2008年10月7日火曜日

緒方拳逝く




素敵な俳優がまたいなくなってしまいました。



太閤記、NHKの大河ですが、緒方拳が初主演して秀吉を熱演したことをよく覚えています。信長が高橋浩二(漢字がちがったかも)、おはなはんの旦那さんの陸軍大尉?役でした。



人の死ってほんとうにあっけないです。



まだ71歳とまだまだこれから円熟の境地に入るところだったのに。



寂しいです。




話変わって、ノーベル賞、3人も。すごい!


経歴を見ると、どこの大学出身とかいう時代じゃなくなってきました。大学の垣根はもう過去のものとなりました。というか、優秀な人はどんどん移動してます。引っ張られる、ということもあるでしょうね。


昔だったら号外が出るところでしょうが、今じゃ珍しくなくなったのでしょうか。




今日は初めての授業が二つ。


刑訴と民事弁護論。


刑訴はケースブック刑訴という判例と設問だけの分厚くて高価な本がテキスト。今日午前、仲間と予習ゼミを組みました。みんなよく予習してきていました。わたしは、超素晴らしい本のおかげで、自信が付きました。判例の考え方、体系がやっと分かったのです。


今までは学者の本ばかりだったので、判例批判が多く、判例法を理解することが難しかったのです。


講義では結構突っ込まれました。やっぱり出席簿順で当たり、必然的にわたしまで回ってきました。


試しに授業を録音しておいたので、あとで自分の回答を聞いてみたところ、恥ずかしい答え方をしてました。なさけねー。


先生は、インパルスの板倉が坊主頭にしたみたいな感じで、まだ若い先生でした。やんわりと話すのに、結構つっこみがきついです。


学生たちの返事が抽象的なことに怒っていました。




もう一つの授業は、弁護士さんが先生の、民事弁護論、入学して以来、はじめて緊張しないで(半分くらい居眠りしてて)いられる授業でした。


今日はまだイントロだけだったのです。


来週からは、法律相談のビデオをみんなに見せて、どこがどう良くないか、議論させるのだそうです。予習が要らないのがうれしいです。













2008年10月6日月曜日

聖福寺











博多区御供所町(ごくしょまち)にある禅寺です。栄西禅師が日本で始めて開いた禅道場だそうです。栄西禅師が宋から持ち帰った日本初のお茶の木と言うのもありました。





友人から、聖福寺に悟りの絵があるらしく、明日まで一般公開してるので写真を撮ってきてくれ、と頼まれたのです。





初めて行きました。もの凄く立派なお寺でした。天竜寺と南禅寺を足したような感じで、その風格は京都の有名なお寺に負けていませんでした。





午後3時過ぎにその友人宅を出てお寺に向かったのですが、バイクを走らせているともう寒くて寒くて。










拝観料は700円。この1週間を3000円でやりくりしなければならない身にとってかなりの痛手です。





仕方なく払ってお寺の内部に上がると、ますます格調高くなりました。





目当ての絵というか、掛け軸は、ひっそりとちっちゃな小部屋の床の間に掛けられていました。





何度か見たことのある絵でした。子供の絵みたいでした。○△□が書かれているだけでした。





セザンヌが言ったことを思い出しました。自然はすべて○△□でできている、と。





同じ意味なのかなあ?





その絵を描いたのは仙涯和尚という、偉いお坊さんです。江戸末期ごろの方です。博多ではかなりの有名人です。










聖福寺で驚いたのは、大きな黄金に輝く仏様の像です。お寺全体がわびさびの世界を作造しているのに、その仏様だけが猛烈に輝いていて、不思議な感覚でした。










昨日書いた、刑訴の本、ますます気に入りました。わたしが知りたかったことが全部書いてあるのです。おかげで20年間抱き続けてきた疑問が解けました。

2008年10月5日日曜日

水素水










日曜のロー内には未修の学生が結構います。既修も。


外は秋雨がしとしと。


4月に県庁地下の本屋で買った刑訴の本を読んでいます。超がつくほど素晴らしい本です。著者は二人、いずれも現役検事で、かつ東京の有名大学院の教授も兼ねており、判例の分析と規範定立がわかりやすく骨太に書かれてます。一番良い点は、判例の立てた規範の意味、理由を懇切丁寧に説明してくれているところです。


平行して学者の本も見ていますが、比較になりません。


やはり実務家の書く文章は明快で曇りがありません。しかも条文解釈の努力が生半可でないので、頭の整理の点でも答案作成の点でもすごく役に立ちます。


香椎の奥に下原というちょっとした古い町があります。立花山の麓です。そこに水素水が湧き出てて、6リットル100円で買えるとネットに乗ってたので、女房と汲みに行きました。

