暑い暑い。今朝は体中が悲鳴を上げています。昨日のバイトが涙が出そうなくらいきつかったのです。
荷物の積み上げという作業ではかなり腰を使います。太ももの筋肉も。両肩も。昨日のバイトはあんまりキツイので時間が経つのが遅く感じてつらさ倍増でした。
おかげで今朝は太ももがヒクヒク痙攣してました。
バイト生が人数が多く、しかもみんなまじめで手抜きをしないため仕事がどんどん捌けていくのです。
すると、商品の仕分けが終わった次の作業、すなわち、仕分けしたコンテナの積み上げという、地獄のような仕事が振り当てられます、それも男だけに。なので、バイト生が多く、且つ、女性が多い日は悪夢です。
じゃあ、なんでそんなキツイバイト先に行くのか、行かなければ良いじゃないか、とも思います。ですが、仕事が、朝7時から午後1時までと、早く終わるのが良いからです。それもローの近くの埠頭にある倉庫で、倉庫内は5度くらいの室温にしているので汗をかいて体力消耗しなくてすむからです。
終わって外に出ると、ムワァ~っという高温多湿の空気に包まれ、一挙に体中から汗が噴き出します。
大学の図書館で勉強している知り合いのKさんを昼ご飯に誘って、クーラーの効いた涼しい場所でアイスコーヒーを飲みながらランチを食べるときが一番幸福感を覚えます。
そんなバイト生活を一日おきにやっていて、今日はその合間の休みの日です。溜まった雑用を一気に済ませようと一日中バイクで博多の街を走り回りました。
その一発目が期日前投票。憲法改正に反対する政党に投票しました。みんなの党は、以前は好ましいと思っていたのですが、憲法改正に前向きみたいなのでガックリです。
大体、国民の大半は憲法のことをほとんど知りません。ですから自民党アベ総理が言うことを鵜呑みにしかねません。
こんなときこそ学者は行動すべきなのに、ほとんどの学者は沈して黙しています。ほんまに、学者って生き物はアキマヘン。
そんな中、慶応の片腕のチャキチャキの右翼学者である小林節さんが、テレビで憲法改正反対と言ってました。たまにはまともなことを言うじゃないか、と見直しました。
で、話はいきなり卑近なものになってしまうのですが、期日前投票のために区役所に行ったところ、投票する部屋のそとの通路に学生らしき若者達が3人、腕に腕章をつけて、わたしが投票を終わって通路に出たところ、『ご苦労様でした。』と挨拶してきました。あ~あ、こいつら、楽して儲かる良いバイトしてんなぁ~、ってつい思ってしまいました。立って挨拶して、一日やって8千円以上は貰えるんだろうなあ、なんて。なんでオレにこのバイトが廻ってこなかったのか、悔し~っ!
そんな毎日でーす。なもんで、簿記の勉強は滞りがちになってしまってます。
☆この前、博多祇園山笠の写真を一杯撮ってきました。近いうちにアップします。あんまり山笠の近くにいたため、山笠を担ぐ男衆にかける力水をモロ浴びてしまい、全身びっしょりに。
☆☆今日、天神にあるジュンク堂でもの凄い美人を目撃しました。身長172センチくらい、年齢は28くらい、イギリスのキャサリン妃と松下奈緒をミックスした感じで、ファッションも松下奈緒的なブラウスと膝くらいのタイトスカート。髪型も同じく松下奈緒的。はっきり言ってキャサリン妃よりも松下奈緒よりも上を行ってました。あんまりカッコイイんでその人の近くをうろつきまわってしまいました。
ほんとーっ!に、かっこよかったです。残念ながら写真を撮ることが出来ませんでした。プライバシー侵害になりますから。かえすがえす残念!
☆☆☆数日前、中州にある東アジア美術館で、あの、ユダヤ人を救った杉原千畝さんの写真展が催されていました。無料でした。あんまり写真の数は多くありませんでした。わたしが知っていた知識を越える新たな情報もあまり無く、ちと残念でした。
ただ、1940年当時、アメリカはユダヤ人難民に対して大変冷酷だったことが分かりました。大恐慌から完全には回復していなかったようで、貧乏なユダヤ難民の受け入れは大迷惑だったそうです。そのため、再びヨーロッパに送り戻されて虐殺されたユダヤ人も多かったのだそうです。ルーズベルト大統領も政府もアメリカ国民も当時はユダヤ人に対して冷淡だったという事実には驚きました。今とは全然違ったのですね。ヨーロッパを追われたユダヤ人たちは地球上に安住の地が全くなかったということです。恐怖恐怖です。
杉原さんから命のパスポートを書いてもらった人たちも、ウラジオストックに向かうシベリア鉄道内でソ連兵によって何処へとなく拉致されてしまい、行方不明となった人たちもかなり居たんだそうです。さもありなん。
☆☆☆☆夜、お月様を見上げると、だんだん太ってきています。そこで不意に気がついたのです。昔の人は、お月様が満ちたり欠けたりするのがなぜなのか理由を知らなかったのですから、月は本当にまか不思議な天体だと思っていたんだろうなあ、と。しかも、群を抜いて大きい天体です。あんなでかいものが天空をうろつき廻り、しかも太ったり痩せたり、消えて無くなったりするのですから、これほど不思議なものはなかったのではないでしょうか。それゆえ、月を題材にした物語や詩が数多く詠まれたんじゃないでしょうか。
2013年7月18日木曜日
2013年7月5日金曜日
2013年7月2日火曜日
30年振りの肉体労働
学生時代以来の重労働バイトに行ってきました。
朝7時に派遣現場に到着することになっていたのですが、派遣会社が送ってきた地図がデタラメで、現場が分からず、30分以上も右往左往しまくりました。おかげで、現場に着いたのは予定を15分もオーバーした7時15分。
もちろん、派遣先に電話しました。4回も。ところが電話の相手が説明が下手で(ゴメン)、何度聞いてもさっぱり分からないのです。彼独特の言い回しが意味不明で理解できなかったのと、彼自身が自分の会社の周辺にある他の会社のことをよく知らないことが原因でした。
で、終いには、わたしの近くの通りがかりの人に訊いてくれ、と言われてしまい、匙を投げられてしまいました。
わたしは5人以上の人々に訊きまくりましたが、目印になる大手の運輸会社の倉庫の場所を教えられる人は一人もいませんでした。
時刻は6時55分に。もう間に合わない。と、お腹がグルグル言い出して、刺すような痛み、今にも出そうな位の緊急事態にまで。
