2022年4月6日水曜日

閑話休題 老荘思想

 二回試験が終わり、福岡六本松の蔦屋書店に行きました。わたしが今度お世話になる(そうなってほしい)事務所が、同じビルにあるので、そこの事務所の先生に挨拶に行ったのです。

すると、老子の解説本が目に飛び込んできました。

わたしが、高校時代、漢文の授業でもの凄くインパクトを受けた漢詩が、荘子の『夢に胡蝶となる』という詩でした。荘子というのは老子の思想を分かりやすく具体的に説明してくれたような人です。この詩から、人間の意識というものが極めて主知的である、ぶっちゃけ、目をつぶれば世界が消える、というものだとわかりました。

意識こそが人の本質だと思ったのです。そしてそれは50年前の感想ですが、今でもそう思っています。夢の中で自分がチョウチョになってヒラヒラと舞っていた。そのときの自分は楽しくて仕方がなかった。他方で、夢から覚めた自分がここにいる。一体どっちの自分が本当の自分か分からない、いや、どちらの自分も本当の自分なのではないか、なぜならどちらにも自分という意識の主体が居たからだ、というのです。

今考えると、わたしのこれまでの人生はほとんど老荘思想の影響下で彩られてきたような気がします。

わたしが一番好きな自然は、雨と風です。雨の日は物思いに耽ったり雨に濡れたツツジを見ながら散歩したり。久住や阿蘇に行くと強風が吹いて、青空に浮かぶ雲がぐんぐん早足で飛ぶように去来します。春の暖かな日向で爽やかなそよ風が頬に当たるのも好きです。

こう考えると、なぜ雨や風が好きなのか、その理由は、地球の動きを肌で感じられるからではないか、と思えてきます。


恐怖の二回試験を終えて 2

 二回試験の怖さ、の正体は?

それは、受験する人達が皆司法試験合格者だということです。

で、司法試験合格者という人種は、大体優秀です。その意味は、①すばしっこい良いヤツすなわち要領よくコツを掴むヤツ、②そもそもの地頭が良いのでなんでも簡単にこなすヤツ、③アタマは硬いけど地道に努力するヤツ、④それらのミックスタイプ、⑤以上のどれにも当てはまらないのにたまたま偶然受かったヤツ、です。大体、というのは、⑤該当者がごく少数だということです。

ではわたしはどうか?③④⑤の混合型かなあ?

本題に戻ると、二回試験を受験する修習生は1440人+前年の二回試験不合格者10人=1450人

くらいです。科目は民事裁判、民事弁護、刑事裁判、検察、刑事弁護、の5科目。

試験時間は午前10時20分から午後5時45分まで、7時間25分。途中12時から1時まで昼食を試験を受けながら食べます。起案を書いたり記録を読んだりしながらたべることが出来ます。

長いように思われますが、あっという間です。なにせ事件記録の量がもの凄いのです。70ページの本体と40ページの資料の二冊とかいう科目もあります。

その上、一番嫌らしいのが設問の出し方です。イジワルそのものです。3回以上はよーく読み直さないととんでもない引っかけとか落とし穴がそこかしこに潜んでいます。裁判官のイジワルさは凄いです。アタマが混乱して爆発するくらいこんがらがらせてます。

と言う具合に何もかも嫌らしいのですが、実際に二回試験に落ちるのは、各科目につき1人か2人です。

なので、本来は落ちない試験です。理性では分かっています。ですが、その1人、2人の中に自分が入ってしまう可能性がゼロではないと思うと、理性が瓦解してしまいます。

二回試験は水、木、金 土日の休みを経て 月、火、と実施されますが、金曜の試験後、新宿のゲイバーで夜通し騒いで朝帰りしたという豪傑もいます。

マジで尊敬します。

わたしは、土曜日に2時間ほどてくてく散歩したくらいです。丸1週間、麺類を全く口にしなかったので、うどんとか蕎麦とかに飢えていました。ところがうどん屋がほとんど無いのです。たまにあるのはそば屋。でも、なんとなく蕎麦は消化が良くなさそうで、やはりうどんが一番。で、散歩途中にあった和食チェーン店でざるそばを食べて少しだけ満足。

あとは、洗濯と勉強。今思えば研修所の寮ではほとんど勉強マシーンみたいになっていました。普段勉強嫌いなのに、二回試験に落ちる恐怖を思うと、勉強以外出来なくなってしまうのでした。

科目的には、民事裁判が一番ヤバイです。とにかく難問でした。引っかけもいっぱいありました。原告が撤回した主張があり、何故撤回したのか理由を書けという設問が分からなくてイロイロ思いついたものを全部書きました。少しは点数を下さい、という切なる思いで。

なので、民事裁判はかなり焦りました。昼食時間には絶望感に包まれました。でも、どうせ落ちるのは2人くらいしかおらん、しかも民裁はめちゃくちゃ難しくて嫌らしい、悶絶しているのはオレ一人だけじゃない、と思い直して、みんなが書くようなことだけ短くても書いていれば大丈夫だ、と立て直しました。




