2010年1月20日水曜日

春が来た?




大寒の日なのに。4月のそよ風が。生暖かくって風も吹いてきたのでもうじき雨が降ってくるでしょう。


そういえば、今朝7時、あまりに朝焼けがきれいだったので、ローに行く途中で大濠公園に寄って美しい空と水面を撮ってきました。



今は正午、ローで書いています。1限目の民裁実務の最終講義でした。伊藤裁判官の九大での講義のラスト。4月から転勤で福岡とお別れです。みなさんとどこかの法廷でお会いしましょうとの〆の挨拶で終わりました。拍手をしました。わたしだけでしたけど。一人拍手に伊藤さんはうつむきながらはにかみながら微笑んでいました。


 終わってから自習室で勉強、暑くて暑くて。長袖カッターの袖をめくった時の感覚はもう春そのもの。


 早めの昼ご飯を、と、愛妻弁当を持って農学部食堂へ。テーブルに座ると、わたしの前のテーブルに大柄な若い女性3人組が来て、食べながら大きな声でおしゃべりしてました。最初は博多弁かなあ、と思ってましたが、良く聴くと韓国語でした。と、今度は左のテーブルから若い女性二人組の話し声が。こちらは中国語でした。でも今日聴いた中国留学生の話す中国語はとっても耳心地がよかったです。中国の昔の時代劇に出てくる美人が話す、優しげで歌うような話しぶりでした。正しい中国語ってきれいな言語なんだなあ、と感じ入りました。


でもでもでも、もしも彼女たちが黙って食事していたとすれば、もはやどこの国の女の子か全く見分けがつきません。これほんとです。


午後、あまりの暑さに耐えかねず、しばらくぶりに泳いできました。案の定、運動不足のせいで後半足がつりました。








2010年1月18日月曜日

浅川マキ、ミッキー安川、小林投手







ショックショック、ショックです。




少年時代を思い出しました。浅川マキさんはまさに全共闘時代、薄暗い下宿、汚い工場地帯、うらぶれた色街、昭和40年代の影の一面を象徴していました。まさにブルースの女王です。亡くなられたと聞き、ユーチューブで久しぶりに浅川節を聞き直すと、しみじみと昔がよみがえると同時に、彼女の歌が全然古びていないことに驚かされました。いや、この歳になって初めて浅川マキがスゴイ歌手だったことに気づきました。




 ミッキー安川さんについては、いまでもキョーレツに覚えていることがあります。中学時代、中一コースという月刊誌を定期購読していたのです。その雑誌にミッキーさんのアメリカ留学時代のおもしろ話が毎月載っていたんです。




それがまた荒唐無稽というか、胸がすくような日本男児ここにあり的中身で、毎回興奮してミッキーさんの活躍に身を躍らせていたんです。




 当時アメリカと言えば遙か彼方の日本よりもお金持ちであこがれの国でした。日本人は劣等感にひしゃげていました。それが、ミッキー安川さんは一人アメリカに乗り込んで行って日本人を舐めるな、って言ってくれていたんです。



今でも覚えている逸話があります。



アメリカの大学の寮のトイレでの話です。日本ではしゃがんでする時代でしたがアメリカはすわってやるタイプ、それで、アメリカ人達は大ちゃんと小ちゃんを同時にすることが出来ない、同じように座っていても大ちゃんと小ちゃんとは別々にし、よーいどんで同時に大小をやっちゃうことができない、と聞いたミッキーさんは、日本人は同時に出来るぞ、と言い張りました。そうしたら、アメリカ人達からそれならやってみせよ、ととっちめられ、ならばやって見せよう、と、みんなが見ている前で便器に座ってやって見せた、そうしたらみんながビックリ仰天した、ざまあみろ!だ、という話でした。



