2009年9月11日金曜日

阿修羅





































九州国立博物館に夫婦で行ってきましたよ~。








この、~、は喜びの表現なのではありません。疲れ果て口からひょ~っ、と出たため息のことです。








待ち時間3時間!朝9時50分に九国に到着するとすでに大行列。








国会の牛歩戦術そのまんまを3時間続けさせられました。








老人と女性が多かったです。








途中で帰りとーなった、わしはこんなところに来たくはなかった、と兼続なら言ったでしょう。








こんなことなら倒産法の本を持ってくれば良かった、と心から後悔しました。








 館外の大行列からやっと館内に入れた、と思ったのが甘かった。中もスゴイ行列でした。








 こうなったら後に引けず、我慢して並び、ようやく阿修羅様とご対面がかないました。








 華奢で、小柄、まさしく少年そのものでした。他の像も見ましたが、その美しさは群を抜いていました。








 照明が良かったせいか、中空に浮かんでいるようでした。像の周りはぎっしりと観客が取り囲み、食い入るように見ていました。1センチでも近づこうとみんな必死。








3時間並んでまでして見る価値があったのか、と問われたら、一呼吸置いて、イエス、と言います。見て良かったです。








他にも感動した作品がありました。鎌倉時代の阿吽の像、木像で巨大な二体の仁王像が物凄く迫力がありました。体のパーツや立ち位置が不自然なんですが、押し寄せてくるパワーに圧倒されました。800年も前の木造が未だにオーラを出しているなんて!








それから、妖刀村正も見ました。凄く現代的な外見でした。まるでステンレスで出来ているんじゃないか、と言う具合にてかてかと銀色に光っていました。








村正の刃を上にして台上に置き、その上から紙をひらひら落とすと、村正の刃は勝手に紙を裁断してしまいます。








ところが名刀正宗の方は、紙を落としても切れません。刃の上に紙が乗っています。そこで、人間が刀の柄をトンと叩くと、その振動でハラリと紙が切れるのです。








正宗は人間の意思に忠実に従います、これに対し、村正は勝手に物を切ります。それが妖刀たる所以です。








生まれて初めて村正を見て、なるほどなあ、なんていう気がしてきました。
















帰りに太宰府名物になった唐揚げを食べましたが、微妙でした。唐揚げバーガーはまずまずでしたが、中に梅干しのペーストを塗っていて、それが多すぎて塩辛かったです。太宰府=飛び梅=梅干し、という連想は面白みが欠けるのでは。








口直しに参道入り口近くの松屋さんという梅が枝餅屋さんにて1個ずつ焼きたての餅を注文、中のテーブル席で戴きました。105円。








その店はもったいないことこの上ない店です。外から見たら何の変哲もない土産物屋兼梅が枝餅屋にすぎないんですが、中にはいると、あらびっくり!ずーっと奥まで日本庭園が続いているんです。苔むした庭に鹿威しが、きれいな水を湛えています。








梅が枝餅もおいしかったです。








帰りに女房を家に降ろしてローに。3時間の立ちっぱなしで足が痛くて我慢できないほどでした。ローに着いたら自慢の安○椅子で爆睡するぞ、と思いきや、暑くて痛くて喉が渇いて、の三重苦で眠ることすら出来ませんでした。








ロー内の暑さと唐揚げと立ちっぱなしのせいでいくら水分を取っても乾きが納まらないんで大変でした。








それでも月曜からの倒産法に間に合わない、と我慢して勉強。








否認がようやく分かってきました。
















昨日の発表で、サプライズが。一つは、憲法の問題の大部分を白紙で出した後輩が受かっていたこと、逆に、合格間違いなし、と誰もが太鼓判を押していた知り合いがダメだったこと。








本番の採点の仕方を研究しないとヤバイ、と思いました。









2 件のコメント:

鳥取の住人 さんのコメント...

昨日は御苦労さまでした。たまにはそういうこともいいでしょう。
さて、憲法が白紙同然と公言していた人が合格して、逆に合格間違いナシと衆目が一致していた人が不合格だったよし。不合格だった人には本当に気の毒ですが、一発試験ではよくある話です。何が原因したのかは知るよしもありませんからコメントは控えます。
問題はこれから受験するに際しての心構えです。あんみつさんもおっしゃっているように、「採点の仕方」如何です。といってもそんなに疑心暗鬼になる必要はないと思います。今の制度は依然にくらべると開示度がアップしています。毎年発表後に委員会のほうから「出題の趣旨」とか「採点後の講評」といった情報が開示されます。これを検討するのが第一かと思います。私もやりますが。
ただ、ひとつだけ明確なことは、基本的に判例に準拠するということです。これは採点者側も公言していました。試験においては判例に掉さすと流されるということです。こんなこと言わずもがなですが、自戒の意味もこめて述べました。

あんみつ さんのコメント...

鳥取さん、コメントありがとうございます。
自分では、新司の方が自分に合っていると思っています。論証をはき出すだけの問題は大嫌いです。虫ずが走ります。
実務家を養成する試験で、しかも口述試験がない試験ですから、論文試験だけで実務家向きの人間かどうかを判断しなければならない、そんな試験である以上は臨床医のような技量を持っていることを論文試験で見せなければならないと思います。
つまり事例をまとめ、どこにどういう問題があるか、また、どういう解決策があるか、解決の容易性はどうか、費用はどうか、などをぱっぱっぱっと手際よく示すこと、これ以外にないと思います。