2021年2月12日金曜日

微熱が

 風邪の引き始めの兆候が出始めました。

微熱、体の節々が痛い、少々の頭痛、です。ただ、正月からずっと続いていた胃腸の痛みがかなり治ってきていて、おかげで、風邪の特効薬である、バナナ、半熟卵の黄身、イチゴ、ビタミン剤、は無理せず食べることが出来るようになりました。

コロナに感染したわけではないとは確信しています。いつもの通りの風邪です。予兆は昨日ありました。汗をかいたのに放っておいたのと、そのままローの自習室でうたた寝してしまったことです。寒いなあと思いつつも眠気に負けて服を着るのが億劫になってしまったのです。

今朝は7時間寝ました。多少は踏みとどまった感じです。しかし自宅の自分の部屋は北向き、隙間風で超寒いのです。ローは暖かいので頑張ってローまで来ました。昼はうどん和助という結構おいしいうどん屋で肉うどん+生卵。お腹の調子が戻ってきました。痛くもなく吐き気もしませんでした。ローに戻って家庭教師の準備の印刷をフーフー言いながら終わらせ、レンタルしてた洋画『カラシニコフ』(自動小銃の傑作を作ったロシア人の伝記映画)を見ていたところ、私の背後に人の気配が!振り向くと、中山先生がパソコン画面をのぞき込んでいました。

一瞬、ヤバイ!勉強サボっているのを見られた、と動揺しました。嗚呼、受かってて良かった、、、

わたしの居る自習室と中山先生がいらっしゃるリーガルクリニック法律事務所とは歩いて20歩、なんの障害もありません。中山先生は事務所から珈琲サーバーを持参されてわたしたち(自習室には現在3人居ます)に珈琲をごちそうしてくれるのです。で、コーヒーをいただきながら世間話や法律、司法試験などの話の花が咲きます。

ロシア映画も中々面白い物です。というか、アメリカ映画はなんとなくつまらない感じがします。北欧とかイスラエルとかトルコ、イランなどの映画の方が面白いです。

今、女房と毎日楽しみにしているのが、中国の清朝時代のドラマ、月に咲く花の如く、です。その前の瓔珞(えいらく)も面白かったです。韓国の俳優さん女優さんよりも中国の方々の方が日本人の顔に近いなあ、と思いました。また、中国人の顔はバラエティに富んでいて、そういうところも日本人と似ています。最近の中国ドラマが面白い理由は、ワイヤーアクションみたいな無駄な演出が無く、人間ドラマを濃密に、しかも壮大なスケールで描いているからです。日本のドラマの完敗です。韓国のドラマはネチっこいところが、良い点でも有りやり過ぎる点でもあります。感情が溢れすぎ。理屈が無い。それに比べ、中国ドラマは合理性を重視しているのが良いところです。もしも、月に咲く花の如く、がゴールデンに放送されたなら、大反響、超高視聴率を取ること間違い無しです。そうしてくれたら日本のドラマの質も向上するのに。


2021年2月7日日曜日

山本哲久くん

 昨晩、友だちの女性弁護士から備前焼のコーヒーカップの夫婦茶碗が送られてきました。最初のローのとき、同じクラスで九大図書館(箱崎にあったものの、今は無し)のゼミ室でよくゼミをしていました。木々に囲まれた渓谷を流れる清流のような方で、澄んでいてキリッとしていて、でも穏やかで、しかも声がとてもきれいな方です。いただいた備前は、色合い、肌触り、形、どれをとっても素晴らしく、一目惚れしました。いろんな素晴らしい方が自分の周りに居てくれる、というのはありがたいことです。

友だちと言えば、はまやんという宮崎の大親友もまた、得がたい大親友です。彼とは二人でよく女房に隠れて久住、阿蘇、別府、筋湯温泉、古湯温泉なんかにドライブに行ってました。彼とはホントに波長が合うのです。このブログのわたしの写真を撮ったのもはまやんです。別府湾を見渡す高台で取ってもらいました。大病を患ったのに、明るく前を向いて進む精神は見上げたもので、尊敬します。


そして大学時代以来、終生の友だったのが山本哲久です。鳥取出身で、二人とも二浪して京大に。入学前に下宿探しをして北白川のボロい3畳しかない狭苦しくてクーラーも何も無い下宿を下見していたとき、チラッと彼を見ました。そのときは同じクラスになるとは思いませんでした。入学後、そのボロい下宿の8人くらいは入れる内風呂(1日おきにしか入れない)に行くと、なんと入学式に同じクラスにいたヤツが風呂に入っているではありませんか!二人とも同時に『おーっ!』と言いました。

それから、ほぼ毎日、山本と夕方にジントニックを飲むようになりました。前に書いたように、それが一番安上がりだったからです。冷蔵庫が無い生活だったので、買ってきた冷たいスプライトにジンをぶち込んで一気飲み。すぐ酔っ払うのが良いところでした。