現場は巨大倉庫やら冷凍庫会社やら運輸会社やらが立ち並ぶ埠頭で、広い敷地の会社の前の道路に大型トレーラーが何台も縦列駐車していて、バイクを走らせていてもトレーラーのせいで歩道も建物も見えません。
そうこうするうちに、もう、あきらめて帰ってしまおうか、とさえ思い始めました。
体中腹痛と遅刻と怒りの三重奏で汗びっしょり。
と、目の前にタクシー会社の建物が。その玄関横に、今から出発しようとしてたタクシーの運転手さんがいたので、場所を尋ねました。すると、その人もまた、目当ての大手運輸会社の建物の場所を知りませんでした。ガックリ来てたところ、私たちの横を歩いていた人にその運転手さんは場所を尋ねてくれました。すると、ようやくわたしの知りたかった場所が分かったのでした。
その人が教えてくれた場所は、派遣会社が印を付けた位置と全然違う場所にありました。安堵の気持ちと、ヤバイ、遅れた、という焦りと、今にも出そうな緊急事態とで喉がすっかりカラカラになってしまい、その人たちに感謝の言葉を発したとき、のどちんこが喉にくっついてしまい、もの凄い痛みが走りました。
で、派遣現場に到着すると、今度は事務所内に誰もいない、というまたもや新たな恐怖が襲ってきました。
事務所の廊下をウロウロして誰か居ないか探しましたが、マジで無人状態。
とにかく、まずはトイレで緊急事態を回避しなければ、とトイレに駆け込みました。
そっちのトラブルをようやく解決してから(ほんとーに、危機一髪でした)、再び人捜し。すると、作業服を着た若者がやってきたのです。
自分は派遣会社から来た者ですが、、、、、と言うと、彼はイヤな顔せずに担当者を捜しに言ってくれました。10分くらいして戻ってきて、ようやく作業場に連れて行ってくれました。
そのときはすでに7時30分。
当然会社の担当者の人からネチネチ叱られるだろうと覚悟していたのですが、完全にスルーしてくれました。びっくりしました。この現場はがみがみ言うイヤな人種は居ないのか、それまで地獄のような悶絶状態でヘロヘロになっていたので、ようやく少しだけ救われた気がしました。
そして、若い正社員の従業員がわたしに仕事の段取りを教えてくれたのですが、彼もまた、嫌みがなく、何も知らないわたしに辛抱強くやり方を示してくれました。
仕事が終わった後になって思ったのですが、今日の肉体労働は大変しんどかったものの、人間関係でイヤな気分になったことはありませんでした。派遣会社が杜撰な嘘っぱち地図を書いてわたしに大変な目を遭わせたこと以外は。
で、仕事の中身は、コンビニの弁当類の配送のための仕分けです。
何百とある各コンビニがそれぞれ注文した弁当とかおにぎりとかを注文に応じてその各コンビニの棚に注文した数だけ入れていく作業です。
それだけだと、なんだ、簡単やんか、と思うでしょ?じつはこれが大変気を遣う作業なんです。注文した数ピッタリしか弁当、おにぎりは作られてませんから、すべて配り終わったときに、余りがあったり足りなかったりしたら、どこかで配り間違いをしている、ということになり、そういうときは『欠品』となってコンビニからクレームが来、配送会社は平謝りをしなければならなくなるのです。
しかも、各コンビニの棚は隣同士ぎっしりとくっつき合っているので、その棚の上の方に表示された、この~店はシャケおにぎりが8個、という数通りのおにぎりをちゃんと入れていかないと、ミスの修正が大変なことになります。自分が今まで入れてきた棚をもう一度再チェックしなければならなくなるのです。
ところが、ミスの無いように丁寧に配ろうとすると、今度は、棚入れを待っている他の商品がヤマほど溜まってしまい、昼食時間帯前に各コンビニの店頭におにぎりや弁当を陳列し終わることができなくなってしまいます。
ですから、仕分け、棚入れは全速力でやらないと間に合いません。
しかしそういうふうに急ぐと得てしてミスをやらかすことに。
とにかく、肉体的にも精神的にも、『疲れ果てた』、という字句の意味を心から実感体感した一日でした。
7時から13時まで働いて(途中休憩30分)、両足のふくらはぎがぱんぱんに。腰はズキズキ。足の裏はジンジン。
今日一日で、500ミリの飲料(ダイエットコーラ2本、ペットボトルのお茶1本、ドデカミン1本、モスバーガーでアイスコーヒーMサイズ)を飲み干しました。さらに、夜には糖質ゼロ、プリン体ゼロの発泡酒を2本。
朝6時台の、迷い込んで彷徨いまくった30分間でどんだけの汗が出たことか。さらに、時間に追われまくり、ミスにビビリまくって仕分け棚入れしたときももの凄く汗をかきました。というのは、派遣会社がわたしに昨夜仕事の中身を告げたとき、冷蔵庫みたいな寒いところでの作業なので厚手のトレーナーを着てください、と言ったのです。
ところが実際に働いたのは寒くない場所でした。なのに長袖トレーナーを着て作業したため、トレーナーの中はビショビショに。
こうやって思い出していくと、ますます派遣会社に対する怒りが膨らんできてしまいました。よーし!明日は派遣会社に出向いて机を叩きまくってくるぞ!と。
☆わたしに正しい道筋を教えてくれたタクシー会社は、実はわたしの大嫌いな会社だったのです。前にそこのタクシーとカーチェイスしたこともあります。バス専用レーンなのにそれを無視して堂々とその会社のタクシーが走らせていたので、わたしはそいつの前に出て時速30キロでバス専用レーンのど真ん中を走らせたのです。
そして、バス専用レーンの標識がある箇所を左手を挙げてわたしの背中をあおり運転してわたしをどかそうとするアホに教えたのです。
すると、そいつは、煽りどころか、わたしのバイクの右横10センチくらいしか隙間を作らずに、ぎりぎり接触するかしないかの間合いでわたしを追い抜いたのです。
わたしも、負けてられるか、と、そいつが前方赤信号で停まっていたので、すかさずそいつの前に出て今度は絶対に追い抜けないようにして前を走ったのです。
すると、今度はわたしが赤信号で停まったとき、そいつは3車線道路の真ん中に出てわたしを追い抜き、そいつの載っていたタクシーを斜め止めしてわたしの進行を止めたのです。そしてそいつはタクシーから降りてきてわたしに向かってきたのです。
その場所は、ちょうど道の向こう側に交番があるところでした。
