2010年8月15日日曜日

心広きチャコ











お盆に田舎に帰省してきました。チワワのファン太を連れて。





田舎にはチャコというコーギーの雑種が居て、果たして二匹が対面したらどうなるか、と少し不安でした。





チワワの方は案の定、臆病なくせにチャコに向かって吠えたてました。ところがチャコの方は、自分の縄張りによそ者がやってきたにもかかわらず、怒りもせず、むしろ一歩引いてました。





わたしがファン太を連れて散歩に出かけると、チャコは50メートルほどの距離を置いてつかず離れずで付いてきてました。





やはりなんか気になるのでしょう。私たちと一緒に行きたいけどオレがオレがと自己主張はしたくない、でも自分の存在もわたしに分かってもらいたい、そんな風情でした。





チャコのそんな奥ゆかしさにグッと来ました。





それに引き替え、チワワのファン太の方はというと、人間そっくりのイヤな性格の持ち主。ほんと、小さいくせにこちらの方がなんか人間くさいです。





多分、愛玩犬という種は買い主の顔色、感情を察知して自分の意のままに操ることにより自己保存を図るという本能を持っているのでしょう。わがままで甘え上手で臆病で内弁慶で打算的です。








☆ことしの夏はなんとなく虫の数が少ない感じがしました。例年なら網戸にびっしりと張り付いているのですが、ことしはほとんど見ません。




逆に、実家の縁の下に巣を作っているミツバチたちは猛烈に働いていました。熱に浮かされたかのようにしゃかりきになってせっせと取ってきた蜜を縁の下に作った巣に運び込もうと、ブンブン飛び回っています。それが玄関のすぐ横なので、かなり怖いです。




☆明日からの塾の準備が間に合わず、ちょっとマズイです。作らなければならないプリントが出来て無くて、顔が引きつり始めています。




 ただ、お盆休み中にたっぷり休養を取ることが出来、体力はすっかり回復しました。



いつもはカロリーオフの発泡酒ばかり飲んでいるので、実家でエビスビールを飲んだとき、余りの濃さに驚きました。




☆チワワのファン太は、わたしがこき下ろしたにもかかわらず、実家の母や兄家族にはめちゃめちゃかわいがられていました。ただまあ、『ブス可愛』って言われましたが。








2010年8月9日月曜日

久しぶりのオフ











土曜日、夕方に塾が終わり(教室長のはからいで)、日が暮れた後長浜屋台街ちかくの魚料理店『だぼ』という小さな店でロー仲間と再会。




出てくる料理全てに驚きました。




圧倒的な質と量、見たこともない魚や貝類、目一杯飲んで食べて一人4000円。




全員圧倒されました。もちろん味もまた格別でした。




店内にはほかに10人くらいの団体が居て、わたしらグループとで貸し切り状態。




楽しかったです。でもこの飲み会は神戸から来たKさんの送別会でもありました。




今週末、実家に戻るのです。またいつか必ずどこかでバッジをつけたKさんにあえるときが来ると確信しています。




で、その飲み会に、わたしの写真が載った塾のパンフレットを持って行ってみんなに見せました。みんな大爆笑。




と、一人が、『この教室長、ぼくの大学時代の司法試験勉強仲間ですよ』と。なんとまぁ!








翌日曜は朝7時から団地掃除。とてもつらかったです。前日のお酒がまだ消えず、塾での果てしない労働の疲れが澱のように溜まって、雑草の海を見た途端、へたり込みそうになりました。








