2009年4月29日水曜日

休日出勤







昭和の日って、なんか自分がほんとに年老いたような気持ちになるネーミングですなあ。昭和は遠くなりにけり。




てことは、大正の日、明治の日というのも作らないといけないんじゃないのかなあ、なんて。




祭日休日になると急に勉強心が湧いてくるのであります。平日はたいしてやってないくせに。




で、8時過ぎにローに着くと、いましたいました、うじゃうじゃと。失礼。




普段は授業がいくつも入っていてじっくり一つの科目に取り組むことがなかなか出来ないので、今日は貴重な日でした。




行政法の全体の仕組みが少しずつ見えてきた感じがしました。




昼から雑用をこなしにバイクで東区を走り回りました。カメラ屋さんでこの前の田舎での法事で撮った写真をプリントアウトしたり、文房具屋に行ってプリンターのインクを買ったり、、、、。




その間お目当ての中華そばやに行きましたが、見つからず、それではと、いつも行っている箱崎の春陽軒という昔からある店に。カウンターしか無くて全部で8人くらい入れば満員という小さな店です。そこのラーメンはさっぱりした味です。



 あの吐き気のする人間の食べ物とは思えない長浜ラーメンとはまるっきりちがいます。最後までスープを飲み干してもちっともくどくならないのです。とーぜん、アンモニア臭はゼロ。薄い醤油の色をしています。でもこれが本物の博多ラーメンなんです。




もともと豚骨ラーメンの元祖、久留米ラーメンだって初めは醤油色してたんですよ。豚骨をきれいに洗ってあく抜きと汚れ取りのために一度湯がくというきちんとした下ごしらえを全くしないままゴーゴーと沸騰させるから白く濁ってくさいものになるんです。




あんなものをありがたがって食べている連中もイケマセン。




 話がだいぶ逸れてしまいました。




行政法が少しずつ輪郭が見えてきたのと同様に、破産法も若干ではありますが分かり始めてきたような気がします。伊藤眞という東大の大学者が書いた分厚い本、買ったはいいがその分厚さに怖じ気づいて敬遠していました。でも読んでみると平易な文章で、分かりやすいです。




 倒産とは、どん詰まりだ、と言われています。ある債務者に対して債権を持っている債権者が100人いたとしますと、その100人の持っている債権の全てが弁済できなくなってしまうわけです。そうなると修羅場です。我先に債務者の持っている全財産をもちだしたり他の債権者から抜け駆けしようとしたり、破産者を脅したり裏取引して残った財産を巧妙に隠匿したり、、、、と、正常な世界から異常な世界、通常の法律が通用しない世界が繰り広げられるのです。



 というわけで通常の法体系が大幅に修正変容されている、それを学ぶのが倒産法です。詳しく言うと、民法、民訴、民事執行、民事保全、という民事体系の全てが修正されるのが倒産法です。



 とかなんとか分かったような口を叩いていますが、超ド素人ですから。



来週はゴールデンウィーク。この行政法と倒産法をなんとかモノにしなければ。
火曜日の授業は、法曹倫理、紛争解決の心理学、歴史と法、とマイナーなのが3連発。でも面白いです。特に歴史と法はローマ法とかゲルマン法とか、現代とかけ離れたものなので、かなりの学生が内職したり爆睡したりしてます。起きてまじめに聴いている学生も、つまらん、と文句を言ってます。わたし?結構好きです。歴史が好きなので、授業中、教室がヨーロッパの5世紀にワープしてます、もちろんわたしの頭の中だけですけど。その当時の人々の生活を想像して授業をきいてます。もちろん眠たいです。こんなことやってて何の得があるのか、とも思ったりします。でも話芸でも講談ってあるじゃないですか。それと同じです。わくわくはらはらドキドキしながら昔の話を聞いている、そんなような感じです。
 そこで、授業で仕入れた豆知識を問題にして皆さんに考えていただきたいと思います。
 中世ヨーロッパでは、刑罰としての種類は、お金を取ることだけでした。死刑も懲役も体を切り刻む刑もありませんでした。ただ罰金(贖罪金)しかありませんでした。そこで問題です。なんででしょう?
 どんどん書き込みしてください。お待ちしております。
写真は、どんたくの提灯の飾り付けが始まった街の朝。





2 件のコメント:

鳥取の住人 さんのコメント...

どうも、ご無沙汰しておりました。
さて、いろんな問題がありますね。ご質問に対してはそもそも基礎的知識がありませんからはっきり言って答えられるものではありません。そこで、間違っているということを覚悟のうえで述べさせていただきます。中世ヨ-ロッパはキリスト教が支配していたはずです。キリスト教といえば博愛の精神を思い浮かべます。とすると、その精神からすると、同じキリスト教徒に投獄とか死刑などかすことは神の教えに背くということでやらなかったのでは?ただ、金銭については別ということで。もちろん、中世といえど十字軍遠征はしていましたが、あれは異教徒に対するものですから問題ではなかったのでしょう。
まあ、こんなところです。不正解との自信はあります。正解は何か、期待しています。

あんみつ さんのコメント...

鳥取さん、コメントありがとうございます。
エセルバート王法典の特徴、という授業でした。エセルバート王というのは、イングランド王で、700年頃の人。
イングランドにおけるキリスト教の定着を推し進めた王です。
法典はすべて賠償金の額と何倍か、で書かれています。例えば、他人の物を盗ったら12シリング、これが国王の物だったらその9倍、それが教会の物だったら12倍、、、、。
先生が言うには、当時王権は強くなかった。そのため刑務所のような人的物的な費用、施設が必要な刑罰はまだ作れなかった。
また、民事賠償と刑罰との分化が未発達だったため、刑罰は民事賠償の域から脱却できていない。生命刑や身体刑がなかったのはおそらく法典の客体が社会の中の上の方の階級だったからではないか、つまり身分の高い者は奴隷なんかを殺しても賠償責任しか発生しない、逆に奴隷が人を殺したら法典になくとも当然殺されることになっていたのではないか、と思われる。
後世になってローマカトリック全盛時代、残虐な刑罰が盛んになったが、それは教会の権力が唯一絶対となったからではないか。
 賠償金が払えない者は追放されたとも言われているが定かでない。
 つまり、現代刑法と比べると、国家権力の支配力の差が大きい。また、教育刑思想は19世紀以降。さりとて完全なタリオ主義でもない。
先生も言ってましたが、かなり不思議な法典だ、と。
まあ、現代刑法の特殊さがよく分かるという意味において、役に立つかもしれない、とも思いました。