この話を中一コースで読んだときは衝撃を受けました。一番のショックはミッキー安川がたった一人で堂々とアメリカ人達と渡り合ったという勇気でした。



それから、この話を想像したときのおかしさです。みんなが見ている前でよくもまあ出来たなあ、凄い人だ、と尊敬しまくりました。






実は、1週間ほど前から、わたしの頭にミッキー安川さんが浮かんで来ていたんです。今頃何をやってるかなあ、ミッキー安川は?と。これほんと、ですよ。



ま、浅川マキさんのことは思い浮かびませんでしたが。






ところが小林繁投手のことは何故だかチラッと頭に浮かびました。






ひょっとしてわたしって何かしら霊感があるんでしょうか。ただ、受験前のせっぱ詰まった状態だから持てるのでしょうか。






☆☆いま、チビチビと『閉鎖病棟』についてのレポートを作っています。



   我ながら出来が悪いのが見え見えでイヤになります。






☆☆夕方、香椎までちょいと買い物に。夕暮れが素晴らしかったです。



   千早にJRの新駅が出来ていたのには驚きました。以前は操車場跡でなんにもないガラ~ンとした空き地だったのが、いまではもの凄い街が出来つつあります。




2010年1月16日土曜日

閉鎖病棟




帚木蓬生(ははきぎほうせい)の小説です。精神医療と法という授業のレポート課題の対象に選びました。でもいま、葛藤中なんです。



このレポートは期末試験に替わるものなので、これを出さないと単位がもらえません。ところがわたしはもう必修科目以外について必要な単位はすべて取り終えていますので、この科目の単位を取る必要性がないんです。



なので、レポートを出すまいかとも思います。受験勉強の方がよっぽど大事ですから。



しかし、意地というか、メンツというか、はたまた川副先生に対する礼儀というか、出さないとかっこ悪いなあ~とも思います。



ま、そもそもそんなことで悩む方がよっぽど時間の無駄とも言えますが。



それで、レポート用紙2枚程度の、形だけのレポートにすることにしました。



じゃあ一体何を書くかなあ、と思案しながらお風呂に浸かっていたところ、!、が降りてきました。



この小説は患者さんの家庭環境、生い立ち、周囲特に親族との軋轢を多く描いています。家族や親戚からつまはじきにされた患者さん達は厄介者と扱われて精神病院に入れられます。入院時は、発作が爆発して社会で大騒動を起こした直後なので脳が沸騰している感じで自己コントロールが出来ませんが、しばらく経つと落ち着いてきて、一般人とほとんど変わらない状態にまで回復する人が多いです。ところがそういう風に病状がほとんど平癒したにもかかわらずその後何と数十年間もの長い間、病院に留まっています。



自発的に退院する患者さんはごく少数なんです。



理由は、家族が退院に消極的なためです。再び発作が起きてとんでもないことをしでかさないかという不安、前回(と言っても素十年前の話ですが)の発作で隣近所に迷惑を掛けてしまったため退院させることに周囲が不安を抱くため呼び戻せない、それから、患者さんの財産の横取りを目論む親族が退院を妨害しようとして、病院の担当医に退院をさせないように求める、などです。


 実際、統合失調症(むかし、精神分裂病と言われたもの)の患者さんの中には、どこかから声が聞こえてきて自分に家を燃やせと命令したので家を燃やした、とか、家族中が自分をいじめていると錯覚して家族全員を刃物で刺し殺した、とか怖ろしい行為をした人もいます。


 でもそう言う人たちも、入院後数年経つと落ち着いてきて幻覚幻聴を見ないようになっていき、終いにはほとんど一般人と同じ状態に戻ります。


 また、潔癖症が昂じて何度も何度も手を洗わないと気が済まないひと、毎朝続けてコップ10杯の水を一気飲みしなければならない女性、一日中掃除を続ける男性、など、いろんな形で一般人よりも少しだけこだわりが強い人も多いです。


 こういう人たちは、遺伝的なものによる人も中に入るということですが、大概は後天的な環境とか人間関係の軋轢、差別、いじめ、などで少しずつ心が痛んでいったために発症したものだそうです。


そう言う人々が何十年間もの間、毎日毎日同じ病棟で集団生活しているのが精神病院です。




この小説は、読み始めの頃は退屈で、一体何を言いたいのか、とイライラしました。


ですが、後半から、どうも、精神病患者とされている人たちの方が心が細やかで繊細で対人関係にとても傷つきやすいナイーブな人たちであることがわかってきました。むしろ、彼らは人間の原点に戻ったのではないか、とすら思うようになってきました。


