2013年5月24日金曜日

ご報告

終わりました。大学受験のとき以来の苦しさでした。
その苦しみの素は恐怖感でした。
絶体絶命、というのはこういうことか、むかし京大を受験しに行ったときの感覚を思い出していました。でもむかしの自分の方が図太かったなあ、と思いました。
自分が解けない問題(自分では爆弾と言ってました)がでたらどげんしょ?と想像するだけで狂い死にしそうになりました。
試験当日朝も、今年の受験を中止しようか、と悩みました。ですが、もう1年こんな生活をする気力はない、やるしかない、と、やっとのことで踏ん切りをつけました。
それでも、試験場では、試験開始前、次はきっと爆弾がくるぞ、くるぞ、爆発炎上するぞ、一巻の終わりがくるぞと、問題文が配られる度に、覚悟し続けました。
で、結局どうだったの?

論文試験の方は、全部で9通の答案を書かされたうちで、
①ダメだこりゃ、が1通(刑訴)←中型爆弾爆発、建物半壊
②ショボいなあ、が1通(会社)←手榴弾爆発、建物の一部屋破壊、他に一部損壊
③合格者の最低平均答案、が3通(憲法、行政法、刑法)←いわゆる落ちない答案
④まずまず行けた、が2通(倒産法第2問、民訴)←合格最低点に何点か上積みができ、一定の貢献度あり
⑤かなり行けた、が2通(倒産法第1問、民法)←けっこうアドバンテージを取れたかも
でした。
今年はほとんどの科目が今までで一番問題文が短くなり、大いに助かりました。ただし、会社法の問題文だけは、長くて登場人物が多すぎてごちゃごちゃと読みにくくて、書くべき論点が多すぎて、もの凄く時間不足に陥りました。果たして最後まできちんと書けた受験生がどれくらい居るでしょうか。
ラッキーがいくつもありました。直前に開いた本のそのページからズバリの問題が出たり、前々から気になっていた判例が出題されたり、倒産法直前ゼミでやった論点がいっぱいでたり、指導してくださった先生から、『これは出るよ、あんみつさん、論点をまとめてレポートにしてゼミに提出してください』と命じられて作成した論点がモロでたり、と、論文試験はかなりついていました。
ただ、刑訴だけは最後まで出題意図が読めず、自分はきっと重大論点を落として居るなあ、と気づきながらもそれが何なのか突き止められないまま時間切れになってしまいました。後日、それが何だったのかやっと気づきました。あ~あ、です。

一方、短答式は、かなりマズイです。ヤバイです。昔の旧試験の亡霊のようなのがたくさんでていました。細かな知識が問われ、忘れてしまってた自分に失望しました。会社法、民訴法はいっぱい時間をかけて短答対策をしたのに、思うように取れていない感覚で、特別に意気消沈しました。また、行政法は、メチャクチャ難しくて、この1年間、かなり行政法の知識を身につけたはずなのに、ほとんどの問題が難しく感じられて、全く点が取れていないのではないか、と心配です。
試験後、合格者やローの教官たちが打ち上げ会を開いてくれたのですが、そこで他の受験生たちに行政法の感想を尋ねました。皆一様にわたしと同じことを言ってました。少しホッとしました。また、今年実際に受験した人は7600人ほどと、去年よりもさらに1000人減少したらしく、去年の短答試験の足きり人数は5400人でしたので、今年も同人数であることを切望して止みません。

※補足すると、短答式試験には二つの場面で足きりがあります。
一つは科目別足きりです。これは、公法系100点のうち40点、同じく刑事系100点のうち40点、民事系150点のうちの4割、60点、をどれか一つでも満たさなかった場合、論文試験の採点をしてもらえない、というものです。
もう一つは、人数の足きりです。試験委員会が、今年、論文式試験の採点対象者を何人にするか、というものです。去年の場合は、受験者が8500人いて、その中で論文式試験の採点をしてもらえた人数は5400人でした。残りの3100人は、せっかく書いた論文答案を採点してもらえませんでした。当然、司法試験は不合格です。その、5400番のぎりぎりセーフの人の短答式試験点数は、350点満点で215点(たぶん)でした。また、去年は公法系の短答式試験で、40点以上を取れなかった人たちが900人近く居たそうです。
ことしも5400人が足きり人数なら、不合格者は残り2200人ということになり、これならばわたしでも大丈夫かなあ、と期待しています。
しかしながら、元々短答試験はむしろガッチリとアドバンテージを取る計画だったので、計画破綻に追い込まれたのはとても腹立たしいです。