わりと堅めの水です。水素水を飲んだら記憶力が向上する、とどっかの研究者が発表していたので、さっそく食い付いたと言う次第です。

はたして結果はいかに。


その下原(しもばる)というところには苦が~い思い出があるのです。高校3年の春、学年全員で宮地岳神社にお参りに行く行事があったのです。そこで、集合場所が貝塚駅になりました。西鉄電車宮地岳線の始発駅です。わたしの高校は西新という西の端、貝塚は東の端で、よく知らない土地でした。その当時、地下鉄がなかったのでバスで貝塚まで行かねばなりませんでした。ちんちん電車は走っていましたが、遠回りで時間が掛かったのです。
で、西新から貝塚行きのバスに乗ったところ、臆病な性格上早めに出立したため、知り合いは全く誰も乗っていませんでした。それで貝塚までおよそ1時間弱ぽつーんと一人、バスに乗って行きました。ところがいつまで経っても貝塚に着かないのです。知らないうちに乗り過ごしてしまっていたのでした。
 もの凄く心配になって内心おろおろしてたのですが、臆病だけでなく恥ずかしがり屋でもあったので知らない人に話しかけることができなかったため、バスの運転手さんに尋ねることすらできませんでした。
 それで、とうとうそのバスの終点である下原まで凍り付いたまま乗っていました。
もう、恐怖でお腹がグリグリ鳴って、穴が開くほど腕時計を見つめ、集合時間に間に合わなかったらどうしょう、どうしよう、そればかりでした。
 しかも、しかもしかも、その下原という終点のバス停がもう、ものすごーいド田舎で、山奥の誰もいないような場所だったのです。そうそう、田舎に1軒だけある万屋みたいな店がぽつんと建ってました。
 ところが結局、わたしのあまりの小心さ、用心深さが逆に幸いして、早く出立し過ぎたおかげで、その下原からの折り返しのバスに乗って無事集合時間ぎりぎりに貝塚に戻れたのです。
 おかしかったのは、貝塚から下原まではバスで約10分くらいしか離れていなかったのでした。なのに、下原付近から町並みが途絶え、急に田舎っぽくなってしまうため、もの凄く遠い、地の果てまで行ってしまった気分にさせられてしまったのです。
 そんな思い出の地、下原にその水素水を汲むところがあったのです。その思い出のバス停を見つけたときははっとなって胸苦しくなりました。切ない気持ちにも。その下原のバス停は30年前と変わらない寂れた様子でぽっつーん、と佇んでいたからです。
 わたしは、30年前の高校生の自分が今でもそのバス停に恐怖で顔をゆがめながら立っているのを見たような気がしました。




2008年10月3日金曜日

今日も当たった




行政法も憲法もどちらも当たりました。




行政法の先生は新司の試験委員です。白髪交じりの髭がなかなかお似合いで、ジェントルマンでした。



授業内容は基本はまだしも中心論点に来るとすごく難しくなります。基本書を何度も読んで整理しておかないと混乱します。



また、調査官解説は必読だ、とのこと。



ただし、予習に何時間もかけるのは無駄だとも。そこで、テキストになっているケースブック行政法(判例ばっかし)の判旨のキーワードに線を引いておくだけで、授業中当てられたらそのキーワードを使って自分なりに考えて答えればよい、とも。合理的な発想で、いいですねえ。好きになりました。







当て方の順番決めは、始めに教室の一番前の席に座っている学生たちにじゃんけんをさせて、勝った人の列から当てて行くというやり方で、わたしの座った列の学生が勝ってしまったのです。わたしはその列の前から3番目だったので、当然3番目に当たりました。早めに当たって良かったです。



法規命令と行政規則の定義と異同という初歩的な質問でした。助かりました。






一こま空き時間があって、夕方4時40分から憲法。狭い教室にぎゅう詰めになりながら、またこの時間も嫌な予感がするぞ、と危険を感じつつ授業開始、というよりも、前期と同じ先生でテキストも同じだったので、授業再開が正確かも。



 で、結論から言うと、授業の最後にわたしが当たったのです。今日の当て方からすれば、自分まではこないなあ、と安心していたところ、最後の最後に自分まで回ってきてしまったのです。



ただまあ、ここでも易しい問題だったのでものすごく助かりました。昨日予習したときはえらく難しい問題が軒を連ねていたので、やばいぞ、と恐れていたので、大ラッキーでした。