午後、ローに通っているOくんが来て、倒産法のレクチャーをしました。ところが、たった2ヶ月で、相当量の知識が抜け落ちているのに気づき、またへたり込みました。




で、途中から居眠りを始め、O君が言うにはわたしはイビキをかいてたそうです。








やはり、重労働とくそ暑さのせいです。3日前は実に38,3度を記録したのです。




冷たい飲み物ばかり口にしています。食欲減退気味でこまってます。








☆実に2ヶ月以上振りにロー別館に行きました。かつてのわたしの机はすでに別の人間が使用していました。わたしの私物はロッカーに移されていました。




帰りに箱崎のラーメン屋に行きました。そこはもう25年以上も通っている店です。




で、ラーメンを食べていたところ、突然上からハウスの一味唐辛子の小さい瓶がラーメンどんぶりに飛び込んできたんです。




カウンターの上の台に箸とかゴマとかと一緒に置いてあったのが何故かラーメンどんぶりにジャンプしたんです。




その時、ガチャーンっと言う音も聞こえました。




カウンターの向こうで作業していた店の人間の体が当たってその弾みで一味唐辛子の瓶が落ちたみたいでした。飛び込んで上がったラーメンスープのしぶきがわたしの顔面に跳ねて、めがねに油の油膜が出来ました。




そのときわたしは三分の二くらい食べ終わっていたのですが、店の人間たちが、『すみませ~ん、もう一度作り直します』と言ってきました。




それで、もうこれ以上食べられんけん、もういいです、と返事したのですが、向こうはなんとしてでももう一杯作ると言って聞かず、さっさと作り始めました。




食欲不振でしかも胃腸の調子も完全ではないのにもう一杯食べさせられたらたまったもんじゃない、とこちらも何度ももう要らない、と言ったのですが、根負けしました。




で、出てきたラーメンに手を付けたものの、やはりもうこれ以上ダメでした。




二口くらい食べてギブアップし、店の人に千円札を渡しました。




すると、ちゃんと代金を取りました。450円。ひょっとしたら代金はもらいません、とかなんとか言ってくれるかも、と期待しましたが、、、、、、。




新しいラーメンが来るまでの間、そばに置いてあったテッシュでめがねと顔を拭いてこちらの被害状況を暗に知らせたのですがね~。ちょっとがっかりしました。




2010年8月4日水曜日

元気回復すれど


体調は完全に元に戻りました。ただ、ネタがありません。


猛暑の中をてくてくタラタラ塾に行き、一日中子供たちを相手にし、足が棒のようになって引きずるようにして夜10時半に帰宅し、風呂に入ってカロリーオフの発泡酒を呷り、バタンキューとなる、そんな毎日です。


しかしなんですな~。子供って、小学生と中学生とでなんであんなに違うんでしょうか?


良くも悪くも純粋で好奇心も旺盛な子たちが、たった1,2年で豹変するんです。ゾンビみたいに無感動無関心に。


まあ、個別に対応すると、はにかみながらも反応するので、教室内で無反応なのは羞恥心が出始めたためかもしれません。




☆今の授業内容は私たちの頃のおよそ半分に減っています。世界史なんか、鼻くそ程度しか出てきません。それでも歴史が苦手という生徒が山のようにいます。なんでだろ?




☆わたしの傑作語呂合わせ集


♯1


正長の土一揆(1428)と山城の国一揆(1485)、加賀の一向一揆(1488)を一気に暗記できるやつです。


ツバ吐いたババァどこ行った、とシャカが聞き。

2010年7月28日水曜日

とりあえず


報告だけ。

風邪も半分くらい治まりました。熱はほとんど下がりました。喉の腫れは引きましたが代わりに咳と鼻水が出始めました。

でも、もうひどくなることはないだろうという感じがしています。


☆今日、3年生の女子生徒が、743年の墾田永年私財法の語呂合わせで面白いのを言ってました。

ナンシーさん、来んでえ~ねん、というのです。

負けた、と思いました。わたしのは、

なして三世一身止めた?

でした。

それでその生徒に素直に負けを認めました。

2010年7月26日月曜日

喉が・・・











昨日夕方女房の実家にバイクで向かう途中、走り始めて1キロちょっと行ったところで後輪がパンク。




オーマイガー。




自宅まで歩いて押して帰り、再度バスで行こうとバス停(2系統あるのでそれぞれに。これがまた500メートル以上離れて居るんです)に向かうと、なんと35分以上も待たなければならないことに。




仕方なく実家にいる女房に電話して迎えに来てもらいました。




その時わたしの上半身は汗びっしょり。これが悪かった!




