開高健が、昭和50年代、月刊プレイボーイに連載していた、食と釣りの紀行文のタイトルです。
京都で下宿していた頃です。ページの大半が大自然や釣り上げた魚の迫力ある写真で、合間に文章が挟まっていました。アマゾン、モンゴル、アラスカ、などへの巨大魚釣りの体験記で、とりわけ今でも記憶に残っているのは蒸し暑いアマゾンで釣った大ナマズと寒そうなモンゴルでの釣行です。
砂漠しかイメージになかったのに、森と急流があるので、へーっ、モンゴルにこんなんがあるんか、と驚きました。
それと、たしか金沢の旅館でカニを黙々がつがつしゃぶっている写真。
わかりました。
わたしのブログ願望の元が。でっかい写真を主人公に、きりりとした短文が脇を締める、開高健のあのオーパの作り方だったことが。
このブログは、写真も文章もちゃちで、とてもとても開高健に及びません。しかし、コメントを書いてくれる方々が参加してくれ、みんなで作り上げる共同作業ができることにおいては開高先生に勝てると思います。
写真は、近所にある西南学院大学そばの元寇防塁跡です。今話題の朝青龍や、先ほどのモンゴルから連想して、この前撮ってたのを思い出したものです。
わたしの住んでいる鳥飼という地名、近所にある塩屋橋、300メートル西に行ったところにある祖原山、どれも竹崎末長の蒙古襲来絵詞に載っている地名です。特に祖原山には元軍の陣地があって、竹崎は単騎、駆け上がって戦を挑んだとされています。
730年前、ここで日本存亡の戦があったと思うと、ぞくぞくします。
追: 朝青龍は絶対に仮病だと思います。精神科医たちは本当に専門家なのでしょうか。モンゴルの友人には頻繁に電話で普通に話しをしているらしいじゃありませんか。それに、医者にむかって一言もしゃべらないのであれば医者はどうやって診断するのでしょう。疲労骨折はどこに行った?外科医はなぜ診察しない?
また、北の湖理事長も職責を全うしていない、高砂親方も親方としての仕事をしていない。
朝青龍へのいじめだという人もいる。けど、中学生ならともかく、いじめられて引きこもりになるような玉か、とにかく土俵での態度振る舞いに品位を全く欠く横綱は、もういらない。
みなさん、どう思います?
追追:このブログには動画を載せることもできるみたいです。デジカメの動画機能を活用してそのうちチャレンジします。なにかリクエストがあれば。
4 件のコメント:
はまやん
毎日このブログが楽しみにしています。朝青龍のことあんみつさんと同じ意見です。テレビの報道では、モンゴルの商売が忙しいとか。
ところで、1枚目の写真は能古渡船場の近くの砂浜ですか。なつかしい景色です。
写真の希望があります。中州の夕焼けを見たい。お願いします。
1枚目は、新しい住宅街マリエラの海岸部です。福岡女子校があるところです。
はまやんさんの思っているところとたぶん同じ場所でしょう。
中州の夕焼け、う~ん、どこからどっちを見たシーンでしょうか。
フビライの日本侵攻が成功していたら、今頃はわたしたちのほうがモンゴル相撲をとっていたかも。
はまやん
中州のネオンと夕焼けを特に希望します。
ネオンと夕焼けは、両立するんでしょうか。
もう少しイメージをください。
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