わたしは、バイクをその交番に向けて道を渡りました。するとそいつはわたしを追うのをとうとうあきらめたのです。
そういう事件や、そもそもそのタクシー会社は客の応対がつっけんどんで、感じが悪く、福岡の恥みたいな会社だったのです。
なので、本当はそんな会社の人間に場所を尋ねるなんてしたくなかったのです。
結論:わたしの考えを訂正します。その会社にも良い人は居た、ということです。
☆☆言い忘れましたが、バイト代は時給800円。交通費ナシ、です。
朝7時に派遣現場に到着することになっていたのですが、派遣会社が送ってきた地図がデタラメで、現場が分からず、30分以上も右往左往しまくりました。おかげで、現場に着いたのは予定を15分もオーバーした7時15分。
もちろん、派遣先に電話しました。4回も。ところが電話の相手が説明が下手で(ゴメン)、何度聞いてもさっぱり分からないのです。彼独特の言い回しが意味不明で理解できなかったのと、彼自身が自分の会社の周辺にある他の会社のことをよく知らないことが原因でした。
で、終いには、わたしの近くの通りがかりの人に訊いてくれ、と言われてしまい、匙を投げられてしまいました。
わたしは5人以上の人々に訊きまくりましたが、目印になる大手の運輸会社の倉庫の場所を教えられる人は一人もいませんでした。
時刻は6時55分に。もう間に合わない。と、お腹がグルグル言い出して、刺すような痛み、今にも出そうな位の緊急事態にまで。
現場は巨大倉庫やら冷凍庫会社やら運輸会社やらが立ち並ぶ埠頭で、広い敷地の会社の前の道路に大型トレーラーが何台も縦列駐車していて、バイクを走らせていてもトレーラーのせいで歩道も建物も見えません。
そうこうするうちに、もう、あきらめて帰ってしまおうか、とさえ思い始めました。
体中腹痛と遅刻と怒りの三重奏で汗びっしょり。
と、目の前にタクシー会社の建物が。その玄関横に、今から出発しようとしてたタクシーの運転手さんがいたので、場所を尋ねました。すると、その人もまた、目当ての大手運輸会社の建物の場所を知りませんでした。ガックリ来てたところ、私たちの横を歩いていた人にその運転手さんは場所を尋ねてくれました。すると、ようやくわたしの知りたかった場所が分かったのでした。
その人が教えてくれた場所は、派遣会社が印を付けた位置と全然違う場所にありました。安堵の気持ちと、ヤバイ、遅れた、という焦りと、今にも出そうな緊急事態とで喉がすっかりカラカラになってしまい、その人たちに感謝の言葉を発したとき、のどちんこが喉にくっついてしまい、もの凄い痛みが走りました。
で、派遣現場に到着すると、今度は事務所内に誰もいない、というまたもや新たな恐怖が襲ってきました。
事務所の廊下をウロウロして誰か居ないか探しましたが、マジで無人状態。
とにかく、まずはトイレで緊急事態を回避しなければ、とトイレに駆け込みました。
そっちのトラブルをようやく解決してから(ほんとーに、危機一髪でした)、再び人捜し。すると、作業服を着た若者がやってきたのです。
自分は派遣会社から来た者ですが、、、、、と言うと、彼はイヤな顔せずに担当者を捜しに言ってくれました。10分くらいして戻ってきて、ようやく作業場に連れて行ってくれました。
そのときはすでに7時30分。
当然会社の担当者の人からネチネチ叱られるだろうと覚悟していたのですが、完全にスルーしてくれました。びっくりしました。この現場はがみがみ言うイヤな人種は居ないのか、それまで地獄のような悶絶状態でヘロヘロになっていたので、ようやく少しだけ救われた気がしました。
そして、若い正社員の従業員がわたしに仕事の段取りを教えてくれたのですが、彼もまた、嫌みがなく、何も知らないわたしに辛抱強くやり方を示してくれました。
仕事が終わった後になって思ったのですが、今日の肉体労働は大変しんどかったものの、人間関係でイヤな気分になったことはありませんでした。派遣会社が杜撰な嘘っぱち地図を書いてわたしに大変な目を遭わせたこと以外は。
で、仕事の中身は、コンビニの弁当類の配送のための仕分けです。
何百とある各コンビニがそれぞれ注文した弁当とかおにぎりとかを注文に応じてその各コンビニの棚に注文した数だけ入れていく作業です。
それだけだと、なんだ、簡単やんか、と思うでしょ?じつはこれが大変気を遣う作業なんです。注文した数ピッタリしか弁当、おにぎりは作られてませんから、すべて配り終わったときに、余りがあったり足りなかったりしたら、どこかで配り間違いをしている、ということになり、そういうときは『欠品』となってコンビニからクレームが来、配送会社は平謝りをしなければならなくなるのです。
しかも、各コンビニの棚は隣同士ぎっしりとくっつき合っているので、その棚の上の方に表示された、この~店はシャケおにぎりが8個、という数通りのおにぎりをちゃんと入れていかないと、ミスの修正が大変なことになります。自分が今まで入れてきた棚をもう一度再チェックしなければならなくなるのです。
ところが、ミスの無いように丁寧に配ろうとすると、今度は、棚入れを待っている他の商品がヤマほど溜まってしまい、昼食時間帯前に各コンビニの店頭におにぎりや弁当を陳列し終わることができなくなってしまいます。
ですから、仕分け、棚入れは全速力でやらないと間に合いません。
しかしそういうふうに急ぐと得てしてミスをやらかすことに。
とにかく、肉体的にも精神的にも、『疲れ果てた』、という字句の意味を心から実感体感した一日でした。
7時から13時まで働いて(途中休憩30分)、両足のふくらはぎがぱんぱんに。腰はズキズキ。足の裏はジンジン。
今日一日で、500ミリの飲料(ダイエットコーラ2本、ペットボトルのお茶1本、ドデカミン1本、モスバーガーでアイスコーヒーMサイズ)を飲み干しました。さらに、夜には糖質ゼロ、プリン体ゼロの発泡酒を2本。
朝6時台の、迷い込んで彷徨いまくった30分間でどんだけの汗が出たことか。さらに、時間に追われまくり、ミスにビビリまくって仕分け棚入れしたときももの凄く汗をかきました。というのは、派遣会社がわたしに昨夜仕事の中身を告げたとき、冷蔵庫みたいな寒いところでの作業なので厚手のトレーナーを着てください、と言ったのです。
ところが実際に働いたのは寒くない場所でした。なのに長袖トレーナーを着て作業したため、トレーナーの中はビショビショに。
