2021年3月14日日曜日

2021年3月11日木曜日

春なのに,,,,,,,,,,

 朝晩はまだまだ寒いですが、日中はワークマンのイージスという防寒着を着ていたら暑くて脱ぎたくなってしまいます。

なので、日中はバイクに乗って三ツ瀬とか糸島とか吉野ヶ里までツーリングしてみたいです。また、女房を後ろに乗せて柳川でウナギのせいろ蒸し食べたり温泉に行ったりもしたいです。でも、それはなかなか出来そうもありません。理由は2つ。

①明日朝、胃カメラ検査受けます。舌ガン検査、膵臓CT検査、大腸カメラ検査、ときて、いよいよラスト。6年ほど前に一度胃カメラ検査を受けたことが有り(人間ドックでバリウム検査したところ胃の上部、噴門にポリープありとのことで要精密検査と言われたため)、そのとき、麻酔で薄れかけた意識の中に、カメラを見た医者が『あれ?ポリープはどこにあるの?』というのが聞こえてきました。そのときは、おやっ!胃カメラよりバリウム検査の方が発見能力が高いのか?といぶかしく感じました。

その胃カメラ検査の結果、良性のポリープだろうと言われましたが、胃の中が赤いから、ピロリ菌がいる可能性があり、ピロリ菌検査をした方が良いと言われ、早速、空洞状のパイプみたいなのに息を吹き込むという検査をしました(高額!)。結果はセーフで、医者は首をかしげながら『おかしいなあ?居ると思ったんですけどねぇ』なんて、無責任なことを言い、我が方としてはピロリ菌が居ないと言われたので嬉しくて、医者の失言も宥恕してやりました(ちなみに修猷館の後輩でした)。

なので、明日の検査も大丈夫だろうとは思いますが、ひょっとしてなにか異変が起きているかもしれないという不安感はかなり強いです。正月からずっと胃腸の調子が良くないので、原因を明らかにして回復させたいのです。食欲がない人生を2ヶ月送ってきました。体重も4キロほど減り、漠然とした不安感に包まれて暮らしてきたので、実は明日の胃カメラ検査が一番怖いです。

②研修所が出した事前課題。4問あります。うげ~っという感じ。

ただ、今日から時間的にも心理的にもようやく取りかかることが出来ました。ゼミを卒業したことと、家庭教師が楽になったこと、チームズの設定が曲がりなりにも出来たため。

自分の考えたことをその通り書いて提出試用と思います。その方が二回試験にも開業後にも役立つと思ったからです。いっぱい恥をかいて怒られた方が実力がつくと。

もっとも、元裁判官の先生にはいろいろ質問しようとは考えています。もちろん、答えを教えてもらうのでは無く(そのような甘えは絶対に許してくれません、むしろコテンパンにわたしの起案をこき下ろしたいと舌なめずりをしているサドな方です)、自分の思考の甘さ、矛盾を突いていただけるからです。我が人生でこれほどまで徹底的にダメ出しをする(してくれる)人はおらず、大切な存在です。わたしも反撃しますが、跳ね返されます。蟷螂の斧ですが、自分が成長すれば良いので、以前にも増してビシビシ鍛えてもらおうと思っています。

それにしても熟読せよ、という研修所から指示された本類(白表紙というらしい)が、数も中身も大変な量で、めちゃくちゃヤバイです。ホント、めちゃやばいです。

2021年3月8日月曜日

 

試験関係の資料、答案、レジメを、思いっきり捨ててきました。

これは残しておこうかな、と思う物もありましたが、置き場所がないので仕方なくバイバイしました。

それと、研修所から送られてきた書物はほとんどが事実認定の訓練のための物で、教科書的な本は意外にも前から持っているものがほとんどでした。問研、類型別、起案の手引き、検察講義案など。かつまた、こいつらが紙質が悪くてボロ紙で印刷され、その上市販のものより小さい(検察講義案以外)。ジジイには見つらく、イライラします。

検察課題に取り組んでいる人はまだ少ないみたいです。もっとも、未修で一発合格したヤツはすでに書き始めた、と言ってました。ムムム。さすが。

福岡修習でも、ひょっとしたら北九州とか筑豊に配属されるかもしれないことが分かり、小さくおののいています。果たして4班は何処に行くのか?