さて、自分の人生で最後の受験が終わり、心も体も時間も空っぽ状態です。
試験後、水曜日まではほとんど眠れませんでした。頭のオーバーヒートのせいかもしれませんが、やはり不安感のせいでしょう。
逆に、木曜日になって、一日中眠くて眠くて。
昨日あたりから、これから何をしようか、と、計画を立てることを計画し始めました。
法律事務所で実務的なことを学ぶために丁稚奉公するか、民事執行法の勉強、エクセルのマスターをしようか、、、、。お金がないので、港の倉庫で肉体労働のバイトをするか、知り合いの塾経営者に電話して塾講師の口がないか尋ねてみようか、お金があったら125CCのスクーター免許を取るのになあ、とか。なぜかというと、125CC のスクーターなら、原付バイクの駐輪場が使える上、30キロの制限がなく、ねずみ取りに引っかからずに済み、二人乗りができるので、3キロほど離れた大濠公園まで夫婦で乗っていけるからです。大濠公園には無料のクルマの駐車場がないのです。


昨晩、セブンイレブンで缶ビールを買いました。忘れていました。セブンでは年齢確認ボタンを押さないと酒類が買えないのを。若い学生風のバイト店員が案の定、年齢確認ボタンを押せ、と言ってきました。
当然、わたしは押しませんでした。契約締結上、押す義務は無いからです。ただし、20歳未満の人間には酒類を売ってはならない、という法令上の義務をセブンは負っていますから、わたしは自分が20歳以上であることを証明すべく、免許証を店員に提示しました。
すると、店員はなおもボタンを押せ、と言いました。押すことになっているからだ、と言いました。
わたしは、内心、アホか、と思いつつ、自分は年齢確認証明行為を尽くしたのであるからボタンを押す義務はない、自分で勝手に作った無意味な行為を客に押しつけるな、ボタンは君が押せ、と言いました。
すると店員は無言で確認ボタンを押しました。
わたしはもう少しで『あほんだら~っ!』と叫びそうになりました。ですが、こらえました。
前にも書きましたが、ファミリーマートやローソンでは店員が率先して自ら確認ボタンを押してくれます。当然です。
セブン以外の人間にとっては全く無意味なことなんですから。年齢確認ボタンほど馬鹿馬鹿しいものはありません。
だって、自己申告でしょ?これって。未成年者であっても、自分は成人だと偽って確認ボタンを押せばお酒をかえるのです。店員は明らかに子供だと外見上見える場合以外は無視します。また、子供が、親に頼まれて買いに来た、と言ったら、嘘つけ、といって追い返しはしないでしょう。
要するにセブンは自分を守るためだけのためにやっているに過ぎません。自分はちゃんと確認した、義務履行をした、だから免責されるのだ、というアリバイ作りをやっているだけです。そんな、自己保身のために客にボタンを押せと強要するとはなんたることか!です。
そういう自己中が許せないのです。そして、わたしが同じくらい許せないのは、それを唯々諾々と受け入れる 一般人です。なぜ文句を言わないのか、大企業による消費者への 強圧行為(したくないことを無理矢理させる)そのものではないですか。なぜ怒らないのでしょうか。
それくらいでぎゃ~ぎゃ~言うな、ということでしょうか。そういう人たちはきっと権利というもの、人権というものへの関心が薄いのでしょう。
以前、テレビで梅沢富雄さんが、わたしと全く同意見の発言をされ、コンビニのレジで店員と大もめになった、と言ってました。何故年齢確認ボタンを60歳を超えた自分が押さねばならないのか、不条理きわまる、と仰ってました。他の出演者たちの大半は、まあそう怒らずに、と、梅沢さんの怒りを共有していませんでした。
梅沢富雄さん、偉い!わたしはあなたが大好きになりました。
皆さんは、あんみつがまたカッカしてどーでもイイコトにいちゃもんつけてる、と思われるでしょう。
ですが、これと全く同じ発想が憲法で問題となり、つい最近最高裁が違憲判決をだしたのですよ。それは、薬を通販で売らせないことが憲法22条1項に反する、とした最高裁判決です。
当局の言い分はセブンの言いぐさと全く同じものでした。
詳しくは後日。
では、ブログ再開、今後ともよろしくお願いします。


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