だんだんと喉が腫れてきたんです。




やべ~。明日は朝8時から塾でミーティングがあるのです。自宅を遅くとも朝7時には出発していないと。と言うことは、朝6時前に起きてないと。




ところがどっこい、あろう事か大恩ある大先生からメールが。中身を見るとローの話でした。




それで、こちらもついかーっとなって返信に没頭してしまい、気がついたら3時。あと3時間しか睡眠時間がない!なのに風邪の引きはじめの兆候ありありで、これは大変なことになった、と恐ろしくなってきました。




一体どうやって今日の9コマ授業をこなすか、マジヤバでした。




で、塾に着くと案の定喉が腫れまくって、唾液を飲み込むことが困難な状態に。




それでもがんばらんば、と必死に授業をこなしていきました。




結局、6回はイソジンでうがいしました。




すると、塾の帰り道、夜10時頃、なんか少しずつ腫れが引いてきたようでした。




でも、用心をしないと、と、夜中も空いているスーパーに立ち寄って、わたしの風邪の三種の神器である、半熟卵、バナナ、鶏肉以外の肉、を買ってきて腹に収めました。




それで、12時までに寝ようと思い、お風呂も入らず、顔と手足だけを温水で洗って、さっさと寝ることにします。



明日もまた同じように早いので。
それでは皆様、おやすみなさい。
☆写真は前原の商店街にある大昔からある食堂。お客さんの9割はおばあちゃんとおじいちゃんです。
わたしの親父も若い頃この食堂で食べたことがある、と言ってました。
カツカレー、580円。あんまり味がせず、半分残しました。

2010年7月24日土曜日

夏の精霊

















今日はまぁ、至る所でお祭りが行われていました。前原でも姪浜でも、西新でも。


女の子達は浴衣を着てウキウキした表情で祭りに向かってました。


日頃人の姿が少ない前原でも、こんなに人がいたのか、それも若者達が、とビックリ。


と言うわけで街の夕暮れは何か血が騒ぐような雰囲気に覆われていました。


そんな中、わたしと言えば、一銭にもならないのに塾に行き、月曜日からの本格的な夏期講習のためのプリント作りやら切り貼りやらホッチキス止めやら、と鬱陶しいことばかりやってきました。これをやっとかないと、来週から一日10コマとか11コマとかの授業をスムーズにやることができなくなってしまうからです。

 話変わって、この前facebookというヤツをやってみました。一体なにがどう良いのか分かりませんが、全世界に数億人が加入しているとかで、ひょっとしたら画期的な通信手段になるかもしれないと思い、闇雲に始めました。


 すると、九大の大学院に居る知り合いから早速丁寧なお返事が帰ってきました。有り難いことです。






2年前、ドロップボックスというヤツを始めたところ、これがもうメチャクチャ優れもので、もの凄く便利だったので、今度も何かクンクン臭うのでやり始めました。




☆田舎の両親の、仲の良いご夫婦のうち旦那さんが今日お亡くなりになりました。それで、ハッとわかりました。何が?人間は必ずあの世に行く、だから、生きてるうちが華なのよ、ということです。


生きている間に思いっきり自分のやりたいことをやろう、と。いや、生きていることそれ自体が有り難いことなのだ、と。



また、恐れるものは何もない、ということも。ビクビクして生きていくのはもったいないことだということがやっとわかりました。


当たり前のことですけど、今朝訃報を聞いたとき、まるで磯辺の洞窟で修行していた空海の口の中に光の玉が飛び込んだみたいな衝撃を受けました。


そんな気持ちで夕暮れの祭りの賑わいを眺めていると、これもまた生の塊である、生きていることそれ自体である、と妙に愛おしく感じてしまいました。



☆わんこのファン太くん(別名悪魔君)、よーく見ると、あれっ!あれです!あれそっくりなんです!

