2019年4月3日水曜日

万葉集の説明でもっと分かりやすいのがありました。

この漢詩、イイデスネ~!!!
小学唱歌のおぼろ月夜と似てますね。昔からおぼろ月夜が大好きで、春の夕暮れの田舎の情景が鮮やかに目に浮かびます。
それと同じ感覚を覚えました。仲間と一緒に自然の中で春を喜び合う、これが生きていることの証だ。大伴旅人さんと太宰府の夕暮れを一献傾けながら楽しみたかったです。


【梅花の歌三十二首 并せて序】
天平二年の正月の十三日に、師老(そちろう)の宅へあつまりて、宴会(うたげ)を申(の)ぶ。
天平二年正月十三日、師の老の邸宅に集まって宴会を繰り広げた。

時に、初春の月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風(やはら)ぐ。
梅は鏡前(きやうぜん)の粉(ふん)を披(ひら)く。
蘭(らん)は珮後(はいご)の香を薫らす。
しかのみにあらず、曙(あした)の嶺に雲移り、松は羅(うすもの)を掛けて蓋(きぬがさ)を傾(かたぶ)く、
夕の岫(くき)に霜結び、鶏はうすものに封(と)ぢられて林に迷ふ。
庭には舞う新蝶(しんてふ)あり、空には帰る故雁(こがん)あり。

折しも、初春の佳き月で、気は清く澄みわたり風はやわらかにそよいでいる。梅は佳人の鏡前の白粉(おしろい)のように咲いているし、蘭は貴人の飾り袋の香のように匂っている。そればかりか、明け方の峰には雲が往き来して、松は雲の薄絹をまとって蓋をさしかけたようであり、夕方の山洞(やまほら)には霧が湧き起こり、鳥は霧の帳(とばり)に閉じ込められながら林に飛び交っている。庭には春生まれた蝶がひらひらと舞い、空には秋に来た雁が帰って行く。

ここに、天の蓋(やね)にし地(つち)を坐(しきゐ)にし、膝を促(ちかづ)け觴(さかずき)を飛ばす。言(げん)を一室の裏に忘れ、衿(きん)を煙霞(えんか)の外に聞く。淡然(たんぜん)自らを放(ゆる)し、快然(くわいぜん)自ら足る。
そこで一同、天を屋根とし地を座席とし、膝を近づけて盃をめぐらせる。一座の者みな恍惚として言を忘れ、雲霞(うんか)の彼方に向かって胸襟を開く。心は淡々としてただ自在、思いは快然としてただ満ち足りている。

もし翰苑(かんえん)にあらずは、何をもちてか情(なさけ)をのべむ。誌に落梅の篇を紀(しる)す、古今それ何ぞ異ならむ。よろしく園梅を賊(ふ)して、いささかに短詠(たんえい)を成すべし。
ああ、文筆によるのでなければ、どうしてこの心を述べ尽くすことができよう。漢詩にも落梅の作がある。昔も今も何の違いがあろうぞ。さあ、この園梅を題として、しばし倭の歌を詠むがよい。


新元号の令和の元となったのは、「時に、初春の令月(れいげつ)にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぐ。」(意味:折しも、初春の佳き月で、気は清く澄みわたり風はやわらかにそよいでいる。)の部分です。
「令」は良いの意味であり、「和」のやわらぐとあわせて、とてもやわらかな印象を受けますね。
ちなみに、序文の作者は、宴の主催者である「大伴旅人」説と、参加者の一人で「貧窮問答歌」を詠んだことでも知られる「山上憶良(やまのうえのおくら)」説などがあり、確定していないとか。

当時「梅」は中国から伝わったばかり
この梅花の宴は、大宰帥(だざいのそち。太宰府の長官)である大伴旅人邸に植わっていた梅の花を愛で、歌を詠みあおうというのが趣旨です。旅人の部下たちが集まり、その歌の内容からは現場の楽しそうな雰囲気が伝わってきます。
万葉集の歌が詠まれた奈良時代には、「梅」は中国から伝わってきたばかりで、とても珍しい植物でした。その当時、中国は文化の最先端であり、その国からもたらされた美しい植物である梅は、貴族たちの間でおおいに話題になりました。ちなみに、万葉集の中で、梅は「萩」に次いで多く歌われた植物です。
自邸の庭に梅が植わっているというのも、大いに自慢できることだったでしょうし、部下たちにとっても、トレンド最前線の「梅」の花を愛でながら宴会できるなんて、おそらくとても喜ばしいことだったでしょう。
奈良の都からは遠く離れた九州の太宰府ですが、大陸との窓口であり、最新の文化に真っ先に触れられる土地であったことも関係しています。

