2009年6月26日金曜日

いよいよ明日

明日は朝10時半から要件事実論の授業、午後2時半から3時半までその補講、その後夕方5時半に天神に集合し、6時から開宴。
総勢32人になりました。先生が卒業生を6人呼びました。その人達はゼミのチューターでもあります。
40人入る掘りごたつ個室なのでちょうど良いかと思います。
やはり社会人経験者や旧試験受験者組が多いです。大学新卒者は多分いないんじゃないかと思います。
 
話変わって今朝飛び込んできたマイケルジャクソンの突然の死、びっくりしすぎてしまい、冗談だとすら思いました。
かつて、若かりし頃、アメリカでも日本でも二つのグループが競い合っていました。ジャクソンファイブとオズモンドブラザーズです。前者はアフリカ系の兄弟、後者はこてこての白人、ユタ州に多いモルモン教徒の兄弟でした。
人気を二分していました。で、ジャクソンファイブのちびっ子ヴォーカルがマイケルでした。
後者は、わたしが好きだったアンディウィリアムズショウの準主役でした。典型的なアメリカ中産階級のプロテスタント的健全なる娯楽路線で、家族みんなで安心して観る番組でした。
小学校高学年ころ、一番観たかった番組は、スパイ大作戦と0011ナポレオンソロ、キーハンター、ザ・ガードマン、宇宙家族ロビンソン、NHKの夢で合いましょう、シャボン玉ホリデー、てなもんや三度笠、ローハイド、コンバット、、、、、と、結構アメリカ物、スパイ物が好きでした。夢で合いましょう、はもう最高でした。中島弘子さんが首をかしげて挨拶するのが上品でしたねえ。渥美清もでてたし、なんといっても歌が最高でした。中村八大作曲、永六輔作詞の歌はどれも来れも大好きでした。坂本スミ子も歌がめっちゃうまくてラテン系の歌は素敵でした。
マイケルの死から連想したというよりも、昨日の簡易旅館の玄関前の様子が未だに頭に残っているからかもしれません。

2 件のコメント:

はまやん さんのコメント...

 昭和40年代のなつかしいテレビ番組をよく覚えていますね。あの頃は家族みんなで一つの番組を見ていたのを思い出します。ナポレオン・ソロを見ているとキスシーンが出てきて父がチャンネルを変えたことを覚えています。
 夢であいましょうはとても好きでした。永六輔、中村八大、坂本九、美輪明宏あのころの日本は高度成長期のころでした。生活は明るい方向が約束されていたころだったように思えます。あのころはよかった。そんな気持ちが昭和への懐かしさなのでしょうか。

あんみつ さんのコメント...

はまやんさん、コメントありがとうございます。
今から考えると不便な時代ではありました。
留守番電話も、いや中学にはいるまではうちには電話さえ有りませんでした。お隣の電話を申し訳なさそうに親が借りていました。とても親切な方でした。ただ、その家で買っていたスピッツがよく吠えてうるさい上、わたしはそやつから咬まれました。
外科に行くと、医者が脅すんです。おまえは13年後に水を怖がるようになるぞ、狂犬病は13年たって発病するんだ、って。
小学生のわたしは真に受けてしまい、マジで水が怖くなるのをおそれていました。医者がそんなとんでもない嘘を子供に話すなんて!
 昭和ってほんと、不便ではあってもある意味楽しい時代ではありましたね。