こうやって思い出していくと、ますます派遣会社に対する怒りが膨らんできてしまいました。よーし!明日は派遣会社に出向いて机を叩きまくってくるぞ!と。
☆わたしに正しい道筋を教えてくれたタクシー会社は、実はわたしの大嫌いな会社だったのです。前にそこのタクシーとカーチェイスしたこともあります。バス専用レーンなのにそれを無視して堂々とその会社のタクシーが走らせていたので、わたしはそいつの前に出て時速30キロでバス専用レーンのど真ん中を走らせたのです。
そして、バス専用レーンの標識がある箇所を左手を挙げてわたしの背中をあおり運転してわたしをどかそうとするアホに教えたのです。
すると、そいつは、煽りどころか、わたしのバイクの右横10センチくらいしか隙間を作らずに、ぎりぎり接触するかしないかの間合いでわたしを追い抜いたのです。
わたしも、負けてられるか、と、そいつが前方赤信号で停まっていたので、すかさずそいつの前に出て今度は絶対に追い抜けないようにして前を走ったのです。
すると、今度はわたしが赤信号で停まったとき、そいつは3車線道路の真ん中に出てわたしを追い抜き、そいつの載っていたタクシーを斜め止めしてわたしの進行を止めたのです。そしてそいつはタクシーから降りてきてわたしに向かってきたのです。
その場所は、ちょうど道の向こう側に交番があるところでした。
わたしは、バイクをその交番に向けて道を渡りました。するとそいつはわたしを追うのをとうとうあきらめたのです。
そういう事件や、そもそもそのタクシー会社は客の応対がつっけんどんで、感じが悪く、福岡の恥みたいな会社だったのです。
なので、本当はそんな会社の人間に場所を尋ねるなんてしたくなかったのです。
結論:わたしの考えを訂正します。その会社にも良い人は居た、ということです。
☆☆言い忘れましたが、バイト代は時給800円。交通費ナシ、です。
2013年6月26日水曜日
来年の朝ドラ!
1今日は、人間ドックに行ってきました。5250円払いました。
朝9時に行って、12時過ぎに終わりました。
患者用のパジャマに着替えると、待合室がとても寒くてまた喉が腫れてしまいました。
拷問に間違いない、あのバリウムとお腹をふくらませる発泡剤を一緒に飲んだときの吐き気、しかも、ぐるぐる回る台の上でのたうち回らせられて余計にヒドイ状態に。
去年、バリウム検査で見つかった胃の上部にあるポリープのことを診断医に言うと、去年のレントゲンと今日撮ったレントゲンを見比べて、『今年はポリープがみあたりませんねえ』と言いました。えっ?ポリープって消滅するの?不思議です。
2終わってから近所にある串揚げ屋さんで食べていたら、懐かしい顔を発見。むかし谷川くんと一緒にゼミしてた弁護士のCHくんでした。
いろんな話をして、わたしが先に出ようとしたところ、昼食代をおごってくれました。
ごっちゃんです!
CHくんは、ある事務所のイソ弁ですが、ボス弁の仕事の手伝いの他、自分個人が受けた仕事を、忙しいときには40~50件も抱えていたそうです。アンビリーバブーです。そのときは毎日寝る間もなかったそうです。凄すぎ!
3自宅に戻ってネットを見ると、来年のNHKの朝ドラが、赤毛のアンの翻訳者である村岡花子さんをモデルにした物語だとしり、天にも昇る気持ちになりました。
わたしがどれほど赤毛のアンが好きか、ご存じない方もいらっしゃるかと思いますが、わたし、筋金入りのアンの腹心の友(kindred spirits)なんですから。
しかも、村岡花子さんの翻訳がまたもう、素晴らしすぎるんです!
九州地方の表現にはない、『どっさり』『ぽっちり』という言葉がとても良いんです。
それから、主人公である、孤児のアン シャーリーを結局は養女として引き取ることになる老兄妹の名字が、カスバート、と呼ばずに、クスバート、と表記したのがまたイインデス!
どこが良いかというと、カスバートだと今風でイヤな感じですが、クスバートだと19世紀末のニオイがして昔の雰囲気が出てくるからです。
赤毛のアンシリーズは10数巻あり、それのスピンオフも何巻もあり、全部読むとアンの世界がこの世とは別に永遠に存在し続けている気になります。
アンの住んでいる世界に行ってみたいと何度思ったことでしょうか。
少女だったアンがいろんな苦労をして大人になり、村の小中学校の教室でアンの赤毛をからかったため石板でアンに殴られたギルバートブライスと恋をして、結婚して7人(8人?)の子に恵まれながら、次男坊を第1次世界大戦で失い、傷心し、けれども家族を何よりも大切にし続ける、そんな、愛さずには居られないアンの一生が綴られています。
今、思ったのは、わたしのマイブームである、NHKでやっている『トンイ』もアンとかなり似ているなあ、ということです。
みなさん、どうか、赤毛のアンシリーズを、しかも村岡花子訳を、新潮文庫を、読んでみてください。こんな素敵な女性は(うちの女房を除いて)他にいませんから。(意訳せよ)。
また、トンイもイイですねえ。主人公トンイのまっすぐなところがイイ。それと、主役のハンヒョジェさんもイイ。シリーズ後半で王様の側室に迎えられたあたりから、グッと凛とした美しさが際だつようになりました。
いままでわたしは韓国女優ではハンヘジンさんが一番だと思っていましたが、意見を変えます。
話をもどしますと、村岡花子さんの記念館があるらしいのです。東京に行ったら是非うかがいたいと今でも思っています。
赤毛のアンは映画にもなりました。ミーガンフォローズという可愛らしい女優がアンを演じてとても良かったですが、それよりも感動したのは、アンを養った、グリーンゲイブルズ(緑の切り妻屋根)にすむ、マシュークスバートと妹のマリラクスバートという二人とも未婚の兄妹です。
ほんとーに!素晴らしい俳優と女優です。
村岡花子さんの役を吉高ゆりこさんがするそうです。彼女の顔は典型的な平安美人の顔です。平安時代、薄暗い御簾の向こうに、吉高さんの顔がろうそくの炎に照らされてうっすら見えたとき、その妖艶さが極まって、おどろおどろしくもその魔力によってうつつの世に引き込まれてしまい、二度と現世に戻れなくなってしまったことでしょう。
NHKの朝ドラがこんなに待ち遠しくワクワク感じたのは初めてです。NHKさん、よくやった!