山本も、上に書いた女性弁護士と同じく、不正を憎み弱者を助ける、ピュアな、あまりにも 純粋な人間でした。

鳥取県庁に就職しましたが、エリートコースの財政課に配属されたので、受験勉強ができない、と、数年で辞め、民間企業に転職しながら鳥取からバスに乗って京都の答案練習会に参加していました。前日答案練習会の前日、熊野神社に引っ越したわたしの下宿に泊まり、寒かったので日本酒と湯豆腐で酒盛りをしていました。

山本は、島根ローに入り、鳥取に一人息子を残し、松江で一人暮らししながら司法試験を目指していました。重い病でローに行けなくなり、夢の途中で他界しました。葬儀に参列し、友人代表として、思いの丈を叫びました。なんでだ?なんで逝ってしまったんだ?バカヤローって言ってしまいました。あとでお坊様に叱られました。

去年、試験後、出雲大社にお参りに行きました。女房の守り神様が出雲大社である、と、占いをする人から言われたためです(わたしの守り神様は霧島神宮らしいです)。で、松江の町も見て回りました。素晴らしいところです。品があって、華やかさがあり、又是非来たいと思いました。その松江に、山本の夢が残っている、と思うと、胸が熱くなりました。いつか一緒に受かろう、と湯豆腐をフーフー吹きながら語り合っていたのを思い出しました。

京都の青春時代を語り合える心の友が居ないのはとても寂しいです。彼の墓前で報告したいです。お前の分も受かったぞ。お互いもっとはやく受かりたかったなぁ、オレも馬鹿だがお前はもっと馬鹿だ、受かる前に逝きやがって、、、、、と。


わたし自信、今週木曜日にCT検査をして、膵臓検査をし、翌日、舌ガン検査をしました。どちらもセーフと言われ、安堵感で脱力してしまいました。次は、大腸がん内視鏡検査をしましょう、と医者に言われ、ハイ、と言ってしまいました。


2021年2月5日金曜日

間一髪!まさに髪の毛一本分のスレスレ!

 








恥を晒すことになりそうですが、敢えて成績を載せます。

わたしにとっては勲章です。というのは、負け惜しみに聞こえますが、法律を分かっていることと試験で良い点を取ることとはあまり相関関係があるとは言えないと思えるからです。両方とも出来るスーパーマンはおいといて、大概の受験生はどちらか一方だけが優れているにすぎません。わたしは長いことインプットばかりで終わっていて、試験でアウトプットする力に欠けていました。

それで、去年は友人と二人でズームを使って答案作成ゼミを週二回、朝8時半からやりました。わたしにとっては苦痛でした。答案書きは苦手でしたから。でもこれをクリアしないと受からないと思い、友人からの批評を受けながらボロボロの答案を書いていました。そのおかげで、長い問題文が大分読み込めるようになりました。けれども反面、短答の勉強がほとんど全くといって良いほど進まず、短答試験が恐ろしかったです。

ところが、短答の試験結果(先に短答試験のみの結果の葉書が届きます)を開いたとき、我が目を疑いました。こんなに良い点を取って良い物か?と。望外の喜びで溢れかえりました。

また、論文試験も手応え十分でしたので、今年はイケた、とかなり自信がありました。

なので、合格発表の日、半分は心安らかでした。

と・こ・ろ・が~~~

発表から11日後に届いた成績通知を見たとき、腰を抜かし、息が止まりました。本当のギリギリ合格だったのです。心の底から怖ろしくなりました。短答試験で1問余計に間違っていたら2点下がり、合格点に1点足りずに落ちていたのです!マジ、危ういところを間一髪ですり抜けてたのです。インディジョーンズの冒険のようなスレスレギリギリセーフ、だったのです。怖ろし過ぎます。肝が縮みました。

こんな僥倖は一生に一度です。もう、『感謝』、それしかありません!

神様仏様皆々様、そして女房に感謝します。

2021年2月3日水曜日

感謝感謝感謝!神様仏様皆々様に、感謝!!

 おととい月曜日(2021年2月1日)、法務省から合格通知と成績が届きました。

オーマイゴッド!危ういところでした。司法試験初日の科目である、倒産法、憲法、行政法が全て!去年よりも悪いのです!信じられませんでした。初日の試験が終わって試験会場である南近大ビルを出るとき、手応え十分、かなりの高得点取れた、と思っていました。

いまだに信じられない低評価で、訳が分かりません。

逆に、マズいなあと思っていた民法、民訴がAだったのには、へ~っ、みんなもできが悪かったのかなあ、と。

とにもかくにも、首の皮一枚でした。ほんとに、受かったのが幸運だったなあとしみじみ感じました。今までの数十年、逆の結果ばかりで、自分はギリギリに弱いと思い込んでいました。

平成6年の司法試験ではあと100番足りずに落ち、平成26年の予備試験論文試験ではあと50番足りずに落ちました。

今年は今まで貯めていた運貯金が一気にどどどっと引き落としできたみたいな感じです。

本当に受かって良かった、ありがたいことだ、と手を合わせて神様仏様皆々様を拝みました。