 なにが?そう、キリンビールのキリンのデザイン、商標です。

 よくよく見ると、体や首周り、それからしっぽの気の生え方とその色、足が体に比べて細くて短いこと、


 顔も、耳が毛深く、顎の下も白っぽい毛が生えているのも。そして顔。睨みつけるような目とフンフンと鼻息荒そうな黒くて大きくて穴が上を向いている鼻。

もう、そっくりです。


















2010年7月21日水曜日

真夏だ~、新車だ~、塾の準備が~、もう勘弁してくれ~。
















猛烈な暑さに胃腸がへたり気味です。大正漢方胃腸薬と養命酒を飲んでます。少しずつですが回復傾向に向かっています。


日曜日夕方5時50分、とうとう新車を買うことに。もちろん、女房が、ですが。


日産の軽自動車で、ルークスというクルマです。ここに至るまではもう、大変でした。すべてが終わった後ヘトヘトになりました。翌朝は夫婦とも起き上がることすら出来ませんでした。


その前日の土曜日朝、ダイハツの営業所に行ってタントとコンテに試乗。タントにはかなり惹かれるものがありました。ハンドル周りがすっきりとしていて開放感抜群、わたしが一番重要視している前方の視界もとても良く、車内も広々としていて、リラックスして運転ができました。

今乗っている1300CCのキューブよりもスゴク広いのです。


短所はおそらく上り坂の走りと追い抜きのダッシュ力が非力なことだけでしょう。

その後すぐ、今度はホンダに行き、フリードとライフに試乗。フリードは1500,確かに良いクルマです。ですが、視界が思ったほど広くないのと、3列シートは不要なこと、値段が200万超えするのでアウト、ライフは視界良好でしたが、CVTという無段変速機が着いておらず、昔のまんまの、ガクガクッという変速の仕方で、ちと古いかなあ、とも。


 先週日曜、日産のフェア(青い日産グループ、日産プリンス系)に行ったときに試乗したニッサンティーダも若干前方視界が意外に狭く、値段も200万超えで、アウト。居住性は抜群だったのでとても惜しかったです。


 ただ、その日にたまたま日産ルークスが展示されているのを見て、これってダイハツタントの対抗馬として、まあまあかも、と思いましたた。もっとも、その日は展示車を見ただけで実際に試乗はしませんでした。主な目的はティーダの試乗だったので。


そしてその一週間後の日曜、今度は赤い日産グループ(こちらは単に日産系)がマリンメッセで合同フェアをやってるのに行きました。前回のフェアで試乗しなかった軽自動車のルークスに乗ってみて、対抗車種のタントと比べてみよう、と思ったからです。そのときはもう、タントかルークスかのどっちかに決めてました。


まとめますと、日産には系列が二つあり、赤い色の日産プリンス系と青い色の日産系です。どちらも同じクルマを売っているのですが、昔、プリンス自動車と日産自動車が合併した名残のためか、未だに系列が二つに分かれているのです。


そしてその二系列は先に日曜日に赤い方がマリンメッセで合同フェアをやり、その1週間後の日曜日に青い方がまた同じ場所で合同フェアをやった、というわけです。


わたしたちは最初の赤のフェアでティーダを試乗し、ルークスを見ました。その1週間後、青のフェアでルークスに試乗した、というわけです。


実は話はここから急展開しはじめたのです。


後の方の日曜日、午前中前原の塾で保護者会のプレゼンに出よ、と言われて9時半に塾に着き、1時頃まで保護者を前にして社会科の指導やら進路やらをプレゼンし、終わって午後3時頃、青の日産フェアの最終日に間に合うようとんぼ返りでマリンメッセへ。そこで女房と落ち合い、ルークスに試乗しました。