けれども、本試験の準備という視点からは、今日の先生の授業内容はイマイチ納得できないところがいくつもありました。



この領域が試験で出たらちょっとマズイです。福岡県青少年保護育成条例の最高裁判旨の分析の仕方が納得できないのです。



勉強仲間の学生が、百選の解説が良いというので昨晩読んだのですが、そっちの方がしっくりきます。




来年受験するというイメージを常に持っていなければならない、と戒めるようになり、そのためには即戦力になるまとめを作っておかなければならないと悟りました。


やりっ放しが一番良くないです。何も残らないからです。わたしの致命的な欠点なんです、これが。




明日は土曜日で本当は授業がないのですが、憲法の補講が一こまだけあります。


呉服町近くに聖福寺というお寺があり、日本最初の禅寺らしいのですが、そこで禅の悟りを絵にした掛け軸が公開されるそうです。友人から知らされました。ちょっと見てみたいです。
写真は妙見通りにある洋食屋さん、ローから住吉に向かう途中、いつも気になってます。おいしいんだろうか。
よく見ると行列が出来ていますよ。なんだか余計行ってみたくなりました。その店の左隣のお店は唐揚げ屋さんで、ここもまたおいしそうです。
とっとりさんからまた叱られそうです。



 

2008年10月2日木曜日

授業再開


今日は商法と民法の授業がありました。


商法は前期と同じ先生で、当学院の院長です。企業会計と手形を混ぜて講義されたため、話がとても高級なレベルになってしまい、なかなか理解しづらいです。テキストは弥永の手形を使うみたいです。


民法の先生には驚きました。相当若い先生でした。おまけにカジュアルな服装なので、メダカの学校状態でした。つまり、だ~れがせいとかせんせーか~、だったんです。


まぁ、そのあとも歌詞と似てたみたいでしたが。みんなでおゆうぎしているよ、的な授業でした。ちょっと言い過ぎたかも。


というのは、双方向の授業と言うことで、クラス全員と上級生3人の併せて54人くらいが教室にいて、その全員に当てよう、という計画らしく、次から次へとどんどん先生が当てていくのです。ところが、わたしが言うのも何ですが、どうも学生の返事のレベルが余り高くなかったので、先生が若干とまどってしまい、さりとて自分の授業スタイルを変える訳にもいかず、そうとう流れの滞った授業に陥ってしまいました。餅つきのようにリズミカルな授業を目指しておられたようでしたが、、、、、。


この先生の意図するところはとてもよく分かります。民法の正しい勉強方法を教えてくれていることが伝わってきます。


わたしも、学生たちの返答の中で首をひねるようなのがいくつかあったので、おいおい、そりゃないやろ、もうちょっと基本書を読まないとなあ、と他人事ながら心配してしまいました。


 じゃあそう言うお前はどうだったんだ?と問われると、ふ~む、ある情報筋によれば、この先生は年寄りに対してはかなり遠慮するひとらしいとのことで、全くその通りでした。たった10秒ほどのやりとりで解放されました。感謝。


 ただねえ。実はそのあと自ら墓穴を掘ってしまったのであります。授業の終わり近くで留置権と民事執行の関係が問題となり、先生が『この中で民事執行法の授業を受けた人がいるでしょう?』と言ったので、知らない振りをしようか、正直に手を挙げようか、迷いに迷いました。だって手を挙げたらわたしが答えなければならなくなるのは目に見えているのに、民事執行法の知識がほとんど飛んでしまっているからです。


 結局、手を挙げてしまいました。案の定答えを求められ、なんだかんだ言うと、『う~ん、不正確!』と言われました。


北島康介でした。『な~んもいえねー』。先生の仰るとおりですわ。

前期受けた民事執行法の授業では多分教わってない部分だったのです(言い訳がましいヤツです)。その部分は動産執行で、体系的授業の最後部分に出てくるところで、記憶によれば動産執行はほんの形だけの授業しかやらなかったのです。


なんか聞き苦しい言い訳をだらだら言ってますねえ。みっともない。


 でも、自分ではすかっとしてるんです。というのは、あそこで手を挙げなかったらもっとかっこ悪かっただろう、それに比べたらバカ正直に手を挙げた方がよっぽど偉いわい、と。


わたしが最も恐れるのは明日の行政法と憲法です。特に憲法は前期と違い、設問が難問でさっぱり分かりません。また、下級審まで全部目を通しておかねばならず、準備が大変なのです。ま、他の学生も同じことを言ってましたが。

憲法はやはり判例をしっかり読み込むことが合格への最短距離と認識して、腰を据えて判例を熟読することにします。


授業が終わったのが午後6時10分過ぎ。階段を上がって自習室に戻ろうとしたとき、窓から猛烈な夕雲が見え、あわててカメラを持って非常階段から撮影しました。



10月1日







あと3ヶ月で次の年が来ます。みんな長袖を着てます。今朝なんか、厚手のコートをきたサラリーマンを見ました。



さきほどまで、違うことを書いていたのですが、どんどん話が後ろ向きになったので、書きかけで止めました。



 昨日、同じクラスの学生と廊下ですれ違った際、彼のおじいさんがその前日に亡くなられたので、急遽関東の地元に帰ってきた、と言うことでした。それを聞いたせいか、昨夜は日田に済んでいた当時を思い出してしまいました。わたしだけ祖父母の元に引き取られていたのです。