次は、立花宗茂を大河ドラマに。そして、鎌倉河岸捕り物控え、を、お宿かわせみ、みたいな長期シリーズにしてください。
朝9時に行って、12時過ぎに終わりました。
患者用のパジャマに着替えると、待合室がとても寒くてまた喉が腫れてしまいました。
拷問に間違いない、あのバリウムとお腹をふくらませる発泡剤を一緒に飲んだときの吐き気、しかも、ぐるぐる回る台の上でのたうち回らせられて余計にヒドイ状態に。
去年、バリウム検査で見つかった胃の上部にあるポリープのことを診断医に言うと、去年のレントゲンと今日撮ったレントゲンを見比べて、『今年はポリープがみあたりませんねえ』と言いました。えっ?ポリープって消滅するの?不思議です。
2終わってから近所にある串揚げ屋さんで食べていたら、懐かしい顔を発見。むかし谷川くんと一緒にゼミしてた弁護士のCHくんでした。
いろんな話をして、わたしが先に出ようとしたところ、昼食代をおごってくれました。
ごっちゃんです!
CHくんは、ある事務所のイソ弁ですが、ボス弁の仕事の手伝いの他、自分個人が受けた仕事を、忙しいときには40~50件も抱えていたそうです。アンビリーバブーです。そのときは毎日寝る間もなかったそうです。凄すぎ!
3自宅に戻ってネットを見ると、来年のNHKの朝ドラが、赤毛のアンの翻訳者である村岡花子さんをモデルにした物語だとしり、天にも昇る気持ちになりました。
わたしがどれほど赤毛のアンが好きか、ご存じない方もいらっしゃるかと思いますが、わたし、筋金入りのアンの腹心の友(kindred spirits)なんですから。
しかも、村岡花子さんの翻訳がまたもう、素晴らしすぎるんです!
九州地方の表現にはない、『どっさり』『ぽっちり』という言葉がとても良いんです。
それから、主人公である、孤児のアン シャーリーを結局は養女として引き取ることになる老兄妹の名字が、カスバート、と呼ばずに、クスバート、と表記したのがまたイインデス!
どこが良いかというと、カスバートだと今風でイヤな感じですが、クスバートだと19世紀末のニオイがして昔の雰囲気が出てくるからです。
赤毛のアンシリーズは10数巻あり、それのスピンオフも何巻もあり、全部読むとアンの世界がこの世とは別に永遠に存在し続けている気になります。
アンの住んでいる世界に行ってみたいと何度思ったことでしょうか。
少女だったアンがいろんな苦労をして大人になり、村の小中学校の教室でアンの赤毛をからかったため石板でアンに殴られたギルバートブライスと恋をして、結婚して7人(8人?)の子に恵まれながら、次男坊を第1次世界大戦で失い、傷心し、けれども家族を何よりも大切にし続ける、そんな、愛さずには居られないアンの一生が綴られています。
今、思ったのは、わたしのマイブームである、NHKでやっている『トンイ』もアンとかなり似ているなあ、ということです。
みなさん、どうか、赤毛のアンシリーズを、しかも村岡花子訳を、新潮文庫を、読んでみてください。こんな素敵な女性は(うちの女房を除いて)他にいませんから。(意訳せよ)。
また、トンイもイイですねえ。主人公トンイのまっすぐなところがイイ。それと、主役のハンヒョジェさんもイイ。シリーズ後半で王様の側室に迎えられたあたりから、グッと凛とした美しさが際だつようになりました。
いままでわたしは韓国女優ではハンヘジンさんが一番だと思っていましたが、意見を変えます。
話をもどしますと、村岡花子さんの記念館があるらしいのです。東京に行ったら是非うかがいたいと今でも思っています。
赤毛のアンは映画にもなりました。ミーガンフォローズという可愛らしい女優がアンを演じてとても良かったですが、それよりも感動したのは、アンを養った、グリーンゲイブルズ(緑の切り妻屋根)にすむ、マシュークスバートと妹のマリラクスバートという二人とも未婚の兄妹です。
ほんとーに!素晴らしい俳優と女優です。
村岡花子さんの役を吉高ゆりこさんがするそうです。彼女の顔は典型的な平安美人の顔です。平安時代、薄暗い御簾の向こうに、吉高さんの顔がろうそくの炎に照らされてうっすら見えたとき、その妖艶さが極まって、おどろおどろしくもその魔力によってうつつの世に引き込まれてしまい、二度と現世に戻れなくなってしまったことでしょう。
NHKの朝ドラがこんなに待ち遠しくワクワク感じたのは初めてです。NHKさん、よくやった!
次は、立花宗茂を大河ドラマに。そして、鎌倉河岸捕り物控え、を、お宿かわせみ、みたいな長期シリーズにしてください。
2013年6月22日土曜日
中途半端な日々
今日は夏至の日です。といっても台風5号と梅雨前線と湿舌のせいでまったく夏至っぽくない一日でした。しかも昨夜から急に冷たい風が吹いてきて、またも寝冷えした感じです。今日一日もこぬか雨、あんまり肌寒いのでジャンパーを着ていました。
ここのところ、兄の事務所に行ったり、ローに行ったりと、シャキーンとした行動が取れていません。兄の事務所に行くと、あれやこれや言い付けられ、エンドレスな束縛感を覚えます。ただ、勉強になる問題点がいろいろ出てきて面白いな、とは思います。
また、簿記の本も読んでいますが、途切れ途切れなので、いっこうに進みません。面白いかも、とは思います。
ローに行くと、受験が終わった人たちの中に、司法書士を受けるという人がチラホラいます。話を聞くと、皆、早く職に就くために受けるのだ、と答えました。びっくり仰天しました。司法書士の難しさを全く認識していないんです。すこし(2ヶ月?)勉強すれば受かる、みたいなイメージを抱いているようです。
アンビリーバブルです。ナイーブ過ぎます。司法書士に受かるためにはどれほどの勉強が必要なのか、あえて言えば法科大学院卒業者が司法試験に受かるのの10倍は難しいことが分かっていません。オーマイガー、です。
逆に、フランス語の勉強をしている、という人も。cool!