 感覚としてはタントとよく似ていました。どちらも箱形で大きなフロントガラスが直立していて前方がとても見やすいのは変わりません。


 比べてみた長所は、タントよりも走りが機敏そうなこと、車体重量がタントよりも軽いこと、タントは左側のドア支柱が無く、助手席ドアと助手席後方ドアをいっぺんに開くとメチャクチャ広い開口部が出現します。ですが、真ん中の支柱がないので、助手席のシートベルトの引っかけ口が助手席の左肩の後ろからでています。それでシートベルトが胸を強く圧迫してしまいます。この点でタントはちょっと良くないかも、と思いました。


 他方、ルークスの方は、ハンドル前の視界は良好でしたが、タントほどの開放感はありません。


スピードメーターも普通のクルマと同じくハンドルの後ろ側に着いてます。一般的な置き場所です。これに比べ、タントのスピードメーターは運転席と助手席の真ん中に横長く置かれていて、見やすいです。


というわけで、どちらも一長一短あり、迷いに迷いました。


試乗後、見積もりを出してくれた女性スタッフが提示した額はルークスとしてはかなり安めの額でした。


ルークスという軽自動車は他の軽よりも若干本体価格が高めなので、彼女の提示した額の安さには正直驚きました。


それで、そのフェアは、最終日の日曜日は午後6時で終わる、ということで、試乗し終わったのが4時。わたしはどうしてももう一度タントと乗り比べてみたかったので、ダイハツ営業所に今から行ってみる、と日産の担当者の女性に言いました。

すると、その女性スタッフは、なんと、それまでわたしたちに提示した見積額(この額自体普段よりも安めだったのです)よりも更に安い値段をボンッ!と提示したのです。え~っ!?とビックリしました。スゴい攻勢だなあ、と驚きました。


そうやって日産の販売攻勢に驚きつつ急いでダイハツへ向かいました。


途中、車内で、今乗っているクルマを8年前に買った、わたしの実家がある大分の日産の営業マンに電話しました。フェアではこの値段で売るといっているけど、そちらの条件次第ではそっちで買いますが、と言って、フェアで女性スタッフが提示した値段を言うと、その値段では到底無理です、とあっさり言われ、こちらはジエンド。


その大分の営業マンには日頃からお世話になっているので出来ればそっちで買いたかったのですが、なにせフェアで提示された額が相当安かったので、フェアの方を選択するほかありませんでした。



それでは、と、更に女房の親戚が赤の日産に勤めているというので、そちらにも電話で聞きました。この親戚の女性はかなりがんばってくれました。女房も、同じ車を買うなら親戚から買った方が良い、というので、わたしも賛成しました。それで、この時点ではフェアの日産と女房の親戚の日産、そしてダイハツタント、の3カ所の闘いとなりました。



そうやっていろいろと電話を掛けながら、ダイハツに到着しました。するとダイハツで説明してくれた女性がちょうど所用で外出しようとしていたところでした。



それで、こうこうこういうわけでタントとルークスとどちらにするか迷っている、と正直に告げました。


そうしたところ、彼女は、ちょっと待ってください、と上司に相談しに行きました。



その間わたしたちはタントに乗って見晴らしや内装をチェックしていました。すると、さっきまで居た日産フェアの女性から電話が。なんと!出てくるときに提示された額よりも更に5万円も引いた値段を電話で提示したのです。つまり30分前よりもさらに5万円下げたのです。



もう、ビックリ仰天です。猛烈でした。



すると、今度はダイハツタントの女性スタッフが戻ってきて前回彼女が私たちに提示した見積額よりも更に8万円も安い額を提示してきました。



で、わたしが、日産は今こういう値段を提示してきました、と言うと、彼女は、エ~ッ?!と言って口惜しそうな表情を浮かべました。


わたしとしてはタントの開放感にとても惹かれたのですが、値段だけ見てもタントよりも7万円も安くなってしかもその上4万円相当の備品までタダにするという日産の捨て身の攻勢にガツーンと来てしまいました。