一般社会人は分厚い殻を纏っているのに、それが無い人たちは他人からの精神的加害をまともに受けてしまい、こころが傷ついてしまってコントロールが出来なくなったのではないか、と思いました。


 脳梗塞にかかった友人が、発症時、まるで自分の脳がやけどを負った感じがした、と言っていたのを今でも強烈に覚えています。


 統合失調症になった人たちも、心がやけどをしてしまったのかもしれません。




で、この小説のあらすじなんですが、、、、、、、、。


知りたいですか、みなさん?


焦らしているみたいで申し訳ないんですが、わたし自身、書きたくもあり、書きたく無くもあり、の心境で、迷っております。




どーしよーかなー?
写真は、多々良川とたまごプリン


2010年1月13日水曜日

魁皇新記録と大雪




今、午前7時です。朝6時に自宅を出たところ、車の上に雪が3センチほど積もっていました。



でも道路は大丈夫でした。無事ローに到着し、自習室に上がると、すでに数人が勉強していました。室温は22度。外は吹雪いていたので暖かさがありがたいです。早速電気毛布をオンにして下半身に巻き付けました。これもまた極楽気分。



遅れている倒産法と行政法の基礎の基礎を今頃やっている最中です。焦りの気持ちをぐっとこらえて基本、つまり条文と定義趣旨要件効果、そして法構造を鍛え上げなければ。


午後、生協の本屋に行こうとして一階に下りたところ、N先生と鉢合わせ。


ヤバイ、と思いつつもにこやかに挨拶をしました。


年末から、ゼミに出てこいと言われながら避け続けていたのです。


10分ほどローの廊下で立ち話というか、お説教というか、激励?をもらいました。


 その後吹雪の中を生協本屋まで。雪が真横から当たってきました。


 本を注文しようとすると、生協のおばちゃんが、その本なら明日2冊入荷するけん、あんみつさんの分をとっといてやるけんね、と言ってくれました。


なんと私の名前を憶えてくれているんです。すごいです。


 その後5分ほど吹雪の中を歩いてドンキホーテに。この前自習室でヘッドホンしてモーツァルトを聴いていたところ、音が漏れてたらしく、女の子から注意をもらったんです。友人からもらったO先生の昔の講義録音(感動もの!)を聴く傍ら、時々、合間に。頭の良くなるモーツァルト、というCDを聴くので。


 それで音漏れのしにくいヘッドホンを買いにドンキまで。


 2800円のやつを買ってノートパソコンにつなぎ、モーツァルトを聴くと、なんともの凄く音が大きく聞こえたんです。ええっ?と驚きました。ヘッドホン次第で音量がこうも違うとは。


 


☆今朝の民事裁判実務でこの前の小テストが返却されました。ちょうど9割でした。


やっぱり伊藤裁判官は意地が悪いなあ。難しい問題が数問あって、満点阻止の意図がありあり。


前回の小テストの不出来と合算すると、一息ついたかなぁ、という感じです。


この授業では危なく遅刻するところでした。ローの校舎を出て学部の校舎に向かおうとしたそのとき、急にお腹が、、、、。で、あわててローのトイレに駆け込んだのですが、おなかは痛いのになかなか出て行ってくれず、仕方なくほとんどでないまま、つまりお腹が痛いまま学部の教室へ(民裁実務の授業は学部の教室で行われているので)。入ると同時に授業が始まりました。そして直ちに出席簿順に答案返却が始まり、わたしは前の方の順番だったので、直ぐ受け取って伊藤裁判官に断りを入れてローのトイレに飛んでいきました。