梅花の宴で主・大伴旅人が詠んだ歌
万葉集では、序文に続いて、梅花の宴に参加した32名の歌がずらりと並びます。
主催者である大伴旅人の歌は、8番目に登場します。
我が園に 梅の花散る ひさかたの
天(あめ)より雪の 流れ来るかも
大伴旅人(万葉集 5-822
この我らの園に梅の花がしきりに散る。遥かな天空から雪が流れて来るのであろうか。
大伴旅人「梅花の歌」歌碑-01
この歌の歌碑は、多くの万葉植物が植えられた「万葉の森」(橿原市南浦町)に建っています。すぐ隣には梅の木があり、開花時期には見事な光景が見られるでしょう
大伴旅人「梅花の歌」歌碑-02
揮毫は、談山神社研書会の今西宗一さんです

大伴旅人(Wikipedia)は、万葉集に和歌78首が掲載されるなど、歌人として高い評価を受ける方で、万葉集の編纂者と目される大伴家持(Wikipedia)の父でもあります。
名門・大伴氏の長となりましたが、台頭してきた藤原氏に押され、大伴氏は勢いを失っていきます。728年ごろ、60歳を過ぎた旅人が太宰府へ赴任することになったのも、左大臣・長屋王の力を注ぐことを目的とした藤原四兄弟の策略だったのでは……という説もあります。
現代の60歳はまだまだ若い印象ですが、当時は相当な高齢です。そんな年になって奈良の都から遠く離れた九州へ左遷となり、さらにはすぐに奥さんまで亡くすなど不遇をかこち、忸怩たる思いもあったことでしょう。
また、歌人としては「酒を讃むるの歌」(13首)が有名です。お酒が大好きで、お酒を賛美する歌がずらりと並びます。
験(しるし)なき ものを思はずは 一坏(ひとつき)の
濁れる酒を 飲むべくあるらし
大伴旅人(万葉集 5-822
この人生、甲斐なきものにくよくよとらわれるよりは、一杯の濁り酒でも呑むほうがずっとましであるらしい。
没落する名門氏族の悲劇的なリーダーお酒好きなおじさんという、相反するようなイメージをを持つ大伴旅人。ぜひこの機会に注目してみてください!

「あをによし」の歌で有名な小野老も
なお、梅花の歌32首を詠み手の中には、他の歌が有名な人物も含まれています。
梅の花 今咲ける如(ごと) 散り過ぎず
我が家(へ)の園(その)に ありこせぬかも
少弐小野大夫(万葉集 5-816
梅の花よ、今咲いているように散り過ぎることなく、この我らの園にずっと咲き続けてほしい。

少弐小野大夫とは「小野老(おののおゆ)」のこと。有名なあをによしの歌を詠んだ人です。
あをによし 奈良の都は 咲く花の
にほふがごとく 今盛りなり
小野老(万葉集 3-318
あをによし奈良の都は、咲き誇る花の色香が匂い映えるように、今こそ真っ盛りだ。
この歌は、小野老の太宰府赴任中に、奈良の都を思って詠まれました。華やかな奈良の春がぱっと思い浮かぶ名歌ですね。
ちなみに、大伴旅人は長屋王派でしたが、小野老は藤原氏派であり、対立する陣営に属していたとされています。太宰府の梅花の宴で同席し、歌を詠みあっているところを見るとのんびりと感じますが、いろんなせめぎ合いもあったのかもしれません。

「貧窮問答歌」の山上憶良の歌も
また、以下の歌を詠んだ筑前守山上大夫とは、「貧窮問答歌」で有名な「山上憶良(やまのうえのおくら)」(Wikipedia)です。
春されば まづ咲くやどの梅の花
ひとり見つつや 春日(はるひ)暮らさむ
筑前守山上大夫(万葉集 5-818
春が来るとまっ先に咲く庭前の梅の花、この花を、ただひとり見ながら長い春の一日を暮らすことであろうか。
「貧窮問答歌」は、当時の庶民の困窮ぶり、里長の苛酷な税の取り立ての様子などをリアルに歌ったもので、教科書などにも掲載されました(長い歌なのでここでは紹介しません)。この他にも、子煩悩さがあふれるような歌なども遺していて、万葉歌人の中でも異彩を放つ人物です。