今朝、女房が人間ドックに行くのをクルマで送って行きました。朝8時半には病院に到着。兄の事務所の近くなので、事務所が開くまで、近所のマックで時間つぶしをしました。そこで食べたソーセージエッグマフィンの不味かったこと!ソーセージからなんかイヤなニオイがして、とても食べられませんでした。
この前、N先生がゼミ生のために開いていただいた試験の慰労会で、博多駅ビル9階にある韓国料理屋さんに行ったときの写真を載せます。孔子の94代目(96代目?)の子孫というスタッフのいる店です。黒豆マッコリは大変美味しかったのですが、料理はどれも値段が高かったんじゃないでしょうか。N先生、申し訳ありませんでした。
ここのところ、兄の事務所に行ったり、ローに行ったりと、シャキーンとした行動が取れていません。兄の事務所に行くと、あれやこれや言い付けられ、エンドレスな束縛感を覚えます。ただ、勉強になる問題点がいろいろ出てきて面白いな、とは思います。
また、簿記の本も読んでいますが、途切れ途切れなので、いっこうに進みません。面白いかも、とは思います。
ローに行くと、受験が終わった人たちの中に、司法書士を受けるという人がチラホラいます。話を聞くと、皆、早く職に就くために受けるのだ、と答えました。びっくり仰天しました。司法書士の難しさを全く認識していないんです。すこし(2ヶ月?)勉強すれば受かる、みたいなイメージを抱いているようです。
アンビリーバブルです。ナイーブ過ぎます。司法書士に受かるためにはどれほどの勉強が必要なのか、あえて言えば法科大学院卒業者が司法試験に受かるのの10倍は難しいことが分かっていません。オーマイガー、です。
逆に、フランス語の勉強をしている、という人も。cool!
今朝、女房が人間ドックに行くのをクルマで送って行きました。朝8時半には病院に到着。兄の事務所の近くなので、事務所が開くまで、近所のマックで時間つぶしをしました。そこで食べたソーセージエッグマフィンの不味かったこと!ソーセージからなんかイヤなニオイがして、とても食べられませんでした。
この前、N先生がゼミ生のために開いていただいた試験の慰労会で、博多駅ビル9階にある韓国料理屋さんに行ったときの写真を載せます。孔子の94代目(96代目?)の子孫というスタッフのいる店です。黒豆マッコリは大変美味しかったのですが、料理はどれも値段が高かったんじゃないでしょうか。N先生、申し訳ありませんでした。
2013年6月17日月曜日
James Bond Medley - BBC Proms 2011 Last Night Celebrations in Scotland - YouTube
短答式足きりをくぐり抜けて、やっと少し青空を余裕を持って観ることが出来ると心晴れになりかけた矢先、今度は兄の事務所の手伝いをさせられ、気が重くて仕方ありません。わたしが一番好きな季節は、どの季節も好きですけど、梅雨なんです。雨が好きなんです。雨の中を歩いたりドライブしたり喫茶店で薫り高くて熱いコーヒーを楽しみながらガラス窓から見える雨をしとどなく見るのが好きなんです。
原点は、京都の北白川にあります。むかしむかし、大学に入り立てのとき、3畳の狭い下宿に居るのがイヤで、近くにある白川疎水のほとりにある、ジョルジュサンクという名前の喫茶店に行ってコーヒーを味わうのが無上の贅沢でした。特に、白川疎水沿いに鮮やかに瑞々しく咲いていたツツジの花と霧雨のような雨とが絶妙にマッチしていたのです。当時はたばこを吸っていました。ジョルジュサンクの店内で煙をたゆたせながら物思いにふけりつつ雨に濡れたツツジの花と葉っぱを見つめていました。
そんな、贅沢でゆたかな時間が(最終結果までの間ですが)味わえる、自分にとって極上の楽しみにふけることができる、と思っていたのに~。
なんとかして兄から請け負った書類作りを終わらせようと思っていたのですが、今日事務所に行くと、がっくり。新たにまた二つ押しつけられてしまいました。
こんな状態がずっと続くのかと思うと、やりきれません。
で、夜、自宅に戻ると、ストレス解消にと飲んだくれています。ビールやウィスキーを呷りながらヘッドホンで大音量を出して聴いているのが下のユーチューブです。
ジョンバリーという、イギリスの映画音楽の大作曲家がいます。わたしの大好きな作曲家です。ヘンリーマンシーニもフランシスレイも好きですが、ジョンバリーが一番好きかも。理由は、ベースとドラムという、低音楽器を多用しているからです。イギリス人は低音が好きなんです。そしてわたしも。また、わたしが生まれて初めて、絢爛豪華、ゴージャス、というのはこういうものなのか、と震えた映画が、007のゴールドフィンガーという映画でした。小学校の5年生くらいのとき、小倉の映画館でこの映画を見たとき、自分の体の全細胞が興奮の極みに達したのを今でも覚えています。
その、ゴージャスな感動が蘇ってくる演奏会がこの、下のユーチューブにある動画なんです。みなさん、是非、ヘッドホンをして大音量でこのイギリスらしい、バスとホルンとドラムの重厚な低音と、これまたイギリスらしい、悲しい音色を出すトランペットの哀調を楽しんでください。
