたとき、ひき、はどのように使うのか、かけ、は?わる、は?と想像しましたが、全く頭に浮かびませんでした。
これを作った人に脱帽です。












 

     




2013年5月28日火曜日

薬事法施行規則が違法であるとの最高裁判決と『海賊と呼ばれた男』感想

前回、セブンイレブンの年齢確認ボタン強要行為に怒りまくりましたが、最高裁平成25年1月11日判決は、事案は違いますが、セブンイレブンのお役所的発想、形式さえ整えば足り、中身はどーでもよい、という心無い行為と同じ厚生労働省の規則をバッサリ断罪しました。
つまり、ケンコーコムという通販会社が、薬を通販で売ろうとしたところ、厚労省が、薬は対面販売でなければ売ってはイカン、という規則を勝手に作ってケンコーコムの通販を禁止したのです。
厚労省の言い分は、規則の基になった薬事法が、対面販売を禁止していると見えること、薬は薬剤師が客の顔と健康状態を見ながら販売するかどうかを決めるのが筋だから、対面販売でない通販では適切な薬の販売ができない、だから通販で薬を売るのは許さん、という規則を作って規制したのです。
これに対して最高裁は、一言、『アホか!』と一喝しました。薬事法のどこを探しても対面販売厳守とは書いとらん。それに、薬剤師は客の顔色や挙動のどこをどう観察してどう対処すべきか、についてどこにもマニュアルが書いていない。しかも、客が、薬剤師の説明を不要だと言ったらそれ以上薬剤師による説明はしなくて良い、というのが現行制度だから、今の対面販売自体、まったく薬剤師による適切な売薬行為の判断を行っていない。
つまり、現行の薬の対面販売行為においては薬剤師による観察、説明が不可欠だ、という大前提自体が全く机上の空論であり現実に行われていないものだから、そのような机上の空論があたかも現実に存在するかのように見せかけて、かかる薬剤師による観察や説明は通販で行うことは全く不可能だから、薬を通販で売ることは許されない、という厚労省の言い分は、まったくもって事実の基礎を欠き、ホラ以外の何者でもない、と最高裁は切って捨てたのです。
セブンイレブンの年齢確認ボタン強要行為も同じです。本当にセブンイレブンが未成年者に対して断じてお酒を売らないゾ、という信念を持っているなら、徹底的に年齢確認行為を客に求める筈です。客が年齢確認ボタンを押しさえすれば未成年者飲酒が防止できるのでしょうか?違うでしょ!本気で未成年飲酒を防止しようとするなら身分証明書の提示を要求するしかないでしょ。しかも一見しておっさん、じいさんと分かる大人なら身分証明もへったくれもないでしょ?未成年者飲酒防止対策には、未成年者に見える者に対して身分証明を求めることで必要カツ十分なんです。
なのに、老いも若きも誰であろうととにかくボタンを押せ、押さないとお酒を売らないぞ、しかし、ボタンさえ押せば一見して未成年と分かる者以外は売ってやる、いや、そもそも店員は客の顔すら見ずに『年齢確認ボタンお願いしま~す』とマニュアル動作をしているだけです。
このように、厚労省という役人の発想とセブンイレブンの発想は全く同じです。何が同じかって?
相手のことを全く無視した形式の押しつけをすることが同じなんです。この、相手のことを一切考慮しない、自分さえ良ければよい、と言う点が全体主義的だ、自由の抑圧だ、とわたしは言いたいのです。
だから、ボタンを押すくらいどーってこと無いやんか、と思うのはことの本質を全く認識していない大バカ者だと言いたいのです。

☆話変わって、試験後1週間経ちましたが、時間が経つのが遅くて、身をもてあましています。バイト探しを始め、そのとっかかりに、福岡の塾協会の大御所に仕事の口をお願いしました。去年その方とホテルオークラでお会いしたのですが、そのときはバイトをする時間はないと、やんわりお断りしたのです。
それ以外に、午前中は肉体労働の不定期バイトを後輩に頼んで紹介してもらおうと思います。汗をかいた方が試験のことを思い出さずに済みますから。
もう終わってしまったことですし、二度と試験を受けることはないのですから試験分析とか自分が何をどう書いたか、なんて思い出しても意味がありません。
できるならば合格を前提として、弁護士独立開業に向けた準備をしたいのですが、なにせ手元不如意なので。むしろ、忙しくしてた方が、空いた時間を有効利用しようという気になりそうで、イイコトではないかと思います。
とにかく、何かして稼ぎたいです。