「梅花の歌」32首(現代語訳付き)
正月(むつき)立ち 春の来(きた)らば かくしこそ
梅を招(を)きつつ 楽しき終(を)へめ
大弐紀卿(万葉集 5-815
正月になり春がやってきたなら、毎年このように梅の花を迎えて、楽しみの限りを尽くそう。

梅の花 今咲ける如(ごと) 散り過ぎず
我が家(へ)の園(その)に ありこせぬかも
少弐小野大夫(万葉集 5-816
梅の花よ、今咲いているように散り過ぎることなく、この我らの園にずっと咲き続けてほしい。

梅の花 咲きたる園の 青柳は
かづらにすべく なりにけらずや
少弐粟田大夫(万葉集 5-817
梅の花の咲き匂うこの園の青柳は美しく芽ぶいて、梅のみならずこれもかずらにできるほどになったではないか。

春されば まづ咲くやどの梅の花
ひとり見つつや 春日(はるひ)暮らさむ
筑前守山上大夫(万葉集 5-818
春が来るとまっ先に咲く庭前の梅の花、この花を、ただひとり見ながら長い春の一日を暮らすことであろうか。

世の中は 恋繁(しげ)しゑや かくあらば
梅の花にも ならましものを
豊後守大伴大夫(万葉集 5-819
おっしゃるとおり、人の世は恋心が尽きず辛いものです。こんなことなら、いっそ梅の花にでもなりたいものです。

梅の花 今盛りなり 思ふどち
かざしにしてな 今盛りなり
筑後守葛井大夫(万葉集 5-820
梅の花は今がまっ盛りだ。気心知れた皆の者の髪飾りにしよう。

青柳(あをやなぎ) 梅との花を折りかざし
飲みての後(のち)は 散りぬともよし
笠沙弥(万葉集 5-821
青柳に梅の花を手折りかざして、相ともに飲んだその後なら、散ってしまってもかまわない。

我が園に 梅の花散る ひさかたの
天(あめ)より雪の 流れ来るかも
大伴旅人(万葉集 5-822
この我らの園に梅の花がしきりに散る。遥かな天空から雪が流れて来るのであろうか。

梅の花 散らくはいづくしかすがに
この城(き)の山に 雪は降りつつ
大監伴氏百代(万葉集 5-823
梅の花が雪のように散るというのはどこなのでしょう。そうは申しますものの、この城の山にはまだ雪が降っています。その散る花はあの雪なのですね。

梅の花 散らまく惜しみ 我が園の
竹の林にうぐひす鳴くも
少監阿氏奥島(万葉集 5-824
梅の花の散るのを惜しんで、この我らが園の竹の林で、鶯がしきりに鳴いている。

梅の花 咲きたる園の青柳を
かづらにしつつ 遊び暮らさな
少監土氏百村(万葉集 5-825
梅の花の咲いているこの園の青柳、それをかずらにしながら、今日一日を楽しく遊び暮らそう。

うち靡(なび)く 春の柳と我がやどの
梅の花とを いかにか分かむ
大典史氏大原(万葉集 5-826
しなやかな春の柳とこの我らの庭前の梅の花の趣と、その優劣をどうして分けられようぞ。

春されば木末(こぬれ)隠(がく)りて うぐひすぞ
鳴きて去(い)ぬなる 梅が下枝(しづえ)に
少典山氏若麻呂(万葉集 5-827
春がやってくると、梢がくれに鶯が鳴いては飛び移っていく。下枝あたりに。

人ごとに折りかざしつつ 遊べども
いやめづらしき 梅の花かも
大判事丹氏麻呂(万葉集 5-828
人それぞれに手折りかざしてめで遊ぶけれども、ますます心引かれる花だ、この梅の花は。

梅の花 咲きて散りなば 桜花(さくらばな)
継ぎて咲くべく なりにてあらずや
薬師張氏福子(万葉集 5-829
梅の花が咲いて散ってしまったならば、桜の花が引き続き咲くようになっているではないか。

万代(よろづよ)に 都市は来経(きふ)とも梅の花
絶ゆることなく 咲きわたるべし
筑前介佐氏子首(万葉集 5-830
万代ののちまでも春の往来があろうとも、この園の花は絶えることなく咲き続けるであろう。