今度は素直にお出ましくださいまいした。いや~、ほんとにやばかったし、苦しかったです。



2010年1月11日月曜日

パソコンが変です

調子が悪くなっています。突然シャットダウンしたり、画面が乱れたりします。

怖ろしいです。パソコンのトラブルほどイライラし、かつ困るものはありません。

今、パソコンが壊れたら片腕、いや、両腕をもぎ取られるようなものです。

☆休祭日のローは勉強しやすいです。なにせ鬱陶しい授業がありませんし、ロー生の数もそれほどでもないので。そういうわけで土日月の3日は感謝の気持ちで机に着いていました。ただ、全然捗りません。一度、いや何度もやったはずの民訴の知識が落ちているのにガックリ。
自分がアホになっているのがよく分かりました。

☆どうかパソコンが壊れませんように。

☆☆強烈に驚愕したことが!グーグル地図で福岡のある場所を検索したら、なんとなんと福岡の街の実写画像が!それも、ありとあらゆる路地まで写真で見れるんです。その上まるで自分がその場所を歩いているかのように写真が移動したり回転したりするんです。
だったら我が家も見れるンかいな、と地図を移動させて最大に拡大すると、なんとまあ、本当に我が家が写っているじゃないですか!
これは凄すぎます。びっくりにもほどがある、なんて。いやぁ参りました。
そういえばプライバシイがどうとかと言ってたなあ、って思い出しました。
たしかにこれは一つ間違うとアブナイかも。だってものすごくリアで、動く写真が画面にでっかく現れるのですから。
みなさんも一度御覧になればお分かりになります。え?もう知ってました?

2010年1月9日土曜日

再び10番答案と2500番答案




昨日からもう一度比べ読みしてみました。1週間前辰巳の無料講座でこういう名前の無料講座を聴いたんですが、もう一度考えてみる機会に出会ったからです。



 尊敬する先生から去年の問題の貴重な解説を頂戴したのです。その解説がまた相変わらず鋭かったんです。しかもとても分かりやすいんです。



それで、ついでに日本評論社から出ている解説本ももう一度読みましたが、こちらは話がこんがらがっていてすっきりしていません。



答案を読み比べてみてよく分かったのは、単刀直入が大事だ、ということ、点数が低い答案ほど回りくどくなっています。また、自分が今何を言おうとしているのか、という目的的な書き方をすること、さらに、基本的概念をきちんと把握すること、原則論、趣旨論を現場でひねり出せる力を身につけること、です。



それから、超優秀答案でも結構穴があること、もわかりました。



行列の出来る法律相談所に出ているツルツル頭の菊地弁護士が刑事法の答案解説をしていましたが、抜群でした。彼の言うとおりだなあ、と感心しました。




やっぱ、考えることですねえ、勉強って。
☆写真は十日戎。福岡県庁の真横にあります。博多の人間って、こういうお祭りが好きですなあ。



2010年1月8日金曜日

自白


たった一日で約束を反故にしてしまいました。目が覚めたら8時。あちゃ~っ。

やっぱりだめだなぁ、オレって。

弁明させてください。小テストの興奮が残っていて昨夜はなかなか眠くならなかったんです。仕方なく!焼酎のお湯割り(超薄めの)をあおりましたが、なぜかしら却って覚醒してしまう始末でした。

 今日は久しぶりに民事法総合の授業。会社法の西山先生が担当。1年ぶりに西山先生の授業を受けました。ローの院長の激務からもうすぐ解放されるせいか、元気はつらつでした。気合い入りまくりでしたが、相変わらずの西山ワールドが展開されてしまいました。本題から外れまくり、寄り道がすごいんです。東海道五十三次を江戸から出立したのは良いが、1日経ってもまだ品川にもたどり着かない、で、何をしてたかと言うと、歩き始めて直ぐ、旅の装備の点検だとか道順だとか道ばたで座って旅の目的を蕩々と論じる、というような物でした。

旅は楽しいかと問われると、イエス、でも、京にまで辿り着けそうか、と訊かれると、ウ~む、というものでした。

★一昨日、女房の友人の旦那さんが亡くなりました。奥さんが朝、旦那さんを起こしに行くとすでに冷たくなっていたんだそうです。

わたしよりも2歳上だったそうです。他人事ではないなあ、と怖くなりました。

☆わたしの尊敬する先生からメールを頂戴しました。ありがたいことです。感謝。