それと、さっき述べた、助手席のシートベルトが胸を圧迫する点で問題があったので、タントはあきらめるしかありませんでした。


それで、ダイハツの女性には何度も何度も謝って再びマリンメッセの日産フェアへ。ダイハツの名誉の為に言いますが、彼女の態度はとても爽やかで立派でした。ゴメンナサイ。



そのときの時刻は午後5時半。あと30分でフェアが終了する間際でした。



と、運転中再度フェアの日産から電話が。どうなったかを知りたがってたのです。



それで、ほとんどそちらに決めたけど、あと一押し、なにか備品をサービスしてくれたらそちらに決める、と女房に言わせました。では何が良いのかと向こうが訊いてきたので、クルマの左前方に立てるポール(1万円)を取り付けて欲しい、とまた女房に言わせました。すると、ちょっと待ってください、とおそらく隣にいる店長と相談したのでしょうが、一瞬の間をおいて、『わかりました、取り付けます』とほぼ即答状態で返事が来ました。



この人たち、マジで何が何でもクルマを売らねば、なんだなあ、という鬼気迫るものを感じました。



そういうわけで、とうとうマリンメッセのフェアの方に決めたということで、いとこの女性に断りの電話を女房が掛けましたが、何度掛けても繋がりません。数回掛けてもダメだったので、あきらめてたところ、やっといとこさんから掛かってきました。



女房がフェアの提示した破格の値段を告げると、そんな値段、あり得ない、と言って、いとこさんもあきらめた風でした。


マリンメッセに戻ってきたのは午後5時45分でした。広いマリンメッセ内では片付けが始まっていました。


日産の女性営業員と見積もりをして確認していたところ、女房のケイタイに電話が。



 女房が席を外してなにやら長話をしてました。すると今度はわたしの携帯が鳴りました。出ると女房から。いとこから、いとこの勤める営業所の所長が、マリンメッセが提示した値段で売って良い、といとこに言ってくれたのでどうしようか、というものでした。女房は自分の親戚の方を優先させたがってました。


 これにはわたしもほとほと悩みました。車を買うのは女房なので、彼女の意思を最優先させるべきとも思いました。ですが、なんとなくひっかかるものを感じたのです。いとこの方はなんか、売ってやる的なニオイがしたんです。たしかに所長さんから見れば自分の部下の親戚に安く売ってやるというのは親切なことだと思います。ですが、買う方のこちらとしては高い買い物をするのですから、お金を払うのに恩義を感じるというのはオカシイ、と感じたのです。


また、いとこの方は条件提示が終始後出しでしたが、フェアの方は逆に自ら積極的な値引き攻勢をどんどん仕掛けてきて、そのアグレッシブさは愉快痛快爽快でさえありました。見事な攻略法だと感心しました。それも相当身銭を切って出血大サービスをしたと感じました。


それに、購入後のアフターサービスも、恩義を感じながら頼むよりも何が何でも買ってくださいと言う店に頼んだ方が安心ではないか、と思ったからです。つまり熱意の差、みたいなものです。


それで、そのことを正直にフェアの女性営業員に言いました。



こちらも散々悩んだ末、オタクに決めました、と。彼女はちょっと声を詰まらせたようでした。



おそらく、推測ですが、日産フェアに出品する際に予め定めた販売目標台数ノルマを達成する必要があったんじゃないでしょうか。そして、フェア最終日の夕方、ひょろっとやって来たわたしたちが買うことがノルマ達成の為には是非とも必要だったんじゃないでしょうか。そう考えると他の日産営業マンが二人とも値段の点で二の足を踏んだのも良く分かります。


そういう風に思うことが出来たなら、今回の買い物はグッジョブだったのかもしれません。


ですが、ほんと、この二日間の駆け引き合戦でほとほと疲れ果てました。おまけに塾の保護者会用のプレゼンを考えるのにもパワーを使ってましたので、体中に染みこんだ疲労感を拭うことはなかなかできませんでした。




☆と、長々と駄文を垂れ流してしまい、申し訳ありませんでした。