春なれば うべも咲きたる 梅の花
君を思ふと 夜(よ)いも寝なくに
壱岐守板氏安麻呂(万葉集 5-831
春なればこそ、なるほどこんなにも美しく咲いている梅の花よ、あなたをめで思うあまりに夜も寝られない。

梅の花 折りてかざせる諸人(もろひと)は
今日の間は 楽しくあるべし
神司荒氏稲布(万葉集 5-832
梅の花を手折って挿頭(かざし)にしている人びとは、誰もかれも、今日一日は楽しみが尽きないはずだ。

年のはに 春の来らば かくしこそ
梅をかざして 楽しく飲まめ
大令史野氏宿奈麻呂(万葉集 5-833
年々春が巡って来たならば、このように梅をかざして思いっきり楽しく飲もうではないか。

梅の花 今盛りなり 百鳥(ももとり)の
恋(こほ)しき春来るらし
少令史田氏肥人(万葉集 5-834
梅の花は今がまっ盛りだ。馬という鳥のさえずりに心おどる春が、今まさにやってきたらしい。

春さらば 逢はむと思(も)ひし 梅の花
今日の遊びに 相見つるかも
薬師高氏義通(万葉集 5-835
春になったらぜひ逢いたいと思っていた梅の花だが、この花に今日のこの宴で、皆してめぐり逢うことができた。

梅の花 手折(たを)りかざして 遊べども
飽き足らぬ日は 今日にしありけり
陰陽師磯氏法麻呂(万葉集 5-836
梅の花をてんでに手折り、髪にかざしていくら遊んでも、なお満ち足りることがない日とは、今日この日であったのだ。

春の野に 鳴くやうぐひす なつけむと
我が家(へ)の園に 梅が花咲く
算師志氏大道(万葉集 5-837
春の野で鳴く鶯、その鶯をてなずけようとして、この我らの園に梅の花が咲いている。

梅の花 散り乱(まが)ひたる 岡(をか)びには
うぐひす鳴くも 春かたまけて
大隈目榎氏鉢麻呂(万葉集 5-838
梅の花の入り乱れて散る岡辺には鶯がしきりに鳴いている。今はすっかり春の季節を迎えて。

春の野に 霧立つわたり 降る雪と
人の見るまで 梅の花散る
筑前目田氏真上(万葉集 5-839
あれは春の野に霧が立ちこめてまっ白に降る雪なのかと、誰もが見紛うほどに、この園に梅の花が散っている。

春柳 かづらに折りし 梅の花
誰か浮かべし 酒坏(さかづき)の上(へ)に
壱岐目村氏彼方(万葉集 5-840
春柳、この柳のかづらに挿そうと、みんながせっかく手折った梅の花、その花をいったい誰が浮かべたのか。めぐる盃の上に。

うぐひすの 音聞くなへに 梅の花
我家(わぎへ)の園に 咲きて散る見ゆ
対馬目高氏老(万葉集 5-841
鶯の鳴く声をちょうど耳にしたその折しも、梅の花がこの我らの園に咲いては散っている。

我がやどの 梅の下枝(しづえ)に 遊びつつ
うぐひす鳴くも 散らまく惜しみ
薩摩目高氏海人(万葉集 5-842
この我らが庭の梅の下枝を飛び交いながら、鶯が鳴き立てている。花の散るのをいとおしんで。

梅の花 折りかざしつつ 諸人(もろびと)の
遊ぶを見れば 都しぞ思ふ
土師氏御道(万葉集 5-843
梅の花を手折り髪にかざしながら、人々が誰もかれも楽しく遊ぶのを見ると、そぞろに奈良の都が偲ばれる。

妹(いも)が家(へ)に 雪かも降ると 見るまでに
ここだもまがふ 梅の花かも
小野氏国堅(万葉集 5-844
いとしい子の家に行きたいというではないが、雪が降るのかと見紛うばかりに、梅の花がしきりに散り乱れている。美しくも好ましい花よ。

うぐひすの 持ちかてにせし 梅が花
散らずありこそ 思ふ子がため
筑前掾門氏石足(万葉集 5-845
鶯が待ちかねていたせっかくの梅の花よ、散らずにいておくれ。そなたを思う子、鶯のために。

霞立つ 長き春日を かざせれど
いやなつかしき 梅の花かも
小野氏淡理(万葉集 5-846
霞の立つ長い春、この一日中、髪に挿しているけれど、ますます離しがたい、この梅の花は。




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