2021年3月5日金曜日

大腸カメラ検診で地獄の1日






3月1日月曜、朝9時にクリニックに行き、個室に入って下剤を飲み始めました、食塩水に大量の味の素をぶち込んだような、吐きそうな味、それをはじめに1リットル、出なかったら更に1リットル、時間をかけてちびちび飲めと言われました。マジで吐きそうでした。中々出なかったので結局飲める最大量である2リットル飲みました。その間、水も2リットル飲んで、最終的に午後2時半の24回目のトイレでようやく水のようなヤツがお尻から水道の蛇口のようにシャーっとでました。これでようやく準備が完了。5時間半もかけてお腹の中に残っていた物を全部出しました。苦しかったです。はじめは午前中に全部終わると思い込んでました。なのでイライラが募りました。
全部出た後、診察台に乗って点滴、その中に麻酔が入っていて、すぐに昏睡状態。気がついたら30分くらい経ってました。看護婦さんが、『終わりましたよ、あちらのチェアで30分ほど休んでください』と言われ、その後着替えをして待合室で待つこと5分。先生に呼ばれ、そこカメラで撮った写真を見せられ、説明。5ミリほどの大きさのポリープが結腸にありました。切除しました。きれいなポリープなので、癌では無いでしょう、とのことでした。ホッとしました。後でパソコンで大腸癌の画像を検索しましたが、5ミリ程度のポリープは切除しておいた方が良い、さもないと大きくなって癌化する危険がある、とのことでした。また、たしかに悪性のポリープは色と形がちと厳しい感じでした。
ともあれ、クリニックから外に出たのは日も暮れた午後6時!丸一日もかかるなんて思いもしませんでした。長椅子に横になりながら本でも読もうと、読む本を持って行ったのに、それどころじゃありませんでした。毎分一口ずつ下剤を飲まなければならないので、本を読む余裕なんてありません。
ただ、今になって感じたことは、たとえ一日かかっても、たとえ地獄のような下剤飲みの苦行が待っていても、やはり検診を受けて良かったなあ、ということです。ネットでは小さなポリープでも2~3年で大きくなるそうで、早めに発見切除しておいたに越したことはないと分かったからです。
さあ!次は来週また同じクリニックで今度は胃カメラだ!こうなったらとことんやるぞ、という気持ちになりました。検査慣れというのも大事だなあ、とシミジミ。




 

2021年2月23日火曜日

大航海→大後悔

 令和3年2月20日土曜日に、壱岐に一泊で出かけました。半分仕事で女房と。朝10時に博多港を出発しました。壱岐まで2時間半の船旅。フェリーでした。気温は暖かく、空も晴れていたのですが、風が強く、そのため玄界灘は大時化。フェリーはボワンボワンと上下に揺れ、時たま、ガツンと大波にぶち当たってました。体が真下に落下するような揺れ方だったので、吐き気がもの凄くて、出港して1時間後に、我慢できずにトイレに駆け込み、ゲーゲー。おまけに朝からお腹の調子も悪かったので、上からから下からから、同時に攻撃されました。

本当に死にたくなりました。一生、食べ物は要らない、と思いました。

壱岐に到着後、郷ノ浦という港を探索。ゴーストタウンみたいでした。悲しくなりました。気分を回復させるため、かなり歩き回りました。昔は人がわっさわっさ歩いてて、商店街も賑やかだっただろうに、今ではどこもかしこも廃業したり空き家になってたりしてて、時の移ろいの残酷さが身にしみました。

とりあえずお腹に優しいから、と、うどん屋を探しました。廃れたアーケード街の中の小さな小さなうどん屋さんの、かなりマズいうどんをゆっくりゆっくり噛んで食べました。

ビジネスホテルに帰って昼寝。ところが空調がかび臭くて、肺が悲鳴を上げました。

日が暮れて、少しはお腹がすいてきたので、女房と二人、人っ子一人いない暗い街を歩き、福壽飯店という中華に。ところがこれがかなり旨かったのです。

又来年もこの店の料理を食べるためだけに壱岐に来たい、とすら思ったほどでした。

翌朝、用事を済まして夕方5時に今度はジェットフォイルで65分、帰路につきました。今度は水中翼船だったので揺れも少なく、快適に過ごせました。

かなりきつい船旅でしたが思い出深い旅になりました。でも今度壱岐に行くときは絶対に!フェリーでは行きません。






2021年2月19日金曜日







 昨日、令和3年2月18日(木)一昨日、令和3年2月17日(水)は強烈に寒かったです。吹雪が台風みたいな強風の中で吹き荒れ、バイクでゼミや家庭教師先に向かうとき、寒さと強風による転倒の恐怖で体中が縮み上がりました。

一転、今日は穏やかな日よりで、ローから別府橋下のうどん和助に歩いていたら、まだ肌寒い中に春を感じました。試験を受けなくてすむありがたさに感謝。やっと合格証書が届き、もはや、お前の合格を取り消す、なんて怖ろしいことは起きない~、とようやく確信できました。

先日机の中を整理していたら、以前予備試験を受けたときの結果ハガキが出てきました。

論文合格点は245点。論文合格者は429人でした。

その年のわたしは240,85点  494番 でした。4,15点足りず、65番差で落ちました。

短答受験者12700人、うち、短答合格者=論文受験者2310人、論文合格者429人、でした。

今思えば大馬鹿者だったのですが、この年は九大ローに再入学しており、どうせロー卒業資格で司法試験を受験できるから、予備試験は落ちてもかまわないという気楽な気持ちで受験したのです。その結果、わずかの差で落ちたのですけれど、ほとんどくやしさはありませんでした。むしろ、ロー卒業に集中できるから却って落ちた方が良かった、なんて愚かなことを思ってました。ところが、ローの卒業前の期末試験で民事法総合を落としてしまった!のです。赤松教授のせいで落とされたのです(本当は自分の馬鹿さのせいですけど)。なので、司法試験受験が1年延びてしまいました。あの時予備試験を真面目に受けておけば今頃は~と後悔しました。自分はやっぱりツイテナイヤツだなあ。自らツキを捨ててしまった、と悟りました。