James Bond Medley - BBC Proms 2011 Last Night Celebrations in Scotland - YouTube
原点は、京都の北白川にあります。むかしむかし、大学に入り立てのとき、3畳の狭い下宿に居るのがイヤで、近くにある白川疎水のほとりにある、ジョルジュサンクという名前の喫茶店に行ってコーヒーを味わうのが無上の贅沢でした。特に、白川疎水沿いに鮮やかに瑞々しく咲いていたツツジの花と霧雨のような雨とが絶妙にマッチしていたのです。当時はたばこを吸っていました。ジョルジュサンクの店内で煙をたゆたせながら物思いにふけりつつ雨に濡れたツツジの花と葉っぱを見つめていました。
そんな、贅沢でゆたかな時間が(最終結果までの間ですが)味わえる、自分にとって極上の楽しみにふけることができる、と思っていたのに~。
なんとかして兄から請け負った書類作りを終わらせようと思っていたのですが、今日事務所に行くと、がっくり。新たにまた二つ押しつけられてしまいました。
こんな状態がずっと続くのかと思うと、やりきれません。
で、夜、自宅に戻ると、ストレス解消にと飲んだくれています。ビールやウィスキーを呷りながらヘッドホンで大音量を出して聴いているのが下のユーチューブです。
ジョンバリーという、イギリスの映画音楽の大作曲家がいます。わたしの大好きな作曲家です。ヘンリーマンシーニもフランシスレイも好きですが、ジョンバリーが一番好きかも。理由は、ベースとドラムという、低音楽器を多用しているからです。イギリス人は低音が好きなんです。そしてわたしも。また、わたしが生まれて初めて、絢爛豪華、ゴージャス、というのはこういうものなのか、と震えた映画が、007のゴールドフィンガーという映画でした。小学校の5年生くらいのとき、小倉の映画館でこの映画を見たとき、自分の体の全細胞が興奮の極みに達したのを今でも覚えています。
その、ゴージャスな感動が蘇ってくる演奏会がこの、下のユーチューブにある動画なんです。みなさん、是非、ヘッドホンをして大音量でこのイギリスらしい、バスとホルンとドラムの重厚な低音と、これまたイギリスらしい、悲しい音色を出すトランペットの哀調を楽しんでください。
James Bond Medley - BBC Proms 2011 Last Night Celebrations in Scotland - YouTube
怖ろしい一日でした
土曜日、とうとう、短答式試験の点数通知ハガキが法務省から届くハズの日。
朝から恐怖と緊張で下痢気味。我が家には大体正午前後に郵便が配達されます。
ハガキが届くのが怖くて、女房一人で行くことになっていたお寺のお祭りにわたしも一緒に行くことにしました。郵便屋さんが来るのを待つなんて到底耐えられなかったので。
博多区の祇園というところに東長寺という由緒正しい真言宗のお寺があります。
空海さんが建てられたといわれています。
その東長寺で、弘法大師さんの生まれた日に、年に一度だけ、秘仏がご開帳されるのです。十一面千手観音像がおでます厨子が開かれるのです。
11時からそのお祭りがあり、行ってみると大勢の方々が見えてました。生まれて初めて真言宗のお経を聴きました。古い感じがしました。
護摩壇の向こうにその仏様がいらして、お経が終わるとみなさん、立ち上がってその行列を作ってその仏様のお姿を観させていただくのです。
高さ70センチほどの可愛らしい細身のお姿でした。
その行列で、お寄付をした人には弁当が配られ、その後、和尚さんのお説法が20分ほどあり、それが終わると、みんなが座って説法を聴いていた本堂にテーブルがいくつも置かれ、みなさんで先ほど配られた弁当をいただくのです。しかも、お茶だけでなく日本酒もありました。
なんか、和気藹々な雰囲気で、とっても和みました。まるで田舎の檀家の集まりみたいでした。当日来られた人はたぶん800人は下らない大人数でしたので、スゴク感心しました。
ですが、わたしの頭の中は短答通知ハガキのことで一杯一杯でした。ただ、仏様が金色の厨子の中で明るく輝いているお姿を拝見したとき、なんか瑞兆みたいなものを感じました。あくまでも妄想ですが。
で、女房とわたしの分の二つ、弁当をもらい、そのうち一つだけ、本堂でいただきましたが、当然わたしはお赤飯が喉を通らず、ほとんど一口しか食べられませんでした。後は全部女房がパクパク平らげました。
で、その後わたし一人で家にバイクで戻りました。郵便受けの中に通知ハガキが入っているのはほとんど確実。中にどんな数字が書かれているか、もしも足きりに遭ったら、わたしの弁護士への途はその時点で終了です。足きり点は220点だということは、すでに1週間前に法務省が発表していました。
自分の点数が220点よりも少ないのが見えてしまったらそのとき自分はどうなってしまうのだろう、自分はどうやって生きていけば良いのだろう、などと、いろんなものが押し寄せてきました。
案の定、郵便受けをちらっとみると、例の物が見えました。もう、仕方ない、開けるしかない、と、二枚重ねを貼り付けているタイプのハガキを取り出し、その場で、えいっ!とかけ声をあげて端っこからビビビッと剥がしました!
と!なにやら、自分の想像していない点数が見えるではありませんか!
え~っ?なに?この点数は?