それで、寂しくて、特に秋の夕暮れはしみじみと寂寥感に襲われてました。そんな昔のことがよみがえってきたのです。



 なんてことをつらつら書いていたので、自分でも嫌になって消去しました。



また、わたしの隣の机に座っている女子学生のお父さんはわたしよりも若いのです。ローの先生方の半分くらいもそうです。



そんなことを考えてて、いささかブルーになりかけてしまいました。



明日から授業が開始するのに、なにやってんの、と自分を叱りつけております。



 多分理由は別のところにあるのではないかと思っています。わたしの正直な気持ちは、来年5月に新司を受験したいなあ、と言うことにあります。再来年まで待てない気持ちなんです。



というのも、この前今年の新司をやってみて、また、合格者の話を聞いてみて、この試験の合格者が500人だったら無理でしょうが、2200人くらいが合格するのであれば、今から根性で勉強したら来年受かるな、と思ったからです。



つまり、別の言い方をすると、ローの居心地がメチャクチャ良いんです。楽ちんなんですよ。毎朝自習室に通って、好きなだけ勉強できる、こんな夢みたいなことは去年までの数十年間のわたしにとってはまさしく夢そのものでした。



おまけに奨学金までもらって、好きなだけ勉強できて、勉強仲間もいて、自分専用の机もあって、、、、、。



これは贅沢すぎます。こんな贅沢な環境にいると怠惰な自分はそこに浸ってしまう、その結果今の勉強がそれ自体を目的化してしまっていることに気付いたのです。



 家族を養っていくために弁護士になる、その弁護士になるために試験に受かる、実力をつけ、飯の種を身につける、そんなせっぱ詰まった意識が緩んでいる。これが来年受験ならばまったく違っているだろう。



ということで我に返ったのであります。



やはり10月になったせいでしょうかねえ。






我に艱難辛苦を与えよ、と山中鹿之助が言ったように、イチローのように孤独に耐えて茨の道を突き進む、そんなガッツで真剣に頑張らねば、と思いました。



きょうはほとんど日記のような中身になってしまいました。やっぱ明日から後期授業が始まるのでちと精神状態がおかしくなっているのでしょうね。


写真は愛妻弁当と、ローちかくの3号線とローの近所のお宅の番犬?

鴫立沢の秋の夕暮れ、、、、三夕はやはり滲みるなあ。



2008年9月30日火曜日

人だらけ


ロー内は騒々しいです。学生がひっきりなしに歩き回り、立ち話しをし、情報交換をし、パソコンをバシバシ打ち、コピーし、宿題の締め切りに右往左往し、と明日からの授業再開に大わらわです。


わたしも、民事裁判実務の宿題で頭を悩ませ、また、なめきっていた憲法の予習がえらく大変なことを今日の今日認識して、胃が痛くなってきました。なんと、今週金曜の授業の他、翌土曜日には来週の授業が休講になる替わりの前倒しの補講をする、と言うのを今日になって知ったのです。つまり、大量の予習事項が2コマ分どさっと舞い込んできたのです。なにせ憲法は判例を目一杯読んで文言を逐一分析しておかなければならないので、もの凄く時間が掛かります。

そんなこんなで夕方から頭痛がしてきました。机の中にしまっておいたバファリンを飲んでもう一踏ん張り、というところで女房からメール。晩ご飯だから戻ってこい、と。番犬のように飼い主の元へ。


まだ大勢が残っているローをでると雨の中を住吉へ。


そうそう、思い出しました。今朝8時過ぎ、クルマで大濠公園横のアメリカ領事館の前の道路を走っていると、横断歩道に19歳くらいの女の子が二人立ってました。近くに美容専門学校があり、そこの学生みたいでした。わたしが停止して彼女らに渡ってもらおうとしたところ、渡り終えた二人の内の一人の子が、なんと渡り終えると同時にわたしに向かって頭を下げてお辞儀をしたのです。


これには強烈に感動しました。いっぺんでその子が好きになりました。そして、今日一日がすごく良い日になりそうな気がしました。


それと同時に深く反省しました。自分は礼儀正しい男だ、と自負してきましたが、その女の子に打ちのめされました。気持ちよい負けではありますが。謙虚さ、心のそこからの感謝の念、を忘れていたのを思い出させてもらいました。