☆☆ で、『海賊と呼ばれた男』=出光佐三の伝記=は、もの凄く面白く、かつ、大変感動しました。国際石油資本の暴虐振り、それに頭を押さえつけられて手下に成り下がった国内石油業者とそいつらと結託した役人、それらの巨大な権力に一人で対抗し、見事突破した男の中の男、の話です。
読みながら何度も涙が溢れて目頭を押さえました。出光さんは、福岡出身で、宗像大社を篤く信仰していたので、昔からなんとなく近しい感じはしていましたが、この本を読んでより近く感じました。
そう感じたのは二つの事実に基づいています。
一つは、出光さんの遠縁は宇佐神宮の神官の出だという点です。わたしは父の里が宇佐で、宇佐八幡宮の氏子なのです。
もう一つはわたし自身のことです。この本の後半部分のハイライトに、イランから石油を買い付けて出光自前のタンカー日章丸がイランから日本に石油を運ぶという部分があります。
当時、イランはイギリスの植民地から独立し、イギリスがイランに持っていた石油精製設備を接収しました。イギリスは怒ってホルムズ海峡を軍事的に封鎖して、どこの国もイランから石油を買えないようにしました。無理矢理突破しようとすればイギリス海軍の軍艦によって拿捕されて積み荷の石油を没収されるのです。
出光さんは、水面下でイラン政府と交渉して果敢にも日章丸をイランに出航させたのです。
当然、国際石油資本の傀儡である日本の石油業者と、英米を恐れる政府役人は出光の行為を激しく非難しました。
そして、これは法律問題にもなりました。もしも日章丸が日本に無事たどり着けたとしても、イギリス政府は、日章丸が積み込んだ石油はイギリスの所有物であり、イランが盗んだ盗品であるから、出光は盗品売買行為をしたのだとして、日本の裁判所に差押えの仮処分申請をしたのです。
この問題について、京大の田畑茂二郎教授と東大の横田喜三郎教授が対立しました。田畑さんは、石油はイランのものだから出光の言い分が正しい、と言い、横田さんは逆に、石油はイギリスのものだ、と言いました。
で、その部分を読んだわたしは、嬉しくてうれしくて、思わずオオオ~ッと大声を出してしまいました。というのは、わたしは、大学卒業のとき、この、田端茂二郎先生と祇園の飲み屋で実際にお話ししたことがあるのです。
自分が話したことのある人がこの本に登場したのを読んで、わたしはもの凄く嬉しかったです。まるで自分も歴史の一部になったかのような気がしました。
この、祇園の飲み屋というのは、あの有名な高橋和己(邪宗門)の家の家事や炊事や身の回りの世話をしたという祇園の名物女将のお店で、卒業記念に三人でその女将の顔を見に行こうじゃないか、という計画でした。
ごく普通のL字型のカウンターだけの小さな店でした。私たちが店にはいると、向こうのカウンターに品のある紳士のおじいさんが一人で飲んでました。
すると、わたしの同級生が突然その老紳士に向かって『田畑先生、ここにいるあんみつくんは先生の御著書の愛読者ですよ。』と、いらんことを言い出したのです。
わたしはそれこそ窮鼠猫を噛む、でなく、窮鼠フリーズ立ち往生、状態で、カチンカチンに固まってしまいました。だって、わたしは確かに田畑先生の国際公法の教科書を持っていましたが、一行も読んだことがないんです。
すると、田畑先生は嬉しそうな顔をして私たちの方へ歩いてこられました。そして『きみ~、ボクの本はどーだった?』と、一番恐れていたことを仰るではありませんか。
わたしは、それこそ天下一品の『しどろもどろ』を演じてしまいました。口から声がでないのです。顔は真っ赤、口は半分開いたまま、目は犯罪者のようにきょろきょろと虚ろなまま視点定まらず、この場から消えてしまいたい一心でした。
すると田畑先生は『そーかそーか、よしよし、女将、この学生たちにビールをご馳走してやってくれ』と仰いました。わたしはうつむいたまま、顔を上げることが出来ませんでした。
そのような田畑教授がこの本に登場したのです。しかも、出光を支持する意見を言ったのです。懐かしくて嬉しくて、またしても涙が溢れてしまいました。
東京地裁は、出光の勝ちとしました。
この本を読んで改めて知ったのは、イギリスがこれまでどんだけヒドイやり口でイランから石油やイラン国民の財産を強奪してきたか、イギリスの極悪非道振りが尋常でないことです。それに乗っかるように米国もソ連対策にイランを利用しました。
第二次大戦後、民族自立によりイラン人政府が樹立され、イギリスの資産を接収したので、イギリスと米国は金を使ってクーデターを起こし、英米の傀儡政権であるパーレビ国王を君主にして再びイラン国民の財産を我がものにしたのです。
ですから、それから25年後にホメイニ師がイラン革命を起こして反英米強行路線を敷いたのはむべなるかな、というべきことでした。
つまり、今現在イランは核開発を目指し、イスラム教強行派として反米反英路線を突き進んでいます。わたしたちは、どっちかというと、イランに対して批判的な感情をもっています。ですが、歴史の流れで物事を見ると、むしろ英米の方がいかにむごいテロリズムをイランに対して長期間行ってきたか、英米こそテロリスト国家だったことがわかります。イランは長い間一方的な被害者だったのです。わたしたちは英米にうまいこと洗脳されているのかもしれません。
つづきはまた。