みなさん、持って回った言い方ですみません。それほど、予想外の点数だったのです。
結論は?セーフ!!!でした。
しかも、予想外の高得点でした。長い受験生生活の中で一番嬉しかったです。
こんなに嬉しくて、ホッとしたことはありません。短答式試験を受け終わった後の手応えがもの凄くイヤな感じでしたので、ずっと最悪を覚悟していました。
その上、新司法試験では短答式試験の点数は論文式試験の点数と合体されるので、点数が高ければ高いほど合格可能性が増すのです。
わたしが取れた点数は、短答足きりセーフだった5200人の平均点よりも25点も良かったのです。つまり、短答式試験の点数が合格のためのアドバンテージになってくれた、という、有り難いオマケまでつけてくれたのです。
こういうことになれば良いんだけどな~、でも、そんなの夢のまた夢だもんな~、とずっとため息ばかりついていました。それが現実のものになるとは。
一息ついたあと、なんか、急におなかが空いてきました。それで、短答セーフの余韻を味わおうと、バイクに乗って糸島近くのうどん屋さんにドライブしよう、と出かけましたが、途中で疲れがドドッと出てしまい、近くのうどんやさんで食べました。温かいうどんがお腹に沁みました。やっぱり、博多の人間にとってのソウルフードは、うどん、です。決してラーメンではありません。これはほとんどすべての博多ん者の共通認識です。それも、腰の無い、やわ~いうどんです。お箸で麺を持ち上げると直ぐに切れてしまうような柔らかい麺がイインデス。
で、うどんで幸せをかみしめた後、自宅に戻って、本番の問題集を取り出し、怖ろしくて今日まで決してすることが出来なかった自己採点をしました。
すると、自分が何故イヤな感じを持ってたのかの理由が分かりました。
得点源であるはずの憲法と刑法がボロボロだったのです。単純知識問題をイヤになるほど落としていました。心の中の警報機がぴーぴー鳴っていたのはそのせいだったのです。
その反対に、本番中、絶望感に襲われ続けた行政法とか会社法とか刑訴が信じられないくらいに取れていたのです。これには嬉しいショックを受けました。自分がこんなに良い点数なんか取れるはずがない、と今でも思っています。
今思えば、本番直前の大事な時間を、これらの科目の短答過去問解きに当てたのが好結果の理由でしょうか。ですが、試験中は本当にお先真っ暗で、××××と、間違ってばかりだろう、とほとんど確信すら覚えていました。
イヤ、本当に助かりました。
朝から恐怖と緊張で下痢気味。我が家には大体正午前後に郵便が配達されます。
ハガキが届くのが怖くて、女房一人で行くことになっていたお寺のお祭りにわたしも一緒に行くことにしました。郵便屋さんが来るのを待つなんて到底耐えられなかったので。
博多区の祇園というところに東長寺という由緒正しい真言宗のお寺があります。
空海さんが建てられたといわれています。
その東長寺で、弘法大師さんの生まれた日に、年に一度だけ、秘仏がご開帳されるのです。十一面千手観音像がおでます厨子が開かれるのです。
11時からそのお祭りがあり、行ってみると大勢の方々が見えてました。生まれて初めて真言宗のお経を聴きました。古い感じがしました。
護摩壇の向こうにその仏様がいらして、お経が終わるとみなさん、立ち上がってその行列を作ってその仏様のお姿を観させていただくのです。
高さ70センチほどの可愛らしい細身のお姿でした。
その行列で、お寄付をした人には弁当が配られ、その後、和尚さんのお説法が20分ほどあり、それが終わると、みんなが座って説法を聴いていた本堂にテーブルがいくつも置かれ、みなさんで先ほど配られた弁当をいただくのです。しかも、お茶だけでなく日本酒もありました。
なんか、和気藹々な雰囲気で、とっても和みました。まるで田舎の檀家の集まりみたいでした。当日来られた人はたぶん800人は下らない大人数でしたので、スゴク感心しました。
ですが、わたしの頭の中は短答通知ハガキのことで一杯一杯でした。ただ、仏様が金色の厨子の中で明るく輝いているお姿を拝見したとき、なんか瑞兆みたいなものを感じました。あくまでも妄想ですが。
で、女房とわたしの分の二つ、弁当をもらい、そのうち一つだけ、本堂でいただきましたが、当然わたしはお赤飯が喉を通らず、ほとんど一口しか食べられませんでした。後は全部女房がパクパク平らげました。
で、その後わたし一人で家にバイクで戻りました。郵便受けの中に通知ハガキが入っているのはほとんど確実。中にどんな数字が書かれているか、もしも足きりに遭ったら、わたしの弁護士への途はその時点で終了です。足きり点は220点だということは、すでに1週間前に法務省が発表していました。
自分の点数が220点よりも少ないのが見えてしまったらそのとき自分はどうなってしまうのだろう、自分はどうやって生きていけば良いのだろう、などと、いろんなものが押し寄せてきました。
案の定、郵便受けをちらっとみると、例の物が見えました。もう、仕方ない、開けるしかない、と、二枚重ねを貼り付けているタイプのハガキを取り出し、その場で、えいっ!とかけ声をあげて端っこからビビビッと剥がしました!
と!なにやら、自分の想像していない点数が見えるではありませんか!
え~っ?なに?この点数は?
みなさん、持って回った言い方ですみません。それほど、予想外の点数だったのです。
結論は?セーフ!!!でした。
しかも、予想外の高得点でした。長い受験生生活の中で一番嬉しかったです。
こんなに嬉しくて、ホッとしたことはありません。短答式試験を受け終わった後の手応えがもの凄くイヤな感じでしたので、ずっと最悪を覚悟していました。
その上、新司法試験では短答式試験の点数は論文式試験の点数と合体されるので、点数が高ければ高いほど合格可能性が増すのです。
わたしが取れた点数は、短答足きりセーフだった5200人の平均点よりも25点も良かったのです。つまり、短答式試験の点数が合格のためのアドバンテージになってくれた、という、有り難いオマケまでつけてくれたのです。
こういうことになれば良いんだけどな~、でも、そんなの夢のまた夢だもんな~、とずっとため息ばかりついていました。それが現実のものになるとは。
一息ついたあと、なんか、急におなかが空いてきました。それで、短答セーフの余韻を味わおうと、バイクに乗って糸島近くのうどん屋さんにドライブしよう、と出かけましたが、途中で疲れがドドッと出てしまい、近くのうどんやさんで食べました。温かいうどんがお腹に沁みました。やっぱり、博多の人間にとってのソウルフードは、うどん、です。決してラーメンではありません。これはほとんどすべての博多ん者の共通認識です。それも、腰の無い、やわ~いうどんです。お箸で麺を持ち上げると直ぐに切れてしまうような柔らかい麺がイインデス。
で、うどんで幸せをかみしめた後、自宅に戻って、本番の問題集を取り出し、怖ろしくて今日まで決してすることが出来なかった自己採点をしました。
すると、自分が何故イヤな感じを持ってたのかの理由が分かりました。
得点源であるはずの憲法と刑法がボロボロだったのです。単純知識問題をイヤになるほど落としていました。心の中の警報機がぴーぴー鳴っていたのはそのせいだったのです。
その反対に、本番中、絶望感に襲われ続けた行政法とか会社法とか刑訴が信じられないくらいに取れていたのです。これには嬉しいショックを受けました。自分がこんなに良い点数なんか取れるはずがない、と今でも思っています。
今思えば、本番直前の大事な時間を、これらの科目の短答過去問解きに当てたのが好結果の理由でしょうか。ですが、試験中は本当にお先真っ暗で、××××と、間違ってばかりだろう、とほとんど確信すら覚えていました。
イヤ、本当に助かりました。
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