2009年1月2日金曜日

平成21年1月2日(金)






















あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。






宇佐から田川を通り、八木山バイパス経由で帰ってきました。田川には雪が積もっていました。






かなり寒い正月でした。元旦の朝はちらほら雪が舞っていました。






大晦日からビール日本酒ワインと飲み続け、食べ続けて苦しくなりました。






 姪から言われました、わたしがあんまりしゃべらなかったと。なるほど。1月は辛い月になりそうなので憂鬱になっていたのかも。






行政法、要件事実、民法の答案作成、そして2月の後期試験。厳しいです。






そんなことが頭から離れなかったのでしょう。おかげで初夢も試験を受けてた夢でした、わたしはどっかの寄宿舎に入ろうとしていました。その寄宿舎というか寮は7人部屋で、ベッドは3段ベッド、机は鶏小屋みたいに狭く、形ばかりの仕切りで隣の生徒と仕切られていました。






試験は何度もあって、今思うとその教室はかつてわたしが働いていた塾のある一部屋のようでした。試験の中身は民事裁判実務の要件事実の問題のようでした。






今年1年を暗示するかのような初夢でした。






2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

夢と聞いて、ふと1990年に公開された
黒澤明監督の映画「夢」を思い出しました。

この映画、
「こんな夢を見た...」という文字から始まりますが、
これは実際に監督が見た夢とか。
何とも現実なのか夢なのか、ありそうで、なさそうな..。
夢うつつ。
夏目漱石の小説、
『夢十夜』の書き出しとまったく同じですね。

あんみつさんの夢はもちろん実現可能な夢でしょう!
本年、飛躍の年でありますよう、祈念しています。

あんみつ さんのコメント...

芙蓉さん、コメントありがとうございます。
父方が薩摩のご出身でございますか。それはそれはまた奇遇と申しましょうか。わたしの母方が都城と国分なんです。ひいじいさんは作りたばこを営んでおりましたが、たばこが国の専売制となり没落したそうです。
母方の祖母は豪快な女でした。沖縄出身の祖父が中風で倒れた後稼業の酒屋を一人で切り盛りしておりました。
 はまやんさんについてはきっとご本人が教えてくれるでしょう。
 
夢って不思議ですよね、でも昔っからわたしが信じている?のは、人間って眠っているときは死んでいるのだ、ということです。
 どきっとするような話ですが、眠っているときは意識がありません。自分というものを自分が感じることが出来ないということはすなわち死んでいるのと同じではないか、ということです。
屁理屈なんですが、眠った後目が覚めると、さっきまで意識を失っていた状態のことを『眠っていた』と言います。
けれども、たとえば眠ったまま心臓発作とか頭を銃で撃たれて即死した場合、その人は永遠に眠り続けるわけです。永眠する、と言う言葉はまさに真実を語っているのではないか、と思います。
ひと言でいうと、意識を取り戻す死が睡眠で、意識を取り戻すことがない死がいわゆる『死』で、両者は意識がない時間帯においては同じ中身なんじゃないだろうか、と思う次第です。
そして、普段寝ているときも、夢を見ている時とまったく熟睡していて夢を見ていない時間帯とがありますが、死とはこの、熟睡していて夢を見ていない状態が永遠に続くことではないだろうか、と思うのであります。
ちょっとひとと違う考えかもしれません。
このアイデア、どう思われますか。