2022年4月5日火曜日

恐怖の二回試験を終えて 1

  3月21日午前6時発ののぞみに乗って埼玉県和光市の司法研修所いずみ寮に。

もの凄い量の白表紙(研修所から送られてくるテキスト類)が入った古いトランクが重くて動かなくて、東京駅のコンコースで途方に暮れました。なんとかして池袋まで山手線に乗ったのですが、これ以上無理と判断し、池袋からタクシーで和光まで行きました。5000円でした。でも良かったです。二回試験で腕が上がらなかったり腰が痛んだりしたら大事ですから。

いずみ寮はコンクリートの塊みたいな殺風景なところ。寮の外の本館もコンクリート。寒々しい感じ。研修所の周囲がまた、税務大学校の馬鹿でかい敷地、広大な和光市樹林公園、練馬区立大泉中央公園と、人気が無いところにあります。

翌日は雪が舞う真冬の天気。その上私の部屋のエアコンが故障して、ヤバいくらい寒かったです。事務室に修理をお願いしましたが、やってきた係の人もお手上げ。

食事はマズくて有名な食堂で。覚悟していたのよりはまともでした。ただ、朝昼夜毎回、味噌汁は具が無し、化学調味料いっぱいの、同じ味。ご飯は古古米みたい。その上、こちらも恐怖と緊張で食欲がないので半分くらいしか食べることが出来ませんでした。若い修習生たちの中にはご飯大盛りとかお代わりとかしているのもいて、若さってイイナ、と思いました。

二回試験で落ちないためには、科目毎の思考の型、起案の型をたたき込むしかない、と思い、教官が動画で即日起案の解説をしていたのを何度も何度も見直し、参考起案を何度も何度も見直して、イメージを確立することに全力を挙げました。

5科目の試験は、どれも似ているようで違う思考パターンで書かないとヤバイのです。






2022年2月27日日曜日

また、親友が旅立ってしまった・・・・サビシイ・・・哀しい・・・悔しい・・・

 岡本政隆君が2022年2月21日に旅立ちました。

昭和59年からの長い長い付き合いでした。謹んでご冥福をお祈りいたします。

この前は山本哲久くんという大学時代の大親友を失い、今回は、わたしが司法試験に受からないので京都から地元福岡に戻ってこい、と父親から命じられ、都落ちして九大の司法試験答案練習会に入るべく、はじめは千代、その後筥松に下宿したとき、筥松で初めて岡本君に会ったのでした。それが昭和59年でした。

下宿があった場所は、鹿児島本線の間近、線路から5メートルも離れておらず、特に夜、夜行列車や貨物列車が通るとき、旅愁を感じる部屋でした。

その下宿は2階建て、木造で、4畳半に二段ベッドみたいにベッドがはしごを上がった上の方にありました。わたしが住んでいた1階部分は、この4畳半の部屋の壁を取り払って広くした、9畳ほどある部屋でした。

続きはまた。一昨日、コロナワクチンの3回目の接種をして、今朝から発熱しており、岡本君の訃報でもの凄く心が萎えきってしまい、今は日曜日午後10時ですが、寝ます。

明日は朝から裁判所で民裁起案2回目、6時間半書きっぱなし。もしかしたら裁判所の玄関で入るなと入館拒否されるかも。明日朝の体温が心配です。

2022年1月2日日曜日

2022年、令和4年1月2日





 新しい年になり、ブログを再開しなければならないと思い立ちました。

昨年、令和3年は、あらゆる意味で人生最大の年でした。

40年以上続いた受験生活が、ありとあらゆる幸運に恵まれて、競馬の最後の追い込みそっくりに、鼻の差でゴールできました。

その後の修習は、マジで大変でした。修習は今も続いています。3月23日から29日まで二回試験という最後の難関が待ち受けています。この試験に落ちると、来年の二回試験まで浪人。落ちる人数は、1400人あまりの修習生の内、10数人にすぎませんが、落ちるはずのない優秀な人も落ちることがあるそうです。わたしは全然優秀でないので、もっと怖いです。

人と同じことを考え、同じことを書くのが大事だと忠告されました。平身低頭で行け、とも。

こだわるのが私の性分で、人と違うことをしたい、書きたいと思ってしまうので、肝に銘じないと、と思います。

もしも二回試験が無事に通ったら、福岡の裁判所の建物に県内で一番近い場所にある法律事務所にお世話になることになりました。事務所から福岡高裁地裁家裁簡裁ビルまで徒歩100歩、福岡地検まで徒歩30歩、福岡県弁護士会館まで徒歩50歩の、法曹村にあります。九大法科大学院の施設内に事務所があります。もう、絶対に二回試験に落ちてはならないと、今から猛烈に緊張しまくっております。まさか!を大量に経験して参りましたので、また、まさか?!になるんじゃないかと、怖くて恐くて。